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だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

遊びから体験 観光としてのゲーム

ゲーム

私は子供の頃からゲーム好きで、結構、ゲームをプレイしていました。
しかし、社会人になってからは時間が作れないことが多く、少し遠ざかっていたのですが…
ここ最近になって再びゲーム熱が再燃し、ゲームの世界に戻ってきました。

いざ!戻ってみるとビックリ!私が少し離れていた間にゲームの進化は相当進んでいたようで、度肝を抜かれてしまいました。
私が慣れ親しんでいたものとは全くの別物と言ってよいほど進化。
単に遊ぶものから体験するもの

最新のゲーム、特に洋ゲーと呼ばれるジャンルをプレイして感じたのは、『今までとは全く別世界』
ゲームの作りとしては昔からあったものをアレンジしたりブラッシュアップしたものなんですが、ハードの性能が上昇している為に映像のクオリティーが半端じゃない。
スマホの影響で日本でもゲーム人口はそれなりの人数はいらっしゃるでしょうが、スマホゲーのそれとは全くの別物。
同じゲームとしてのカテゴリーで括ってはもう、駄目だろう思う程の違いが有ります。

その中でも凄いなと思えるジャンルが、オープンワールド系のゲーム。
このジャンルの特徴として、非常に大きな箱庭(世界)がゲーム内に作られていて、その中を自由に探索できるというのが有ります。
タイトルによってマップの大きさは変わるのですが、THE CREWというレーシングゲームでは、デフォルメしたアメリカ大陸が再現されており、その広さは日本の千葉県と同じぐらいの広さが有るようです。
ゲーム内の車は300キロオーバーというかなりのスピードで進むのですが、そのスピードで飛ばしたとしても外周を一周するのに4時間を要する。単純な横断でも1時間程かかるらしく、箱庭の大きさが結構とんでもない事がお分かり頂けるのではないでしょうか。


今のゲーム市場では、このオープンワールド系をベースにしてシューティングやRPG(ロールプレイングゲーム)が発売されていて、一定の人気を獲得しています。

このオープンワールドというのが、私のゲーム観を一変。
プレイするものから、体験するものへと変わりました。

先程も書きましたが、ゲームというのは元々はパズル的なものであったり、小説などのストーリーにビジュアルを加えたものだったりと、ただ、あらすじを追うものだったりと、従来からあるインドア的な遊びを電子化したものでした。
しかし、オープンワールドというジャンルが登場してから、体験するものに変化しました。
体験というのは簡単に説明すると、旅行のようなもの。
旅行とは、今まで自分が生まれ育った地域から離れることで非日常感を得られ、旅行先の文化等に触れることで今までにない感覚(カルチャー・ショック)を受ける事が楽しみの大半だと思われます。
その体験と同じようなことが出来るのが、オープンワールド系のゲームだったりします。

旅行に行って実際に行うことってなんだろうと考えると、観光地を回ったり、道行く人を観たり、店に陳列しているものを観たり…と、基本的に行うことは観て回るだけ。
中には、バックパッカーのように安宿に泊まって同じ旅行者と情報交換したりして親密になったり、現地の人と仲良くなってその人の家に泊まるなんて事をする方もいらっしゃるとは思いますが、そんなのは少数派。
大抵の人は日本で信頼できるホテルを予約して、1日目は現地のホテルへ移動する事で終わり、2日目からは事前に調べていた観光スポットを見て回るだけでという、いつものルーティーンに。
そして観光スポットに到着すると、『写真で見たとおりやわ!』といつも観ている動画や画像と現実の景色が同じことを確認し、次のスポットに足を向ける。

これと同じような事が出来るのが、オープンワールド系のゲーム。

ゲーム好きの方からすると、オープンワールド系のシューティングゲームは操作等のシステムも同じだし、違うのは舞台・景色だけ。『やることは毎回同じで変化がない』なんて批判を聴く事があります。
しかし私が思うに、オープンワールドに求められている事っていうのが正にこれ。
先ほど例に挙げた旅行の楽しみ方を、もう一度思い返してみましょう。
旅行なんて行き先が違うだけでやることは同じ、観て回るだけです。地域によってはウィンタースポーツをしたりスキューバーダイビングをするなんて選択肢もありますが、観光をメインとした旅行で行う事は、観て回るだけ。

こうして考えると、ゲームだからタイトル毎に全く違った楽しみ方が無ければいけないなんて事はありません。
旅行と同じ様に用意された設定を理解した上で、箱庭の中を見て回るだけで良い。
こういった視点でゲームを見直すと、実はゲームは非常にリーズナブルに非現実体験が出来るツールだったりする。

考えてもみてください。実際に旅行に行こうと思えば、近場の安いプランでも数万円が飛んでいきます。
しかしゲームの場合はどうでしょう。その旅行1回分の金額で、最新のハード(PS4 pro等)が購入できます。
一度ハードを購入してしまえば、そこから先はタイトル1本あたり6~8000円程度で、最新のゲームがプレイ可能。中古なら更にプライスダウンしたものを手に入れる事が出来ます。

これだけ説明しても、『実際の旅行とは臨場感が違う』と反論される方も多いことでしょう。
それは、その通りだと思います。実際にその地に行くことで感じられる空気感やちょっとした緊張は、ゲームでは得られない体験だと思います。
では、ゲームは現実の観光の完全下位互換なのかというと、そうでもありません。
ゲームの強みは、現実世界では絶対に不可能な場所を探索可能という点です。

例えば、このブログでも紹介したFallout4は、今から核戦争が起こって文明が崩壊した後の、200年以上未来の世界を自由に歩いて探索できます。


アサシンクリードシリーズでは、フランス革命時のフランスやアメリカ独立戦争前夜のアメリカ・ボストン。産業革命期のイギリス・ロンドンなどを探索可能。

日本では、ゲームと言えばスマホゲ。据え置き機やPCでプレイするゲームはかなりマニアックな印象があり、距離を取っていて情報が全くないなんて方も多いと思います。
しかし実際には、ゲーム機の処理能力がとてつもなく進化。
それによって、複雑な操作をせずとも簡単な操作で景色や雰囲気を楽しむといった体験型ゲームが増えてきています。
未知の体験や手軽に非現実感を味わいたい方は、一度、ゲームに目を向けてみては如何でしょうか。

