だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

漫画村に対するアクセス制限について思う事

先日の事ですが、WBSという番組で『漫画村』という違法サイトについてのニュースが取り上げられていました。
漫画村とは、私自身は利用したことがないので詳しい事はわからないのですが、無料で漫画が読めるサイトの事です。

無料で漫画をアップロードするというのは完全に違法なのですが、何故、問題になりながらも運営できていたのかというと、サーバーが日本の法律の及ばない海外にあるからだそうです。
一番の問題としては著作権違反なのでしょうが、海外にサーバーがあるけれども、サイトの作りとしては日本人をターゲットにしているという所が問題をややこしくしているようで、法律的には取り締まることが出来ない。
国民全てに『漫画村は違法だから、アクセスしないように!』なんて言ったところで改善もしないでしょうし、何なら、そのアナウンスで『漫画村』というサイトが認知されてしまって、悪影響も出かねない。
この様な状態のため、対策としては、ISPに働きかけて、そもそもアクセスできないようにしてくれと圧力をかけるしか無い状態になっているという話でした。

ただ、この対処療法にも問題が。
それは、IPSが国の要請を受けて特定のサイトをブロックするのは、憲法違反じゃないのかという問題です。

国民には知る権利というのがありますし、また、国が『見て良いサイト』と『見てはいけないサイト』を選別するという行為は、ネトウヨが批判しまくっている中国の政策と同じですよね。
今現在は、漫画村の様な違法サイトのみに適用という事になってますが、一つの例外を許すと、ダムが決壊するように『あれも!これも!』となるのは、今までの日本を見ていたら火を見るよりも明らか。
その為、ISP側が政府に対して抵抗しているという動きもあるようです

このニュースを観た私の印象としては、『もっとスマートな方法があるんじゃない?』という事。
その方法とは、公式が漫画村の様なサービスを運営すれば良いという事です。

この漫画村問題って、今に始まったことではなく、昔っからある問題ですよね。
昔でいえば、win MX や winny が全盛期だった頃は、映画やアニメ、音楽など、ネットに存在するありとあらゆる作品がファイル交換されていた時期がありましたよね。
その他にも、音楽に特化したサイトなどもあり、当時も、著作権などが問題視されていました。

しかし現在はどうでしょう。
音楽や映画の違法ダウンロードは、かなり減っているのではないでしょうか。
その理由としては、国が率先して著作権違反を捕まえたというよりも、定額サービスの定着が大きいと思います。

例えば、音楽の違法サイトで、自分が欲しい音楽を必死になって探して、ダウンロードする。
ダウンロード後は、その中にウイルスが仕込まれてないかを調べて、不安ながらも使う…
こんな面倒くさいことをするぐらいなら、AmazonApplegoogleが提供している音楽聴き放題サービスを使うほうが良い。

映画や動画にも同じことが言えて、画質がどの程度かも分からず、タイトル詐欺ではなく内容もしっかりしたものを探し、逮捕のリスクを考えながらも何時間もかけてダウンロードするなんてのは、今になっては馬鹿らしい話。
AmazonプライムNetflixに入って、観たい動画を選択して観るほうが、遥かにストレスも少なくて楽。

音楽や映画は、定額ストリーミング配信によって、違法サイトは駆逐されたと言っても良い状態になっています。
これと同じことを、日本の出版社が漫画で行えば良い。
各出版社が手を結んで、利益を分け合えるプラットフォームを作り出せば良いんです。

これは既に、雑誌分野では行っていますよね。
dマガジンというサービスでは、月額400円程度で200ぐらいの雑誌が読み放題。バックナンバーも1年程残っているので、遡って読むことも可能。
もはや、情報を手に入れたいだけであれば、雑誌は買わなくても良い時代に入っています

それを、漫画でやってしまえば良い。
そうする事で、さらなる市場拡大も目指せると思うんですよね。

というのも、私は昔、自分の小遣いの大半を漫画に注ぎ込んでいた時期がありました。
最終的には所有数が数千冊にまでなり、読みたいし買いたいけれども、置き場所に困った結果、買わない。どうしても買いたい場合は、あまり読んでないのを中古で売ってスペースを開けるというのを行っていました。
また学生時代などは、小遣いも多い方ではなかった為、古本屋で買うというのも頻繁に行っていました。

でも、定額読み放題サービスの場合はどうでしょう。
これらのサービスは電子書籍として提供される為、漫画の置き場が無くなるなんて事はありません。
また、金のない人が中古で買って中古として売るというサイクルを行う事で、作者や出版社にお金が入らないというケースも防げます。

その他には、Netflixの場合は英語音声や字幕を選択可能な為、動画配信サービスを使って英語を覚えるなんて使い方も一部でされていますが、漫画の読み放題サービスを世界展開して、セリフの文字を選択式にする事で、英語教材としても使われるかも知れません。
そうなると、今までは漫画を読まない層まで取り込むことが出来る為、市場拡大になりそうな気がするんですよね。

ただ、このサービスが本格化すると、潰れる印刷業者も今までの比ではないでしょうし、漫画の印刷を回すことでキックバックを貰っていた担当なんてのが居た場合は、旨味もなくなるんでしょうけれども。

ですが、出版社が従来の構造を残そう何もしなければ、この状態は維持できるのかというと、そうでもないと思うんですよね。
NetflixApple Musicのように、海外の企業が目をつけて、先にやることで日本が後手に回ってしまう可能性の方が高いんじゃないでしょうか。
具体的には、Amazonとか。

Amazonは、既にUnlimitedという定額読み放題サービスを始めてますし、個人で出版できるシステムも提供しています。
ツイッターを観ると、現状の出版社に対して不満を持つクリエイターも結構いて、そういう人達の受け皿がAmazonになりつつ有るので、時間が立てば経つほど、Amazonには有利な状況になって行くような気がするんですよね。

そうなる前に、出版社は今あるコンテンツを武器に、サービスを先に始めるべきだと思うんですよね。
仮に月額500円でサービスを始めたとして、全世界で会員が1億人集まれば、毎月の売り上げが500億になるんですよ。
1年間で6000億円!
2016年のコミック市場の規模は、電子と紙を合わせても5000億に届かない…
全国出版協会|2016年のコミック(紙+電子)市場を発表しました

また、このサービスに完全移行した場合は、今までかかっていた紙代や本屋までの配送料なども省けるので、これは単純に、売上が1000億伸びる以上のリターンがある様に思えるんですけどね。

【海外ドラマ紹介】ゲーム・オブ・スローンズ (Game of Thrones)

今回紹介するのは、既に世界中で大人気になっていて、紹介するには、かなり今更感のある海外ドラマ
ゲーム・オブ・スローンズ】(Game of Thrones)です。

何故、こんな有名なタイトルを今更ながら紹介するのかというと、単純に、私が最近になって観たからです。
何年も前から始まってるドラマなので、既に観ている方からは情弱と言われそうですが、私のように最近になって観始めたって人は、かなり多いと覆います。
というのも、今までは動画の定額サービスでゲーム・オブ・スローンズを観ようと思うと、huluに加入しなければならなかったのですが、最近になってから(2018年になってから?)、Amazonプライム会員向けのサービスであるプライム動画でも視聴が可能になったからなんです。

色んな所で『ゲーム・オブ・スローンズは凄い!』という話を既に聴き、前から興味を持っていたので、ゆっくり見れる時期になって観始めたのが、最近というわけです。
実際に見た感想としては、小学生並みの感想になってしまいますが、『凄い!』としかいえない作品です。

