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だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【ゲーム紹介】 FINAL FANTASY XIV (ファイナルファンタジー 15)

ゲーム

今回紹介するゲームは、『FINAL FANTASY XIV (ファイナルファンタジー 15)』です。




ファイナルファンタジーシリーズ最新作。
元々はFF13の派生作品として開発されていたもののようですが、製作に時間がかかったためなのか、その際に方向性が変わったのかは分かりませんが、独立したナンバリングタイトル『15』として発売されました。
この作品。開発段階の映像がネットなどで公開される度に、『主人公がホストw』なんて感じで馬鹿にされていました。
そんな評価ばかりを読んでいた私も感化され、『今作は駄目なんだろうな』なんて思い、特に興味も持っていなかったのですが、発売前に公開された体験版をプレイしてみた結果、かなり興味が出てしまいました。

その後は、世界観を理解する為に事前に公開されていた映画『KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV』と、アニメ作品『BROTHERHOOD | FINAL FANTASY XV』を鑑賞し、発売日に向けてプレイしたい気持ちを高めていきました。





www.jp.square-enix.com

そして、いざ 発売。
事前にAmazonで予約していましたので、発売日に購入してプレイ。
という事で今回は、そのプレイした感想を踏まえつつ、紹介を書いていきます。

FFといえば、ドラクエと並んで日本のRPGを代表する作品で、世界観も、現代の地球とは違った世界で繰り広げられるストーリーとして有名な作品です。
良くも悪くもJRPGの代表作のような作品で、基本的に一本道で、ムービーを見る為に決められたハードルをクリアーしていくというスタイルのゲーム。
そんな作品が、今回はオープンワールドとして発売。『いったい、どんな感じになるんだ?』と思っていたのですが、実際にプレイしてみると、JRPGとオープンワールドが丁度よい感じで融合していました。

FFは、広大なフィールドの様々な場所に、街や都市、洞窟などが点在しているといった世界観ですが、それが3DCGで見事に再現されています。
それも、パッと見では実写なんじゃないかと思えるぐらいの作り込みで、すんなり世界観に没入できます。
オープンワールドといえば、最近では広大なマップを移動する為に車が必須といった感じで、多くのゲームで車が導入されていますが、FF15でもレガリアという車が導入されています。
マップの様々な場所に拠点などの車を止めれるパーキングが設定されていて、一度でも訪れたパーキングにはファストトラベルが可能。
このシステムの為、かなり広いマップにもかかわらず、移動が楽になっています。

ちなみに、この車移動ですが、オートドライブ機能がついています。機能というか、仲間の一人が運転してくれるんですけどね。
これが、非常に便利。
海外製のオープンワールドゲームだと、何かというと運転を強いられてしまいますが、個人的に車の運転が好きではない私は、そのシステムが結構、不満だったんですよね。
特に、音声がローカライズされておらず、日本語字幕で流れるゲームの場合、目的地の確認の為にミニマップを観て、運転の為に画面中央に注意を払い、字幕まで読むなんてのは無理ゲーだったりします。
また、最近のオープンワールドゲームは作り込みの凄さもセールスポイントの一つだったりしますが、『自分で運転することを強いられる』せいで、作り込まれた背景をゆっくり観てられない。
結果として、作られた世界をゆっくり堪能する為に、車を使わず徒歩で探索することもしばしば。
その点FF15では、仲間が目的地まで勝手に運転してくれる為、その間、ゆっくりと風景を楽しむことが出来ます。
このシステムは、他のオープンワールド系ゲームでも採用して欲しいもんですね。

ただ、私にとっては非常に便利なシステムですが、従来のオープンワールドに慣れていて、街を猛スピードで走り抜けたい欲望を持っている人にとっては、規制が多すぎて非常に物足りないかもしれません。

次にゲームの雰囲気ですが、これもファンタジーっぽくて非常に良い。
私が最近プレイした『ウィッチャー3』や『GTA5』『マフィア』などのクライムアクション系は、結構、血生臭さい雰囲気なんですよね。
とくにウィッチャー3などは、中世ヨーロッパの時代をリアルに再現しようとしたせいか、大半の人間が搾取されて極貧生活を送っていて、『こんな世界には行きたくないな』と思わせるような世界観。
その一方でFF15は、Chapter6までプレイした感想としては、そこまで貧しい生活をしている人は見かけない。
皆が普通に困らずに生活できている感じの世界観で、景色も綺麗なので『こういう世界に行ってみたい』と思える世界観に仕上がっているところも良いですね。

ゲーム全体の雰囲気としては、『旅』をテーマにしているだけあって、旅行している感が凄い。
システム上、敵の討伐やクエストの消化で経験値を得たとしても、宿泊施設で一泊しないとレベルが上がらない仕様になっているので、頻繁に泊まることになります。
その際、仲間の撮った写真を皆で鑑賞してお気に入り写真をを保存したり、キャンプだと仲間の一人がご飯をつくってくれる等、仲間と一緒に旅行している演出がこれでもかというぐらい挿入されます。
フィールドを歩く際も同様で、適度に仲間が話しかけてくれるのでリア充の雰囲気を味わうことが出来ます。

レベル上げに関しては、今のところは非常に楽です。
というのも、フィールドの様々な場所でサブクエストが発生するのですが、それをクリアーしていくだけでレベルがドンドン上昇していきます。
今作では、バトルで敵を倒してもギル(お金)が手に入らない為、装備などを購入する為にはサブクエストをクリアーしていく必要があるのですが、そのクリア報酬として手に入る経験値がかなり多い。
ちなみにクエストのクエストの難易度ですが、クリアーする為の目安となるレベルが表示されています。
大半のものには期限なども無い為、とりあえず受けておいてクリアー可能なものからこなして行くだけで、レベルもお金もドンドン貯まっていきます。
私は最初の大陸で、サブクエスト中心で進めているのですが、既に現在Lv50。
メインクエストの推奨レベルがLv30とかなので、レベル上げの為にひたすら敵を倒し続けるなんて事はしなくて良く便利ですね。