【映画紹介】 劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール

映画

先日のことですが、『劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール』を観に行った所、ここ最近見たアニメ映画の中では一番感動したので、今回はこの作品の紹介文を書いていきます。
一応最初に書いておきますが、この作品は様々な前提条件をクリアーした方のみ、本当に楽しめると思います。
何の予備知識も無い状態で観たとしても、作品を本当の意味で楽しむことが出来ないと思われるので、その点だけご注意ください。

この作品ですが、ラノベ原作がアニメ化したもの。


      

既に地上波で2期分のアニメが放映済みの作品で、今回は地上波アニメの続きという位置づけなので、最低でもアニメの方を観ていなければ、登場キャラクターを理解することが出来ません。
地上波アニメの方は、AmazonビデオやNetflixに加入されている方なら観ることが可能なので、観た事がない方は、こちらを観てから劇場版を観ることをオススメします。

またこの作品では、VRやARといった最新技術をテーマにしています。
その為、このあたりの技術を使ったコンテンツ。例えばPSVROculus Rift、ARに関しては、世間でも話題になったポケモンGOなどについて少しでも知っていないと、劇場内で語られている事や演出などが全く理解できなかったりします。
他には、作品内では人工知能がベースとなったバーチャルアイドルが活躍し、世間から圧倒的な支持を得ています。この設定も、初音ミクなどが一部で受け入れられていて、実際の社会でもライブが開かれているという現状を認識していなければ、リアリティーを感じられないかもしれません。

作品を本当の意味で楽しむためには、これらの前提となる知識が必要になる為、ハードルは結構高めだと思います。
しかしそれを乗り越えた先には、感動が待っている事でしょう。

簡単なストーリーとして先ず、地上波アニメ版の内容を軽く説明すると、フルダイブ型のVRゲーム『ソードアート・オンライン』をプレイしていた人々が、そのゲームの開発者によってゲームの中に閉じ込められる。
現実世界へ生還する為の唯一の方法は、ゲームをクリアーすること。
しかし、開発者によって設計されたシステムによってゲーム内での死が現実の死とリンクしてしまい、ゲームだからと思いきった行動が取れないプレイヤー達。
勇気のあるものはゲームクリアーの為に命をかけて先に進むが、それ以外の人達はゲームの中の世界で日常生活を送りつつ、冒険に役立つアイテムなどを生産することでアシストしていく。
主人公のキリトは様々な人達の手を借りて、現実世界へ戻るために奮闘する。
って感じの話が、地上波アニメの1期の途中までの話。

今回のゲームでは、このVRゲームから生還した人達に焦点が当てられる話です。
フルダイブ型のVRゲームによって悲惨な事故が起こった為、より安全性を高めたARゲームの開発が盛んになった後の世界が舞台になります。
フルダイブ型VRとARの違いは、フルダイブ型はヘルメットやゴーグルのようなものを被ってベットに寝てゲームとリンクすると、現実世界の体の自由は一切奪われて全身麻痺のような状態になります。
そして意識の方だけがゲーム世界に飛び、その中で自由に動くというスタイル。
一方でARの方は、人間の聴覚や視覚に情報を追加する形なので、実際の人間は意識も有るし体を自由に動かすことが出来る。
その為、ゲーム世界に入ったまま現実世界に戻ってこれないなんて悲劇は起こらない。
ARについては既に実社会でも開発がされているので、それを観た方が理解が早いかもしれませんね。

今回の映画では、当然といえば当然ですが、このAR技術で問題が起こります。
どんな人がどんな思惑で問題を起こすのかというのは重要なネタバレになるので控えますが、主人公達はその問題に巻き込まれる形で関わっていくことになります。

作品内のセリフで、『VRは仮想世界を現実化させるが、ARは現実世界を仮想化させる』というセリフが出てきますが、この作品内で語られるテーマは正にこの言葉通りだったりします。
仮想的なものも、現実にある様に振る舞っていれば現実として受け入れることが出来るのか。仮想世界の出来事は現実に影響を与えないのか。
ある特定の技術が進んだ先には、どのような問題があって世界が広がっているのかという想像を画面を通して魅せるという、正にSFって感じの作品です。

作品の全体的な印象ですが、テーマになっているのが最先端技術であったり、それに付随する問題という少々重いものだったりするせいか、それとバランスを取ろうとしているのか、ゲーム内の世界では結構ぶっ飛んだアクションやアニメ的な展開がふんだんに盛り込まれています。
その為か日常パートは当然の様に、ラノベ原作のアニメに有りがちなハーレム的な展開になってたり萌え要素が入っていたりもするので、その辺りに馴染みのない方は、若干引いてしまうかもしれません。
しかし一方で戦闘パートでは、そのお約束感が良い方向に働いています。
『こんな展開になってほしいな。』と思うようなことを一通りやってくれているので、展開としてはベタベタですが、かなり楽しんで見れると思います。
ちなみに私は、最後のベタベタなストーリー展開で若干泣いてしまいました。

先程も書きましたが、万人が楽しめるという作品ではないと思います。
しかし、今後、世の中に広まって更に影響を与える可能性の高いVRやARといった新技術の可能性。それにまつわる問題や利点などを丁寧に描いているので、SF好きの方は結構楽しめると思います。
事前に地上波アニメを見ていないとストーリーが理解し難いというハードルはありますが、アニメとしてのストーリーを無視し、VR・ARの可能性に焦点を絞って観ても、十分に楽しめる作品だと思います。

公開から結構時間が経っているので、そろそろ劇場公開も終わりそうなので、興味がお有りの方は是非、観に行ってみては如何でしょうか。

【MHXX】 ソロでG級に挑戦

2017年3月18日、モンスターハンターダブルクロス(MHXX)が発売されましたね。


      

私は正直、購入する気はそんなに無かったのですが、近くの人が購入するということで、話のネタ的にAmazonで予約してみました。
予約してからは、勘を取り戻すためにMHXを引っ張り出してきてプレイしてみたり、折角なら目標を作ろうと新たな武器を作ってみたり、ファミ通の特集を呼んだりと気分を高める事に努めていたら、不思議と18日が物凄く楽しみになってきて、『人間は行動を起こすと気分まで変わるんだな』と実感した次第であります。

そして発売日。
土曜日は仕事ということで朝からプレイはできなかった為、仕事が終わってからプレイ。
前作のデータを引き継いでスタートです。
引き継ぎは有りましたが、ハンターランクは8まで巻き戻し。G級追加ということで、ハンターランク解放はG旧解放後なんでしょうね。