ネタバレを嫌う人は、この投稿すら観ずに今すぐ観て欲しいのですが、少しは情報が欲しいという方の為に簡単な作品の紹介をすると、ヨーロッパの中世を舞台にした物語。
物語中には7つの国があり、7人の王がそれぞれの国を収めているのですが、その7人は1人の王に忠誠を誓っています。
この7王国を統べる王が座るのが、敵兵の剣を集めて溶かし、固めてつくった鉄の玉座。

物語は、この鉄の玉座を狙う人物が現れることによる内乱。
北から迫る、驚異。 国を追われた、前王族の物語の3つが同時進行していく事で進んでいきます。

これだけを聴いてもピンとこない方の為に、この物語が始まる前の話を少ししていこうと思います。
繰り返すようですが、情報を一切入れずに観たいという方は、この投稿を読まずに今すぐ観てください。


この物語が始まる前の七王国は、ドラゴンの末裔と呼ばれるターガリエン家が鉄の玉座に座って国を治めていました。
何故、ドラゴンの末裔と呼ばれているのかというと、その昔、難攻不落の要塞と言われたキングスランディングという王が住む城を、使役したドラゴンで空から攻め落としたという伝説があるからです。
その後、数百年にわたってターガリエン家は鉄の玉座に座り続けたのですが、狂王と呼ばれたエイリス=ターガリエンが、徹底した恐怖政治を行った結果、謀反を起こされます。

キングスガードを勤めていたラニスター家のジェイミーが、忠誠を誓ったはずの王を殺し、バラシオン家とスターク家が手を結んで兵を出してターガリエン家と交戦。
その結果、ターガリエンは子供2人を残して滅亡し、残った子供は海を渡って別大陸に逃れます。
そして鉄の玉座にはバラシオン家のロバートが座り、共に戦ったエダート=スタークは、『王の手』と呼ばれる最高レベルの役職についた。

ここまでが、物語が始まるまでの話。
実際のドラマは、このロバート王が治めている束の間の平和から始まります。

束の間のというのは、平和なように見えて、実は水面下で物凄い権力争いが起こっていて、ドラマは、それが浮き彫りになったところから始まるからです。
これだけ聞くと、『権力者同士の権力争いの話?』と思われるでしょう。 まぁ、簡単に説明するとそれだけの話しなのですが…

この作品の凄いところは、この権力争いを物凄いスケールでやってのけているところ。
それなりの役割を持った人間の数だけでみても、100人を超えるというスケールです。

考えてみれば当然で、七王国という事は、最低でも7人の王が存在するわけで、その王には妻や子供がいる為、それだけでも30人を超える人数となります。
この他に、その王に仕えている従士や兵を率いている騎士が存在しているので、登場キャラクターは、かなりの数になってしまうわけです。
そしてそれらのキャラクターが、自分の信念や欲望にしたがって、それぞれの行動を取る為、単純な一本道のストーリーではなく、ストーリー自体が次々に派生していきます。

この様な感じで進んでいくため、このドラマは1話あたり1時間の放送なのですが、1時間の話の中に4~5の別々の話が同時進行で進んでいくという作りになっています。
例えば、ロバート王周辺の話をした後、全く違った話としてスターク家の話が入り、場所を大きく変えて、ターガリエン家の生き残りの2人の子供の話が入るという感じ。
分岐した話は1シーズンで決着が付くこともあるのですが、そのシーズン内で頭角を現したキャラクターが別の物語を始めたりもするので、常に4~5パートぐらいに分けられた放送が続くというスタイル。

この為、正直な話をすると、第1シーズンは意味がよく分かりません。

というのも、この物語をキッチリと把握する上では、登場する人物の家がかなり重要になってきます。
『この人物は、ラニスター家の次男。』『この人物は、スターク家の落とし子(不倫関係で正妻意外との間で生まれた子)』といった具合に、それぞれの家の家系図が頭に入っていなければ、登場人物の立ち位置も関係性も理解するのが難しいのです。

これがもし、日本のドラマであったなら、新キャラが登場する度に、『おお! お前は◯◯家の長男で、剣の腕前も凄く、父親から一番の期待を受けている◯◯じゃないか!』と、その登場人物のバックボーンを丁寧に解説してくれるんでしょうが…
このドラマは、良くも悪くも海外ドラマで、それなりのリアリティーを追求している為、その様な『その場にいない人間』に向かって懇切丁寧に解りやすく解説してくれるなんてことはしてくれません。
何なら、私が先程書いた前日譚の説明もありません。 各種様キャラクターが話すセリフをつなぎ合わせると、そんな前日譚があったんだろうなというのが分かる程度しか表現されていません。

その為、第1シーズンの第1話は、何の情報もないままに物語の世界に放り出される事になります。

ただ、この作品が凄いのが、そんな情報不足で手探りで観なければならない状態にも関わらず、ついつい、次のエピソード、次のエピソード…と観させる魅力を持っている事です。
そして、一通り観終わった後『家系図が頭に入った状態で、もう一回見直そう!』と思わせるところです。

今現在は7シーズンまで放映されていて、1シーズンあたり10エピソードなので、全て観ようと思うと70時間。
2周目に突入すると140時間も掛かる計算になりますが、それだけの時間を使ってでも『観て良かった』と思える作品は、そうそう無いと思います。
Amazonプライムに入っている人ならシーズン6まで。 huluに加入している人ならシーズン7まで追加料金無しで見ることが出来るので、興味がある方はぜひ、みてみては如何でしょうか。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第27回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(3) ~メリープランクターズ

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
goo.gl

youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
www.youtube.com

第20回と21回で、ヒッピー・ムーブメントがどの様にして起こったのかという簡単な説明をし、22回と23回で、その運動に大きな影響を与えた幻覚剤、LSDについて、開発の経緯や使われ方について説明しました。
そして前回の、25回からは、このムーブメントの中心的な人物であるティモシー・リアリーに焦点を当てて、より詳しく、この出来事を追っていっています。そして今回からも、その続きとなるんですが

その前に、当たり前の事では有るんですけれども、一応注意点として言っておきますと、ヒッピーを取り扱う回では、LSDなどの幻覚剤を始めとした禁止薬物が、頻繁に登場することになります。
それも、ネガティブな取り扱い方だけではなく、人間の可能性を伸ばすといった感じの取り上げ方をしますが、あくまでも、当時、そのように捉えられて研究されていたという解説をしているだけで
現在、使用することを推奨しているわけではありません。 現在は禁止薬物になっているものが大半なので、使用は行わないようにしてください。

という事で、本題なんですが、その前に前回の放送を簡単に振り返ろうと思います。
前回は、ティモシー・リアリーという人物がハーバードに就職してから、退職するまでの流れを見ていきました。
心理学者として有能だったリアリーが、幻覚キノコに魅せられて、その成分のシロシビンの研究を始めます。
そして、シロシビンによる幻覚の世界を研究していく中で、オルダス・ハクスリーが書いた『知覚の扉』を知ることになり、ここからビート・ジェネレーションの有名人たちと知り合っていくことになります。

リアリーは研究の過程で、古代のシャーマニズムとの関連性などにも注目し、グッドトリップを誘発しやすくする為の一連の儀式であるセッションなども開発したりします。
そして、トリップによる神秘体験が、人の精神にどのような影響をあたえるのかと行った研究を始め、実際に刑務所の受刑者にトリップ体験をさせて、再犯率にどのような影響があるのかを調べたりします。
そんなリアリーは、適正分量の100倍のLSDを飲んでぶっ飛んで悟りを開いた科学者、マイケル・ホリングズヘッドと出会い、彼からLSDを薦められます。

