だぶるばいせっぷす 新館

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【おすすめPodcast紹介】 大阪の一般人によるPodcast ( #だげな時間)

私の独断と偏見のPodcast紹介コーナー。
第114回。

過去に書いた投稿
タイトル紹介はこちら
エピソード紹介はこちら

今回は、【大阪の一般人によるPodcast】
https://itunes.apple.com/jp/podcast/da-banno-yi-ban-renniyorupoddokyasuto/id1082196615?mt=2&at=10l8JW&ct=hatenablog
です。


今回紹介するwebラジオは【大阪の一般人によるPodcast】

正式名称は
阪の一般の男と女が
阪市のワンルーム
ぁーっとしゃべったり
ラゲラ笑ったりしてたら
んだかんだでめっちゃええ感
になるんちゃうか?そんな
じでやってまうん。

という、結構長いタイトルで、各行の一番最初の文字を縦に読んで『大大だゲなじ感』。
それを更に略して、『だげな時間』としたものが通称となっています。

放送時間は15分前後と短いですが、更新日が月~金曜日の週5回と素人ラジオとしては驚異的な更新頻度となっています。

どんな番組かというと、公式サイトの説明文が分かりやすいので引用すると
『≪毎週 月~金 更新!≫ 「大阪人二人寄れば漫才師」 果たしてそれは本当なのか 大阪市ワンルームから お送りする一般人による一般人のための たぶんエンターテイメント!!! これが、浪速のポッドキャストやで!!』
という事で、簡単にいえば、柴山ケンさんと おかよ さんの大阪の男女によるフリートーク番組です。

テーマとして取り扱う話題の多くは、日常で思ったことや感じた事など。
コンビニでちょっとモヤッと思ったことから、過去の思い出話しや、ゲームの話まで、結構幅広く話されています。
そんな中でも得意分野があるようで、柴山さんは映画の話を取り上げられる場合が多く、おかよ さんの方は競馬について熱く語られます。
メールがある場合は、その内容から話を広げるといった感じですね。

聴いてみた感想ですが、先ず最初の印象としては、話が上手い!
15分番組で、編集などもそんなに行われてはいないと思うのですが、かなりクオリティーが高いです。
『大阪人二人寄れば場漫才師』果たしてそれは本当なのか。と公式に書かれていますが、本当に漫才師という感じ。
この二人が大阪人の基準になってしまうと、他の大阪の人も同程度の話術を持っているんじゃないかと期待されて、可哀想なんじゃないかと思ってしまう程ですね。

番組構成は、どちらか一方が話し役というわけでもなく、テーマによって話し手と聴き手が入れ替わる番組ですが、双方ともに聞き役も上手く、良い感じでリアクションや合いの手なども入れてくれます。
また、お二人の趣味趣向も違う為、相手の知らない分野について話す際に、その分野について知識が深くない人向けに基本的な説明などから入ってくれる為、リスナー側としても非常に聴きやすい番組に仕上がっていますね。
ただ15分番組という事なので、1から丁寧に説明してくれるということは、必然的に深い部分にまで話が及ぶことは少ないのですが、いろんな分野のことを広く浅く知りたい私の様な人間にとっては、これぐらいがちょうどよいって感じの掘り下げ方になっています。

その他の印象としては、お二人を取り囲む環境がラジオを通して漏れ伝わって来る感じも面白いですね。
例えば、おかよ さんの場合は、妹から番組宛てにメールが来たり母親の話題が出たりと、家族の仲の良い感じが伝わってきます。
一方で柴山さんの場合は、プライベートな話は出てきませんが、自身で聴いているPodcastの話題などを出されます。
そこで取り上げられたPodcastの方々がメールやTwitterを通して反応され、回を増す毎にPodcastの交流範囲が広がっていく様を感じ取れます。

こんな感じで、お二人の近況や周りを取り囲む環境、興味を持った出来事や関心を持った話を連日聞かされると、お二人とは全く面識がないはずなのに、結構、仲の良い友達のように感じられて不思議な感覚になったりも。
番組に寄せられるメールなどでも、『友達の家にいるような・・・』といった感じの感想が多く寄せられているので、同じように感じておられる方も多いんでしょうね。

この様な感じの雰囲気のラジオは、個人的には聞く側が番組の雰囲気や配信者の情報を知っていれば知っている程、面白いと思いまね。
もし、この投稿を読んで興味を持たれた方は、第一回目から全て聞くことをお勧めしますね。
週5回更新のため、更新回数は既に結構な数になっていますが、放送時間が15分と短い為、1.5倍速で聴けば今からでも十分追いつけるのではないでしょうか。
番組との一体感が楽しい番組なので、積極的にメールを送るなどの行動を取ると、より楽しめるかもしれません。

聞いている人との距離感が近いラジオ。『だげな時間』
お勧めです!