MHXは何だかんだでソロでハンターランク解放。それをブログに書いたら結構な人が見に来ていただいている感じなので、今回も味をしめてソロ攻略を中心に書いていく予定です。
『MHXX』から始めたという方は、前作の攻略がそのまま使えると思いますので、読んでいただければ幸いです。
kimniy8.hatenablog.com
kimniy8.hatenablog.com
kimniy8.hatenablog.com

さて、今回の追加要素は新たなスタイル『ブレイブ』『レンキン』スタイルの追加。
『レンキン』については、ほぼマルチ専用みたいなスタイルなので、とりあえず様子見。
『ブレイブ』は、納刀アクションがガードの様に使え、且つ、納刀アクションをキャンセルして専用技を出せる。
攻撃すればする程にブレイブゲージが溜まっていき、MAXになるとブレイブ状態になり、相当強くなるという攻撃特化のスタイルです。
ただ、ブレイブゲージが貯まるまでは攻撃に制限がかかっていて、ブレイブ前とブレイブ後で操作がけこう変わる為、ゲームに慣れていない人にとっては複雑に感じてしまうスタイルですね。

前回の攻略ではチャージアックスエリアルスタイルでの攻略を書いてきましたが、せっかくの新スタイル。
という事で、今回からはチャージアックスのブレイブスタイルをメインとした攻略で書いていく予定です。
それともう一つ。
MHXXを予約後にMHXを引っ張り出してきてプレイしたと書きましたが、その際に弓の装備を制作しました。
理由としては、せっかくガンナーという選択肢が有るのでガンナーもやってみたいと思ったのと、近接だと攻略しにくい敵がいるように感じた為です。
弓のスタイルですが『ブシドー』を選択しています。
ブレイブも一度プレイしてみたのですが、ブレイブゲージが貯まるまでの制限された行動で剛射が打てない事と、納刀キャンセルからの攻撃が結構当てづらい事にストレスを感じてしまいました。
また、ブレイブは納刀アクションが非常に遅いので、ピンチの時に逃げ辛いというのも個人的には致命的な感じ。
絶えず離れて戦うガンナーとしては、とっさの時に攻撃を避けれる上に間合いを離せるブシドーが一番合っている気がしますので、このブログでは弓の際はブシドーをメインで使って行く予定です。

チャージアックスのブレイブを、もう少し詳しく観ていきましょう。
先程も書きましたが、ブレイブゲージが溜まってない状態のチャージアクスは、かなりの制限がかかります。
使ってて一番鬱陶しいと思うことは、変形斬が使えない事。
チャージアックスは剣で攻撃する事でエネルギーを貯め、チャージアクションを行う事でビンにエネルギーをチャージしていきます。
剣を使うのは主にビンを貯める為だけで、大ダメージ狙いは斧が基本。
『X』では、剣で攻撃してチャージからの斧への変形斬、からの属性解放などを使用していたのですが、ブレイブ状態でなければその連携が使えないのは面倒くさい。
使えないというのは語弊があって、変形斬りは納刀キャンセル攻撃に設定されている為、納刀アクションを挟む事で変形斬りは可能なのですが、操作に慣れてない現状では戸惑うことが多い。
また、納刀アクションを挟む為に攻撃発生が結構遅れるというのもテンポが悪い。

その他には、今までは使えていた属性解放コンボが使えない。
前作までは、斧の切り上げ、もしくは叩きつけから属性解放Ⅱにつなげ、高出力に移行せずにxボタンを押す事で斧の切り上げにつなげ、その後に属性解放Ⅱにつなげるというループが存在していましたが、ブレイブモードでは使えません。
切り上げや叩きつけからの属性解放Ⅱまでは続くのですが、コンボはそこで終わって仕切り直しとなります。
単純な火力低下。相手がダウンや拘束した時の攻撃が制限される為、正直、一番痛い変更だと思われます。

ただ、これらの制限はブレイブゲージが溜まってない状態での話。
ブレイブゲージが貯まると別キャラの様に強化されることになります。
具体的には、ブレイブ状態の時には常に属性強化状態となる為、他のスタイルの様にビンを貯めてから属性強化をして、再度ビンを貯めるという手間がなくなります。
次に、今まで制限されていた変形切りなどの攻撃手段が復活します。
その他には、剣撃によるエネルギー蓄積量が上がるようで、簡単なコンボ1回で赤ゲージまで貯められる貯め、常に瓶がある状態をキープしやすくなります。

そして一番の変更点は、回避アクションがステップに変更すること。
このステップが非常に使い勝手が良い。簡単に表現すると、斧を構えた状態でダッシュできる感覚に近い。
回避アクションなのでスタミナは消費しますが、敵の側面に回り込んだり一旦距離を置くと行った事が武器を構えた状態で簡単に行うことが出来ます。
しかもスキが少なく連発できる。敵のダウンを奪ったけれども距離が離れてるというときでも、その方向に連続ステップするだけで簡単に間合いを詰められると使い勝手が非常に良い。

そしてブレイブ時のみに使用できる属性解放コンボが強すぎる。
非ブレイブ時は使い勝手が悪かった属性解放斬りですが、ブレイブ状態だと属性解放ⅡからⅢ派生し、その後にAボタンを連打するだけで更にⅡに派生。つまり、ボタン連打でⅡ→Ⅲ→Ⅱ→Ⅲ…と続けられる為、ダメージがもの凄い事になります。

…と、前置きが長くなってしまいましたが、そろそろ本題のG級開放へ。
G級ですが、MHXでハンターランク解放まで進めている方は、データを引き継ぎしてゲームを始め、フキダシの出ている人に話を聴いていくと自然と緊急クエが発生します。
クエストが受けられる場所は集会酒場。緊急クエはディアブロスです。
こいつは動き回る上に突進してくる為、ソロプレイだと結構時間がかかりがち。
その為、罠や麻痺武器・音爆弾などを持てるだけ持って動きを止める事を意識しましょう。
側面から攻撃する事を意識して立ち回れば、前作で獰猛化ソロなどをしていた人達は難なくクリアーできると思われます。

これがクリアーできれば、やっと今回本編と言って良いG級クエに突入です。
長くなってきたので、今回はこの辺りで、続きはまた次回という事に

自分の預金を引き出し拒否される お年寄り達

社会 考え方

今日、仕事で銀行に訪れた際、自分のお金を引き出すことが出来ない老人に遭遇しました。
この現場を見て色々と思うことがあったので、今回はこの事について書いていきます。