リアリーのLSD初体験ですが、これがかなり凄いものだったらしく、その体験によって価値観が塗り替えられたリアリーは、シロシビンからLSDに研究対象の軸足を移していくことになります。
ただ、リアリーのLSD研究は、多くの人に幻覚剤を投与して神秘体験をさせようとしていたのに対し、政府や大学はLSDをあまり公の場に出したくなかったようで、双方の思惑の違いから、リアリーは大学をやめることになります。
大学を辞めた後も、リアリーは独自で研究を続行する事にし、研究費用を稼ぐために、IFIFという組織を立ち上げます。

この組織は会員制の組織で、リアリー達の研究レポートを読みたいのであれば、会費を支払って会員になってくださいという感じで、資金集めを行っていたようです。
また、リアリーがこれまでに積み重ねてきた研究によって、一連の儀式を行うことでグッドトリップを誘発できるということがわかってきたので、そのグッドトリップを誘発するセッションが体験出来る施設も作っていたようです。
この活動ですが、CIAから目をつけられていたリアリーは、アメリカではなく、メキシコを中心に活動していたようですね。メキシコは、今でも麻薬製造や密売の話をよく聞く地域なので、活動しやすいと考えたのかもしれませんが活動がし易かったのかといえば、そうでもなかったようですね。
CAIからの妨害工作などがあって、国外追放を受けるなどして、いろんな地域を転々としていたようです。

活動は困難を極めたのですが、この活動を通して、リアリーはビリー・ヒッチコックという人物と出会うことになります。
ここまでが、前回までの簡単な振り返りですね。

今回は、この続きから話していきます。
リアリーを通してLSDの研究に興味をもったヒッチコックは、ニューヨークのミルブルックにある別荘を、リアリー達に貸し与える事を提案します。
拠点を置いては追放されるというのに疲れてきたんでしょうかね。 リアリーはこの話を受け入れて、今度はバレないように派手な活動はせずに、ひっそりと研究を行います。

リアリーがハーバードを去ったのが1962年なんですが、ミルブルックに移り住んだのが翌年の63年9月なんで、この1年ちょっとの間に、国を跨いで拠点を転々と変えていっているので、
かなりスピーディーというか、慌ただしい感じで活動をしている印象ですね。
そして、拠点を移したのを機に、組織の名前もIFIFから『カスタリア協会』に変更していますね。協会の字は、キリスト教などが作っている教える会という字ではなく、協力する会と書いて協会ですね。

活動内容としては、主にLSDによるトリップで、その体験を書き記すと言った事がメインになるようです。
LSDトリップというのは、トリップ中は全宇宙と一体になって、この世の真理が分かったような気になれるんですが、トリップが切れると、その感覚が無くなってしまうそうなんですね。
私は違法薬物を使った経験がないので、この感覚はわからないんですが、他の感覚に例えると、スポーツなどで反復練習をしている最中に、ゾーンに入る時がありますよね。
体の動かし方が理解できて、イメージ通りに道具が扱えて、思い描いている通りの結果が出せる瞬間の事なんですが、あの状態も、普通の状態ではないという意味では変性意識状態なんだと思うんです。

ゾーンに入っている状態では、何もかもがわかったような気になるんですが、その状態はそんなに長く続くものではないので、直ぐに通常の状態に戻ります。そうすると、さっきまでわかったような気になってた事が思い出せない状態になるんですね。
例えば、ゴルフの練習なんかをしている人は、何十回にもわたって開眼して打ち方がわかったと錯覚するけど、次の日になると分からなくなってるなんて事が結構あったりします。
LSDのトリップも、その様な感じで、トリップ中の悟った状態というのは、トリップが覚めると分からなくなってしまうようなんですね。

その貴重な体験を書き記したり、通常の意識状態の時に、トリップ中の記憶を思い出しながら皆とディスカッションをしたり、神秘体験その物を確実に体験できるような儀式の研究を行っていたようです。

この2ヶ月後、つまり、リアリーが拠点を移してから2ヶ月後の63年の11月22日に、ケネディー大統領が暗殺され、同じ日に、オルダス・ハクスリーが亡くなります。
オルダス・ハクスリーという人物は、前回にも登場しましたが、ティモシー・リアリーが幻覚剤の研究に打ち込むキッカケとなった『知覚の扉』という本を書いた人物ですね。
この人物と知り合うことになって、ビート・ジェネレーションの巨匠たちとの人脈も出来て、活発な意見交換の後にリアリーの方向性が決定するので、ある意味、出発点とも呼べる人物の死ともいえます。
オルダス・ハクスリー自身も有名人だんですが、大統領が暗殺されるという衝撃的な日に無くなったので、メディアの扱いなどは、ほぼ無かったそうですね。

この、オルダス・ハクスリーですが、危篤状態になったさいにはリアリーを呼んで、LSDのセッションをして欲しいと頼んだそうです。
その際にリアリーは、セッションの方法をハクスリーの奥さんに伝えて、奥さんにセッションをする事を頼んだそうです。
これは、リアリーが死に際に立ち会いたくないから奥さんに頼んだというよりも、人生の最後は、一番信頼できる伴侶と一緒に居るほうがリラックスできて、最高のトリップが出来ると思ったからなんでしょうね。

そして翌年の1964年、ケン・キージーという人物が、リアリーのもとに訪れます。
このケン・キージーという人物は小説家で、自身ががLSDでトリップした際に体験したヴィジョンを元に書いた小説『カッコウの巣の上で』が大ヒットしたことでも有名な人物です。
この人物もLSDの魅力に見せられて、陽気なならず者達という意味を持つ『メリープランクターズ』というコミューンを作り、その中でアシッドテストと呼ばれる会を開いていたそうです。

このアシッドテストは、音楽に身を委ねながらLSDセッションをするというのが、その内容だったようなんですが、この時に演奏をしていたバンドが、グレイトフル・デッドというバンドです。
また、メリープランクターズはアシッドテストだけではなく、コミューンのみんなでバスに乗り込んで、全国を回っていたそうですね。
このファーザーと名付けられたバスには、サウンドスピーカーやら照明機器が積まれ、ボディー前身に虹色の絵の具でサイケデリックアートが施してあって、この時代の一種の象徴のような感じでも扱われていたりします。
画像なども残っているので、興味が有る方は是非、調べてみてください。

後の1967年には、ビートルズがこの活動の影響を受けて、マジカル・ミステリー・ツアーというのを行い、そのツアー内容を映像としてとっておき、映画として公開することになります。
この、アシッドテストを行っいつつツアーをしていたケン・キージーとリアリーはウマが合ったらしく、リアリーはケン・キージーから影響を受けて、メンバーにも視野を広げる為に世界旅行を薦めて、自身も出かけていったようです。
この旅行で、リアリーはインドにも足を運んでいます。

リアリーの研究内容は、前にも少し触れましたが、幻覚剤による神秘体験を最重要視するんですね。
そして、神秘体験を研究していくにつれ、古代のシャーマニズムや東洋哲学思想などにも興味を惹かれていくんですよ。
東洋哲学思想の出発点といえば、インド哲学ですよね。 中国の仏教や、そこから派生していった孔子などの思想も、
元々はインド哲学や、そのカウンターであるブッダの主張を元にして作られているので、あらゆる意味のルーツとして、行っておかなければならなかったんでしょうね。

そして、これは私の憶測なんですけれども、インドに自分探しに行くといった若者が増えだしたのも、この辺りからなんだと思います。
ティモシー・リアリーは、ヒッピーの思想をちゃんと理解している人にとっては、かなり有名な人物でしたし、この方の主張にも耳を傾ける人は多かったんですね。
一部では、サイケデリックの高僧とまで言われて尊敬を集めていた人物が行った行動なので、これに影響を受けてインドに足を運んだ人も結構いたと思うんですよね。

