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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第88回【メノン】ゴルギアスの弟子メノン 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
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目次

1つの質問に無限の回答

しかしソクラテスは、この意見を受け入れません。 何故なら、ソクラテスが知りたいのは『人が宿すアレテー』であって、大人や子供や老人や男女といった、それぞれ別々の理想像ではないからです。
自分の体にどのようなものを宿せば、人間として優れて卓越したものに成れるのかという、たった1つの事を知りたいのに… メノンの答えは1つの答えではなく、沢山の答えが出てきてしまいました。
まぁ… 聞く人によっては、このメノンの答えでも良いのではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが…

では何故ソクラテスは、メノンの答えが気に入らなかったのでしょうか。
それは、この様な答え方の場合には、無尽蔵にアレテーというものが量産されてしまうからです。

今回のメノンの回答では、人間を性別の違いや年齢の違いでざっくり分けただけに過ぎませんが、この分類は、行おうと思えばいくらでも細分化が可能です。
例えば、金持ちと貧乏人で分けるとか、人脈の広さ。 今でいうなら、SNSのフォロワー数で分けるとか、顔の造形美。 その他には、人種や身体的特徴などです。
人を肌の色でざっくり分けるというのも、更に細分化が進めば、髪の色や瞳の色や体格によっても細分化されるかもしれません。

そうなると、優秀な黒人の条件は… とか、白人の中でも赤毛の人間は、こうあるべき。 といった感じで、際限なく、アレテーが増えていく事になりかねません。
当時のギリシャは日常生活に必要な労働を奴隷に押し付けていましたが、主人や奴隷といった考えは、この地球に元から存在した普遍的な価値観というよりも、人間が後から生み出した価値観です。
人間が文明を持ってから、新たに生み出した主人や奴隷といった価値観に対して、優れているだとか劣っていると言えるのであれば、労働者のアレテーや貴族のアレテーなど、新たに価値観を生み出していくことで、人間を無限に分類することが出来ます。

もっと極端な話をいえば、今、コンテンツを通して話をしている『私』と、このコンテンツを聴いているリスナー方とでは、話し手と聞き手という意味では立場が違います。
誤解しないで欲しいのは、これは、どちらが偉いかとかそういった話ではなく、単純な立場の違いです。
その立場の違いによって、『優れて卓越している話し手とは、こうあるべきだ。』とか、『善いリスナーは、この様に有るべき』といった感じで分けてしまえるとすれば、人の立場の数だけアレテーが存在することになってしまいます。

1人の人間には、仕事場であったり家であったり趣味の場などで、それぞれの立場が存在するわけですから、地球上で70億人いる場合で考えれば、それを遥かに超える立場が存在することになります。
その立場一つ一つにアレテーが有ると主張した場合、この世には、数百億を超えるアレテーが存在することになります。

求めているのは1つの答え

しかし、ソクラテスが求めているのは、普遍的な、ただ一つの法則です。細分化された人間の、それぞれのアレテーではありません。
つまり、子供のアレテーや男性のアレテーや女性のアレテーといった、後から生まれた価値観に対するアレテーではなく、人間という種族に共通するアレテーの事です。

ソクラテスは、この事をわかりやすく説明するために、昆虫のミツバチを例にして話し始めます。

仮に『ミツバチとはどういったものか』という質問を投げかけた場合に、質問された人間は、どのように答えるのでしょうか。
先程のメノンの答えと同じように、『メスのミツバチはこの様な役割があり、オスにはこの様な役割があり、年老いたミツバチは… とか 子供のミツバチは…』といった返答をするのでしょうか。
おそらく大半の人が、そのような事は言わないでしょう。 『ミツバチとは何か』と聞かれた場合には、ミツバチという昆虫の全てに共通する概念を説明するはずです。 

ミツバチも、生き物である以上、人間と同じように、個体ごとに様々な違いが存在するでしょう。 
しかし、個体ごとに微妙に違うからといって、その個体の違いごとに、いちいち別の説明をするなんてことはしません。
『ミツバチとは何か』と聞かれれば、ミツバチという種族はどの様な種族なのかという、1種類の答えで答えます。 例えば、『蜂という種族の一種で、植物の蜜を集める昆虫。』といった具合にです。

定義の説明

この辺りのやり取りというのは、プラトンが書いた対話篇では定番のものとなっています。
プロタゴラスでもゴルギアスでもそうですが、ソクラテスが1つの概念の意味を聴くと、大量の答えが返ってくる場合が多いです。
このやり取りが繰り返し用いられるというのは、この様な返答は、世間一般でも弁論の場でも有効とされているけれども、実際には全く意味がない事なので、何度も用いて否定する事で、警告しているのかもしれません。