私の職場は仕入先の支払いが20日の為、その数日前には毎月銀行に行かなければなりません。
私個人としては、ネットで振込の方が時間的にも労力的にも楽なのですが、ネットで振り込む際には電子取引口座の様なものが必要で、その口座維持に月々お金が必要ということで、このサービスは利用していません。
また、振込と同時に集金した約束手形を銀行側に預ける必要も有るので、毎月、足を運ばなければならないんです。

今月もその時期がやってきたので、いつもの様に銀行に行った所、隣の窓口でお年寄りが『猫が庭に入り込んで~』といった感じで世間話をしていました。
この時は、『銀行員も世間話を笑顔で聞かないといけないし、大変だな』と思っていたのですが、少し時間が経って、少々雰囲気が変わってきました。

窓口で一旦話し終わったお年寄りは窓口受付が終わったようで、私の隣に座ってきました。
すると、支店長クラスの人がその老人のもとに駆けつけて名刺を渡し、深々と頭を下げた後に、また、老人と『猫の話』をし始めました。
それを真剣に聞く銀行員。私は、『何で、何回も猫の話をしてるんだ?』と疑問に。
老人は耳が若干悪いようで少し大きめの声で話し、銀行員もその方に聴こえるように大きな声で話されていた為、隣りに座っていた私は聞き耳を立てるまでもなく自然と会話内容が耳に入ってくる。

その話を聴いて、老人は世間話をしていたのではなく、銀行員の『引出した資金を何に使うのか』という質問に答えていたことがわかりました。
簡単な会話内容は、老人の住む家には野良猫が多く、その猫が頻繁に家の敷地内に入ってくる。
単に入ってくるだけでなく猫はそこら中で暴れまくり、結構うるさい状態になっていて対策をしないと生活がし辛い。
自分で飼っている猫なら我慢も出来るが、野良猫なので我慢も出来ず。家族と相談した結果、自分達の敷地内を塀を増設・修繕して対処しようという事になった。
敷地内を囲むような塀を自分で設置するのは困難なので、業者に頼んで見積もりを取ると結構な値段に。その支払いの金を事前に準備する為に、家族の中で時間が有る老人が単独で銀行を訪れて引き出しの手続きをしようとした。
それを聴いた銀行側が、振込詐欺防止のためのチェックリストを用意し、老人に尋問していたのが私が窓口で観た姿であって、老人は別に世間話をしていたわけではありませんでした。

普通の人なら、『自分の金を下ろすのに、何故、ここまで尋問されなければならないのか?』と疑問に思い、中には気分を悪くする人も出てきそうですが、振込詐欺が増えている現状では、この様なチェックも必要なのでしょう。
お年寄りは銀行員の質問に丁寧に答え、チェックリストを全て消化した後で私の隣に座ってきたのですが、そのチェックリストを確認した責任者が改めて尋問に来たという流れ。

再び訪れた銀行員にも、気を悪くすることもなく質問に答えるお爺さん。
答えている内容は先ほど窓口で答えていた内容と全く同じ様子だが、老人は丁寧に笑顔で質問に答える。しかし銀行員は、全く金を用意する気配すら無い。
そこで、銀行員側を注意深く聴いてみることに。

銀行の主張としては、引き出しの理由は非常によく分かるが、その老人の言っている事が本当かどうかわからない。
後から認知症だったと家族からクレームを受けるのは嫌だから、この場ではビタ一文払い戻す気はない。
どうしても本日引出しを完了したいのであれば、銀行営業中に、頭のハッキリしている息子や娘をここに呼べ。
出来ないのであれば、金の引出しを許可することは出来ない。

話し方自体はオブラートで何重にも包んだような柔らかい口調で、下手に出ているように話し続ける銀行員。
しかし発言内容を整理すると、かなり失礼な内容。

この話を受けてお爺さんは
『そちらの言いたいことも分かる。確かに、テレビでも振込詐欺が流行っているという話は耳にしている。だから、わざわざ声掛けをして頂いて、有り難いと思っている。
だが、私はわけの分からない場所に振り込むのではなく、工務店に支払う為のお金を予め用意しておきたいだけだから、その心配はない。
それに、そちらは最初にチェックリストを用意して、質疑応答を強制してきたでしょ?
私はその質問に答え、全ての項目について説明を受けたとを確認する署名欄にサインしましたよね?
この状態で仮に私が詐欺にあったとしても、それは私の自己責任であって、銀行さん側の過失ではないのだから心配する必要はありません。
だから、私の預けたお金を引き出させてください。』

ぐうの音も出ない正論で、流石に銀行側も折れてお金の引出し処理をするのかと思いきや、頑なにそれを拒否する銀行側。
これまたオブラート10枚ぐらいで包んだ様な言い回しで、『何度もいうけど、一人で引出しにきたとしても無理だから。金を引出したきゃ息子を呼べ。後、本当に工事が行われるかも怪しいし、見積書も持参しろ。じゃなきゃ、云々…』といった内容を優しい口調で態度は下手で告げる行員。
銀行側の主張の最後の方が若干聞き取れない状態で、私が銀行側に頼んだ処理が終わのか、窓口に呼び出される。

窓口から戻り、銀行出るまでにその老人の前を通ることになったのですが、その頃にはお爺さんはすっかり興奮した様子で、『じゃぁ警察呼べ!』とお怒りの様子。
私が聞き取れなかった銀行側の最後の主張は、『息子を呼べないのなら警察を呼ぶ』というものだったようです。

ちなみに、この間50分。単に自分の金を引き出すだけで平行線のこんな議論を吹っかけられて警察まで呼ばれるといわれれば、普通の人なら怒って当然ですよね。
クレーマーって、こうやって生まれていくんでしょうね。
『50分も黙って聴いてたの?』と思われるかもしれませんが、私が銀行に依頼した得意先への振込と約束手形の預かり処理だけで、銀行が50分の時間を要したんだから仕方ありません。