というのもリアリーの研究内容も、そっちよりなんですよね。そっちよりと言うのは、かなり抽象的な言い方なんですが、具体的な話でいうと、研究の一環として『チベット死者の書』の翻訳本を出したりもしています。
この本ですが、資料によって1962年に出したというものと64年に出たというものが有るので、正確な時期というのは私はわからないんですが、とりあえず、このあたりに出してます。
なぜ、チベットの古代に書かれた本の翻訳本なんかを出版しようと思ったのかというと、昔に書かれた神秘的な出来事というのが、作り話ではなくて本当の出来事なんじゃないかという話になってきたからなんですね。

リアリーは幻覚剤の使用によって、神秘的な体験を実際に経験していました。その視点から古代のシャーマニズムを改めて研究し直すと、幻覚剤によるグッドトリップの誘導と古代に書かれた宗教的儀式との間に、関連性が見えてきたんでしょう。
古代というのは、現代以上に生存するには過酷な状態でしたし、単純に疲れから幻覚が見えるということも多かったでしょうし、現代人のように化学物質にさらされているわけでもないので、
自然に生えている植物に微量に含まれる物質でトリップしていた可能性もありますよね。
そういう人たちを、安らかな地へと誘導する方法として編み出されたのが、古代の一連の儀式だったんじゃないかということですよね。
そして自分の精神によって、トリップを行って見たいビジョンを見て、それが説明できる人間がシャーマンとして重宝されたという考え方ですね。

なので、リアリーはヨーガや瞑想を重要視しましたし、意識拡張によって得られる感覚を大切にしたんですよ。
簡単に言うと、幻覚剤と古代の宗教やそれにまつわる習慣を結びつようとしたんですね。
このリアリーの主張が、結構評判が良かったようで、瞑想やヨーガや禅の思想などは、ヒッピーの間たちでは結構受け入れられているんですよ。

例えば、ジョン・レノンのイマジンという曲がありますが、この曲も、古代のバラモン教の哲学やブッダの思想を理解した上で聞くと、印象が変わったり知るんですよ。
古代の東洋哲学は、この放送では第9回~19回ぐらいでやってますので、興味が有る方は聴いてみてください。
イマジンに込められたメッセージは、仏教になる前のブッダの主張に近い事で、自分と世界は同じものであって、その全てが無である事を主張する内容になっていたりします。

余談になりますが、テレンス・マッケナという人物は、リアリーの後継者的な位置づけとして見られているそうですが、この人物の専門も、科学をベースとしたオカルト的な分野になります。
この人物も、14歳の時にリアリーと同様に『知覚の扉』という本を読んで、神秘体験が薬物によってもたらされる可能性に衝撃を受けます。
その後は、勉強を重ねつつ成長して大学に入り、幻覚剤の研究に打ち込む事になって、LSDを含めた様々な薬物についての研究を行っていたそうです。
その中でも、ジメチルトリプタミン、DMTと呼ばれる物質は、脳の認識を変える事で、今、人間が住んでいる次元を飛び越えて、エイリアンが住む超空間にアクセスすることが出来ると考えていたようです。

この、別次元とのコンタクトや高次元の存在との対話というのは、ニューエイジの主張と基本的には同じですよね。
その後、大学を休学して、1968年にはネパールやアマゾンの熱帯雨林などの、現代の文化の外にいる人達に会いに行き、シャーマニズムについて学んでいったようです。
そらから3年ほど、シャーマニズムについて研究し、それまで自分が研究をしていた幻覚剤の研究と合わせて、71年には幻覚剤がシャーマニズムに重要な役割を果たしている事を確信するようにまでなります。

この頃には、マジックマッシュルームの栽培法についてまとめた本なども出版し、マジックマッシュルームのちょっとしたブームをアメリカで起こしたりもしています。
1980年頃になると、中国の易経を数字としてコンピューターに落とし込んで解明しようとしだして、独自のサイクル論などを展開します。
サイクル論というのは、一定の周期ごとに時代が移り変わっていくという考え方のことですね。

ニューエイジや、それに由来する占いなどの考え方では、2000年周期で時代が移り変わるという考え方がありますよね。
アクエリアスとも水瓶座の時代ともいったりしますが、その様な時代が2000年周期で訪れて、文明の発達などに影響を与えるという考え方ですね。
これを唱えている人物は、ニューエイジの重鎮とも交流があったようなので、相互に影響を与え合っていたのかもしれません。

これを聞かれている方の中には、何故、大学まで進学して、この様なオカルトや都市伝説を真剣に研究されているのか理解できない方も多いと思います。
エイリアンや別次元、パラレルワールドなんて、空想上のもので、現実的じゃないと思われている方も、少なからずいらっしゃるとは思うんですが…
言い方が難しいんですが、こういう理論は、未知の世界に興味があるほど嵌り込むんです。

例えば、量子力学という分野の学問が有ります。 最近では、量子コンピューターなんてものが、早ければ今年や、数年内に登場しだすかも?なんて言われていますが、
この量子力学では、世界は重なり合っている考えられていて、多世界解釈、つまり、パラレルワールドの存在が示されていたりもするんですね。
では、この量子力学は空想上の学問なのかというとそうではなく、現実の実験結果、例えば二重スリット実験などから導き出された、科学的にしっかりとした説だったりするんです。

知識が豊富な人達は、どの様にして知識を身に着けたのかというと、そういう人たちは自分が知らない事というのを認識していて、知らないことに対して真摯な態度で学ぼうとして、実際に行動するからなんですね。ソクラテスのいうところの無知の知ですね。
その為、あらゆる可能性を否定せずに、知らない分野については知識を吸収しようとし、解らない部分は真面目に考え抜くんです。
その一方で、そういう行動を取らない人というのは、自分が知らない分野に対しても、知ったかぶりで結論をだして、相手にもそれを押し付けようとします。
結果として、それ以上、知らない分野に対して考えることも学ぶこともしないので、前に進むことが無くなったりします。

まぁ、現状維持が悪いことなのかというと、そうとも限らないんですけどね。
例えば、オウム真理教事件に関わった幹部の人達は、結構、高学歴の人が集まっていたという話ですが、中途半端に頭が良いと、未知の分野であることを良い事に、相手が適当な事を行っていても、
真剣に聞いてしまうので、下手をすると相手に丸め込まれてしまうなんて事にもなってしまいますからね。

話がだいぶずれてしまったので、1964年の話に戻ると
この頃になると、ティモシー・リアリーの今までの活動や、ケン・キージーらのアシッドテストツアーによって、LSDのユーザーやヒッピー思想に惹かれた人たちを中心に、これらの考え方が若者の文化として浸透していくことになります。
この影響を受ける形で、若者たちが更に自分達の価値観を加えて、独自の考え方を持つようになり、似たような考え方の人たちが集まって、様々なコミューンが登場しだします。

結構時間が経ってきたので、その話はまた次回にしていこうと思います。

【ゲーム紹介】 Far Cry 5 (ファークライ5)

今回紹介するゲームは、FAR CRY5(ファークライ5)です。
簡単な作品紹介をすると、狂気の世界をテーマに、大自然の中で繰り広げられる戦いをテーマにしたオープンワールドFPSのシリーズ作品です。



      

今回は『5』という事ですが、このシリーズは基本的にストーリのつながりがないので、この記事を見て興味を持たれた方で前作をプレイしていないという方も、安心してプレイしていただけます。

私自身の、このシリーズのプレイ経験を書いておくと、前作の『4』をプレイした際に世界観やストーリーに惹かれ、それからは新作が出る度に(今作含めて2本ですが)購入しています。
共通している部分は、舞台が大自然というところと、ストーリーに登場する敵が狂った集団にみえる所でしょうかね。