例えば、プロタゴラスとの対話では、アレテーとは何かとソクラテスプロタゴラス聴いたた際には、『アレテーとは、知識や分別や節制や勇気』といった感じで、複数の答えに分割されました。
これは、自転車とは何かと聞かれた時に、『ハンドルとベダルとチェーンとフレームとサドル』と言っているのと変わりがなく、自転車の説明にはなっていません。
この様に、一つのものを複数個に分けて説明するのは、説明しているようで何も説明されていないことが多く、この説明で説明した気になっている人は、何も理解していない場合が多いので、複数回に渡って何度も例をだして警告しているのでしょう。

修飾語

少し話がそれたので、『人間が宿すアレテー』に話を戻しましょう。
アレテーとは、人間に宿ることで、その人間を優秀で卓越した存在にしてくれる概念です。
この考え方というのは、ベースとなる人間に、何らかの概念が宿ることで、そのベースとなる者の状態が変わるという考え方なので、宿るのはアレテーだけとは限りません。

例えば、人間の精神に『悲しみ』であるとか『怒り』といった感情の概念が宿れば、悲しむ人であったり怒っている人になります。
人間の肉体の方に、悪いであるとか病気といった概念が宿れば、ベースとなる人間は病気や怪我をした人間というふうに変わります。
この流れの一環として、人間にアレテーというものが宿ると、人間は優れた卓越した存在と成れるという考え方が有るわけです。

では、病気や怒りや悲しみや喜びや快感といった概念は、男女の違いや年齢の差によって、変わるのでしょうか。
何を持って快楽を得るのかや、何故、悲しむのかといた理由については、それぞれの立場によって変わるでしょうけれども、悲しんでいる状態や快楽を得ている状態そのものは、男女や年齢の差は存在せず、同じ概念であるはずです。
奴隷であっても主人であっても男であっても女であっても、楽しいと思っている時に宿っている概念は、共通の楽しいという概念であるはずです。

主人が喜んでいる状態と奴隷が喜んでいる状態は、それぞれ、何を理由にして喜ぶのかというきっかけは別にあったとしても、『喜んでいる状態』というのは共通しているでしょう。
例えば、夫婦が念願の子供を授かって出産した場合、男女それぞれで喜ぶ理由は微妙に違うかもしれませんが、『喜ぶ』という概念そのものは共通している為、喜びは共有することが出来ます。
小さな子供が感じる悲しみも、いい年をした中年のオッサンが感じている悲しみも、悲しむにいたった経緯は違ったとしても、悲しんでいる感情そのものは共通するものがあるでしょう。

ソクラテスは、アレテーもこれらの概念と同じ様に考えていて、アレテーというただ一つの概念が人に宿った際に、その人は優れていて卓越した状態になると思っているのでしょう。
哲学は真理を追い求めるものですし、これをベースにしている科学もそうですが、法則はできるだけシンプルな状態の方が望ましいと考えているんだと思われます。
状況に応じて考え方がコロコロ変わるというのは、法則とは呼べませんからね。

答えを見失うメノン

このソクラテスの言い分を、メノンは理解はするのですが… しかし、肝心の答えが見つかりません。
メノンは、先程の答えを自分自身で考えて用意したわけではなく、師匠のゴルギアスに教えてもらって受け売りをしただけなので、その理論を否定されてしまっては、それ以上の答えは出せないということなんでしょう。
また、メノンが生きていた2500年前の時代は、今よりも人々の生き方が区別されていた時代でもあったので、その常識に囚われすぎていて、そこから先を考えられなかったのかもしれません。

スパルタでは、スパルタ人は全員が戦士として育てられることが生まれた頃から決められていますし、障害を持って生まれてしまうと、それが判明した途端に、崖から捨てられて殺されてしまう時代です。
こんな時代であれば、『男性として優れている状態』と『女性として優れている状態』は別だと考えていても、自然だと思われます。
その為かメノンは、感情や病気など、その他の人間の状態には共通のものが宿っていると思われるが、アレテーだけは違うものだと思うと、自信なさげに答えます。

この態度を観たソクラテスは、『では、私と一緒に考えよう』と、メノンと一緒に『アレテーとは何か』を考えていくことにするのですが…
この続きは、また次回ということで。