【映画・ネタバレ感想・考察】 ハンガーゲーム

私が愛聴しているネットラジオ番組『狭くて浅いやつら』で、ハンガーゲームという映画が推されていたので、観てみました。
という事で今回は、映画『ハンガーゲーム』を観て、感じた事や思った事について書いていきます。
既に観ていることを前提でネタバレ全開で書きますので、興味を持っていてまだ観ていない方は、まずは観てからお読みください。
ハンガーゲーム『1』『2』については、Netflixでも公開されています。








この映画ですが、結構いろんなことを考えさせられる、素晴らしい映画でした。

まずは、世界観。
キャピトルという首都があり、その他に地区が1~13まで存在する世界。
一番最後の13地区は、過去に起こった反乱の見せしめとして壊滅している為、人が住む地域は12地区までしかない状態となっています。 
ハンガーゲームは、各地区から男女1名ずつの代表が選ばれて、それぞれが殺しあうゲームとなっています。

この世界観、現実の世界や昔の政治体制と共通点が有り、観る人によって受け取り方が変わるような仕上がりになっているんですよね。
キャピトルを頂点とした各地区という構造。
この地区も全てが平等というよりも、格差が徐々に開いている様子が描かれています。
第1・2地区は、ハンガーゲームに挑戦する為のプロを育成できる程に発展し、恵まれています。
しかしそれ以降の地区については、鉱山で働く地区や木を切って加工する地区など生活に必要な物資を生産する拠点になっていき、経済的な余裕も無くなくなります。
主人公の故郷である12地区は貧困街と呼ばれていて、ただのパンがご馳走と呼ばれるほどに貧しい地区。

この構造は、昔の日本の士農工商身分制度のようでもありますし、石油・木材など、各国が得意分野の製品を輸出しているのに格差がある、現在のグローバル化された近代社会のようにも見えます。

この様な世界で、12地区出身の女の子の行動がきっかけになって貧民地区を中心に暴動が起こり、革命へと移行していくとうストーリー。
これも、百姓一揆のようにも見えるし、アメリカの独立戦争のようにも・・・
別の見方をすれば、今現在、世界各地で起こっているテロも、構造としては同じようなものなのかもしれません。

この、捨てるものがない程に貧しい者たちが、体制を変えるために行動を起こす。
物語としてはかなり、ありがちな展開なのですが、この作品の凄い事は、そこまでの展開が従来のものとは全く違うことです。
ひとことで言うと、物語を支配しているのは空気感。
超人的なヒーローが出現しない、かなり『リアル』な表現となっています。

登場人物の皆が自分自身で考えているように見えて、実はその場の雰囲気に流されているだけなんです。

物語の中心となる主人公の少女は、体制に不満を持ち、革命を狙って動いたわけではありません。
自分の性格とその場の雰囲気で、取れる行動をとっただけ。
しかしその行動に多くの人の心が動き、暴動という微かな火が燃え始めた。
以前から革命を計画していた人達は、その火を消さないようにに薪をくべるという作業はしたけれども、自分から火をおこしたわけではない。
革命のリーダーである首相ですらも、雰囲気に乗っかっただけの人なんですよね。

つまり、全ての行動の原因になっているのは、雰囲気や空気感といった曖昧なもの。
その空気を読む事に長けた者が、民衆の行動を自分達の思う方向に誘導できるように、雰囲気を調整していく。
戦争や革命をテーマにする映画の多くは、最前線で戦う人や指導者に焦点を当てがちですが、この映画の主役はあくまでも、雰囲気なんです。
ここが凄い。

しかし、雰囲気や空気感なんてものは、具体的な形を持っているわけではないので、映像にしにくいですよね。
では、目に見えない雰囲気をどの様にして表現したのかというと、ゲームメーカーという存在。

ゲームメーカーは2人存在し、1作目と2作目以降でゲームメーカーは違います。
そして2人のゲームメーカを使い分けることで、物語がどのように転んでいくかという差を、対比して見せています。
1作目のゲームメーカーは、どちらかというと無能で、雰囲気を操るというよりも雰囲気にのまれるタイプの人物。
キャピトルの観客・大統領・各地区の人々の雰囲気を読むことが出来ず、逆に主人公のカットリスを取り巻く環境が生み出す空気感にのまれてしまいます。
結果として暴動は起こり、大統領からは信用を失い、死を強要されてしまいます。

しかし2作目以降のゲームメーカーは違います。
その場の雰囲気をよく理解し、その空気感を演出によって自分達の有利な方向へと導いていきます。
3作目以降は反乱軍がキャピトルに向けて進行していく為に徐々に戦争状態に突入していくのですが、その際も、一番注力して描かれているのが、演出です。

スノー大統領・コイン首相は、それぞれ、より良く自分のイメージを大衆に伝えるためのイメージ戦略を行っていきます。

主人公のカットリスは、革命軍のシンボルであるマネシカケスとして演出され、同行する映画監督によってカリスマへと変わっていきます。
革命のためにカットリス役に立つ行動は、実質的にはこの演出による戦意高揚だけ。
反乱軍にとってのカットリスは広告塔で、それ以上の価値も力もありません。
自分自身で決断して行動しようとした大統領暗殺計画も、見事に失敗。
しかしそんな失敗も物ともせず、反乱軍は当初の計画通り、大統領を追い詰めて降伏を勝ち取ります。