まずは最初の大自然というところから説明すると、舞台は毎回、申し訳ない程度しか家が建っておらず、その他は森や草原が広がっているフィールドが舞台になっています。
かなり広いフィールドに、河や丘、山や穀倉地帯などが配置されています。
マップには、自然に作られた洞窟や絶景ポイントなどが点在し、時間を忘れて、現実逃避しながら探索することが可能です。

普通のFPSの場合は、この大自然の中に敵が配置されていて…という感じだと思いますが、ファークライシリーズの場合、敵の兵士が待ち受けていることも当然あるのですが、それ以上に野生動物に遭遇します。
野生動物は、鹿などのおとなしい動物も中にはいますが、大抵の動物は、熊や狼など、人間を襲う肉食獣だったりします。
この動物が、普通の兵士よりも体力が多めで打たれ強くなっている為、簡単に間合いを詰められて噛みつかれるなんて事も。
その為、このゲームでは、敵の兵士以上に、動物にも気を配る必要があったりもします。

ただ、この大自然に住む動物達ですが、出現した場合はプレイヤーだけに牙を剥くとは限らなかったりします。
動物にとっては、主人公も敵の兵士も同じ人間なので、当然、出現場所によっては敵の兵士にも襲いかかります。
また野生動物は、餌を撒くことでおびき寄せることも可能だったりするので、肉食動物という自然環境を味方にして攻略を進めることも可能だったりするところも、このゲームの魅力の一つだったりします。

次にストーリー。
先ほど紹介したように自然あふれる、アメリカのモンタナ州にあるホープカウンティという街に、エデンズ・ゲートという宗教団体が入り込み、住民の多くを取り込んで占領状態にしたところから物語が始まります。
教団は、幻覚剤のような薬品を使用して住民を洗脳することで、住民を熱狂的な信者に転向させ、人数を拡大しつつ、街を制圧している状態。
大きくなった教団は警察まで抱え込み、正にやりたい放題。
ですが、こんな状態に置かれても、教団に入信すること無く、抵抗する住民たちがレジスタンスとして立ち上がる。

情報統制や外部との通信が立たれたホープカウンティですが、レジスタンスが教団に潜入して動画を取り、それを大手動画サービスに投稿。
それによって事態を知った連邦保安官である主人公が、ホープカウンティを元に戻す為に、仲間と共に現地に派遣されたというのが、今回のストーリーです。

次に、既にファークライシリーズをプレイ済みの方に向けて、従来のシリーズと違う点を書いておきますと、今回は、塔の開放がありません。
今までのシリーズでは、各エリアに複数の塔が設置されていて、電波系のインフラを敵が制圧しているという前提があって、この塔を開放していくことで、敵の勢力を弱めたり詳細マップを知れたり…といった要素がありました。

しかし今回は、一番最初のチュートリアルを学ぶ島では塔を開放するというイベントがありますが、この塔に登っている最中に『何を考えているか分かるぞ。 塔を一つ一つ開放して行けなんて言わないから安心しろ』というセリフが無線を通して流れてきます。
今までのシリーズをプレイしていた方にとっては、思わず『ニヤッ』としてしまうセリフですが、この台詞の通り、今回は塔の開放によって詳細マップを開放していくという作業が無くなっています。
その代わりなのか、拠点を制圧すると、大抵の場所には周辺の詳細地図が置かれていて、それをとるとマップが更新される様に変更されています。

塔の開放といえば、毎回のようにパズルのように上がる場所を探しながら登らなければならなく、面倒くさかったわけですが、それが無くなっているというのは、ストレスが無くなって良いですね。
その一方で、パズルの様に進む場所を探しながら登るのが楽しかったという方にとっては、残念な変更かもしれませんが…

そういう方も楽しめるように、今回は別の要素が追加されています。それは、各地に点在する『プレッパーの宝』というクエスト。
このゲームでは、特別な情報をくれるキャラクターの頭の上には記号が付けられているのですが、ダイアのマークを付けたキャラクターに話しかける事で場所がわかり、その場所に置かれているメモを見ることで始まるクエストで、入るためにはパズル的な要素をクリアーする必要がある施設。
この施設に無事に入り込むことが出来ると、お金や弾丸、クラフト用素材が手に入る上に、キャラクターを強化する為のスキル、パークを開放するためのスキルポイントが3P貰えます。

今回のシステムでは、前回のように経験値を一定レベルまで貯めればスキル獲得が出来るという制度ではなく、チャレンジをクリアーしていかないとパークポイントが貰えない仕様なので、施設開放だけで3pはかなり助かります。
逆にいえば、パークを取らなくても大丈夫という人は開放しなくても良い施設なので、選択肢が与えられたという点では、良い方向に変わりましたね。

その他の変更点としては、今回は装備のクラフト要素がありません。
前回までは、追加ホルスターや爆薬などを入れるバッグは、動物を殺して手に入れた革を使ってクラフトする必要がありましたが、今回は、これらの装備はパークによって開放されます。
この為、装備製作の為に動物を探し続けなければならないという事がなくなり、ブラッド・スポーツが嫌いという人にも優しいゲームになっています。

気になるゲームの難易度ですが、普段からFPSをプレイしない人にも楽しんでもらえるようなのか、デフォルト設定の場合は結構簡単な設定となっています。
具体的には、エイムアシストがかなり強めの設定という感じ。

私もそうなのですが、FPSをやりなれていない人間にとっての一番キツイのは、標準がなかなか合わないうちに、自キャラが蜂の巣にされてやり直しという状況です。
しかしこのゲームでは、エイムアシストがかなり強いため、敵を画面の真ん中あたりに捉えた状態でL2ボタンを押すだけで、敵に標準が合います。
その為、乱戦になったとしても、L2とR2を交互に連打するだけで、何とかなったりします。

逆にいえば、エイムアシストが強すぎるせいで、他のFPSなどでこの手のゲームをやりなれている人にとっては、ヌルいというよりも、他のゲームの技術に悪影響が出るレベルだったりします。
まぁ、この点に関しては、設定でエイムアシストを着れば問題ないわけですけれどもね。
ゲームに慣れてつまらなくなってきたら、エイムアシストを切る事で難易度が上げられますし、他のFPSの練習にも使えるようになるので、序盤過ぎた辺りからはエイムアシストを切ることも考えてプレイしたほうが、飽きも来にくいかも知れません。

また、FPSの練習という点でいうと、このゲームではマップエディタというものがあり、自由にマップを制作して拠点を作り、それをアップロードすることが可能です。
つまり、世界中のユーザーが作ったマップを使って拠点攻略が出来るということです。
ストーリーモードにもかなりの拠点がありますが、それをクリアーした後でも、世界中の人が作ったマップで練習が出来るというのは良いですね。



後は、『5』の話ではないのですが、このゲームのシーズンパスを購入すると、シリーズの中でもかなり評価が高い『3』のPS4バージョンがプレイ可能になったりもします。

FPSは、マルチ前提という作品が結構多いですが、このゲームはソロプレイが基本なので、このゲームで練習をして、マルチ前提のFPSに手を出すというのも良いかも知れません。
ストーリーも癖はありますが、好きな人にはたまらない内容だと思うので、興味がある方は、購入してみては如何でしょうか。


      

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】お蔵入り その(2) イギリス経験論 ヒューム

今回の投稿は、Podcast配信初期、まだ方向性が決まってない頃に書いたけれども、結局は没になった原稿です。
書いた時期としては、第2回配信分直後です。
今のように全文を書いて読み上げるだけというスタイルではなく、ヒント的なものを書いて話す文章を考えるというスタイルだった為、分としては読みにくいと思いますが、御了承ください。

