【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第88回【メノン】ゴルギアスの弟子メノン 前編
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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
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目次
対話篇『メノン』
今回からは、プラトンが書いた対話篇のメノンを読み解いていきます。この『メノン』は、入門書的な位置づけで書かれたものなので、本来であれば最初に取り扱ったほうが良かったのかもしれませんが…
描かれている時代的には、対話篇のゴルギアスやプロタゴラスの後を想定して書かれているようで、この対話篇の中にもゴルギアスやプロタゴラスの名前が登場したりします。
名前だけではなく、彼らと話し合ったテーマや、その結末を踏まえた上での討論が行われていたりもするので、この『メノン』を後から取り扱うことにしました。
前に取り扱った『プロタゴラス』や『ゴルギアス』で討論した内容も出てくるので、復習がてら、聞いていただけると理解が深まって良いと思います。
この対話編も今までと同じ様に、私が読んで重要だと思った部分をピックアップしして、その部分について考察する形式となっています。
対話篇の全体を知りたい方は、本を購入して読まれることをお勧めします。
少年との対話
まず最初に、今回取り扱うメノンと、前回までのプロタゴラスやゴルギアスとの対話篇の違いですが… 前に紹介した両者は、お金をもらって他人にものを教える教師という職業という点で共通していました。教えている対象としては、プロタゴラスがアレテーを教えていたのに対して、ゴルギアスは弁論術で、一般市民から観ると似通ったものですが、深く追求していくと『全く別のもの』といったものでしたが…
今回の『メノン』では、対話相手は教師ではありませんし、ソクラテスよりも年上の賢者でもありません。
タイトルにもなっているメノンは、ゴルギアスの元で弁論術を学んだ青年で、ソクラテスよりもかなり年下の子供です。
対話篇のプロタゴラスやゴルギアスに登場したソクラテスは、議論の際に相手が矛盾したことを言うと厳しい追求をしていましたが、今回は子供相手ということで、一緒に寄り添って考えるスタンスを取っています。
よく、ソクラテスの人物紹介で、大物政治家や賢者と呼ばれる人には果敢に立ち向かっていき、若者に対しては『共に考えていこう』という人物だったと評価されることが多いですが…
それは、この『メノン』や、また別の機会に取扱う『テアイテトス』といった対話篇で描かれているソクラテスの態度が影響していると思われます。
これらの作品では対話相手が子供で、無知である事が前提の子供との対話を通して、同じ様にアレテーについて考えたことがない一般市民でも、ソクラテスの主張を理解できるような書かれ方をしています。
子供が相手なので、先程も言った通り、大人相手のような厳しすぎる追求はせずに、子供が自分の意見を言いやすいような雰囲気を演出しているので、ソクラテスは大人には厳しいが若者には優しいというイメージが付いたのでしょう。
ということで、前置きが長くなってしまいましたが、本題に入っていきます。
野心に燃えるメノン
対話篇の冒頭部分では、裕福な家に生まれたメノンという青年が、ソクラテスの元へとやってきて『アレテーとは何か』と尋ねてくるところから始まります。一見すると、物を知らない青年が、多くの賢者と対話を行っているソクラテスに教えを請いにやってきたようにも思えてしまいますが、実際には事情が違っていて、ソクラテスに対してマウントを取る為にわざわざやって来たんです。
というのも、先程も少しだけ話しましたが、このメノンという青年は裕福な家に生まれているので、その父親は子供に最高の教育を行って優れた人間にしようと、ゴルギアスの元へ送り出して、教育を受けさせています。
メノンという青年は、このゴルギアスの下でアレテーを学んで身につけたと思いこんでいるので、その知識を、有名なソクラテスに見せびらかしに行こうという魂胆でやってくるんです。
ソクラテスという人物は、自分では『アレテーを知らない』と言ってはいますが、数多くの賢者と論戦を行い、相手を黙らせている人物です。
自分自身が無知だと主張しているにも関わらず、賢者として皆から認められている人たちと論戦を交わして互角以上戦いを見せている奇妙な存在の為、喜劇作家や風刺を行うことで有名なアリストファネスによって題材として取り上げられたりもしています。
この取り上げ方も、優秀な人物としてではなく、賢者に絡む詭弁化の代表として演劇などで表現されていて、知名度もかなり高い人物だったようです。
メノンは、その知名度の高い詭弁化に挑戦して打ち勝ち、自分の名前を売ろうという野心を秘めてやって来たという感じです。
アレテーとは何か
メノンはソクラテスに対して、『アレテーとはどのようなものですか。』と尋ねます。 彼の戦略としては、ソクラテスが間違ったことをいえば指摘して、自分がソクラテスに教えてやることで、勝つというプランだったのでしょう。これに対してソクラテスは『私はアレテーがどのようなものかは知らない。』と告白します。
メノンとしては、何か答えれもらわないと予定が狂うので『では、貴方がアレテーを知らないという事実を言いふらしても良いのか?』と煽ります。
でも、知らないものは知らないので、この挑発には乗らず、更に追加で『私自身は知らないし、アレテーを知っているという人物に会ったことすら無い。』と付け加えます。
メノンは、ソクラテスが自分の師匠であるゴルギアスと面会していることを知っていたので、この答えに少し狼狽えます。
何故なら自分は、ゴルギアスからアレテーを教えてもらったと思い込んでいるわけですが、ソクラテスの言い分が正しいとするなら、師匠のゴルギアスはアレテーを知らないことになるし、その教えを受けた自分もアレテーを知らないことになるからです。
この事実が受け入れられないメノンは、ソクラテスと対話を行うことで、自分はアレテーを知っているということを証明しようとします。
対話のテーマとなるのは、当然ですが『アレテーとは何か』です。
しかし、ソクラテスは先程も言った通り『アレテーがどのようなものかは知らない』と主張しているので、アレテーの事を知っていると主張しているメノンが、持論を展開する事で対話が始まります。
メノンによるアレテーの定義
メノンが主張するアレテーとは複数あり、成人男性のアレテーとは、国家公共のために尽力し、その為に必要な人間関係を構築すること。自分と同じ様な考え方を持つ人物は友人として大切にして、自分と違った考えを持つ人間に対しては厳しく接するのが、成人男性に宿るべきアレテーだと主張します。
この考えは、対話篇のゴルギアスに登場したカリクレスの考え方と同じですよね。 彼も、国家公共のために尽くして、その組織の中で出世することが一番重要だと主張していました。
次に女性のアレテーは、外に出ている男性に変わって家庭を支えることで、家庭の主である主人に尽くすことになります。
ダイバーシティが叫ばれている今の世の中では、古い考えとして改めなければならないという空気になってきてはいますが、つい最近まで、良い女性とはこの様な女性像だと思われていましたよね。
この他にも、子供や老人や奴隷など、それぞれの立場や年齢に対応したアレテーが存在するとメノンは主張します。
この部分に関する考えもカリクレスと似たようなことをいっていますよね、カリクレスは、子供は子供らしく有るべきだし、大人は大人らしく有るべきだと主張していました。
子供は大人よりも劣っているべきだし、劣っている子供が一生懸命に勉強して、それでも大人にかなわない様子を見ていると可愛らしいと思うが、優秀すぎて大人びたしゃべり方をする子供は、観ていて不愉快になる。
また、大人になっても基礎教養を身に着けておらず、子供のようなしゃべり方をする大人を観るのも不愉快になるので、そんな奴はぶん殴ってやれば良いと言っていました。
これは言い換えるなら、子供は子供らしく。大人は大人らしくと言っているのと同じで、理想とする子ども像や大人像が有ることが前提の主張です。