この映画の登場人物の誰もが、『自分こそがこの物語の主人公』と思っていたのでしょうけども、実際には皆が雰囲気を演出するための役者に過ぎない。
そして、その事を十分理解し、舞台から降り、自ら裏方にまわったゲームメーカーだけが、世界を俯瞰して観ることができていたんです。

この物語の最後は、『ハンガーゲームに勝者はいない。 だがこいつは・・・』といった感じの言葉とともに、絶えず要人の隣に居るゲームメーカーが映しだされて終わります。

雰囲気を読むことが出来る人間が、絶えず勝者の近くにいる。
こういった構図って、現実世界でも結構あることだと思うんですよね。

例えば、今の世の中は政治家が動かしているように見えますが、実際には全面に押し出されて目立っている政治家も、役者にすぎなかったりします。
政治家が自分で考えて主張しているように見えて、実際に物事を決定しているのは場の雰囲気だったりします。
実際の暴動や革命も、誰か一人の呼びかけに呼応するというよりも、不満が貯まりやすい環境といったものが根底にあり、誰かが少し力を加えるだけで爆発してしまいそうな雰囲気になったから起こるものなんでしょう。
その雰囲気を敏感に感じ取り、演出する事ができる人間だけが、少しだけ先の事が分かるというのが、世の中なんだと思います。

そういった意味でこの映画は、場を支配している雰囲気の重要性を上手く描けている点で、素晴らしいなと思いました。

AmazonビデオとNetflixを比べてみた

私は去年末ぐらいから、amazonプライムに加入しました。
アマゾンのプライム会員になると、送料無料や配達の時間指定などのオプションが使えるようになるのですが、去年の9月ぐらいからプライム動画という動画見放題サービスも利用可能になりました。
今までの配達オプションだけの場合、配送が少し遅くなる程度の差しかなかった為、特に魅力は感じなかった会員サービスですが、動画見放題もついてくるということで、加入してしまったんですよね。

月額400円未満で動画が見られるということで、今までは満足していたのですが…
一度こんな体験をしてしまうと、他のサービスがどのようになっているのか気になってしまいますよね。
という事でNetflixの1ヶ月無料体験を試してみました。

『Huluは?』と思われる方も居らっしゃると思いますが、私は家族と同居なので、基本的に家族で楽しめるサービスにしか今のところ興味が有りません。
AmazonNetflixの場合、同時視聴が2台以上可能ですが、Huluは1台限定ということで、基本的には個人向けサービスだと思われます。
その為、選択肢からは外しています。

また、私が使用しているテレビはスマートテレビではないので、PS4を通して観ています。
PS4での閲覧アプリがないものも、外しています。

という事で今回は、AmazonビデオとNetflixを、個人目線で比較していきます。

まず価格ですが、これはAmazonの価格に軍配が上がります。
Amazonの場合は動画配信サービスに加え、通販部門のサービスもついてきます。
さらにkindleを持っている場合は、本は限定されますが、毎月1冊だけ無料で電子書籍を貰う事が出来ます。
それに加え、Amazonミュージックという、100万曲が聞き放題のサービスまでついて、年間で3900円。
月額に直すと400円以下で使用できるという優れものです。
同時視聴は2台までOKのようです。

その一方でNetflixですが、プランが3プランあるのですが、多くの人が利用するであろうスタンダートプランは、約1000円。
このプランの場合の同時視聴は2つまで大丈夫のようです。
更に上のプランの場合は、4台までの同時視聴が可能のようです。
Amazonとは違い、これは動画視聴のみで請求される値段の為、料金だけで見れば、少し高い印象を受けますね。

しかし、コストパフォマンスは、コストとパフォーマンスをそれぞれ考慮して考えなければなりません。
安さだけに目がくらみ、安物買いの銭失いになるのだけは避けたいですしね。

という事で、まずは、画像の質から。
これは、Netflixの方が、綺麗なものが多い印象です。
Amazonの方は、標準画質(SD)が基本となっている様です。
基本となっているだけで、数は少ないですが高画質のものも有りますが、数はまだ少ない印象です。

その一方で、NetflixはHDが基本。
中にはSD画質のものもあるといった感じなので、全体的な印象からすると、Netflixの方が綺麗ですね。

次に、配信動画。
私の個人的な印象では、Netflixの方が、大人向けに配信している印象を受けました。

例えばアニメ。
Amazonのプライム動画では、『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』『まんが日本昔ばなし』といったものや、『弱虫ペダル』などの子供でも安心してみることが出来るようなラインナップが多めな印象です。
また、仮面ライダーシリーズといった特撮も結構多めなので、どちらかと言うと子供を持つ家庭向けといったラインナップです。
その一方でNetflixは、『魔法少女まどか☆マギカ』『シュタインズ・ゲート』『サイコパス』なと、深夜に放送されていて、どちらかと言うと大人に受け入れられたアニメが中心となっていました。

この傾向は、映画のラインナップも若干引き継がれている感じ。
Amazonの方は、『007シリーズ』『テッド』といった、割と有名で、深く考えなくても良くサクッと見れる感じのラインナップが全面に出ている感じです。
Netflixの場合は、『ウフルオブウォール・ストリート』や『ハンガーゲーム』の様に、深めのテーマのものが多い印象。