ストーリー等に関しては、映画の方がかなりシリアスだったのに対し、ゲームの方は王都で何が起こったかを全く把握していない王子一行が主人公のためか、中盤まではのんびり雰囲気で進んでいます。
ただ、背後では様々な腹の探り合い的なことが起こっていそうで、シナリオのシリアスさと主人公たちの旅行気分のギャップが、個人的には好きな雰囲気で良いですね。

今のところ、システム的にも雰囲気やストーリー的にも文句はなく、勝って損は無いと思える作品。
こういう作品は旬な時にプレイした方が楽しみも増えると思うので、少しでも興味がある方は、話題になっている間に買ってプレイしてみては如何でしょうか。
お薦めです。

【おすすめPodcastエピソード紹介】 もてらじ 川柳さん回 『日本人の大半は軽いメンヘラ』

Podcast 社会 考え方

Podcast紹介コーナー。
第119回。

過去に書いた投稿
タイトル紹介はこちら
エピソード紹介はこちら

私の独断と偏見で紹介するPodcastのエピソード紹介コーナー。

今回は ネットラジオ BS@もてもてラジ袋

あの伝説のDJの川柳団十郎が帰ってきたぞ!? | ネットラジオ BS@もてもてラジ袋

です。

今回は、川柳さんという方が久しぶりに復活し、ラジオを通して主張を行うという内容でした。
私は『ネットラジオ BS@もてもてラジ袋』(通称もてらじ)を聴き始めたのが2014年の5月ぐらいからでしたが、川柳さんは名前は知っていましたが、話されているのを聞いたのは初めてだったので、それ以前に出演されていた方だと思います。
この川柳さんの主張が、結構、日本人の真理をついていたような気がしたので、今回紹介させて頂くことにしました。

どのような主張だったのか、簡単にまとめると誤解されそうですが、それを恐れずにいうのであれば、『日本人の大半は軽いメンヘラ』といった内容でした。
主張の出だしは、川柳氏がラジオに出演しなくなってから、普通の人と飲みに行く機会が増えたというところから始まります。
出演者一同は、『普通の人』のところに結構食いついておられましたが、エピソードを全て聞き終わった後に考えると、『人前で話すことを意識せずに話している人たち』ということなんでしょう。
自分でPodcast(ラジオ)をやろうという方々は、基本的にはリスナーにどの様に聞こえているか、聴き手はどう感じるかというのを意識しながら話します。
聞きやすいように出来るだけ話をまとめようとしますし、その中に矛盾がないように心がけます。

ですが、普通に生活している一般人は、そんなことを考えて話しませんよね。自分が話したい事を、ただただ垂れ流します。
話す人間としては、『この話をしたらウケるはず!』と、よく分からない確信をもとに話すのでしょうが、その内容が大抵はドン引きするものだったりする。
川柳氏は、この行動を言葉の自傷行為と名付け、そういった空気に晒された時にどのような行動を取るべきなのかという事を考え、主張されていました。

分かりやすいように具体例を挙げてみましょう。
呑み会の席などで大人数で呑む場合、大抵の場合はターン制で一人の人が話し、周りの人が聴く。
時には茶々を入れつつ話を聴き、一人の人間が話し終えると次の人が話すなんて流れで会話が進む場合が多い。(時には、一人の人間が延々と話し続ける場合もありますが…)

ここで話す内容として結構出てくるのが、『昔は悪かった自慢』や、受けたサービスが気に入らなかったので、『クレームを入れてやった』というような、話した所で自身の格が下がるだけで、話した側も聞いた側も何の利益もない話だったりする。
これを聴いている人達の素直な感想としては、『そんなチンケな犯罪を自慢してるの?あなたは、そんな簡単なルールも守れない人なのね』だったり、『その程度でクレーム入れるんだ…厄介な人だね』といったマイナスのもので、基本的にはドン引きするわけですが、場の空気を崩さない事を優先する為に、笑顔で接待する。
すると話し手は、『俺の話がウケた!この話は鉄板だな』と思い、次回の呑み会でも同じ話をしようと決意する。
ここで重要なのは、聞き手側はドン引きする話を目の前でされたのにも関わらず、次に自分が話すターンになると、似たような自分の格が下がるような話をしてしまう。

結果として呑み会で起こるのは、みんなで知らず知らずのうちに自分の格を下げ続けるという行為だったりするわけです。
これが、言葉の自傷行為と呼ばれるもの。
この行為をしてしまう根底には『私を見て!』という願望が有るのでしょうが、行っている事は自分を貶める行為でしか無い。『私を見て!かまって!』とリストカットするメンヘラと構図は同じ。
大部分の人の会話が言葉の自傷行為で成立しているのだとすれば、『日本人の大半は軽いメンヘラ』という事になってしまうという事。これを書いている私も含めてね。

ここまで読んで『そんなこと無いでしょ!』なんて思ってしまう方も多いかもしれない。
そんな人は、週末などにカウンターの有る飲食店に入って、周りの話を聴いてみると、よくわかるかもしれません。
話されている会話は、大抵は『軽い犯罪自慢』『ギャンブルの話』『職場や友人の悪口』『こんな出来事が合ったので、相手にキレてやった』といったもので構成されています。
『ギャンブルで勝った』話をされても、こちらは『パチンコなんかやってるんだ』と思うだけだし、職場や友人の悪口を聴いた場合『自分の悪口も、他の人に話されてるんだろうな』と思うだけ。
しかし、自分のターンが回ってくると、自分の話は他人が話しているような自傷行為ではないと思いつつ、自分の格を下げ続ける自傷行為を行ってしまう。