これを目撃した私の感想としては、年を取ったら行動がかなり制限されるんだなということ。
このお爺さんの場合は子供がいたので、最悪の場合は仕事中の子供に頭を下げて銀行まで来てもらう事でお金を引き出すことは可能です。(お金の引出しすら出来ないと子供に思われる可能性が有り、プライドは傷つきますが。)
しかし、仮に子供も無く、配偶者がいたとしても死別していて一人暮らしだったとしたらどうでしょう。大きな買い物をする際にお金を引き出そうとする度に、警察を呼ばれることになります。
ATMに毎日通って限度額まで引き出すという方法も有りますが、年を取った状態でこれを行うのは非常に面倒くさい。
でも、現状では『警察を呼ばれる』所までワンセットじゃないと、お金の引出しは出来ないようです。

ちなみに、これは銀行側が決めた対処法というよりも、警察に要請されて行われているようです。

この出来事は私的にちょっと衝撃を受けたので、珍しくSNSで『自分の金の引出しを拒否されてるお年寄りがいたので、ブログに書いてみる』と投稿した所、振込詐欺防止の為に警察が銀行に要請しているという情報を頂きました。
で、試しに『銀行 引出し 警察』で検索すると、悩み相談サイトなどで同じ様な出来事でお怒りの親族からの書き込みが多数発見できました。
それらによると、警察が来てから2時間程、尋問を受けるのがセットになってるようです。

警察としては、実際に詐欺被害にあってから捜査をするより、現金を引き出す段階で事件を未然に防いだ方が被害も少なく、手間もかからないので、銀行に要請しているのでしょう。
少し引いた目線でみれば、預金者も銀行も警察も、振込詐欺のとばっちりを受けた被害者なんでしょうね。
しかし私が観ていた範囲内でいえば、今回の出来事は銀行に非がある様に思えます。

というのも銀行側は、平行線の議論をふっかけておきながら、ゴールを用意していないんです。
預金者が何を発言しようと、銀行側は息子か警察が同伴じゃないと引き出しには応じないと態度が決まっている状態。
であるならば、高齢者の預金者が窓口に行った最初の段階で、この事を告げておくべきだったのではないでしょうか。
当然、自分のお金を引き出せないわけで、怒る人も少なくないでしょう。しかし、40~50分も平行線の議論を行った末に切り出されるよりは、怒る人は遥かに少ないでしょう。

この出来事は実際問題として起こっていることで、対応が改善されない限り、誰にでも降りかかる出来事だと思います。
これを読まれている高齢者の親を持つ世代の方は、もし親から『銀行にお金を引出しに行くから、ついてきてくれ。』といわれたら、嫌な顔をせずについていってあげてください。
もし高齢者の方が読まれている場合、現金以外の決済方法を常に意識しながら行動した方が良いかもしれません。

一番良いのは、振込詐欺がこの世からなくなって、誰でも自由にお金が下ろせる世の中になることなんでしょうけどね。

利益独占ではなく共存共栄社会へ

社会 考え方 政治・経済

ここ最近思うことは、世の中で結構、無駄な事が多いなと。
無駄というか、協力して行えば良いのに個々が利益を独占しようと動くので、重複したサービスや施設、手間が多過ぎる気がする。
もう少し効率的に行えば、世界全体として仕事も減らせるのではないか。
という事で今回は、この事をもう少し具体的に考えていきます。

先日、私が書いた投稿がバズって、個人ブログでは結構な数の購読者とリアクションを頂きました。
kimniy8.hatenablog.com
ここでは、ヤマトの経営について苦言を呈す形で書いたわけですが、社会全体で観ると、非効率的な事が行われた結果、皆が困る事になっているのではないでしょうか。

例えば、Amazonによる通信販売の発達によって、本屋を始めとする小売業の業績が圧迫されているという話をよく聴きます。
こんな現象が起こるのは、Amazonが利益を独占する形で事業展開しているからで、暴れまわる象の下で右往左往する有りのように、小さい企業は淘汰されていっています。
誤解の無いように書いておくと、Amazonが行っていることは資本主義で競争社会の社会では当然の行動で、悪い事ではありません。むしろ、潰れないように創意工夫をしていない方が攻められる立場に成るでしょう。

しかし、この構図って、かなり効率が悪いんですよね。

Amazonというのは、広い目で見れば小売店というよりも倉庫業
全国各地の安い土地に倉庫を構え、そのスペースにメーカー品を大量に溜め込み、それをネット経由で消費者に販売する。
その倉庫の賃料として、売上から数%抜いたり、実際に1平方メートル辺り幾らという感じで貸し出している。

一見効率的に見えるシステムですが、社会全体で観ると、どうなんでしょう。果たして効率的なのでしょうか。
Amazonの様な小売店を倉庫業としてみるのであれば、街に溢れる小売店や量販店も、倉庫を兼務しているとみることが出来ます。
これらの小売店を倉庫として見立てた場合、わざわざ遠い場所に新たに倉庫を建てる必要があるのかという疑問が浮かんで来ないでしょうか。

そう、郊外の安い土地にわざわざ倉庫を建てるのではなく、街に溢れる小売店を倉庫として使えば良い。
Amazonというのは、商品ページの閲覧回数やページ毎の滞在時間を計っていて、頻繁に見たり長時間ページを観ている商品は買う可能性が高いとして、予め近くの倉庫まで運んでおくという事までしているという話を聴いたことが有ります。
そのシステムをそのまま活かし、例えば特定の本を買いそうな人の住んでいる地域の提携している本屋に商品を送り、そこから購入してもらうというシステムを導入する。
こうする事で、町の便利な場所にある小売店を倉庫として使える。必要に応じて、本屋や電気屋と行った小売店の営業が近所の人達に配達をすれば、運送業者の過度な仕事増加と行ったことも防げる。
また、近所の小売店に商品が届くということであれば、仕事帰りに取りに行くという人も増えるでしょう。

このシステムを採用する事で、街の小売店はネット産業に潰されることが無くなりますし、荷物の受取の選択肢も増えて客も楽。
運送業者も、個別で個人宅に配達するケースが減る為、これらの産業に携わっている従業員の方にとっては良い環境になる。

不可能に思える方式ですが、実は既に導入している企業があったりします。
それは、文具の通信販売を手がけるASKUL
アスクル - Wikipedia
ASKULは、文具メーカーでありながら通販も手がけている為、本来であれば町の文房具屋とは競合してしまうことが予測されます。
しかし実際には、ASKULは提携する町の文具屋に料金の徴収などの一部業務を委託しており、共存共栄が図られています。