没になっていない原稿を使ったPodcastは、こちらのリンクからどうぞ。
goo.gl

これに異論を唱えたのが『イギリス経験論』のヒューム
ヒュームは『イギリス経験論』のリーサルウエポンと呼ばれた人物という紹介のされ方をしている。

前回の放送でもいいましたが、 デカルトの『我思う故に我あり』という最初の一歩は素晴らしかったのですが、それ以降の神秘的なものを持ち出しての超展開は批判されることになります。
そのデカルト批判の中から生まれた 哲学体型の一つがイギリス経験論
イギリス経験論とは、経験を重視する考え方で、デカルトが主張した演繹法とは違った考え方
帰納法(きのうほう)と呼ばれる考え方を使う。

編み出したのは、フランシス・ベーコン
1561年生まれのイギリスの哲学者 神学・法学 貴族 政治にも関わっていた

経験論 帰納法という考え方は
演繹法(えんえきほう)が、最初に揺るぎない前提を置いてから、一つ一つ事実を積み重ねて階段を作るような感じで、理論を積み上げて心理に近づこうとするのに対し
感覚的な経験を重要視した考え方

何故、理性によって生み出された確からしい理論を否定して、経験を重視したのかというと、人間の理性は偏見によって歪んでいるから
歪んだ理性を元に作られた理論は、当然のように歪んでいる もっと客観的な事実のみを重要視した

偏見=イドラ イドラは4つある
種族のイドラ
洞窟のイドラ
市場のイドラ
劇場のイドラ

一つ一つ説明すると

種族のイドラは、人間は人間の目を通した風景しか観ることが出来ないということ
太陽や月は、常に同じ大きさで存在しているにも関わらず、存在する市によって大きさが違って見える 
目の錯覚だが、人間である限り、これを前提とした情報しか得ることが出来ない。 人が太陽や月について考える時、錯覚を前提とした思考になってしまい、そこから派生した理論は間違う。
花も同じで、虫を利用して花粉を運ばせているような花は、虫にだけ見えるような発色をしていて、人間が観ても地味な花にしか見えなくても、虫からすれば派手に観てているということが有る。

同じ花でも、種族が違えば全く違ったものに見えるが、人間である以上、人間以外の視点を持つことが難しくなる為、人間の考えは人間による偏見が入ってしまう。
世界や真理は、人間だけのものではない

洞窟のイドラは、人間にはそれぞれの個性があり、また、性癖、習慣、教育や狭い経験などによって、ものの見方がゆがめられる
文化や教育環境が変わることで、考え方が変わるということは想像するのは難しくない
人を特定の空間に閉じ込めて、限定した情報のみを与えて思想を操作する洗脳などが分かりやすいかもしれない
私達が、カルト集団に洗脳された人達を見た際に、『目を覚ませ』と思うのと同じように、日本という限定された空間で、限定された情報だけを得ている人は、独特な考えになっている可能性
もっと広い視野を持つ人間からみれば、限定された地域から出ずに、日本語で発信されているニュースだけを観ている私達は、洗脳されている状態に見えるかもしれない

市場のイドラは、「人類相互の接触と交際」から生ずるイドラ
例えば、Aさんから、また出会ったことがないBさんとう人物が、胡散臭い人だと教えてもらった場合、その時点で先入観にとらわれて、Bさんと接する際には警戒心を抱いてしまう
でも、Bさんはそんな人ではなく、例えば、Aさんの方が、普段から常識がない様な振る舞いをしている人で、Bさんはそれを注意し、それを根に持ったAさんが、Bさんの悪口を言っているだけかもしれない
これは、Aさんによる誤った情報による偏見ですが、これを見極めるためには、先入観を振りほどいて、Bさんと一定期間 付きあって確かめるしかない

最後の劇場のイドラは、wiki引用で「哲学のさまざまな学説から、そしてまた証明のまちがった法則から人びとの心にはいってきたイドラ」
これは、権威のある人や団体の意見は、確かめもせずに信じやすいという偏見。
例えば、この『だぶるばいせっぷす』というコンテンツは、高卒の私が発信しているだけのコンテンツ 高卒と聴いただけで、大卒の人は『この内容はあってるの?』といった、
偏見・見下しといった感情を抱く人もいらっしゃると思います
このコンテンツ時代は、懐疑的な目で見てもらって、自身で調べて勉強してもらうということも念頭に置いて発信しているので、疑問に思ったことは、そのまま信じずに、自身で調べてもらえれば良いと思う

これが、東大の◯◯教授が言ってたとなると、無条件で信じる人は、多いんじゃないかと思う、教授ならまだましだが、テレビで言ってたからというのは、もっと酷い
某女優が、水素水が体に良いって言っただけで、そこら中に水素水のサーバーが置かれることになる。
テレビでも大学教授でも、間違ったこという事はあるんですが、偏見によって、迂闊に信じてしまう事が結構ある

この様に、人間の思考というのは偏見によって歪んでいる。
しかし、デカルトが採用した演繹法は、最初に前提をおいて、人間が思考することで確からしい事実を積み上げていく方法
人間の思考そのものが偏見によって歪められているのであれば、思考が積み上げられる度に歪みは大きくなっていくので、行き着く先は真理から程遠いものになっていく

この為、人間の思考に頼らない方法を見つけようとして生み出されたのが、帰納法
独断を避けて、客観的な目線で観察と実験を行って、集めてきた情報を帰納法によって整理することで正しい解析に到達することができるとする。
簡単な例で説明すると、特定の条件のもとで人がどのような行動を取るのかについて、考えるとします
演繹法の考えでは、人がその様な環境に置かれた場合は、こんな思考をするはずで、結果としてこの様な行動を取るのではないかと、段階を踏んで思考していきます。
その一方で帰納法では、とりあえず1000人ぐらいに、どんな事を考えるのかをアンケート取ってみて、可能であれば、その環境を作って実験してみれば良いんじゃない?という感じで
この考え方は、今の科学にも通ずる考え方ですよね

帰納法の考え方は これぐらいにして、本題のヒュームに入っていこうと思います。
ヒュームは、我思う故に我ありの『我』の部分に噛みつきます。
確かに、疑っている『私』という存在は確かなものなのかもしれないが、そもそも私とは何なの?
我思う故に我ありなんていい方をすると、まるで『疑っている私』という存在が、肉体から離れた霊や魂といった、精神的実態として別に存在して、客観視しているような物言いだけど、そんなものあるんですか?
そもそも私という存在なんか、痛みを感じたり、ものを聴いたり、何かに触れたりと言った様々な知覚・五感や感情が継続する事によって生じる擬似的な感覚にすぎないですよ。と言い出す。

これによって、デカルトの『我思う故に我あり』という我は、自身が感じている感覚のみという、極限状態まで限定されて、認識と言ったものは否定される事になります。
というのも、人間の認識なんて当てにならないからです。

皆さんも経験があると思うのですが、記憶違いや目の錯覚って結構有りますよね。
例えば、有る物を初めて目にして衝撃を受けた経験があったとして、その後、それを観ないままに数年が経過。
それを観ていない期間も、反芻するように何度も思い出して、『あの経験は凄かった。』と思うことで、その経験がドンドン美化されていく。

時には、その経験を少し盛った状態で、何人もの他人に話し続けることで、話している本人も、その話をどれだけ持ったのかがわからなくなってくる。盛った自分自身の話を信じることで、記憶が上書きされる
その後、その対象を再び目にした際に『こんなんやったっけ?』と思うことってないですか?
他にも、恋に落ちている人とそうでない人とで、同じ人物を観たとして、認識は違っている。アバタもえくぼ 欠点が魅力に見えることもある

