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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第101回【メノン】まとめ回 1/4

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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目次

第88回から前回の100回までの13回に渡って、メノンの読み解きを行っていきました。
注意として言っておきますと、この読み解きには、私個人の解釈が結構入っているので、興味を持たれた方は、是非、本を手にとって読まれることをお勧めします。

という事で、早速、本題に移って、今回は、メノンの『まとめ回』をしていきます。

入門書『メノン』

このメノンですが、位置づけとしては入門書として推薦されていることが多い作品となっています。
テーマも、ソクラテスがずっとメインテーマとして掲げている『アレテーについて』ですし、それに付随するテーマとしても、根本的な事柄が書かれていたりします。
例えば、『探求のパラドクス』であったり、それに対抗するように主張された『想起説』、その他には、概念の説明の仕方などがそれに当たります。

ソクラテスが登場する対話篇で定番となっているやり取りに、一つの質問をした際に、複数の答えが帰ってきて、それに対してソクラテスが苦言を呈するというやり取りがあります。
例えば、『アレテーとは何なのか。』『どのようなものか』といった質問をして、それに対して、回答者が、『勇気』『節制』『分別』『美しさ』など複数のもので答えると…
ソクラテスは、『1つの概念の質問をしているのに、何故、複数の答えが出てくるのか』といった指摘や、『たった一つのシンプルな回答をしてくれ』といった要望を出してきます。

しかし、この対話篇で、ソクラテスの相手として登場する人達は、アレテーについては知っていると思い込んでいるだけで、実際には深く考えたことがない人たちです。
その為、アレテーを上手く表現することが出来ずに、アレテーを構成するものを挙げていくことでしか、説明が出来ません。
この様な質問が、複数の作品で繰り返し行われるのですが、読み手としては、『どの様に答えればよいのか』といった見本がない為に、ソクラテスの指摘そのものが議論に勝つための屁理屈にしか聞こえなかったりします。

ですが、この作品の中では、その概念の説明の仕方がサンプルとして提示されている為、ソクラテスが繰り返し主張する『全てに当てはまる、たった一つのシンプルな答え』が想像しやすくなっています。
この理屈を聴いた後で『アレテーとは何か』という質問に対して『勇気』や『節制』や『美しさ』や… といった感じの説明を聞いてしまうと、その答えそのものが滑稽に思えてきます。
というのも、『勇気』や『節制』や『美しさ』といったものは、アレテーを構成しているものには違いはないのですが、それを挙げていったとしても、答えにはならないというのが、しっかりと理解できるからです。

アレテーとは、日本語でいうと『徳』であったり、『優れている』とか『卓越している』といったニュアンスを含む言葉ですが…
優れている人や卓越している人、それ故に、皆から尊敬される人というのは、何故、優れているのか、何を持って卓越しているというのかという質問に対して、それを構成しているものを挙げていくだけでは、答えになりません。

優れている人

例えば、様々な知識を持っていて、それ故に難問にも立ち向かえるような人というのは、普通の人よりも優れているし、卓越している人とも言えます。
一方で、強靭な肉体を持っていて、向かってくる敵を次々となぎ倒せるような人も、優れているし卓越しています。
また、知識や強靭な肉体を持たなくても、造形美のみで人の注目を引くことで、優れた卓越している人物と認識されている人もいるでしょう。

例えば、Instagramという写真中心のSNSがありますが、フォロワー数が多い人気のアカウントの中には、単に『造形が優れているから』といった理由で、人気が出ている人も多数存在します。
今の時代は、SNSで有名になってフォロワー数が増えると、それ自体が商品価値を生み、お金を稼ぐ手段にもなったりするので、優れた造形美は卓越していると言っても良いでしょう。。
その人達自身は、自分たちは外見の他にも努力していると主張するかもしれませんが、仮に、その人達の顔が、その辺りにありふれている様な顔に変わったとして、同じ様に投稿して人気を維持し続けることが出来るのかといえば、疑問です。