他には、少し前のことになりますが、確かWBSで報じられていた中国の例なども有ります。
中国では、一部の地域に限定されているのかもしれませんが、ネットで購入をすると数時間以内に家に届くというサービスがあるようです。
最近になって日本でも行われはじめたサービスですが、日本の場合は特定の商品を乗せた車を常時は知らせていて、注文があったらその家に行くという方式。しかし中国の場合は、システムが根本的に違います。ネットで注文すると、注文した商品が最寄りの商店街から配達されるんです。
日本でも、ネット注文に対応したスーパーが配達するというサービスは有りますが、商店街の様に様々な店舗の集合体が、一つのページでネットで売られているというのは無いのではないでしょうか。
楽天の様な仮想商店街はあるが、実際の店舗が隣接している地域の商店街が一つのページにまとめられているサイトは少ない)

既に多く存在する小売店を倉庫として再利用することで、より効率的で便利な様の中を実現できるように思えます。
もちろん、乗り越えるべき壁は多いでしょう。本のように定価が決まっていて、安売りできないような商品であれば、商品の融通などは比較的簡単に出来ますが、その他の商品は同じものであったとしての店ごとに提示している価格が違う場合が大半なので、この部分をどのように調整するのかというのは難しい問題だと思います。

しかし、現状のままで良いのかというと、そんなことはないでしょう。人的資源は限られているわけですが、その資源を重複したモノ・サービスに使うよりも、他のものに使用したほうが効率が良い。
『他に割り当てる仕事がないから、重複した仕事を作って仕事を創造している』と主張する方もいらっしゃるでしょうが、そんな無駄なことをするぐらいなら、一人当たりの労働時間を短縮して休みの時間を増やすほうが良い。

人の時間は24時間と決まっているわけで、労働時間が増えれば増える程、消費に回すための時間は削られることになります。
日本の産業構造は75%が第三次産業のようですが、この部分の産業の多くは人の余暇を消費させる仕事です。残業に追われて自由な時間がない状態では、これらの産業にお金が使われることもありません。
結局は、重複した産業を大量に作って競争すればする程に労働者は疲弊し、消費に回される時間も無くなり、結果的に国が疲弊する。

これを回避するためには、共存共栄の方向に舵をきる必要があるのではないでしょうか。
今までのように利益の独占を狙う競争社会では、もう先は見えています。ただこの方向転換は、従来の資本主義を見直すことになるので、それこそ簡単なことではないのでしょうね。

大ヒットした作品は良作なのだろうか

考え方 社会

少し前に公開されたアニメ映画『君の名は』ですが、ここ最近ではかなりのヒット。
邦画の歴代ランキング上位に食い込む状態になりましたが、その一方で、この作品に対して有名な方々が批判的な意見をいう、なんて事も結構出てきていますね。
私もこの映画を劇場に観に行ったのですが、正直にいうと、周りの雰囲気についていけない側だったりするので、批判的な方の意見もよく理解できたりします。
この事をキッカケに、世間で持ち上げられているものは本当に優れているのかについて考えたので、今回はこの事について書いていきます。

結論から書くと、必ずしもそうとはいえない。

なぜ?多くの人が認めたからヒットしたんだから、優れているんじゃないの?と思われる方も多いと思います。
その理由を簡単に書くと、大ヒットする為に最も必要な事は、優れていることではなく『誰にでも理解できたと思えること』だからです。

芸術にしても娯楽にしても、あらゆるものは理解する為に前提知識が必要とされます。
例えば美術館に飾ってある絵画等も、これまでの美術の歴史や、書かれた時代そのものの歴史。生活習慣・信仰といったものを理解していなければ、そもそも正しく理解することが出来ません。
この前提知識がない場合、絵画の単純なビジュアルのみでしか評価できません。
また美術館の場合は、美術的に優れているものだけを飾っているわけではなく、美術としては優れていないが歴史的な価値が有るものも、同時に飾られています。
館内では至る所に説明文が書かれていて、企画展等では入口部分で音声説明の為の機器が配られていたりもしますが、これもそれなりの前提知識がないと理解できないレベルのものだったりします。

では、これらの前提知識を皆が持っているのかといえば、そうではありませんよね。
美術関連の書籍なんて、学校に通っていた時に教科書で読んだだけって人も、かなりの割合でいらっしゃるでしょう。
興味があって、本を2~3冊ぐらい読んで、たまにネットで検索するといった、私レベルの人も多いと思います。
その一方で、美術のことが大好きで、美術関連の事を調べる事がライフワークになっている人もいるでしょう。

人数の割合としては、美術に興味がない、もしくは、ほぼ知らないといった人が一番多く、次に、興味があってたまに調べるけど、詳しくはない人。
そして一番少ない割合が、美術に対して非常に詳しい人になるのではないでしょうか。

これを踏まえて、もう一度、多くの人に受けいられれる為に必要な前提条件を見直してみましょう。
『誰にでも理解できること』
つまり人から受け入れられる為には、その分野の知識が殆ど無い人にも認められる必要があるわけで、そういったものの多くは、見栄えは良いが底が浅いものが多く、優れてはいない事が多い。

もっと身近な例として、音楽で考えてみましょう。
音楽は発売される時期にもよりますが、オリコン上位を維持しているのは、EXILE・ジャニーズ・AKB48関連のグループなどが常連だったりします。
これらに関連する人達は確かにテレビでも良く見ますし、影響力も大きいと思います。ファンも実際に多いのでしょう。
しかし、日本の音楽の代表がこの方達で、音楽的に一番優れているかと問われれば、少し違う気がしないでしょうか。

ゲームでもそう。コンシューマーのハイエンド機であるPS4やxbox、これらを上回るスペックのPCなどでは、今でも数多くのゲームがリリースされています。
大型タイトルともなれば、制作費に百億を超える予算が注ぎ込まれ、数年かけて開発されることも珍しくはありません。
映画並の規模の開発費が投じられている為、クオリティーもかなり高く、内容的にも単純に楽しいだけでなく、考えさせられるものが多く有ります。
操作感やバランス調整などもかなり考えられており、リリース後もユーザーの反応を見つつアップデートを重ねると行った対策までされています。