話せば話す程、互いに評価を落としていく為、客観的に見ればマイナスのスパイラル構造にしかなっていない状態。何故こんな事になってしまうのでしょうか。
この話題を聴いて、私自身、少し考えてみた結果、原因は聞き手と話し手にそれぞれ有ることがわかりました。

聞き手側の要因は、日本特有の『空気を読む』という事。
空気を読むという行為は、場の雰囲気を崩さないように注意する。周りに対して気配りが出来る人が行うような行動のように思えますが、実際には違います。
その行動の先に有るのは、自分自身が変な目で見られない為の自己中心的な防衛手段に過ぎません。
例えば、誰かが明らかに間違ったことを主張した場合、長期的に観た場合は間違いを指摘した方が良い。しかし、指摘したことで場の雰囲気が悪くなった場合の責任が採れない為、間違ったことでも同調する。
皆がこの行動を取ってしまうと、これが常識になり、同調圧力が生まれてしまう。

呑み会の席でいえば、ドン引きする様なくだらない話だったとしても、それを指摘して雰囲気が悪くなった際の責任が取れないから言わない現象が起こる。
仮に指摘した人がいたとして、それが原因で空気が乱れると、指摘した人を避難する。
この様な状態が続くと、自傷行為を聴いたとしても指摘することが出来ず、雰囲気に合わせて同意するしか無くなります。

話し手側の要因としては、皆、自分が普通で常識的だと思っている点でしょう。
そして世の中には、皆が共有する常識が有ると思いこんでいる。
しかし実際の世の中には万人が共有する常識なんてものもなく、普通なんてものも存在しない。人々は、それぞれに自分の価値観と考え方から成る『常識』を持っています。
世の中に70億人いるとした場合、70億通りの常識があるといっても過言ではないでしょう。
その状況下で、自分の常識や正義を元に皆が賛同してくれるだろうと、普段起こった事や考え、ちょっとした自慢話をするわけですが、その内容は聞き手の常識や普通とはズレている為、聞き手側の立場でみると自傷行為に見えてしまう。

議論の場合は、共通認識がズレていることが前提で、言葉の定義から摺り合わせを行いますが、呑み屋で行われる議論の多くは、この様なことは行われない。
この、聞き手と話し手の要因が合わさることで、不毛な議論が延々と続いてしまう事になるのでしょう。

この対応策として川柳さんが考えた方法は2つで、この負のスパイラルを意識し、そちら側に行かないように心がけて一定の距離を離すか、逆にそちら側に飛び込んでしまうかの二択。
後者の意見は一見すると後ろ向きのようにも思えますが、カラオケのようなものと思えば、すんなり納得も出来る。
カラオケの場合は、皆で盛り上がる曲を摺り合わせ、一体感を持って楽しむと非常に楽しいですが、実際に行われているカラオケの大半は、皆がそれぞれ好きな曲を歌い、聞き手は聴いているふりをしつつ次に歌う曲を探したり、携帯いじってたり、ヒソヒソ関係ない話をしたりしますよね。
そのカラオケに対して『つまらない!』なんて声を上げても空気を壊すだけなので、自分も周りのことを考えずに好きな歌を歌い、そういう状況を愉しめば、ストレスが貯まること無く逆に発散できたりする。
同じ出来事でも、捉え方次第でどうにでも感じられるという、かなり為になる助言だと感じましたね。

ラジオの方では2時間近くかけて話されてますので、気になってもう少し知りたい!なんて方は、一度聴いてみては如何でしょうか。

同盟と具体と差別 2

社会 考え方 政治・経済

今回の投稿は、前回の続きです。
まだ読まれていない方は、そちらからお読みください。
kimniy8.hatenablog.com

今回の話は、アメリカ軍の基地が日本に有ることは、日本にとってプラスなのかという問題について考えていきます。

戦後、日本はアメリカによって軍隊を取り上げられたので、その代わりにアメリカが日本を守るということで、日本にアメリカ軍の基地が作られました。
アメリカが日本を守るわけですから、もっとも重要なのは、アメリカと日本との同盟関係という事になります。

この同盟関係ですが、何方か一方が主張していれば成立するものではありません。
双方が同意して初めて同盟関係が成立するわけです。そして、成立すれば未来永劫続く関係でもありません。
過去の歴史を振り返れば、同盟の一方的な破棄なんて事は普通に行われています。
これは、同盟関係が一番重要になってくる戦時中でも同様で、同盟破棄からの裏切りなんて事は、一度や二度ではありません。

このことを踏まえると、同盟関係を常に維持し続ける為には、双方が相手にとってプラスになる事を提供し続けなければなりません。
では、日米関係では互いに何を提供しあっているかというと、アメリカは軍隊で、日本は軍用地やお金という事になります。

今のところはバランスが取れているかの様に観える関係ですが、よくよく観てみると、結構危なっかしい関係になっていたりします。
その要因となっているのが、中国の経済成長。

先程も書きましたが、同盟関係というのは双方にとって利益がなければ成り立たない関係だったりします。
アメリカは軍隊を提供し、日本がお金を提供することで成り立っていた関係ですが、中国が成長して日本以上に経済的に重要になってくると、このバランスは崩壊してしまいます。

中国は現在、人口が日本の10倍いるということで、GDPで観ると日本を抜いて2位の立場です。
バブルが弾けそうで経済的にも失速してきているとはいっても、一人当たりGDPで観るとまだまだ低い。これは、別の観点からみると、まだ成長の余地があるとも考えられます。
中国が経済成長して人々の平均年間所得が2万ドルぐらいになると、物を販売する市場として非常に魅力的な存在になります。
その一方で、日本では格差が年々拡大し貧民層は年々増加。国自体が衰退していっているとも思える常態です。
中国が成長して日本が衰退するという状態が継続すると、近い将来、中国がアメリカの一番の得意先になる可能性も十分考えられます。

