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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第35回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(11) ~ムーブメントの終わり (後編)

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回分はこちら
kimniy8.hatenablog.com

解体される反体制運動グループ

新左翼と呼ばれる人達や、その中でも更に過激思想をもつテロ集団のウェザーマンと呼ばれる団体と、非武装、非暴力、平和主義を訴えるヒッピーやイッピー達との中は悪くなり、それぞれのグループは分断されていきます。
この、反体制運動グループの解体は、自然発生的に起こっただけではなく、政府側のスパイが紛れ込んでいたという話もありますね。
反体制グループは、身元調査をするわけではなく、集まってくる人間なら誰でも受け入れるグループが多く、CIAの諜報員などが紛れ込みやすい状態にありました。

こういうグループでは、前に出て積極的に行動を取るタイプは重宝される為、仕事として入り込んでいる優秀なCIA職員にとっては、グループ内での昇進も楽だったのでしょう。
そして、ある程度上り詰めてグループ内である程度の地位を確保した上で、その立場を利用して、別グループに対する不平不満や罵声を投げかけます。
この様なスパイは、当然ですけれども、相手側のグループにも紛れ込んでいるので、その職員同士で派手に喧嘩を演じる事で、それぞれのグループをバラバラにするような活動も行っていたようです。

この様な状況に耐えられなかったのか、サイケデリック文化の黎明期から活動しているヒッピー達は、ヘイト・アシュベリー地区から逃げ出すようにして、他の地域に散らばっている、考え方が似通っているヒッピーコミューンへと移っていきます。
サイケデリック文化を担ってきた、中心的な人々がヘイト・アシュベリー地区から出ていく事で、この地区は、ニートやジャンキーだけが残され、それを、自称『普通の人』が観光バスから見下すという、異様な町へと変化していきます。
そして、どこの組織にも属していないLSDの売人が、縄張り争いによって殺されるようになります。

元々は、人間が持つ可能性を知る為の意識拡張が重要視され、その体験を促すためのLSDは、求めるものには無料で配布されていた代物だったのですが、
ヘイト・アシュベリー地区の資本主義化によって流れ込んできたマフィアによって、LSDは金儲けの道具と成り果てました。
LSDも、神秘体験を得ることによって、従来の考え方を変えるという目的から、単なる現実逃避や娯楽の一つとして消費されるようになっていきました。
中心となる人がいなくなり、ヒッピーが生み出した文化が金儲けの道具と成り果てることで、この地区でのヒッピーの活動は終わりを告げる事となります。
この様な状況を受けて、黎明期から活動していたディガーズは、『ヒッピーの死』を大々的に演出する為に、ビーズの装飾品など、ヒッピーを象徴するモノを埋葬する葬儀イベントを行い、一つの時代の終わりを決定的なものとします。

資本主義に飲み込まれていくカウンターカルチャー

ここら辺までの流れを、簡単に説明しておくと、最初のヒューマン・ビーインが行われたのが、1967年の1月の話です。
この時期を境に、ヒッピーコミューンに新たな層が大量に流入してくるようになります。 そして約半年後の同じ年の夏には、
モントレー・ポップ・フェスティバルが開催されて、この夏は『サマー・オブ・ラブ』と呼ばれて、ヒッピーにとって象徴的な年となります。
そして、ここから半月も経たずに、同じ年、1967年の10月には、イッピー達によるペンタゴン包囲作戦が行われて、この参加者の一人が、国防総省を護衛する兵士の銃口に、花を挿します。

その一方で、この年は、文化の中心に有ったLSDが規制されて禁止薬物となり、製造を一手に引き受けていたオーズリー・スタンレーが逮捕された時期でもあります。
この逮捕がキッカケとなって、LSDの製造は、資産家のビリー・ヒッチコックが出資者となり、ニコラス・サンドとティム・スカリーの手によって製造され、永遠の愛兄弟団によって市場に流通するようになり、
LSDが資本主義に利用されるようになっていきます。

1967年は、ヒッピーにとって飛躍の年であると同時に、ピークを付けた年ともいえますね。
これ以降は、今回のエピソードでも説明したように、聖地であるヘイト・アシュベリー地区の観光化が進み、時を同じくして街を構成する人間が入れ替わっていき、世間からの評判も悪化していく事になります。
そして1969年1月には、ヒッピーの活動に批判的なサイレントマジョリティーによって、ニクソン大統領が誕生します。
この政権下では、麻薬撲滅キャンペーンが一部地域で行われ、麻薬中毒患者とヒッピーが結びつけら得ることになり、ヒッピーの地位は更に落ちる事となり、黎明期から存在するコミューンのディガーズによって、ヒッピーの葬儀が行われることになります。

ヤケを起こして泥沼化するカウンターカルチャー

1960年はじめから始まったLSDを中心とする活動は、1967年にはピークを迎え、1969年には崩壊に向かっていったということですね。
ここから先の転落っぷりは、結構凄いものがあります。 まず、ヘイト・アシュベリー地区でそこそこ有名人だったチャールズ・マンソンという人物の逮捕です。
この人物はカルトの教祖で、家出少女にLSDを使って洗脳し、男性を誘惑させて自身の元へ引き込む事で、自身の教団を大きくしていった人物なのですが、1969年には、メンバーに無差別殺人を強要して、実際に5人の女性が殺される事となります。