これは、あくまでもパッと見た感じの印象なので、Amazonでも検索かけて探せば深い作品は出てきますし、Netflixでも何も考えずに見れる軽い作品もありますけどね。

その他の細かい差を見ていきましょう。
まずは、アカウントの有無。
Amazonの場合は、基本的にプライム会員個人に向けたサービスなのか、アカウントは1つだけ。
その一方でNetflixは、家族に向けたサービスを意識しているようで、アカウントを個人個人で作ることが可能です。
この個人アカウントの存在が、家族で使う上では結構重要です。

というのも、例えばドラマのように、一回の視聴で全て見ることが出来ない動画の場合は、次回に続きから見ることになります。
これ、アカウントが分かれている場合は問題ないのですが、一つの場合、ややこしい状態になります。
例えば父親が3話までドラマを観ている状態で、同じドラマを母親が1話から7話ぐらいまで見た場合、アカウントが一つの場合は、続きの再生は7話になってしまいます。
これは、同じドラマを複数人でバラバラに視聴する場合、自分がどの話まで観ているかを覚えていないといけないことになります。

その一方で、アカウントがバラバラの場合、この様な紛らわしい事がいっさい起こりません。
この点でいえば、Netflixの勝ちといえますね。

続いて、アプリを立ち上げた際のトップページです。
Amazonの場合は、基本的な動画や新着動画が掲載されていて、何らかの動画を見た場合は、その動画に関連した動画が映し出されるという感じ。
その一方でNetflixは、自分が見た動画を元に、興味を持ちそうな動画をチョイスしてくれて、アカウント毎にカスタマイズされたトップページが作られます。
このチョイスが、どれほど正確かは、まだ検証は出来ていませんが、半月程度使った感じでは、Netflixの方が優れている印象を受けます。

またAmazonの場合は、吹き替えと字幕の2種類の動画が別で用意されていますが、Netflixの場合は一つの動画で字幕や音声の設定が可能です。
少しの差ですが、Netflixの方が作品を探しやすい状態になっています。
探しやすいといえば検索ですが、Netflixの場合はジャンル毎の検索も可能なので、ストレス無く好みの動画にたどり着ける感じですね。

その他に考えることとしては、今後、PSVRの存在が大きくなってくると思います。
PSVRは、単にVRを楽し無だけでなく、モニターとしても使用可能です。
モニターとして使った場合は、S/M/Lの3種類の大きさが有り、最大で2.5m先に226インチの画面で設定できるようです。
モニターが大きくなれば大きくなるほどに重要になってくるのが、画像の綺麗さ。
Netflixでは、一番高いプランでは4K画質での提供を行っているため、これを考慮すると、Netflixが有利にも思えてきますね。

というわけで総合的に見ると、どちらを選ぶのかは、ライフスタイルによって変わるんじゃないかと思います。
家に小さい子供がいて、ゆったりと映画などを楽しむ時間がなく、画像にもそれほどこだわりの無い人は、キッズ向けが充実しているAmazonが良いかもしれません。
その一方で、一人の時間を作ることが出来る比較的余裕のある方は、Amazonでは物足りないと感じる方も多いのではないかと思います。
そういう方は、Netflixをためしてみるのも良いかもしれません。

どちらにしても、双方とも1ヶ月間無料のお試し期間を設けているので、先ずはそちらから試してみるのも良いのではないでしょうか。

一般人が政治のことについて考える事に意味は無いのか

私の投稿を頻繁に見てくれている方は、既にご存知だと思いますが、私は政治経済について個人的に考えたりします。
考えた内容は、時にはブログなどで公表したりもしています。

とはいっても、積極的に主張しているのかといえば、そうでもない。
ブログのように、読もうとする気のある人に伝われば良いかなといったスタンスでの主張なので、聴く気のない人を捕まえてきて、クドクドと話し続けるなんてことは有りません。

そんな私ですが、週末に呑みに出た際に、まれに政治の話を振られたりするんです。
自分から積極的に主張する方ではないですが、相手から振られた場合は、基本的に答えるようにしています。
アルコールが入っている時などは、少々ヒートアップした感じで答えることなんかもあったり。

そして議論に発展する事があるのですが、相手がこの手の話題について深く考えていない人の場合、大抵は議論がかみ合わず、相手が文句を言ってくるという状態になってきます。
その文句に対して、こちらが反対意見を主張して相手が議論に負けそうになると、捨て台詞のように『じゃぁ、お前が選挙に出ろよ!そして、どこかのタレント議員みたいにキチガイ扱いされておけ』なんて言い出します。

最終的には、『素人は政治のことを考えても意味が無い。』
『どうせ考えるなら、もっと建設的なことを考えろ』なんて言い出します。

しかし本当に、庶民は政治のことを考える必要はないのでしょうか。
政治や経済は、それを専業としている政治家や経済学者に任せておけば良いのでしょうか。
そこに暮らす人々は、自分に不都合なことが起こった時だけ、政治家や経済学者に責任をなすりつければ良いのでしょうか。