認識なんてものは、確実に信用できるものではない。人間が自由に作り出したり操作したり出来るもの
この主張を展開し、ヒュームはあらゆるものに懐疑の目を向け、神や科学ですらも否定します。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】お蔵入り その(1)

今回の投稿は、Podcast配信初期、まだ方向性が決まってない頃に書いたけれども、結局は没になった原稿です。
書いた時期としては、第2回配信分直後です。
今のように全文を書いて読み上げるだけというスタイルではなく、ヒント的なものを書いて話す文章を考えるというスタイルだった為、分としては読みにくいと思いますが、御了承ください。

没になっていない原稿を使ったPodcastは、こちらのリンクからどうぞ。
goo.gl
ソクラテス無知の知によって、心理を追求するためのモチベーションを取り戻したが、そんな簡単には真理は見つからない。

時代は流れて、次の舞台は、約2000年後の1600年。
登場人物はデカルト 本職は数学者
有名な言葉 『我思う故に我あり』

デカルト以前は、11世紀以降に確立したにスコラ哲学が学問の主流。
スコラ哲学は、西方教会キリスト教神学者で、当初は『本当の生き方とは何なんだろうか』といった哲学的なことを考えてた

時間の経過によって、徐々に哲学は進学を補佐するための学問になっていき、最終的には『針の上で天使は何人踊れるか』といった事を考える様な学問になる。
『針の上で天使は何人踊れるか』というのは、スコラ哲学に疑問を投げかけるために作られた皮肉という見方も 真偽の程は確かではない
キリスト教の教え以外を排除 ギリシャ時代に生まれた哲学や学問も、キリスト教の教えに合わなければ、排除されていった
中世暗黒時代
ダ・ヴィンチ・コード 科学者がキリスト教によって弾圧され、その復讐のために事件を起こすっていう始まり

文化的な進歩としては停止している状態で、

また、教会の腐敗を指摘する宗教改革(免罪符の販売
キリスト教その物を疑問視する社会に変化

日本でも同じで、死んだ時に、寄付金の金額に寄って戒名を変えたりする

神様を盲信するのではなく、科学・数学など 人間の理性の可能性を追求していく時代。
中世から近代への変化

デカルトも この様な考え方に疑問を持ち、方法的懐疑という方法で今までの流れに変化をもたらそうとする
デカルトは数学者としても優秀で、『x軸・y軸からなる二次元の座標系』
これを調べてみたが、グラフと数式が出てきて、言葉では物凄く説明しにくいので、ものすごく簡単に説明すると 縦軸Y 横軸にx 日本の基準線が交わるところを0にして、YとXの平行線を同じ感覚で引いていってマス目を作る。
ポイントをPとし、P(xの値.Yの値)という書き方にして、P(3.2)と書くと、X軸に3マス進んでY方向に2マス上がった所という表現ができる。
ちょっと違うとは思いますが、Minecraftの地図のようなもの マイクラの場合は高さも有るので3次元ですが
他には、画像編集ソフトで座標を指定してトリミングする場合の、ポイントの位置の書き方とか
ポイントを線で結ぶと、グラフにもなる

デカルトは数学者だったので、基準となる公理を考えようと思った
公理とは、数学の前提となるもの
第1公準 : 点と点を直線で結ぶ事ができる
第2公準 : 線分は両側に延長して直線にできる
第3公準 : 1点を中心にして任意の半径の円を描く事ができる
第4公準 : 全ての直角は等しい(角度である)
これを元に計算するという理論?をユークリッド幾何学

この前提が変われば、その前提内で作られた数式は意味をなさなくなる
私達が住んでいる宇宙は、重力によって空間が歪んでいる為、この前提は通用しない。
ユークリッド幾何学

前提が変われば考え方も変わってくる。1+1=2は、その前提の元で成り立つが、前提が変われば成り立たない。
窓に当たった雨水は水滴になるが、水滴同士が重なり合うと、1つになる。この現象を個数という見方だけで観ると、1+1=1になる。
同じように、1個のパン生地を2個に分けると、個数だけを観ると2個になるので、1割る2は2になる。
量自体は2倍になったり半減したりしているが、個数に焦点を合わせるとこうなる。

その為、前提をしっかりとすることは大切。

公理というルールをしっかり決めてしまえば、そのルールによって物事が前に進んでいく
平行線が交わらず、全ての直角が同じ角度の90度なら、四角形の内角を足し合わせたものは360℃になる。
三角形は四角形を斜めに半分に切ったものなので、内角の合計は半分の180度になる。
この様な感じで、ルールを決めてさえしまえば、後は、そのルール上で確かのものを積み上げていくだけで進歩していきます。
この考えを演繹法(えんえきほう)と呼びます。有名なものだと三段論法

デカルトは、この出発点となる公理を探すために、徹底的に様々なものを疑っていきます。

例えば、目に見えている景色や、触った感覚など。
目に見えていて触れるからといって、存在しているとは限らない。
人の感覚は、電気信号に変換されて、最終的には脳へと送られることで感じる 極端な話、脳だけが別のところにあり、そこで何らかの装置で電気信号を送られていても、同じように感じる。
映画で例えるとマトリクス マトリクスの主人公は、現代の世界で生きていると思いこんでいたが、実際には人間電池として閉じ込められていて、首のプラグから電気信号を送られていた。


今の科学でも、世界5分前仮説も覆せない 世界5分前仮説の説明
簡単にいえば、ドラゴンクエストドラクエのゲームの世界には、歴史や人生が詰まっているが、そのゲームの制作にかかった時間が3年であれば、その歴史や人生も含めて3年前に作られている。
これは現実世界にも当てはまり、5分前に全てが作られたとしても反論が出いない

こんな感じで、デカルトはあらゆるものを疑って、疑わしいものを一つ一つ潰していった。
この方法を、方法的懐疑と呼ぶ。
疑い続けた結果、最終的に、疑っている自分だけは疑うことができなかった。疑っている自分が嘘だだとしても、やはりそれを疑う自分がいることになる。
デカルトは、最後に残った『我思う故に我あり』を公理とし、ここから全てを出発させようとした。

この様な、演繹法を使って物事を理性的に考えていこうという考えは、大陸合理主義とよばれて、ヨーロッパで支持されることになります。

しかしデカルトは、ここから超展開をし始める
本を引用すると
『私の存在は確実なのだから、私が明晰に理解したり認識するものも確実に存在する』
っていい出す そして
『なせ私の認識が正しいか。それは、神様が私を作ったからである。神様が作ったのだから、私の認識がきちんとできているに違いない』
と、かなりあやふやで抽象的なことを言い出す

演繹法の考え方や、最初の一歩は素晴らしいのに、次の段階から急に抽象的なものを持ち出してきたので、デカルトは一気に批判にさらされることになります。
このデカルト批判の中から生まれた 哲学体型の一つにイギリス経験論というのがあり、その最終兵器と呼ばれるのが ヒュームという人物

【ゲーム紹介】Blood born (ブラッド ボーン)

今回紹介するゲームは、blood born(ブラッドボーン)です。

      

このゲームは、PlayStationでオンラインマルチプレイに必須の会員サービス、PlayStation plus会員になってさえ入れば、無料でゲームをダウンロードできるサービス『フリープレイ』で、3月に配信されているゲームです。
つまり簡単に言うと、会員になってさえ入れば無料でプレイできるゲームというわけです。

このフリープレイですが、アメリカでは大型タイトルがバンバン対象になるっぽいんですが、日本では正直、あまり面白くないゲームばかりが対象に選ばれる印象で、ダウンロードだけしてプレイしないなんてゲームも多いわけですが…
今回対象に選ばれた『blood born』が、かなり面白かった為、紹介させていただくことにしました。