この様な常態になった場合、何が考えられるのか。
ネトウヨ・右翼と呼ばれる方は中韓が嫌いで、何かというと敵対視しますが、本当に中国と日本の仲が悪くなって敵対してしまった場合。
中国が、日本以上にアメリカに対して利益をもたらすことが出来るとなれば、アメリカが一方的に同盟を破棄して中国と仲良くするという可能性も出てきます。

『今までの関係が有るんだから、そんな事はない!』なんて方もいらっしゃるでしょう。
しかし、自分が薄情な事をしないからといって、相手も行わない確証なんて無いんです。

アメリカは世界の警察なんて表現をされたりしますが、彼らの行動を観てみると、一貫して自国の利益の事しか考えていません。
今回の大統領選でも、アメリカファーストを掲げるトランプ氏が次期大統領に内定してますよね。
環境問題にしても、話し合った結果、自国の利益にならないと判断して京都議定書からは脱退しています。
軍事行動でいえば、とりあえずイラクを叩きたいからと『イラク大量破壊兵器が有る』と難癖をつけて戦争を吹っかけましたよね。実際には大量破壊兵器なんてありませんでしたが。
そもそも論としてイラクアルカイダも、元々はアメリカが自国の立場を有利にする為に武器を渡して育ててきた組織だったりするわけですけどね。

昔っから、後先考えずに『今が良ければ良い』と現在の利益を最優先に動いているのがアメリカだったりします。
そんなアメリカ。中国の成長によって、日本と組むより中国と組む方が利益が大きい状態になったらどうなるのか。
過去の行動をみると、迷うこと無く、日本を捨てて中国と組むと考えるほうが自然です。

仮に、そんな常態で日本と中国との中が悪くなり、争いが起こったとしたら?
中国と組んだアメリカが日本を占領するのなんて、簡単ですよね。
何故かって、日本には既に大量の米軍基地が有り、武器も武装した軍人もいるわけですから。
こんな極端な事が起こらなかったとしても、アメリカは中国と日本を天秤にかける仕草を見せるだけで、日本に対して圧力をかける事が出来ます。
こうしてみると、米軍基地が有るから日本が守られているというよりも、米軍基地が有るから日本が色んな要求を突きつけられている。
経済的にも外交的にも、日本が自由に考えて行動を起こす為には、米軍基地が邪魔だとも考えられるわけです。

『米軍基地が撤退したとして、じゃぁ日本の守りはどうするのか』という話に関しては、個人的には日本が独自で防衛できる軍隊を持つ事も考える必要があると思います。
『日本が軍隊を持つと、戦争を行う!』って主張も有ると思います。しかし、米軍が駐在していてアメリカの主張が強い現在は、南スーダン自衛隊を送らなければならないような圧力をかけられるわけです。
このままなし崩し的にドンドンと憲法解釈を変えていき、派兵する実績を積み重ねていけば、いずれはアメリカが起こす戦争に追随せざるをえない状況に追いやられる可能性は十分に考えられます。

こうしてみてみると、沖縄の人を差別までして基地を受け入れさす必要が本当にあるのかどうかが疑問に思えてきます。
ネトウヨと呼ばれる方やテレビで右翼と言われているコメンテーターは、何故か中韓が嫌いなので、このような事を書くと左翼とレッテルを張られるのでしょうが、個人的にはアメリカと距離を取り、中韓を含む東・東南アジアと仲良くし連携を強めていく方が、日本にとってはプラスのような気がしてなりません。
というか、東アジアが仲が悪くて一番 得をするのって、存在感が増す立ち位置にいるアメリカなんですよね。

アメリカもトランプさんが次期大統領に内定し、米軍の費用を全額負担しないと撤退なんて言い出しているので、これを機に、米軍に撤退してもらうってのも一つの案だと思うんですけど、どうでしょうか。

同盟と軍隊と差別 1

考え方 社会

今年に入ってから、沖縄のヘリパッドの話を聞くようになったなと思ったら、それからしばらくして、機動隊による『土人』発言。
その後、トランプ氏が次期大統領になると騒がれてから、米軍が沖縄から撤退か?なんて騒がれ、日本の基地問題にまたスポットライトが当たるようになってきましたね。

この問題は、政府を積極的に支持すると『右翼』というレッテルを貼られ、基地受け入れに消極的だと『左翼』といわれてバカにされたりする為、結構扱いづらい話題だったりしますが…
個人的に思うところも有るので、今日は思い切って、自分の思っていることを書いていこうと思います。

まず、反対している人を叩くという現象について。
米軍基地に関しては、日本の国防の問題が絡んでくるということも有ってか、国の方針に逆らう人間は反日と判を押され、叩かれる傾向に有ります。
反対派の人間に対して『嫌なら出て行け』だとか『自分のことしか考えていない』『反対してるのは本土からのプロ市民で、お金貰ってやっている』と、確かめたわけでもないのに叩きたい放題。
日本人特有の『空気を読む』という行動の悪いほうが全面に出て、『皆が叩いているんだから自分も叩いて大丈夫』と、特にこの件に関して詳しくもなく、真剣に考えた事もない人間が、ネットやテレビやラジオで過激なことを言う人の意見を鵜呑みにして、現地の人を叩いているという構図になっています。

しかし、よくよく冷静になって考えてみれば、軍事施設というのは国にはなくてはならない施設なのかもしれませんが、迷惑施設であることに変わりはありません。
その迷惑施設が自分たちの近所に来た場合、『嫌だ』と思うのは、沖縄の方に限らず普通の考えではないでしょうか。
これに対して『耐えろ!』と上から目線で主張し、反対する人間を反日勢力とひとまとめにしてしまうのは、乱暴な議論のように思えます。
しかし実際には叩かれ、差別的な発言まで行われていたりします。
では、本州で同じようなことが起こった場合、文句も言わずに受け入れるのでしょうか。
他人を蔑んで差別的な発言をするのであれば、少なくとも自分たちは、国や地域のことを考え、行政が進めることに関しては積極的に受け入れるという決意が必要だと思います。