しかし、実際に日本で売れているゲームはなにかといえば、パズドラやモンスト、ポケモンGO等のソーシャルゲームアプリだったりします。
先程挙げた3つのタイトルがどれ程の予算と人員で作られたのかは分かりませんが、一般的なソーシャルゲームの開発環境を調べた所、大まかな経費が書かれているページを発見しました。
anond.hatelabo.jp
それによると、開発費は小規模で100~400万円。中規模で300~1000万円。大規模で1000~8000万円と、1億にも満たない金額。
開発人員は多くて10人で、少ないと2人。開発期間に至っては、最大でも4ヶ月程度。

人員や予算額が大きければ自動的に面白い作品が作れるかといえば、そんな事はないでしょう。ですが、余りに差が大きすぎる。
私が実際にプレイした感想も、大きく差を開けてハイエンド機の大型タイトルの方が優れていると言わざるを得ません。
というか、同じゲームという枠組みとして語って欲しくないとすら思う程です。
しかし、実際のプレイ人数という点で見ればスマホゲーの方が圧倒的に多く、大ヒットしているのはスマホゲーという事になります。

冒頭部分で話題に出した映画も同じでしょう。私は年間に10回ぐらいしか映画館に行かないような人間ですが、実はこれでも多い方で少数派のようです。
togetter.com
映画館への平均訪問回数は1.3回。これは月に何度も見に行く人も含めた数字で、実際には7割近くの人が年に1度も映画館に行っていない状態。
1回1800円の映画代が高いから映画館に行かず、レンタルで済ませているのかといえば、そうでもないでしょう。
多くの人はレンタルでも観ない。何もすることがなくて家にいる状態で、テレビを観ていると映画が始まったので観るという人が一番多いのでしょう。
この様な状態の中で大ヒットを実現しようと思うと、普段映画を観に行っていない人をターゲットにする必要があります。

もっといえば、大ヒットを狙うのであれば、絶対的な人数が少ないコアな映画ファン層ではなく、人口比率が一番多い映画館に行かない人に向けて作る必要があるということ。

これまで挙げてきた例と同じく、映画というのも多くのタイトルを見ていないと解らない様なネタが多く存在します。
また映画に限った事ではないですが、優れた作品を作る監督は優れた多くの作品を自身で観たり体験したりしていて、自身の映画内でそれらの展開を自分なりに解釈すると行ったことも行われています。
つまり本当に理解する為には、映画だけでなく最新のゲームもプレイしていなければならないし、漫画や音楽、小説などについても知らなければならないのですが、コンテンツを理解する為にこんな事をしている人が少ない。
正直、映画なんてお金を払って2時間座っていれば消費できるわけで、コンテンツを消費するという点に置いては、かなりハードルが低いもの。その消費すら行っていない人が日本で8500万人。
こんな状態で、更に映画よりも消費するのに労力がいる小説やゲーム、漫画・アニメなんてものを追いかけている人なんて、極少数派です。

そんな少数派に向けて作るより、前提となる知識が無くとも何となく楽しめる様な、ビジュアルや出演者に極振りした様な映画の方が食いつきも良くて客も呼びやすい。

ネットニュースで、電通社員の『TVCMは偏差値40の人にも理解できないとダメ。世間にはおそるべき量のバカがいて、それが日本の「普通の人」』という書き込みが炎上したようですが、実際には、こういう事なんでしょう。

【悲報】電通女子社員「CMは偏差値40の人にも理解できるように作ってます。世の中には恐るべきバカが沢山いる」 | やらおん!

試しに、自分の周りの人に『最近映画見た?本読んだ?おすすめ漫画は?ゲームした?』なんて事を聴いてみてください。意外に多くの人が、何もしてなかったりします。
こんな個人ブログの個人的な主張にまで目を通して情報を集めている読者さん達は、正直少数派。
テレビの経済ニュースなんかでも、テレ東や日経CNBCなどで放送している番組を見ているのは少数派で、実際に多く見られているのは、池上彰さんが解説する温めたミルクの上に張る膜の様に薄い表層的な話題を取り扱った番組だったりします。

こうして考えると、多くの人に認められる事と良作であるという事は別の話だということがわかります。
両者は完全に相反するものでもないので、勿論、良作でありながら大ヒットする作品も中には有るでしょう。
しかし、大ヒットする作品の多くは、見栄えが良くて何となく気持ち良くさせてくれる雰囲気の作品ってだけ。こんな作品が毎年大量に作られて、その内の幾つかがバズって大ヒットというのが流れ。

もう一度結論を書くと、大ヒットしたからといって、良作とは限らないという事でしょう。

【本の紹介】 ウェブ社会のゆくえ

社会

今回紹介する本は、http://amzn.to/2lf1v0L




この本は、TBSラジオで放送されている『文科系トークラジオ LIFE』という番組でメインパーソナリティを勤めている、チャーリーこと鈴木 謙介さんの著書です。
どんな方かというと、テレビやラジオにも結構出演されい社会学者の宮台真司さんの弟子のような方?で、この方も社会学者をされています。

知ったキッカケは、ラジオ(Podcast
私の趣味がラジオ・Podcastを聴くことで、『文科系トークラジオ LIFE』も人気でランキング上位だった為、このラジオをPodcastで聴いていました。
(今はTBSラジオの前番組がPodcastから撤退した為、別アプリのラジオクラウドでしか聴けない。)
その番組の中で、自身の本という事で頻繁に名前が出ていた為、試しに買ってみたというわけです。

本の内容は、前半と後半で書かれている内容が結構変わります。
前半部分は、ウェブの中でも特に人と人のつながりに関係するSNSやIT技術についての解説や、それにまつわる問題。
その他に、サブタイトルになっている『多孔化』についての解説となっています。

SNSにまつわる問題とはどのような物かというと、SNSを通して個人情報を抜かれるという問題。
ソーシャルメディアは、人と人の繋がりによって成り立つメディアなので、その構造上、人間関係が明らかにされる。
また、何処でどんな食事を食べたなどの情報を写真付きでアップロードするということは、その人物がどんな趣味趣向を持ち、どんな行動を行っているのかが筒抜けになります。
多くのSNS運営は無料で行われていますが、運営側はこの様な情報を元に効果的な広告を載せるなどの手段で利益を出す為、結果としてSNSは無料で使えるのではなく、個人情報を売却した対価として使えている云々。
その他には『携帯依存』『SNS疲れ』といった、利用者視点の問題の解説なども行われています。