このゲームのジャンルは、アクションRPGという事になっていますが、世間一般で知られているジャンルとしては、死にゲーです。
『ダークソウル』や『デモンズソウル』といったのと同じタイプのゲームといわれています。
死にゲージャンルといえば、小説化し、その後、映画化された『オール・ユー・ニード・イズ・キル』が有名ですよね。


超難易度設定で、理不尽なことが起こりまくる。そんな環境下で、敵の位置や攻撃パターンを覚えながら自身のスキルを磨いて進んでいく。
具体的にどんな感じで難しいのかと言いますと、操作するのはアクションゲームの主人公であるにも関わらず、攻撃を3回ぐらい受けると死んでしまいます。
その為、囲まれてしまうと、ほぼ確実に死ぬわけですが・・・最初のステージから敵が集団で闊歩していたりします。

最初のザコ敵でも3回攻撃を受けると死ぬので、ちょっとガタイが大きい強めの敵だったりすると、普通に1撃死します。
そんな1撃死させるような敵が、銃で遠距離攻撃を仕掛けてくる敵と一緒に出てきたりします。しかも、ガタイが大きいので体力も多めに設定されていたりしますし、スーパーアーマー付きで攻撃を受けながら反撃してきたりします。

こんなに頻繁に死ぬわけですが、このゲームの真に辛いところは、死んだ場合はゼロからのスタートというところです。
ブラッドボーンでは、敵を倒すと『血の遺志』と呼ばれる、経験値 兼 通貨を落とすわけですが、死んでしまうと、その場に全ての血の意思を落とします。
つまり、回復アイテムを使い切って死んでしまった場合は、回復アイテムを補充も出来ない為、取り敢えず、死んだ場所まで死に物のぐるいで到達して、落とした『血の遺志』を拾う必要があります。

ちなみに、自分が落とした『血の遺志』を拾う前に死んじゃうと、前に落とした血の意思は無くなります。。。
なんという、マゾ仕様。
ついでに書いておくと、『血の遺志』は経験値の役割も果たしていると書きましたが、普通のRPGの様に一定レベルまで『血の遺志』が高まると勝手にレベルアップ!なんて事にはなりません。
血の遺志を溜め込んだ場合は、拠点である『狩人の夢』に持ち帰り、それを消費するというアクションを起こさなければ、レベルアップは起こりません。
狩人の夢は、チェックポイントに行かなければ入ることは出来ないので、レベルアップをしたければ、チェックポイントまで死なない事が要求されます。

そんな、死にゲーと呼ばれるジャンルなんですが、このゲームは、その中でも特に難しいとされているゲームといわれていたりします。
では、どの辺りが難しいのかというと、今までのダークソウルシリーズなどに有った『盾』を利用した防御というシステムがありません。
防御がないということは、敵の制空権内に一定時間居るだけで、死を意味する事になります。

従来のシリーズであれば、今まで行ったことがないエリアだったりした場合は、取り敢えず盾を構えながら進んで、敵の位置や攻撃パターンを把握し、好きを見せたら攻撃に移るといった戦略も取れたようですが、『blood born』には防御の概念がない為、そんな戦法は使えません。
更にいえば、このゲームでは、攻撃を受けてから一定時間内に反撃をして攻撃を当てて血を浴びると、体力が回復できるというリゲインシステムがあります。
つまり、攻撃を受ける前に攻撃し、ダメージを受けたら回復の為に積極的に攻撃し…といった、積極的な姿勢が求められます。

紙装甲で、3発、時には1発当たるだけで死ぬにもかかわらず、常に攻撃し続けなければならないというシステム。
これで死ぬなという方が、無理ですよね。

ただ、こんな理不尽なゲームですが、一応、攻撃回避手段が用意されています。それが、ローリングやステップといった、緊急回避です。
ローリングにしてもステップにしても、敵と結構な距離を取ってくれる為、躱す方向さえ間違わなければ、大抵の攻撃を避けることが可能です。
ですが、この緊急回避、全く問題がないというわけではありません。

何故なら、このゲームでは、何らかの操作を行う度に、スタミナを消費するからです。
攻撃をする時はもちろんですが、緊急回避の際にもスタミナを消費します。 つまり、こちらの攻撃が当たったから攻撃し続けるなんて事を行うと、あっという間にスタミナが付きて、何も出来なくなってしまいます。
攻撃も緊急回避も出来ない状態になると、必然的に敵からの攻撃を喰らいやすくなりますが、その攻撃を、1~3回食らうと死ぬ…

この為、攻撃の際にも緊急回避の際にも、常にスタミナに気を配り、無駄な動きを一切しないような操作が要求されます。

…と、かなり難しい戦闘になっているわけですが、このゲーム。更に難しい操作を行う事で、敵を簡単に倒すようにもなれます。
それが、銃パリィ。
敵が攻撃しようと振りかぶった際に、タイミング良く銃を敵に当てることで、大ダウンを奪うことが出来、ダウンしている敵に対して近接攻撃を行うことで、内蔵攻撃が可能になります。
この内臓攻撃は、レベルにもよりますが、大抵の敵が1撃で死ぬ為、大変便利な攻撃となっています。

ただ、そのタイミングが難しい…
早過ぎても遅すぎてもパリィは成功しない上、敵にもよりますが、失敗した場合は銃で敵の攻撃が止まる事もなく、こちら側が一方的に蹂躙されたりもします。
しかも、銃の弾は基本的に20個しか持てないので、20回しかパリィを試す事が出来ないというね…
弾が尽きれば、パリィすら出来なくなる為、勝てる手段がパリィしかない場合は、詰んでしまうことになります。

こんなに難しくて厳しいゲームなので、ストーリーで一番最初に倒さなければならないボスである『ガスコイン神父』の撃破率が約半分と、お金出して購入した層の半分が一番最初のボスを倒せずにゲームを投げるという状態にまでなっている状態です。

と、ここまで、難しい難しいとネガティブなことばかりを書いてきましたが、何故、こんな難しいゲームを進めるのかというと、このマイナス要素を踏まえて考えても、面白いと感じられるからです。
その理由としては、まず、世界観が格好いい。


クトゥルフ神話をモチーフにして、荒廃したロンドンっぽい町並みを再現していて、それだけでかなり格好が良いのですが、ゲーム内で出てくる単語も、これまた格好が良い。
経験値を『血の遺志』と表現したり、『匂いたつ血の酒』というアイテムの説明文には、『酒はヤーナムには似合わない。むしろ血に酔うのだ』と書かれていたりと、とにかく中二っぽい。
この中二病っぽさも、中途半端ではなく突き抜けているので、むしろスタイリッシュで格好が良かったりする。

またゲームバランスも、最初は難しすぎるように思えるかも知れませんが、ある程度薦めていくうちに操作に慣れて来る事で、先に進めることが実感できる様なバランスになっていたりもします。
そして、一度身につけた技術は他のステージでも応用できるようになる為、ゲームがドンドン上手くなっていく実感が得られます。

更にいえば、このゲームで得られたスキルは、他のゲームにも転用できることが多いので、他のゲーム… 例えば、モンスターハンター:ワールドなんかで詰まってる人は、こっちをプレイすることで、MHWがかなり楽に感じられるかも知れません。
おそらくですが、このゲームをソロでクリアーできる人は、MHWは初見でエンディング見れると思います。

最初はキツイですが、慣れると進めるようになり、世界観にもハマっていって楽しく感じられるゲームだと思いますので、ps+に加入している人は、無料期間中にダウンロードしてプレイしてみては如何でしょうか。