では、軍事施設に限定すると例が出しにくいので、『迷惑施設』と呼ばれる他のケースについて、本州ではどの様な反応をしているのかを観てみましょう。

少し前のことですが、東京で保育園が新設されるという話が有りましたが、住民の反対によって、この話はなくなるという事がありました。
反対の理由としては、子供の声がうるさく、また、送り迎えで近所の通りが車で渋滞するというものでした。
国としては一億総活躍社会を目指していて、女性の社会進出を積極的に推し進めていく方針。
その一方で、少子化で悩む日本では子供を作る事も推奨されています。
この2つを両立しようと思えば保育園の新設は必要なのですが、近隣住民にとっては迷惑施設でしか無いため、反対ということです。

他の例を挙げてみましょう。
『土人発言』をした機動隊員と、それを擁護した大阪を例に挙げてみましょう。
大阪に、元々は農業用水として使用するための溜池があるのですが、その地域では農業が衰退してしまい、溜池の管理も行われなくなってしまいました。
これを放っておくと、溜池が溢れて様々な問題が出る為、定期的に除草作業などをして川に流すための水路を確保しなければなりません。
しかし、この溜池は私有地にあり、国や市の管理下にはありません。当然、税金を投入して管理することは出来ません。
溜池を埋め立てるという手段も考えられますが、その溜池はダムのような役割も果たしていて、雨水などを一度溜池に貯めて、その後、徐々に川に流すというという事を想定して、周辺の河川の幅や堤防を設計していました。
その為、溜池を埋め立ててしまうと、雨が降った際に一度に川に雨水が流れ込む為、反乱の危険が出てきてしまう。

そこで解決策として、溜池の水面にソーラーパネルを浮かべ、そこで発電した電気を売ることで溜池の管理費用を捻出するという方法を考え出し、実践したようです。
しかし、この行為に近隣住民の怒りが爆発。太陽光パネルに光が反射して、家の中が眩しくなる可能性があるとして、クレームが相次いだようです。
『眩しくなる可能性』というのは、太陽光パネルが設置されている現在は、そのような被害は一切ないのですが、夏になって太陽の軌道が変わると、『もしかすると眩しくなるかもしれない』としてクレームを入れているんです。
正直な話、反射したとしても一時的なものだし、音が発生するわけでもないから、カーテンを閉めていればどうにでもなる問題のように思えるのですが、近隣住民からすると、怒らずにはいられない出来事のようです。

この2つに比べたら、沖縄の基地建設と、その後の時間を問わないヘリコプターを使った訓練のほうが遥かに日常生活を送る上で害が多く、そのヘリが操作ミスから墜落してしまったら、命の危険すら出てきます。
しかし本州に住む人間は、自分の住居の近所に保育園が建てられるのも、ソーラーパネルが設置されるのすら嫌だけど、沖縄の人に対しては、生活が困難なほどの騒音を受け入れろと強要するんですよね。
これらを客観的に観ると、迷惑施設というのは何処かにないと駄目だから候補地の人間は受け入れるべきだけど、自分の生活範囲内には作るなという自分勝手な考えにしか観えないのは、私だけでしょうか。

また、この自分勝手な意見を他人に押し付けて、それに反論する人間を皆で攻撃対象にするというのは、イジメの構図にも似ていますよね。

ネットなどで、沖縄を叩く空気だから、自分も叩く。
何なら、叩くことで賛同してくれたり賞賛してくれる人間がいたりすると、自分がヒーローにでもなったかのように錯覚してしまい、発言を更にエスカレートさせてしまう。
『国防のためには、そこに基地がないと駄目だろ!常識で考えてわからないのか?』『中国に攻め込まれるぞ?』『反対している奴らは反日で、中国が大好き。』
もっともらしい事を並べ立てて、現地の人を批判し罵倒し、これが日常化していくと、『あの人たちに対しては何をいっても良いんだ』と勘違いして更にエスカレートしてしまう。
構図的には子供のイジメと同じ構図なんですが、質が悪いのは、このイジメを行っているのが本来イジメを止めるべき大人だという点ですね。

『迷惑施設というのは何処かにないと駄目だけど、近所にあると迷惑』という認識があれば、候補地の方に対して高圧的に、上から目線で罵声を浴びせるなんて事は、心を持った大人には出来ないことだと思います。
どうしてもその土地でなければ駄目なのであれば、『申し訳ないけれども、受け入れてくれませんか』と下手に出てお願いするのが普通の対応ではないでしょうか。

しかし実際には、『受け入れたくない』と必死になって抗議している人に対して『土人』と発言し、発言した機動隊員を政治家が庇うという現状。
この状態が常態化していき、『沖縄の人たちには何をいっても良い』なんて事になっていくと、地域差別といわれても仕方ないように思えます。

ちなみにこの問題は、日本に米軍基地が有ることが日本の国益につながる事が前提になっている出来事なのですが、これも本当にそうなのか?と疑問符がついてしまう。

【続く】

日本に馴染まない資本主義 3

考え方 社会 政治・経済

この投稿は前回・前々回からの続きとなっています。
まだお読みでない方は、まず、そちらからお読みください。
kimniy8.hatenablog.com
kimniy8.hatenablog.com

前回までの話を簡単に振り返ると、日本が世界に誇る『もったいない精神』と『おもてなし文化』が、資本主義の観点から見ると成長を引っ張っていますよという話でした。
これらの文化がどの様に発生したかは分かりませんが、日本人は良くも悪くも、行動に関しては無料だと考えている人が多いからでしょう。
行動というのは自分で行えば無料ですからね。それを他人が行ったとしても、無料で当然と考えてしまうのでしょう。
しかし、この考え方自体が経済学の考え方からズレています。