政府やマスコミは、ヘイト・アシュベリー地区の住人という事や、LSDを常用している事から、マンソンとヒッピーを結びつけて避難し、これによって反政府活動を行っているヒッピーも、大きな打撃を受ける事となります。
この事件を受けて反政府活動をしている人達が、マンソンと自分たち活動グループとの関係の否定や思想の違いを強調すればよかったんですが…
何を思ったか、一部のグループは、『マンソンこそが、サイケデリックの聖人だ』といった具合に、偉人扱いをして持ち上げてしまったんですね。

反政府活動を行うグループもマンソンも両方、世間一般や政府、マスコミから敵視されているという事で、敵の敵は味方とでも思ったんでしょうかね。
結果として、無差別殺人者を英雄のように祀り上げる反政府グループは、更に評判を落とす事となります。
そして、その中でも、より過激で行動的と言われている『ウェザーマン』と呼ばれる団体。 これは、SDSと呼ばれる革命を目指す学生による反政府グループというのが元々有ったんですが、そこから更に、過激な思想を持つ人間が集まる事で出来た毛沢東思想を掲げるグループなんですが…

このグループが、反政府活動の一環として爆破テロなどを行って、世間から危険団体として認識されるようになります。
そして、テロが報道に取り上げられると、全国で模倣犯が現れだし、1969年の1月から翌70年の4月までで、4300件を超える爆破事件が起こるまでになったようです。

こういった事実が積み重なると、ヒッピー=ジャンキーであったり、犯罪者であったり、落伍者で有るが故に世間を批判するクズといったイメージは決定的となって、固定されていきますので、評判は地に落ちます。
ラブ&ピースや世界平和を掲げていた時代からすると、えらい変わりようですよね。
そんな中で起こるのが、ティモシー・リアリーの逮捕です。 マリファナ所持で逮捕されて有罪判決が出て投獄されるわけですけれども、リアリーは、永遠の愛兄弟団や、
そこから依頼された反政府組織でテロ集団のウェザーマンのちからを借りて、脱獄する事に成功します。
世間からすると、サイケデリック文化の中心人物が、過激派の手を借りて脱獄したという状態になるわけで、世間の目はより冷ややかなものとなるわけですが…
リアリーはその後、脱獄の手助けをしてくれて、その後も面倒を見てくれたウェザーマンの活動を認めて、応援するようになってしまいます。

この影響は、世間一般よりも、サイケデリックの住人たちにとって、大きなショックを与えます。
これは当然ですよね。 リアリーの意識拡張から出発した文化は、その後、大本の主軸とは違ったものに変わって行くわけですが、そんな彼らが訴えかけてきたものは、平和であり、非武装
Love & Peaceがメインだったわけですが、その元祖ともいえる人物が、実力行使である爆破テロを認めてしまったわけですから、その衝撃は凄いものだったんでしょうね。

また、マリファナ所持の逮捕から投獄までの間に時間が有ったんですが、リアリーはその間に、カルフォルニア州知事に立候補しようと活動してたんですね。
サイケデリックの高僧と呼ばれたリアリーの立候補ですから、ヒッピー界隈から手助けをしたいという声も続々と集まります。
そして、その活動の一環で、ジミー・ヘンドリックス、ジョン・レノンオノ・ヨーコなどが動くことで、リアリー自身の知名度も上がっている状態だったんですが、
その状態で、テロ行為を認める発言をしてしまったことで、元々のヒッピーとテロ集団が同一視されてしまいます。

ムーブメントの終わり

つまり一般人から見れば、ラブ&ピースを掲げる集団が、自分たちの主張を受け入れてもらう為に爆破テロを行っていると言った認識になるんです。
この状況は、批判対象となっている政府側にとっては好都合ですよね。 政府にとって痛いところを付かれていたとしても『それを主張しているのは、犯罪集団ですよ?』と言い返すだけで、世間は納得してしまいます。
そして、活動家=犯罪者という構図が決定的になると、警察側にとっても、反政府運動の取締が楽になっていきます。

そんな中で、再びリアリーが再び逮捕されます。 そして司法取引が持ちかけられ、リアリーは結果として仲間を売る結果となります。
パトロンのビリー・ヒッチコックが逮捕され、ここにも司法取引が持ちかけられて、オレンジサンシャインの製造者の2人が逮捕されます。 捜査の手は、ウェザーマンや兄弟団にも伸びていき、ムーブメントに関わった人物が芋づる式に逮捕されていきます。
脱獄の手伝いをしてもらったウェザーマンを警察に売った事で、リアリーは反政府活動家から信頼を失い、その反政府活動家は、世間一般から犯罪者集団として認定されることとなり、この一連のムーブメントは終焉を迎える事になります。

長く続けてきた、ヒッピー・ムーブメントの一連の流れの解説はこれで終わるわけですが、かなり長いコンテンツになってしまったので、次回は、簡単なまとめと、ヒッピー・ムーブメントがその後の社会にどの様な影響を与えたのかについて、
簡単に語っていこうと思います。