という事で今回は、一般人が政治のことについて考える事に意味は無いのか?について考えていきます。

結果から書いてしまうと、個人それぞれが、政治について考えるべきです。
その理由は、私達が住む日本は、民主主義国家だからです。

民主主義とは、人それぞれが自分の国の行く末を考えた上で、今後どういう行動を取るべきかというのを皆で話しあい、最終的に決定したことには従う事です。
理想をいえば、その国に住む人間全てが国民会議に参加して、議論すべきなんです。
ただ、そんなスペースもなければ、1億人超の会議なんて収拾がつかない。
その為、各地域から自分たちの意見を代弁してくれる代表・
つまりは、代わりに議会に出て自分たちの主張を行ってくれる人である【代議士】を選出して、その人達に代わりに議論してもらうのが、民主主義国家です。

代議士は政治家と呼ばれますが、政治家とは本来、自分の所属する地域の人達の意見を代弁する存在。
主体となる国民一人ひとりに先のヴィジョンが無ければ、政治家にヴィジョンが無いのも当たり前です。

1万円札には、福沢諭吉が描かれていますが、この方は、こんな言葉を残しています。

(以下、引用)
政治とは、国民の考えや行動の反映にすぎない。
どんなに高い理想を掲げても国民がそれについていけなければ、政治は国民のレベルまで引き下げられる。
逆に、国民が優秀であれば、いくらひどい政治でもいつしか国民のレベルにまで引き上げられる。
(引用終わり)

この言葉は、福沢諭吉を代表する本である『学問のすゝめ』に書かれている文です。
民主主義国家では、国民一人ひとりが政治について考えるべきということは、明治時代に書かれた本で、既に指摘されている事なんですね。

政治というのは、私達が住む国のシステムを決めていく事です。
その国に住む私達がシステムについて考える事ほど、建設的な事はないようにも思えます。

しかし、今現在の状態はどうでしょう。
政治について軽く自分の意見をいうのは、意識高い系を演出できて格好つけるのには持って来い。
ですが、真剣に考える人間はウザい人間として、レッテルを貼られます。
そして、そんな真剣に考えている人間と議論を交わし、自分が劣勢に立たされると『そんなに意見があるなら、立候補しろよw』と茶化して逃げる。
挙句の果てには、『そんなことを考えている暇があれば、建設的なことを考えろよw』と上から目線でアドバイス

ですが、実際の政治運用で自分にとって不都合な事が起これば、とりあえず目立つ政治家を探しだして叩きだす。
全ての責任を政治家のせいにし、自分は被害者というポジションに逃げこむ。

システムのことを表面的にしか考えない人達ばかりになった現状が、今の考えが浅い政治家が行う政治であり、国の状態なんですよね。

少し過激な言い方になりますが、個人的に、政治について自分の意見を持ちたくない方々は、民主主義の国よりも独裁国家に移住して頂いたほうが良いんじゃないかと思います。
独裁国家であれば、全ての政治的決定は、独裁者が自分で勝手に考えて行ってくれます。
国民は、政治について考える自由を奪われますが、そもそも考える行為から逃げているような方々なので、何の不自由もない事でしょう。

こういう目線から見れば、何も考えていない人間よりかは、まだ、自分なりに考えて行動している活動家やSEALDsなんて団体の方が、考えて行動しているだけ良いとも思えます。
民主主義国家でもっとも非生産的なことは、自分自身は何も主義主張が無いのに、考えて行動している人を馬鹿にし、議会で決定したことに後から文句だけ言うことだと思うのですが、どうでしょうか。

windows10へのアップデートの際に起こったプリンターのトラブル(対処編)

前回の投稿では、私がwindows10を導入した際に起こった、プリンターの不具合の症状について書いていきました。
kimniy8.hatenablog.com
プリンターメーカーはbrotherで、機種名はMFC-J825Nです。

今回は、その不具合にどのような対処をしたのかについて書いていきます。
注意書きとして一応書いておきますが、これは私が対処した方法なので、他の人が真似をして失敗し、酷い状態になったとしても、私は責任を負いません。
実行する場合は、自己責任でよろしくお願いしますね。

前回は、アンインストール専用ソフトをダウンロードしたところまで書きました。
早速、ファイルを回答してみると、rempnpというなのフォルダーが出来るので、そのフォルダーを開いて、『BrRemPnP』というソフトを起動。
インクジェット複合機の項目から、機種名のMFC-J825Nを選び、アンインストールを実行。

アプリも正常に起動し、これで、アンインストールが出来たはずですが…
実際にはアンインストールは出来ていないよう。
プリンター一覧を確認すると、プリンターは消えたようなのですが、いざ、ドライバーをインストールしようとすると、『このドライバーは既に入ってます』といった警告が出て、インストールできず。
一覧からは消えただけで、ドライバー自体は残っている様な状態になりました。

これは・・・更に自体が悪化したような?