経済学の世界では、自分で行った場合でもコストがかかると考えます。
例えば、ある用事を3時間かけて自分で行ったとします。この場合、必要となる道具などが必要なく経費が無い場合でも、人件費が発生すると考えるのが普通なんです。
『自分で行っているのに、何故、人件費がかかるの?』と不思議に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、経済学の考え方では、その3時間の間、自分がバイトや仕事に充てた場合、どれほど稼げるかを考えるわけです。
その人が本業で稼ぎ出す金が時給換算で2000円の場合、3時間で6千円かかってしまう。それをプロに委託した場合の値段が3000円なら、プロに委託して空いた時間で本業を行った方が良いという考え方ですね。
それぞれの人間が本業での技術や知識を高め、能力を特化させて仕事を行うことで、より効率的に共同体を運営することが出来るというわけです。

経済学は、人々の行動を金銭という数値に置き換えて、その数字をみて判断する。
数字に歪みが出れば、その歪みを修正するような理論を作り、それを政治などで実践していく。
サービスに対してお金を払うという海外の思考は、経済学のこの考え方に近い考え方と考えられるのかもしれません。

しかし日本の場合は、人が行う行動を金銭に変換するということを余り行わない。
というか、日本人の場合は行動は行動で返すものであって、金銭に変換するようなものではない。
金銭に換算しない為、行動の価格は0円となり、人に頼むなら自分がやればタダで出来るという考えになりがちです。

このことがよく分かるような例え話を株式関連の番組で聴いたので、紹介します。

ディーラーを生業としている高給取りのアメリカ人と日本人の男が、話をしながら歩いていました。
その男達の進行方向に目をやると、靴磨きの少年が客待ちの為に道端に座っていました。
少年を発見したアメリカ人は、早速、少年に靴磨きを頼み、その仕上がりに満足をしたのか、たっぷりとチップを渡しました。
そして日本人の男に向かって『お前も磨いてもらったら?』と声をかけてきました。
しかし日本人の男は『靴磨きぐらい自分でやるよ。勿体無いし。』と返答。

それを聴いたアメリカ人は『俺達のような高給取りは、人に仕事を頼んで報酬を渡す義務が有るんだ。金持ちがお金を溜め込んだら、一体誰が使うんだ?』

この例え話は、資本主義の構造を上手く表していますよね。
日本人からしてみれば、靴磨きなんて自分でやればタダなんだから、そんなことにお金を使うのは勿体無い。または、自分でできるような事を金を払って他人に任すのは、世間の目が気になると思ったのでしょう。
日本の場合は行動に対して金を渡すのも要求するのも、余り良しとされない。
なんなら、お金のことを口にだすのも毛嫌いされる。極端な表現でいえば、お金に汚れのようなイメージすら持っていたりする。
そんな共通認識が有ると、お金を渡すのも要求するのも後ろめたい感じになってしまう。
金持ちは、お金を持っていると変な目で観られる為、極力資産を隠して保管し、表面上は慎ましい生活を送っているように見せかける。

しかし西洋の考え方は、基本的にはお金は行動に対する評価なので、多くのお金を稼ぎ出す事は尊敬される。
一部のキリスト教の考え方では、天国に行けるものは生前から神に愛されているはずだから、この世でも恩恵を受けられるはず。
その物差しとなるのが、数値として分かりやすい金銭なので、お金持ちは徳が高く良い人で天国に行けるという信仰すら有るようです。
金持ちが良い人という認識が広がると、金持ちは良い人として振る舞おうとするので、慈善事業や寄付なども積極的に行う。
結果として金持ちの持つお金は再分配されることになる。

まとめると、日本人の行動は金銭へ換算されない。人から受けた恩や借りは行動で返そうとするので、経済の数字としては出てこない。
また、お金を持っていると色眼鏡で見られるため、資産は極力隠すために、再分配もされずに一箇所に集中しがち。

その一方でアメリカなどは、お金を持っていることは悪いことでも恥ずべき事でも無く誇らしいことなので、隠すことはない。
しかし、自分だけ大量に溜め込むことは良しとされない社会なので、圧力から寄付や慈善事業にお金が使われることになり、一定の再分配が行われる。

ここ最近の経済を見ていると、日本はバブル期以降、一貫して不況なのに対し、アメリカを始めとした欧州では景気が良くなる場面も有るのは、この文化の違いが有るのではないでしょうか。

勘違いしないで欲しいのは、私はこの投稿を通して『日本もアメリカのような文化に変わるべき!』と主張しているわけではありません。
日本は日本で良いところも有るし、そもそも、このような考えや行動が日本文化といっても良いので、これをすべて捨て去ってアメリカ文化になる必要もないと思います。
しかし、欧米の文化にカスタマイズされたような資本主義をそのまま受け入れようとすると、これはこれで無理が出てくると思うんですよね。

そもそも、お金に対する考え方が根本的に違うんだから、そのままの経済理論を輸入するのではなく、日本文化に合うようにローカライズしていく必要があると思います。
しかし日本の場合、何かというと、アメリカの経済学者の理論を持ち出したりするんですよね。
そろそろ日本は周りの目を気にせずに、自分なりの理論を考えて実践していくべきだと思うんですけどね。

