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【ネタバレ感想・考察】Detroit: Become Human (デトロイト ビカム ヒューマン)【PS4】

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今回の投稿は、ゲームをクリアーした上での感想となっていますので、ネタバレを多分に含みます。
その為、まだプレイされていない方で情報を入れずにプレイしたいと思われている方は、先にプレイしてから読まれることをおすすめします。

前置きが終わったので、早速、本題に入っていきましょう。
今回、取り扱うゲームは、『Detroit: Become Human (デトロイト ビカム ヒューマン)』です。


      

この作品は、ゲームというよりも、自分で選択肢を選んで物語を作っていくタイプの映像作品といっても良いかもしれません。
ゲームシステム的に一番近い作品としては、『ライフ イズ ストレンジ』とかでしょうかね。
様々な場面で選択肢を迫られて、その選択肢によって、物語の結末が大きく変わっていく。
ゲームの製作者によって、『ベストエンド』が決められているわけではないので、様々に変化していく物語の中で、自分が一番納得できるストーリーを探していくゲームといえば良いのかもしれませんね。

ゲームの大まかなストーリーは、今から20年後の2038年のデトロイトが舞台となって繰り広げられる物語。
人が生み出してきた技術が進化し、人類は、人間と同等かそれ以上の能力を持つ自立式のアンドロイドの開発に成功した近未来が舞台となっています。
このアンドロイドの性能は素晴らしく、バッテリーは年単位でもち、多少の故障なら自己診断機能によって破損部分を自分で治せる。
足りない部品は、ネット経由で自分で発注まで出来る代物。 当然、食べ物も水分もなく持続して動くことが出来るため、肉体的には完全に人類の上位互換となる存在です。
しかも、ここまで凄い性能にも関わらず、お値段はなんと、ミドルモデルでも8000ドル程度。

では、そんな便利な製品が開発された未来は、さぞかし輝かしいものとなっている…と思いきや、実はそうでもない。
今の為替相場換算で、日本円で100万円以下で、こんな素晴らしい製品が発売されたら、真っ先に購入を検討するのは、庶民ではなく資産階級の人間です。
今まで、一人の人間を雇うのに1年で300万円も払い、その上、昇給までする。

そんな『人間』を1人、1年間雇う金があれば、3体のアンドロイドを買うことが出来ます。
アンドロイドは1度買えば、給料無しで働いてくれるうえ、故障しても自分で自分を治すことも可能。

こんな状態になれば、当然のように起こるのが、失業率の大幅な増加です。
今現在でも、『20年後になくなる仕事』なんてものが頻繁に発表されていますが、こんなアンドロイドが発売されたら、単純労働の全てがアンドロイドに取って代わられます。
アンドロイドを制御できる程のAI技術も開発されているわけですから、中途半端なエンジニアの仕事も、当然の様に仕事を奪われる。

結果として、大多数の人たちが職を失う事となり、その怒りは、アンドロイド達に向けられる事になります。産業革命時代のライダト運動の様に。
また人間というのは社会を作って生きていく生き物なので、職もなく、誰からも必要とされない状態では生きていく事は困難です。
誰からも必要とされない人達は、承認を得ることが出来ない為に欲求不満になり、その欲求を埋めるかのように、『レッドアイス』という名のドラッグが大流行し、治安はますます悪化。

『レッドアイス』の原材料は、アンドロイドにとって血液の役割を果たす『ブルーブラッド』の原材料だったりで、アンドロイドによって社会から追われた人達がアンドロイドが動くのに絶対に必要な物質を快楽の為に消費するという、なんとも言えない状況だったり。
また、ブルーブラッドの製造に欠かせないシリウムという物質は、北極圏に大量に眠っているようで、アンドロイド技術が完成すると同時に、領土権闘いが勃発。
世界は、第三次世界大戦に突入する勢いだったりします。

アンドロイドの登場によって、貧富の差はますます拡大し、一部の人達の生活は確実に悪化したわけですが、そんな貧困層の人達が、アンドロイドを購入して家事をやらせているという矛盾。
また、社会に溶け込めるように人間そっくりに作られたアンドロイドは、人間に出来る事は全て出来る上に、文句も言わずに人間の機嫌を取ってくれる為、アンドロイドをパートナーとして選ぶ人が続出。
パートナーだけならまだしも、学校の費用や食費がいらずに、寂しさを紛らわせてくれるという事で、子供タイプのアンドロイドも発売され、少子化がますます進んで人類に未来は無い状態。

このゲームでは、こんな環境下で、アンドロイドが自我に目覚め始める事で生まれるドラマを自分の意志を反映させながら体験できます。

登場人物は3人で、一人は、『変異体』と呼ばれる自我に目覚めたアンドロイドを見つけ出して逮捕する捜査官タイプのアンドロイド『コナー』

2人目は、アンドロイドの登場で社会からはじき出され、所謂『毒親』と呼ばれるシングルファーザーに購入された、家事代行アンドロイド『カーラ』

3人目は、大富豪の画家『カール』に、身辺の世話をする為に購入されるも、道具としてこき使われるわけでもなく、息子の様に人間と差別されること無く扱われている『マーカス』

最初はバラバラに展開していく、それぞれのドラマ。それが、最終的に絡み合って一つのストーリーになっていく展開は、よくあるといえばそうですが、実際にプレイしてストーリーに没入している状態で体験すると、かなり凄いものがありました。