古代ギリシャ時代にアレテーを求めて行動していた人達は、自分が成功して幸福になりたいが為に、ソフィストの元へアレテーを習いに行ったりしていました。
では、幸福とは何かというと、少なくない割合の人達が、自分自身に湧き起こる欲望を満たし続けるだとか、財産を築き上げるといった事が幸福だと信じでいました。
その当時の価値観に照らし合わせるのであれば、顔や見た目が良いだけの人がInstagramで有名になり、そのフォロワーを使って大金を稼ぐという状態は幸福と呼べますし、幸福に導いてくれた『見た目の美しさ』はアレテーと呼べるでしょう。

『美しさ』とは

では、『美しさ』とは、単純に外見の良さだけの事かというと、必ずしもそうとは言えません。
外見的な魅力が乏しいとしても、知識や勇気を持っている様な尊敬できる人であれば、皆から好意を寄せられるでしょうし、憧れる存在へとなります。
憧れの対象となったその人物は、造形美としては優れていなくとも、尊敬している人からは『格好良い』と思われることも増えるでしょうし、『あの人の様になりたい!』という人が増えれば、その人物を真似する人達も出てくるでしょう。

そのようにして、『知識』や『勇気』を宿した特定の人物がもてはやされるようになると、その特定の個人の造形が『美しい』と思われるような事もあるかもしれません。
例えば、ソクラテスは、自身が無知であることを知り、その状況を改善する為に、多くの賢者と呼ばれる人達に会いに行きましたが、その結果として、プロタゴラスに辿り着きました。
ソクラテスは、自身の性格上、彼の主張をそのまま鵜呑みにすることはなく、吟味して納得しようとする為に対話を行い、論争のようなものにまで発展しますが、では、彼を否定しているのかというと、そうではありません。

ソクラテスは、プロタゴラス以上に『美しい』存在はギリシャ内にはいないと褒め称えています。
つまり『美しさ』とは、単純な造形美のことだけではなく、『勇気』や『知恵』や『分別』といった、他のアレテーの要素とも複雑に絡み合った概念とも考えられるわけです。

概念の説明の仕方

では、美しさとは、それ単独でアレテーとなりうるのでしょうか。 それとも、他の要素と絡み合って初めて、アレテーとなるのでしょうか。
美しさがだけが宿った人のことをアレテーを宿した人といって良いのでしょうか。 それとも、アレテーを宿した人の事を美しい人と呼ぶのでしょうか。

『美しさ』に限らず、『正義』や『節制』『勇気』『分別』といったものは、アレテーを宿していそうな人が持っていそうなものといえますが、それを答えたからと言って答えにはなりません。
何故なら、この答えの出し方は、アレテーを宿していそうな人の特徴を挙げ連ねているだけで、『アレテー』そのものについては、何一つ、説明がされていないからです。

この部分の説明は、対話篇の中では『色』と『形』という概念を例に上げて解説されています。
『色』も『形』も、それぞれの概念の中に数え切れない程の要素が含まれていますが、これらの概念の説明を、先程のアレテーの説明のように、要素を挙げ連ねるという方法で説明しようとしても、出来ません。
例えば『色』を説明する場合、色の中には赤色や白色やピンクや…といった感じで、『色』という概念に何色が含まれているのかを挙げていってもキリが無いですし、仮に全ての色を例として挙げたとしても、それは色の説明にはなりません。

何故なら、『色』の説明で『赤色』という『色』の概念を含んだ例としてあげたとしても、そもそも、『色』が分からない為に、結局は、『で、赤色の色って何?』と聞くしかありません。
『形』という概念も同じで、『形』の説明をする際に、『三角形』や『円形』などの『形』という概念を含むものと説明したとしても、そもそも説明になりません。
何故なら、『形』という概念が分からない者に対して、『三角形』という『三角』の『形』の概念を含むものと説明しても、理解は得られないからです