日本に馴染まない資本主義 2

考え方 社会 政治・経済

このブログは前回の投稿の続きとなっています。
まだ読まれていない方は、先ずはこちらからお読みください。
kimniy8.hatenablog.com

前回は、『もったいない精神』と資本主義は合わないということについて書きました。
続く今回は、『おもてなし』と資本主義の関係について考えていきます。

お・も・て・な・し。 おもてなし』は、オリンピック誘致の際にもスピーチで使われましたし、単純に日本の誇るべき文化の一つとして捉えている方も少なくないと思います。
消費者をお客様と崇め奉り、丁寧に接客してくれる様子は、消費者としてサービスを使う場合には非常に気持ちのよいものでしょう。
私の場合などは、基本的に気が弱くて気を使いがちな性格の為、店員が余りにも低姿勢過ぎると逆に気を使ってしまうなんて事も有りますが、高圧的な態度よりかは随分マシで、大抵の場合は気を悪くする事もなくサービスを受けれる場合が多い。
こういった意味では、『おもてなし』文化の良い点を享受しているともいえます。

この『おもてなし』文化ですが、店側がサービスの一環として主体的に行っているのであれば、これはこれで非常に良いことだと思います。
しかし実際には、客側の意向。クレーム対応の一環として行われています。
というのも日本には、三波春夫が発言した『お客様は神様です』という言葉を自分の都合よく解釈し、『神様が店に足を運んでやってるんだから、しっかりとサービスせい!』と言わんばかりに、横柄な態度を取る人間が結構な割合で存在します。
そんな人間に対応する為に発達したのが、現在のサービス業の形態でしょう。
www.minamiharuo.jp

クレームというのは、対応するだけで人が取られる為、長期化するとそれだけで経費がかさんでしまいます。
このクレームも、サービス側に問題が有り、それをやんわりと指摘する形で行われる程度であれば、店側も意見を取り入れる事で集客力を上げることが出来るかもしれませんし、有益なことでしょう。
しかし、言いがかりや逆恨み、自分の勘違いで大きな声を出し、途中で自分が悪いと気がついたけど引っ込みがつかなくなってゴネるのは、店にとって害悪でしかありません。
このような人たちは客ではないので、早々にお引き取り頂き、二度とサービスを利用していただくことがないように出禁にした方が良いわけです。
外資Amazonなどは、問題行為を頻発する人間のアカウントを凍結し、取引できないようにすることで業務を円滑に進むようにしているようです。
しかし日本は、この人達に頭を下げて丁重にもてなすんですよね。
その結果、生み出されたのが日本の『おもてなし』と考えられます。

ここまでの話を読んで、『クレーマーの対処として経費がかかるんなら、さっきのゴミを散らかしたまま帰る人達と同じで、雇用を創造してるから良いんじゃないの?』
と思われる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、実はそうではないんです。

クレーマー対応で、全てのサービス業の接客対応が向上して均一化したとしましょう。
そうなると、サービスによる差別化が難しくなるため、価格は商品の品質とボリューム・価格のみで比べられることになります。
商品の品質を見極めるのは知識や審美眼などが必要となる為、結構ハードルが高い。
となると、多くの人は量と価格のみで判断していくことになります。
つまり、より多くて安いものが良いものとなるわけです。これは正に、デフレ的な考え方ですよね。

例えば、飲食店で客単価2000円の店でも5000円の店でも、全く同じサービスが受けられるのであれば、客単価が高い方の店側は、提供する料理の質を上げるか量を増やすことで差別化するしかありません。
しかし、倍の量を提供しても食べきれない事が多い為、無駄になる。そうなると、質の方を上げてバランスを取る必要があるのですが、高品質なものを理解する為には、客側に質の違いを理解する力量がないと駄目です。
この力量がない場合、価格と量で判断せざるを得ない為、2000円の店の方がコスパが良いと判断されてしまいます。
そして、客単価2000円の店は1000円の店と比べられ、1000円の店は500円の店と比べてコスパが悪いといわれる。

その一方で、これらの飲食店で働く人の待遇はどうなるでしょうか。
飲食店で使用する食材の価格は、とてつもない差があるわけではありません。当然、客単価が下がれば下がる程、原価率は上昇してしまいます。
単価が低いという事は大人数を相手に仕事をしないと売上が上がりませんが、原価率が高いと、そもそも利益が出にくいわけですから、支払える賃金の上限も自ずと決まってきます。
そうすると、忙しいけど給料は低いという状態に追い込まれてしまいます。
こんな状態なのにもかかわらず、接客態度は完璧なものを求められます。なんといっても、相手をするお客様は神様なんですから。
結果として、業界はブラック化していきます。

では、日本以外ではどうなのか。
アメリカなどに目を向けると、チップ文化なんてものがあります。
チップとは、レストランで食事を運んできてくれたり、タクシーで居心地の良い空間を提供してくれた事に対して『ありがとう』という意味を込めて、お金を渡す習慣です。
何故、商品代金と別で、サービス料金までは渡す必要が有るのでしょうか。
これは簡単な話で、商品価格とは商品を手に入れる為の価格だからです。レストランで言うなら、料理の食材料と調理料が代金であって、それを自分のテーブルまで運ぶ料金は含まれてないんです。
タクシーの場合は、客を目的地まで運ぶ料金と、目的地まで話し相手になってくれるサービスの料金が分けられているということです。

人に何かを頼む際には、サービス料金としてチップを払う。本来自分が行うことを他人に頼むわけですから、その手間賃を払うというのは納得できますよね。
この考え方の場合は、客がサービスが悪いと感じればチップを減らせばよいし、満足できるサービスを受けたと思えばチップをはずめば良いわけで、収入を増やしたい人は自発的にサービスを強化するし、やる気のない人は収入が低くなって辞める確率が高くなるので、自然淘汰される。
チップを払ったり受け取る度に、サービスには金がかかることが実感できるし、チップの支払いのない売店で店員の態度が悪かったとしても当前ということになります。
チップのレートが安い店で接客を受けて気に入らなければ、よりサービスの良い店に行こうという動機付けになりますし、資本主義的とは相性の良い考え方ともいえます。