そこでもう一度、アンインストール方法を探すことに。
すると、違った機種では有りますが、アンインストール方法が書かれているページを見つけたので、それを実行してみることに。

その方法は、まずはプリンター一覧から、デバイスを削除する。
私が先程、ダウンロードして実行したアンインストールソフトによって、プリンター一覧からは削除できていたようなので、この部分まではOKの様です。

機種やメーカーによっては、先程紹介した削除方法が出来ない可能性も有りますので、一応、プリンターの削除方法も書いておきましょう。
先ずは、コントロールパネルからプリンターページに飛びます。
コントロールパネルの出し方は、タスクバーにあるウィンドウズマークを右クリックです。

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コントロールパネルという文字をクリックし、『ハードウエアとサウンド』の項目内にある『デバイスとプリンターの表示』を選択。
すると、プリンター一覧が出てきます。
ここに表示されるプリンターは、物理的なプリンターの他に、PC内で制作したものをPDF化するといった、紙以外に出力する為のアプリなども同時に表示されます。

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アンインストールする場合ここで先ず、アンインストールしたいプリンターを右クリック。
すると、【デバイスの削除】という項目が出てくるので、これをクリックします。

次に、コントロールパネルでプリンター一覧を呼び出し、どれでも良いので選択した後、上の方にある、プリントサーバー プロパティをクリックします。

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【用紙】【ポート】等のタブに並び、【ドライバー】の項目が有るので、それをクリックします。
すると、今現在インストールされているドライバー一覧が出てきます。
その中から、消したいドライバーを選択して削除します。
私の場合はbrother製品のドライバーを消したかったので、頭にbrotherの文字があるドライバーを消しました。

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もしこの時に、『他のプログラムで使用されている為、削除できません』的なメッセージと共に、ドライバーの削除が拒否された場合。
プリンター一覧にあるプリンターをかたっぱしからクリックし、同様にドライバー一覧を呼び出しましょう。
そして、ドライバー設定の変更を選択し、消したいドライバー以外のドラーバーを割り当てます。
割り当てる方法は、下の方にある『ドライバー設定の変更』ボタンを押し、ドライバーを選択すればOKです。

全てのプリンターでこの作業を行い、ドライバーがどのプリンターでも使用されていない状態にしたら、一度、PCを再起動させましょう。
その後、再度、プリントサーバープロパティを呼び出し、削除したいドライバーを選択して下の方にある【削除】ボタンを押します。

これで、一応、アンインストールは完了のようです。
これらの作業が終了した後は、念の為に再起動しておきます。

次に行うことは、ドライバーのインストールなのですが、メーカーが配布していたり付属CDに入っているドライバーは、win10には対応していないので、これを導入した所で問題は解決しません。
ではどうするのかというと、コントロールパネルから【プリンターの追加】を選択します。
すると、USBでもWiFiでもなんでも良いとは思うのですが、何らかの方法でPCが認識できる状態にしていると、windows10が自動的に使用可能なプリンターを検索し出します。

後は、検索結果に出たプリンターをクリックするだけ。
自分の使っているプリンターが対応していれば、Microsoft側が用意した標準のプリンタードライバーが自動でインストールされます。

これで、一件落着。
とはいっても、この標準ドライバーは、出来ることが限定されています。
カラー・モノクロを選ぶことと、用紙サイズの指定といった、基本的なことしか出来ない仕様です。
また、点線などの細かい表現も認識できないようで、私が点線と実践が交互で並ぶ表を印刷した際は、全ての線が実践で表示されました。
細かい部分で至らない点は有りますが、主な利用方法が個人利用で、この機能だけでも充分という方は、これで問題は解決です。

私の場合は、プリンターは個人というよりも仕事で使うことがメインの為、両面印刷等の設定ができないと仕事では使用できない為、この状態では駄目。
とはいっても、これ以上の解決方法を見つけることが出来なかった為、結局は、win10の登場以降に発売したプリンターを新たに購入しました。
私が購入したものは、今までのものよりも高性能にもかかわらず、値段が1万円ちょっと。
当然インクもついてきて、インク代が3000円程度する為、実質価格は7~8000円。
しかも、仕様インクが従来のものよりも少し安めなので、色々考えると、昔のプリンターを試行錯誤しながら使うよりも、効率的なのかなと。




プリンターは日々進化しているようで、新しい物には新たな機能が追加されていたり、細かい昔のモデルで不具合があった場合は、解消されていることもあります。
買ってから数年が経過して、メーカーがドライバーやファームウエアの更新を行っていないモデルをお使いの方は、買い換えるほうが手っ取り早いかもしれませんね。

windows10へのアップデートの際に起こったプリンターのトラブル(症状編)

ここ最近、windows10へのアップグレードの催促がひどくなってきたので、仕方なく、win10へとアップグレード致しました。
私が使っていたOSは7で、発売は2009年と結構前のOS。
メインストリームでのサポートは既に切れていて、延長サポート期間に入っている状態です。

メインストリームと延長サポート期間の違いは、前者は最新プログラムなどの提供も行われるけれども、後者はセキュリティー関係やバグの修正ぐらいしか行われないとい違いがあるようです。
一般でも使うDirectXなんかも、延長サポート期間に突入してしまうと最新のもの導入されないなんてこともあるようです。
最新の状態にならないということは、最新のソフトを購入しても動かない可能性が出てきたり、そもそもwin7をサポートに含めないデバイスやソフトも増えてくるでしょう。

