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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第54回 ソフィストの誕生 前編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次


アテレーとは何か

前回は、徳とか、アテレーと呼ばれる概念がどのようなものかについて、少し説明していきました。
簡単に振り返ると、アテレーとは、『そのもの』を『そのもの』足らしめているモノであったり、卓越性といったものの事です。
アテレーは『そのもの』の存在理由であり、アテレーが優れていれば優れている程、『そのもの』の価値は高くなるといったものです。

抽象的過ぎるので、具体的な例を出すと…
例えば、鳥が持つ翼のアテレーは、空を飛ぶ事になります。 この、『空を飛ぶ』という能力は、他のものに比べて卓越した能力で、より自由に、早く、高く、空を飛ぶ事が出来る翼は、優れた翼ということになります。
つまり、空を飛ぶという能力が高ければ高いほど、翼は優れた翼ということになります。 逆に、空をとべない翼というのは、その存在を意味の無いものにしてしまいます。

この他には、人間が就く職業である建築家のアテレーは、『建物を作る事』です。 これも同じ様に、建物を作る能力が高ければ高い程、その建築家は優れた建築家ということになります。
他の人よりも素早く建築出来て、建てられた建物のデザインは素晴らしく、耐久力にも優れた建物を作れる建築家は優れた建築家といえますよね。
建築家ではない一般人との差は、建物を建てられるかという事ですし、建築家という職業が存在している目的としては、建物を建てる為に存在しています。

もし人間の文明に、建物という概念がなかったとしたら、建築家といった職業も存在しないでしょう。
この様な感じで、アテレーとは、『そのもの』を『そのもの』足らしめている存在であり、『そのもの』が存在している理由であり、他のものと比べて『そのもの』が優れている点でもあります。

これから勉強していくソクラテスのテーマは、『人間のアテレーとは何なのか』というものです。

人間のアテレーとは何か

先程の説明を、そのまま人間に当てはめて考えてみると…
人間のアテレーとは、人間を人間足らしめている存在であり、人間が他のものと比べて卓越している存在であり、その存在が優れていれば優れている程、人間が優れたものになる存在であり…
その存在は、人間が存在している理由となるものです。

前回で紹介したプロメテウスの神話では、人間は神々から卓越した能力を授からなかったので、代わりに、プロメテウスが神々から盗み出した知恵と道具を。ゼウスから慎みと戒めを授かったとされているのですが…
他のものよりも卓越した慎みを持つ事が優れた事になるのかとか、戒めという存在が、人間を人間足らしめているものと言われても、いまいち納得ができません。

この中では、プロメテウスが神から盗んでまで与えてくれた知恵というのは、何となく当てはまりそうな気もします。
道具を使う知恵というのは、他の動物と比べて人間が卓越している部分でもありますし、知恵や知識を多く持っていれば持っている程、優れた人間ともいえなくはありません。
賢い人間というのは、そうでない人間と比べて良い存在のようにも思えますし、周りの人間からの尊敬も得られるかもしれません。

ただ、知恵や知識だけが人間の存在理由かと言われてしまうと、疑問が残ってしまいます。

というのも、知恵や知識を持っていたとしても、それを悪用して自分の為だけに使うような人間がいたとしても、その人物は他の人から優れた人間とは認められる事はないでしょう。
いわゆる、悪知恵が働くような人については、その知識が優れていたとしても、人間として優れているとは思われないでしょうし、周りの人たちからの尊敬も得られないでしょう。
悪知恵が働けば働く程、周りの人間からは『嫌な奴』と思われるでしょうし、そんな人物が良い存在なのかといえば、良いとは言えないでしょう。

人々が何故 アテレーを求めたのか

この様な感じで、どの様な人間が優れているのかという、人間の徳・アテレーと呼ばれるものは、既に何となく理解出来ているように思える存在なのですが、いざ、実際に考えてみると、良くわからない存在だったりします。
ですが、前にソクラテスが生きた時代の解説をした際にも言いましたが、この時代というのは、人々から、アテレーが強く求められた時代でも有りました。
何故かというと、当時のアテナイは参政権を持つ市民が直接、政治に参加して意見を言い合う直接民主制を採用していた為です。

この制度の場合、正しいと思われる意見を主張して、自分なら、国を正しい方向へと導けるということを皆に分からせて、自分が優れた人間であることを証明できれば、成り上がることが出来ます。
というのも、この当時の役人の重用なポストというのは抽選で決まっていた上に、再選は出来ない仕組みになっていた為、国の重用ポストは、ほぼ、素人ばかりです。
その状態で、参政権を持つ市民からの信頼を得ることができれば、国の要職についている人達は自分の意見に耳を傾けるてくれるようになるでしょう。

もし、自分の意見が採用されて、国に対する功績が認められれば、将軍になれる可能性も生まれます。
この将軍職は、抽選の様なランダム選出ではなく、選挙によって選ばれる上に再選も可能なので、この職に当選することで、ずっと国の中心で働くことが可能になります。
アテレーとは、それを高める事で、他者よりも卓越した優れた存在になれるものなので、一部の市民からは、アテレーを得ることこそが成功への道と思われていた為に、アテレーをもたらしてくれる人が求められました。

求められるアテレーの教師 ソフィスト

いつの時代でもそうなのですが、需要があれば供給が生まれるもので…
アテレー・徳。 これ以降は、アテレーで統一しようと思いますが、アテレーを求める人に対して、金銭を受け取ってアテレーを教える様な人々が出てきます。
それが、ソフィストと呼ばれる存在です。