逆に日本では、神様であるお客様に出来る限りのサービスを無料で提供するのは当然だという考えが浸透しているせいか、客ですらない人間が横柄な態度を取り始めています。
私自身は製造業で、知り合いにも製造業の人間が多いので話を聞く機会も多いのですが、見積もり無料は当然で、試作品の制作費まで無料で済ませようとする輩が多いこと…
金を払った客ならまだしも、『客になる可能性』をチラつかせて一銭も支払ってない人間は客ですら無いわけですが、それでも神様気取りだったりします。

この空気感が普通となっている日本のような構造では、お金が支払われる機会そのものが少なくなる為、資本主義との相性は悪いと言わざるをえないでしょう。
【続く】
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日本に馴染まない資本主義 1

社会 考え方

最近、『日本的な考えは、資本主義と相性が悪いんじゃないか。』と思うことが結構有ります。
今回は、なぜそう思うのかについて、掘り下げて考えていきます。

日本が世界に誇る考え方って、どのようなものが有るのかなと考えてみると
・もったいない精神
・おもてなし
この2つが思い当たります。

『もったいない精神』は物を大切にしようという考え方で、大量消費社会に対するアンチテーゼ。
地球に有る資源が有限である以上、考え無くてはならない素晴らしい考えです。
『おもてなし』も、私達消費者からすると、低コストでハイレベルな待遇が受けられる為、客としては有り難い考え方でしょう。

しかしこの2つの考え方は、『資本主義』とは根本的に相容れなかったりします。
(誤解のない様に最初に書いておきますが、今回の投稿はこの2つの考えを否定するものではなく、資本主義とは合わないという話です)

一つ一つ、順番に観ていきましょう。

『もったいない精神』は、一つのものを大切にし、使えるものは長く使おうという精神です。
一つのものを買い換えずに長く使う為、消費者の財布にも優しいですし、丹精込めたものを大切に使ってもらえる為、生産者にとっても良いことのように思えます。
生産者にとっても消費者にとっても良い。一見すると素晴らしいものの様に思えますが、本当にそうなのでしょうか。

先日、関西地区で放送されている『ちちんぷいぷい』で、トランプ大統領が登場するせいか、アメリカの生活事情についての特集が行われていました。
そこで、モミの木を生産している農家の方が、木を出荷する為に10年の時間をかけて丹精込めて育てているというVTRが流れました。
この話を受けてパネラーの女性の方が、こんなことを仰っていました。

『私は前にニューヨークに住んでいたことが有りますが、クリスマス時期になると皆、モミの木を購入するんです。
そして、クリスマスが終わると同時に、全ての人が廃棄するんです。
私も現地に住んでいた時には、この行為は当然だと思って真似してましたが、木の生産にこんなに手間ひまかけてたんですね!
当時の自分が恥ずかしい…』
一度聴いただけなので、一言一句間違わずに引用という訳にはいきませんが、このような発言を目を潤ませて行われました。

この考え方は、『もったいない精神』に照らし合わせれば当然の事でしょうし、これを読まれている方の中にも、受け入れられる方が多いのではないでしょうか。
しかし、冷静になってこのケースを考えてみましょう。
このVTRを観て、生産している人の労力を知った結果、物を大切に使おうとモミの木を捨てずに置いておいておき、次のクリスマスシーズンまで水をやって大切に育てて再利用したとします。
結果、この行動によって翌年移行はモミの木を買わなくても良くなりますし、ゴミとして廃棄されるはずのものが捨てられないので、ゴミも減る。
生産者も、自分が育てたモミの木が大切に使われることで、心が温まる。

まさに、win winの関係で、素晴らしい!

しかし実際に起こることは、モミの木の生産者の売上が1本減るという現象です。
もし仮に、全てのモミの木の購入者が廃棄せずに、よく年以降は自分たちで育てるという決断をした場合、モミの木生産者は廃業に追い込まれます。
そうなんです。モミの木の生産者にとっては、翌年も同じ売上を維持するためには、モミの木はクリスマスシーズンが過ぎたら捨てて貰わなければ困るんです。
更にいえば、クリスマス後に大量廃棄されるモミの木を収集するゴミ処理も必要がなくなる為、ゴミ処理業者がクリスマスシーズンだけ臨時バイトを雇ってた場合は、この職もなくなります。

ちなみにですが、私自身が本業が製造業で捨てられることが前提となる製品を生産しているため、業者の気持は良くわかります。
私の場合は小さな工場での製造業で、売上が直接収入と関わってきます。そんな立場の私から言わせてもらえれば、使い終わったものは捨てて貰わないと困ります。

この様な観点から観ると、『もったいない精神』は資本主義と非常に相性が悪いんです。
発展形としては、別のケースも考えられます。
どの大会だったかは忘れましたが、世界的なスポーツ大会が開催された際、日本の観覧席は日本人が自分で出したゴミを持ち帰り、他の国の観覧席はゴミが散乱していたというとこが有りました。
このニュースを受け、多くの人達が『さすが!日本人!』と、胸を張ったと思います。
その一方で、空港などで製品の外装を破ってその辺りに捨てる中国人に対して見下し『民度が知れるw』なんて事を発言したりします。

しかし、資本主義経済の観点から見てみるとどうでしょうか。
スタジアムというのは、汚れることが前提で清掃員を雇っています。
もし、スタジアムに訪れる客全員が、極力、施設を汚さず『立つ鳥跡を濁さず』の精神で掃除して帰ったとしたらどうでしょう。
清掃員は仕事がなくなり、全てではないにしろ、結構な割合の人間が解雇されることになります。
逆に、空港を汚す中国人の行動は、清掃員の数を増やすことに繋がり、仕事を創造しているともいえます。
資本主義的ににいえば、どちらが良いかといえば後者ということになります。

自分で出来る範囲の事は自分でやるというのが日本の美徳なんでしょうが、結果として起こっている現象を見ると、人の職を奪う事につながっていたりします。

【続く】
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