だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第54回 ソフィストの誕生 後編

広告

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
goo.gl

youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
www.youtube.com

前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次


現代の政治の現場でも多用される詭弁

これは、現代の政治の場面を想像してみれば、分かりやすいと思います。
野党と与党に分かれて論争をしていますが、その論争は、政権争いの為の論争であって、国を良くする為の論争ではありません。
与党も野党も、自分の国を良くしたいという立場は同じなわけですから、協力をすれば良いわけですが、実際に行われているのは、揚げ足取りや曲解などの詭弁のテクニックを使った舌戦です。

与党も野党もお互いに、相手が如何に間違っているか、能力が無いかを強調し、自分たちには現状を良くする能力がある事を、大げさに主張します。
そこに正しさは必要なく、相手の主張が如何に間違っているのかを演出できれば、相対的に、自分の意見を正当化することが出来ます。
演説も同じで、たとえ中身がなかったとしても、格好良く聞こえさえすれば良い。

言葉の使い方を極める事で、聴衆の受け止め方をコントロールする事が出来れば、実際に自分が優れていなかったとしても、優れているように演出できる。
この詭弁のテクニックが求められて、言葉の使い方が上手い人達がそれに応じたんです。

このソフィストと呼ばれる職業の人でも、特にプロタゴラスという人は有名で、その分、多額の授業料を貰っていたようです。
この様な成功例が有ると、弟子入りして同じ様に稼ぎたいと思う人が集まってくるのは、いつの世も 同じですよね。

ソフィストに対話を求めるソクラテス

こうしたソフィストに、戦いを挑んでいったのがソクラテスです。
まぁ、正確にはソクラテスは戦いを挑んだのではなく、『アテレーとは何かを知っている』と公言している人に、アテレーとは何かを質問しにいっただけなのですが、弁論の達人であるソフィスト達は、喧嘩を売られたと思って応戦するんですけどね。
ただ、ここで重要になってくるのが、議論の性質の違いです。

ソクラテスが望んでいるのは、アテレーという存在がどういうものかという答えであって、相手を打ち負かしたいと思っているわけではありません。
喧嘩腰にならず、下手に出て『アテレー』について質問をし、答えを知っているであろうソフィストから、アテレーとは何かを聞きたいだけなのですが、これがなかなか、上手くいかないのです。
というのもソフィスト達は、アテレーについて知っているという事を、言葉を操る事によって演出することは出来るのですが、その演出に騙されるのは、対話相手を敵とみなしている論争を行っている人間や、ソフィストの信者だけです。

しかし、ソクラテスは論争をしに行っているのではなく、単純に、『アテレーとは何か』という答えを聞きたいだけなんです。
そしてソクラテスは、ソフィストの信者ではなく、アテレーの探求者なので、ソフィストの意見を鵜呑みにはせず、納得できない部分については徹底的に質問をし続けます。
つまり、ソクラテスとソフィストで、議論を通して手に入れたい目的が違うんですよ。 ソクラテスはアテレーについての答えを知りたく、ソフィストは、ソクラテスとの対話に勝ちたいというわけです。

対話と論争

ただ、このソクラテスの態度というのが、かなり重要で、現代にも必要な考え方だったりします。
とうのも、ソクラテスのスタンスの場合は、対話相手は打ち負かすべき敵ではなく、共に真実を探し求める仲間となるからです。

先程例を出した、裁判における検事と弁護士や、今の国会における与党と野党の争いの場合は、論争の相手は、打ち負かすべき敵ですし、論争をする目的は、相手を論破する事です。ですが、この関係性は果たして正しいのでしょうか。
裁判の場合、本来の目的は、『その時に、本当は何が起こったのか』という真実を解き明かす事なので、弁護士は依頼者の思っていることを正しく伝えて、検察側は出てきた証拠を共有し、共に協力する事で、真実を明らかにすることです。
無罪の人間を、逮捕してしまったからという理由だけで無理やり有罪にすることでも、凶悪犯罪者を、金を貰ったからとか、自分の主義主張を押し通す為に無罪にすることではありません。

国会の場合も同じで、国会の仕事は、国を正しい方向に導く事であるはずです。 この為に必要となるのは、良い国の方向性とは何なのかという共通認識です。
何が良くて何が悪いのかをしっかりと定めた後で、その方法を探っていく。 与党であっても野党であっても、出された意見に一考の価値が有ると思うのであれば、そうすべきですし、採用すべきだと思えば、与野党を超えて賛成すべきなんです。
最終目的を共有し、どうすれば、効率よくその方向へ向かえるのかというのを議論すべきなのに、現状では、野党は与党の意見だからと全て否定し、与党は野党の意見を聞き入れません。

仮に自分たちが間違ったことをしたとしても、それを認めること無く、詭弁を使って正当化しようとしますし、正当化出来ないのであれば、他の件を引っ張り出して、相手を非難しようとします。
この非難合戦によって、かなりの時間が奪われるだけでなく、相手側が提示した正しいと思われる政策を避難してしまったばっかりに、その政策を実行できないという意味の分からない事態も起こりうる可能性があります。
また、政策を考える際にも、他の党と考えが似通っていると相手を攻撃できないので、それを踏まえた上で政策を考える必要が出てくる為、効率が悪くなってしまいます。

対話相手は敵なのか味方なのか

しかし、先程も言いましたが、与党も野党も、目的は国を良くするという点で一致している仲間であるはずなので、まず、すべき事は、何が良いのかという意見を互いにぶつけ合って、共通認識を作り上げることなんです。
例えばアメリカの場合は、共和党の主張は、企業や金持ちを優遇することで、経済を拡大させて、その恩恵を国全体に広げていく方が良いという考えで…
民主党の方は、金持ちや大企業は自分たちの事しか考えないので、彼らを優遇しても、その恩恵は庶民までは回らないので、国が介入して再分配を行うほうが良いという主張です。

どちらが良いのかを国民に判断させて、その時々の共通認識を選挙で確認するわけです。 二大政党制で、ここまで立場がはっきりしていれば、互いに相容れない部分では激論が繰り広げられると言うのも理解は出来ますが…
日本の場合は、どうなんでしょうか。 主張がハッキリしているのは共産党ぐらいで、他の政党に関しては、金持ち優遇なのか再分配を徹底するのかが、イマイチわかりませんよね。
次も覇権を握りたいからと、風見鶏のように主張を変えているようにも見えます。
選挙戦を見ても、消費税を上げる!上げないの一点で演説をしていたりして、最終的に何処を向いているのか、方向性が全く分かりません。 消費税増税は手段であって、目的ではないはずですよね。

話がだいぶズレてしまいましたが、プラトンが書いた、ソクラテスが主人公を務める対話篇では、勝敗を決める目的で行われる論争と、お互いに1つの目的に向かって協力し合う対話との違いというのが、何度も強調して出てきます。
この辺りを踏まえた上で、次回から、プラトンが書いたソクラテスが主人公の対話編を読み解いていこうと思います。