昔は、同じPCを5年も使っていたら、技術的にはとっくに取り残されている状態なので、新OSが入ったのをPCごと買い換えるなんてことも行っていましたが…
最近のPCは、普通に使っている分にはパワー不足なども感じないため、物理的に潰れない限りは買い換えるなんてことも行いません。

その為、OSが買い替えによって強制的に変更されるなんてことが無くなり、古いOSをそのまま使い続ける!なんてケースも多いようです。
XPなんていう、既に延長サポート期間すら過ぎているようなOSを使い続けている人達がいる現状では、しつこいぐらいにアップデートを促すのも必要なのかもしれません。
自己責任でアップデートしない人はともかく、さんざん警告しているのにもかかわらず頑なにアップデートを拒み、延長サポート期間が終わったOSで不具合が出たら文句をいうクレーマーなんかも、世界レベルで見れば沢山いそうですしね。

…と、前置きが長くなりましたが、今回のアップデートに関しては、Microsoftは今年(2016年)の7月までなら無償でOSがアップグレードできるようにしてくれているようで、早速、アップデートを行ってみました。

ネットなどでは、win10の評価で良い物は余り聴かず、『今のOSのまま使わせてくれ!』なんて意見をよく聴きますが、実際にインストールしてみると、そこまで毛嫌いするほどのものでも有りませんでした。
私はwin8は使っていないので分かりませんが、7からの移行だと、スマフォ感覚で使えるのが良い点なのでしょうね。
私などは、スマフォが登場するずい分前からPCを使用しているので、今までのPCの仕様でも問題はないのですが、そもそもタブレットやスマフォ中心でPCから離れていしまっている若者世代等は、抵抗なく使えるような仕様になっていると思いました。

ただ問題なのは、新OSを導入してから起こるいろんな問題です。
ネットなどでは、win10では従来から使用していたソフトが動かないなんて苦情を聴きますが、私の場合はプリンターの動作がおかしくなりました。

という事で、前置きが長くなりましたが、今回はOSアップデートによって起こったプリンター問題と、その際に対処した事について書いていきます。

私が使用したいたプリンターは、ブラザー工業の【MFC-J825N】という機種でした。
このプリンターはネットワークプリンターなのですが、偶にオフライン状態になって使用できないという状態になり、その度にドライバーをインストールし直すという情強が続いていました。
しかし余りに続くので、最終的にはUSB接続で使用するという状態で使用していました。

win7の頃から不具合が出ていたプリンターなのですが、それがwin10にしてから、PCがプリンターを認識しない症状に。
しかも、7の頃よりも更にひどい状態になってしまいました。

というのも、今までは不具合が出たらドライバーを入れ直す事で何とかなっていたのですが、10にアップデートすると、そもそもアンインストールソフトが起動出来ない状態になってしまいました。
プリンターを購入した時に付いていた付属のCDを使用しての修復も受け付けず、『お使いのOSには対応しておりません』というメッセージが出るのみ。

コントロールパネルを開き、【プログラム】の項目にある【プログラムのアンインストール】を実行してみるも、同じ様に『お使いのOSには対応していない』というメッセージ後に警告音がなり、アンインストールができず。

仕方がないのでブラザーの製品ページに飛んでみると、ドライバーがアップロードされていたので、それをダウンロード。
その後、ZIPを解凍してインストーラーを起動させ、USB接続用のドライバーを入れてみると、何とか直りました。

『これで安心』と一息ついたのも束の間。
数日経つと、同じ様にプリンターが認識されない。
ドライバーインストールソフトがwindows10に対応していないため、ドライバーの修正を行ってみても、『このOSには対応していません』という警告が出て、修復も出来ず。
アンインストールを試みるも、同様に出来ない。
仕方なく、再度、USB用のドライバーの再インストールを試みるも、『このドライバーは既にインストール済みです』との警告とともに作業が打ち切られる状態。
他に方法はないので、今度は追加でwifi接続用のドライバーをインストールしてみると、何とか復帰。

しかし・・・
既に予測されているとは思いますが、これも、もったのは数日のみで、今度はオフライン状態になり、使用出来ない状態になってしまいました。

公式サイトからダウンロードしたドライバーは、WiFi用とUSB用と、有線LAN接続用のみ。
残る選択肢は有線LAN接続用のドライバーのインストールだけなのですが、仮にこのインストールが上手く行ったとしても、数日後に不具合が出ることは、今までの流れから予測できます。

何か解決方法はないのかと、ドライバーをダウンロードしたサイトを注意深く見てみると…
結構したの方の配布ソフトに、アンインストール専用ソフトが見つかりました。
http://support.brother.co.jp/j/b/downloadlist.aspx?c=jp&lang=ja&prod=mfcj825n&os=10013
それと同時に、ドライバーの更新日を確認してみると、いずれも2012年の年末で更新が止まっていました。
そりゃ、win10なんかには対応してませんよね。