この、ソフィストと呼ばれる職業の人達なのですが、一部の人達からは支持を受けて尊敬もされるのですが、それ以外の人達からは、煙たがられる存在となっています。
何故かというと、圧倒的に胡散臭いからです。
ソフィストというのをネットなどで調べてもらえれば分かるのですが、意味としては、アテレーを教える教師としてよりも、詭弁家としての意味合いで解説されていたりします。

胡散臭いソフィスト達

つまり、一般的な解釈としては、ソフィストの元で勉強をしたとしても、アテレーを得て優れた人間になるわけではなく、口喧嘩が上手くなるだけだという認識だったようです。
このソフィスト達を、わかりやすく現代で置き換えて言うのであれば… 意識高い系の人達が信仰している様な、炎上芸人といえば、分かりやすいでしょうかね…
主にネットで活動していて、誤解しやすい言い回しで過激な事を言って注目を集めて、フォロワーなどを増やした上で、会員制サロンを開いて参加料を稼いでいるような人達っていますよね。

あの人達は、物凄く雑な言い方をすると、楽してお金を稼げる裏技のようなものをチラつかせる事で、信者を集めてお金を吸い上げています。
そのお金で優雅な暮らしをして、それを更にネットにアップロードする事で、自分が主張する『金持ちになる裏技』という虚構に対して、信憑性を与えていって、信者をより、のめり込ませたり、新たな信者を獲得する為の餌にしますよね。
この人達は、ごく一部の人達からは圧倒的な支持を得ていますし、支持を得ているから、その信者から金を巻き上げることが出来るわけですが、一般的な人達からは、冷ややかな目で見られていたりしますよね。
また、このカラクリを知る人達からは、否定的な目で見られていたりもします。

これはソフィストも同じで、ソフィストが教えるのは、人間の存在理由であるとか、それを知る事で人間としてステップアップできるような事柄ではなく、目先の議論に勝つ方法だと思われて来ました。
そして実際に、そういう側面もあって、ソフィストは議論に勝つための詭弁のテクニックを教えていたんです。
では何故ソフィストは、この様な詭弁を教えるようになったのかというと、先程の需要と供給ではありませんが、そういう技術が求められたからです。

ソフィストの弟子になろうとする人は、立派な人間になって国の中心で働きたいだとか、優れた人になって、皆から尊敬を得たいという思いを持つ人達なので、自分の優秀さを皆に知らしめようとします。
自分の優秀さを皆に知らしめる為には、アテレーを探求し、自分自身を磨き続けることで、いずれ、周りの人に気づいてもらうという方法もありますが、これは気が遠くなる作業です。
もっと簡単で、早く皆から認めて貰う方法として、演説をしたり、討論で相手を打ち負かすといった即効性の有る方法が好まれて、この攻略法が求められたんです。

求められる詭弁の技術

優れた人間である事と、屁理屈を捏ねて口喧嘩に勝つということは、全く違うようにも思えますが… 何故、この様な詭弁の技術が求められたのかを、現代の裁判に置き換えて考えてみましょう。
ある犯罪に関わる裁判が行われた際に、有罪か無罪か、また有罪の場合は、どれぐらいの刑罰にすべきかということについて、弁護人と検事とで舌戦が繰り広げられますよね。
裁判は、映画やテレビでも頻繁に取り扱われるテーマですが、大抵の場合、検事と弁護士は敵対していますし、自分の主張が通るか通らないかを、勝ち負けで表現したりしますよね。

映画やドラマなどの創作でも現実の世界でも、酷い場合だと、検事側が証拠を握りつぶしたり、逆に捏造をしたりもしますよね。
この様な論争になった際に必要になってくるのが、詭弁と呼ばれるテクニックなんです。
相手の言葉尻を捕まえたり、議論を誘導したり、タイミングよく打ち切ったりして、裁判官の印象を操作することによって、自分に有利な結果を引き出すことができれば、相手を言い負かすことが出来て、自分の勝利に繋がります。

相手を言い負かすことが出来るということは、言い換えれば、自分の意見を正当化出来るという事になるわけですから、この様な論争に置いては、議論のテクニックというのがかなり重要になってくるんです。
そして勝利を重ねれば重ねる程、優秀な弁護士であったり検事として重宝されるわけですから、結果としては、実際の真実がどうであろうと、優秀であることを証明したり、尊敬を集めるという最終目標は達成できることになります。

これは、古代ギリシャの場合も同じです。 古代ギリシャで、何故、アテレーというものが重要視されて、それを追い求める人が増えたのかを振り返ると、アテレーを追い求める人の最終目標は、成り上がる事でしたよね。
自分の主張の正当性を証明して、政治の場で自分の意見を押し通す。 そういった実績を重ねることで、いずれは、国の中心で重宝されることが目標でした。
当時の人は、これを実現する為には、『手に入れることで、自身が優れた人間になれる』と言われているアテレーを、学ぶ必要があると考えたんでしたよね。

ですが、最終目的が、国の中で成り上がる事で有るのなら、自分自身が本当に優れた人物になる必要はないんです。相手の主張を論破して、自分が相手よりも優れていることを演出するだけで良いんです。
目的が成り上がる事で、手段が相手を論破する事であるならば、その手段を手っ取り早く身に着ける為に何が必要なのかというと、詭弁のテクニックということになります。