【此処から先は、かなり深刻なネタバレを含みますので、読むかどうかを慎重に考えて行動してください】


自我を持ったアンドロイドというテーマは、『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』や『攻殻機動隊』などで語られているし、アンドロイドと奴隷を結びつける発送は、Fallout4などでもテーマになっていたりしますから、このゲームも話も、使い古された話と言われればそうなのですが、この手の話が個人的に大好きなせいもあって、かなり楽しめた作品でした。
わたし自身が、何故、この様な種類の作品が好きなのかというと、自我を持つアンドロイドというテーマには、ほぼ確実に、人間とは何なのかという疑問が含まれているからです。

作品の中では、アンドロイドだというだけで暴行を加えられたり、差別されたり、見下されるということが普通に起こっています。
当然といえば当然ですよね。 なぜなら、アンドロイドはショップで販売されている商品に過ぎませんし、消費者は生活を豊かにする道具として商品を購入しているだけ。
今現在の技術で例えるなら、自動掃除機ロボットに感情移入をするのか?っていう話。仮に、『自動掃除機に人権を! 彼らには正統な報酬を払うべきだ!』って訴える人がいたら、変な人に思われるでしょう。

ただ、面白いのが、これがアンドロイドにまで進化すると、『彼らにも人権を!』『アンドロイドにも愛情を感じる可能性がある。』と答える人が過半数を超える。
何故、過半数を超えるのかというと、このゲームは、クリアー後にアンケートが開始され、それに答えることで、何%の人間がどんな回答をしたのかというのがわかるようになっているんです。
当然、このゲームをクリアーした人が対象になっているアンケートですから、アンドロイドに対して好意的なバイアスがかかっている訳ですが、そんな人達でさえ、『自動販売機と結婚したい』と考える人は少ないでしょう。

では、このアンケートでアンドロイドに好印象を持った人は、何処から、アンドロイドに人間性を見出すことになるのかということです。
外見が似ていたら? コミュニケーションが取れたら? 
どのレベルをクリアーしたら人間扱いするのかというのは、どのレベルから人間と呼ぶのかというのと同じ事となり、機械の定義を明確にする事が、そのまま人間の定義になるんですよね。

ここで、『人間とアンドロイドの定義なんて簡単だろ!アンドロイドは機械なんだから!』と思われる方も多いと思います。
では、人間と機械の違いは何なのでしょうか?
人間の五感で得られた情報は、電気信号に変えられて脳に伝達され、それが感覚として脳内で再生され、その再生によって脳内で電気信号が発せられて、感情という反応をしているに過ぎません。
アンドロイドと人間の違いは、素材がタンパク質とミネラルか、鉄とプラスチックかというぐらいの差しか無い。

魂の様な霊的なものを想像している方もいらっしゃるかもしれませんが、そもそも、そんなものは科学で証明されていませんし、存在を証明することも出来ません。
デカルト的に『我思う故に我あり!』と思い込むことしか出来ません。また、機械として作られたアンドロイドも、自身の中に魂の存在を主張するかもしれませんが、人間に魂があることを主張する人達は、それを完全に否定することは出来ません。
こういう事を改めて考えさせられるから、こういう作品って好きなんですよね。

この作品では、3つのケースを通して、この事を考えさせられます。
最初に操作するコナーは、アンドロイドに偏見を持つ人間の捜査官・ハンクの相棒になって事件を解決していくわけですが、自身が取る行動によって、ハンクが徐々に自分を受け入れてくれるようになっていくストーリー。
一方で、毒親・トッドのもとで家事を行うカーラ編では、トッドから人間の少女・アリスを守らなければという使命感から、購入者である毒親の命令を違反してアリスを守るという行動を取る。
トッドに恐怖や敵意といったマイナスの感情を持つ一方で、アリスには愛情を注ぐ母親の様な役割を演じるという複雑な心境を体験。
マーカス編では、人間に愛情を注がれながら生活をし、哲学や芸術を教えられるというベースを持つアンドロイドが、自分たちの権利を主張して革命を起こすというストーリーを体験します。

この中で、個人的に一番衝撃を受けたのが、カーラ編。 【ネタバレ注意!!!】


カーラは、虐待やDVを行うトッドから、娘のアリスを救う為に行動した結果、変異体となって自身の意思で動くようになるわけですが、物語の後半で、人間の少女だと思いこんでいたアリスが、アンドロイドである事が判明します。
このゲームをプレイして後半まで来た人間の多くは、『アンドロイドも人間も同じだし、差別は良くない。』と漠然と思いながらプレイしていたと思うのですが、アリスがアンドロイドだとわかった時点で、少なからずショックを受ける人が多いと思います。
これを書いている私も、そうでした。 軽い裏切りのようなものを感じてしまったのですが、この演出が、かなり凄いと言わざるをえません。

というのも、この演出は、『自分はアンドロイドにも人権を認めているし、人間と同じ様に接する』と表面的に演じている人間の本性をさらけ出させているからです。
本気で、『アンドロイドも人間も同じ』と思っているのであれば、アリスが人間であってもアンドロイドであっても、何も思わないし扱いを変えるなんて事も行いません。
しかし、少なからずショックを受けたということは、真相意識の中で、人間とアンドロイドとの間に差を設けているから、ショックを受けるわけです。

この、自身でも気が付いていない差別する気持ちを掘り起こさせる演出というのが、本当に凄かったです。。
ちなみにですが、この演出の直後に、アリスを抱き寄せるか突き放すかの選択肢がでるというね。 本当にやられました。

ネタバレ前回で書きましたが、まだ未プレイで、これを読んで興味を持った方は、是非、プレイしてもてください。
いろいろと考えさせられます。