多孔化とは、感覚として様々な場所に窓が空いている状態。
現代は、スマートフォンという機器が生まれて、いつでもどこでもウェブに繋がれる状態になっています。
例えば、人と会うという状態を考えてみましょう。一昔前では、人と会う状態では会っている人と同じ空間・時間を共有するしている感覚が強かった。
しかし今では、例え人と有っていたとしても、facebookTwitterといったSNSにアクセスする事が可能となっています。
この状態では、人と会っている状態でありながらWeb上の人達と繋がる事が可能になる。

言い換えるなら、人と会うというのは限定された空間を共有している為、一種の部屋に入っている状態ともいえます。
多孔化するとは、その部屋に数多くの窓が空いている状態。人と一緒の空間を共有しながら、窓を通して他のものとも繋がれる状態ということらしいです。

しかしこうなって来ると、現実としての空間の意味や役割といったものが薄れてしまう。

身近な例でいえば、現実社会で同じ空間を共有している状態。具体的には、デート中などで二人っきりの空間なのに、しきりに携帯電話を気にする・見るという行為。
携帯電話が無かった時代であれば、2人で同じ空間にいる時には、相手と話すぐらいしか選択肢がない。
しかし現在では、スマホという様々なつながりに瞬時にアクセス出来る機器が身近にある為、そちらの方に気が取られてしまう。
携帯に気を取られる度合いは人それぞれでしょうが、仮に注意を30%取られているとすれば、二人でいる空有間の意味は70%にまで低下してしまう。

これは当然で、昔は合わなければ近況報告すらまともに出来なかったのが、今ではSNSで気軽に出来る。
この為、昔に比べて話さなければならない事が圧倒的に少なくなる。
『この前、こんな事があって~』と話しはじめた所で、『facebookに書いてたよね』といわれて会話が終了してしまう。
またSNSは、多くの人ができるだけ多くの人から『いいね』を貰おうと、一生懸命、頑張って写真を取り、文章を考え、時には事実を盛ってまで注意を惹こうとしている為、そこそこインパクトの有る投稿が並ぶことになる。

しかし実際に会って話す場合は、目の前の人物しか聞く人がいない。
同一空間を共有している目の前の話し手は普通のテンションで話すので、聞き手はその会話に特に魅力を感じない。
この様な空気では、話し手もテンションが上がらないし、聞き手も退屈。SNSを見てる方が、まだ、面白いとなってしまう。
話し手側は、相手に聞き手という役割を押し付けているわけだが、聞き手はSNSに夢中になって役割を放棄する為、怒りが生まれる。
現実で会っている人物のどちらかに、SNSの投稿では伝わらない様な話し方や話題が有れば現実空間の意味も保てるのでしょうが、大半の人はSNS以上の話題も話術もない為、こんな事になってしまう。

これと同様に、空間やシチュエーションの意味や役割というのは、新たな機器や時代によって変化して変わっていく。
例えば観光旅行なども同じで、ネットで大量に情報が得られる現在では、観光はより消費職が強くなる。
旅行前に事前に行きたい場所をピックアップし、旅行ではそのスケジュールをひたすらこなし、移動時間で更なる情報を得る為に、スマホにかじりつく。
旅ではなく、体験を消費しに行く事に置き換わり、『旅』が持つ意味はどんどん薄れていく。

これだけでなく、昔から続く儀式なども、時代を重ねる毎に役割や意味合いは薄れていき、その儀式の存在も薄れていく。
では、意味や役割の象徴でもある昔からある文化などは、どんどん時代から切り離されていき、存在意義を失ってしまうのか。

この解決策が、後半に書かれています。
詳しい説明は本に書かれいますので、詳しくは本を読んでいただきたいのですが、簡単にいえば、意味の上書きです。

様々な行動が生まれたのには、それなりの理由と役割が有ります。
それが時代が進むに連れて意味合いが薄れるのであれば、その意味を現代に合うように上書きすれば良い。

これまた、言うは簡単だが実行するには色々難しそうな解決手段。
著者である鈴木さんの意見は色々と書かれていますので、興味を持たれた方はそちらを読んでいただきたいのですが、私が勝手に解釈したものを先程のデートの際の携帯チェックの例に当てはめてみると、モンハン等が解決策になるのかもしれません。

二人っきりのデートなのに会話が弾まずに携帯から目が離せないのは、そもそも二人でいる事に刺激がないから起こる事。
じゃぁ、二人で居る意味をそこに付け加えれば良い。
モンハンというのはモンスターハンターの略で、巨大なモンスターを狩るゲームなのですが、ゲームの難易度が高くて一人で倒すには限界が有ります。
そこでこのゲームには、皆で集まって最大4人で協力プレイを行うことが可能です。
このゲームをプレイするという名目で集まれば、少なくとも、片方が携帯に夢中でもう片方が取り残されるなんて事は無くなるでしょう。

『携帯は見なくても、互いにゲーム画面ばかり見るんだから同じでしょ。』と思われるかもしれませんが、全く違います。
というのも、携帯の場合は多孔化により生まれた窓の先を見ているので、一緒にいながら意識は別のところに飛んで行くため、片方が取り残されるという現象が起こります。
しかしモンスターハンターのような協力ゲームの場合は、片方が窓の先に行くのではなく、常に共同作業を行っている状態なので、同じ目標を達成するために声を掛け合います。
困難な敵に何度立ち向かっても勝てない場合、ゲームを一旦側において、どうやったら勝てるかなどの会話も生まれるでしょう。

何度も書くようですが、片方が携帯を見るなど他の窓に逃げるのは、現実にいる空間がつまらないと考えているから。
共通の話題もないし、互いが知りたいと思うこともないから起こる現象です。しかし共通の目標を設定することで、現実空間に意味が出てきます。
コミュニケーションを取らなければならない理由が生まれます。
今の社会では、単に集まって近況報告をするのに実際似合わなければならない意味なんてありません。その空間を意味有るものに変えるためには、2人の共有空間に意味を付与するしか無いということなんでしょう。

私の読解力がなさすぎて、理解できていない所や間違った解釈をしている部分もも多々あるとは思いますが、全体として書かれていることは、web社会の登場によって社会が多孔化した事。
多孔化する事により、それぞれの空間の持つ意味や役割が変化、もしくは薄れてしまった。それを解決するためには、それぞれの空間の持つ意味を時代に会ったもので上書きして今日こにすべきって感じのことが書かれてます。

本の方では、この様な狭いブログスペースではなく多くのページ数を割いて解説されているので、興味をもたれている方は一度目を通してみてはどうでしょうか。