という事で長くなってきたので、今回はここまで。
次回で、私が実際にこなった対処法を書いていきます。

『ふるさと納税』は本当に寄付文化を広めたのか

私は以前、ふるさと納税について否定的な意見を、ブログに書きました。
kimniy8.hatenablog.com

簡単に投稿を振り返ると、ふるさと納税は実質2000円で物品を購入しているだけなので、寄付とはいえない。
控除などを含めて計算すると、金持ちほど安価で物品を購入することが出来るので、二極化がさらに加速するという内容でした。

しかし、先日放送されたWBSをみたところ、自体は更に深刻な状態になっていました。
という事で、今回もう一度、ふるさと納税について考えます。

ふるさと納税といえば以前、このブームを創りだした人が『日本に寄付文化を根づかせた人物』という形で表彰され、この数年で盛り上がってきています。
ですが、実態を見てみると、寄付文化とは程遠く、どちらかと言うと『合法的脱税』や『マネーロンダリング』を推進させているとしか思えない状況になってきています。
お知らせ|日経BP

では実際に、どのニュースを見て、私がそう思ってしまったのか。
それは、ふるさと納税の返戻の品が、金券で行われているというニュースです。

紹介されていた自治体は大多喜町というところなのですが・・・
その還元率が、実に70%!!

これがどういうことなのかを、簡単に説明すると、100万円を大多喜町に寄付すると、70万円分が金券として戻ってくることになります。
『じゃぁ、実質は30万円の寄付ってことになるの?』と疑問を持たれる方も多いと思いますが、そうでは有りません。
100万円の寄付をすると、所得税や住民税として支払うはずの税金99万8千円を、支払わなくて良くなるんです。

つまり、本来支払わなければならない100万円の税金が、ふるさと納税を行うことで、実質30万2000円に減額されるということなんです。
これ、かなりヤバくないですか?

とはいっても、支払われる金券は、大多喜町でしか使えない地域限定の金券。
自治体としては70%を金券で返金したとしても、その金券は地域で使われるため、地域活性化に繋がるという、もっともらしい説明をしています。

この説明を聞いて、『最終的には地域に還元されるし、多額の金券を貰ったとしても使い切れないので、悪用なんてされないでしょう』と思われる方も多いでしょう。
しかし、その対策もされていたんです。
それが、大多喜百貨店というサイト。
この通販会社では、高額で且つ換金率が高そうなブランド品の腕時計などを販売しています。
そして通販という利点を活かし、大多喜町に訪れること無く、多額の買い物ができる体制が作られていたんです。
しかも、経営しているのは大多喜町とは関係のない業者。
http://otaki-dept.com/otaki-dept.com

つまり高額納税者は、限度額まで大多喜町ふるさと納税をして、大多喜百貨店でブランド品を買い漁る。
そのブランド品を、自分が住む地域の質屋などに流すだけで、手数料を引いても結構な額の税金が戻ってくるということになります。
また、このサイトによると、掲載されていない商品でも取り寄せて販売してくれるということなので、買う予定のある商品であれば、店にメールを入れるだけで何でも購入出来てしまいます。

やっていることは『脱税』であったり『マネーロンダリング』なんですが、本人たちは、『ふるさと納税を使って大多喜町寄付をしたんだ。』というわけです。

流石の国も、この状態はおかしいということで大多喜町に指導をし、大多喜町は金券の還元率を70%から60%に下げた上で、金券の発行上限を6万円に設定したようです。
大多喜百貨店の方も、通販は違法になり、実際に店舗を訪れないと買えない方式にしたようなのですけどね。


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でもこれ、かなりおかしくないですか?

個人的には、寄付というのは損得で行うものでは無いと思います。
寄付という言葉をネットで調べてみるとこの様な説明がされています。
寄付 - Wikipedia

『寄付(きふ)とは、金銭や財産などを公共事業、公益・福祉・宗教施設などへ無償で提供すること。』

先程も書きましたが、『ふるさと納税』の仕掛け人は、寄付文化を世に広めたという事で表彰までされています。
ですが、ふるさと納税という形で何万円寄付しようが、控除範囲内であれば自己負担額は2000円。
それ以上の額は、自分の本来支払うはずだった税金が、単に移動しているだけ。
実際に世間で行われていることは、マネーロンダリング紛いの合法的脱税だったり、物品目的の税金の移動なんですよね。

私は過去に、地震口蹄疫が起こった時に寄付をしました。
その際にも、金融機関の窓口の人から『申告すれば控除されますので、大半は戻ってきます』という説明を受けましたが、控除申請を出してしまうと、寄付の意味が無くなってしまうような気がして、申請はしませんでした。

これは私自身の個人的な意見なので、他人に押し付けるつもりは無いのですが…
物品または節税目的で税金の支払い窓口を変更しただけの人が、『故郷のために寄付をした』といっている現状や、こんな行為が寄付行為として推奨されている事に、モヤッとしてしまうんですよね。
控除や金品を当てにしない形での寄付を推奨していくことが、本当の寄付文化を広めることに成ると思うのですが、どうでしょうか。

facebookのライブ動画とライブマップが凄い!

昨日(2016年5月19日)のことですが、いつもの様に家のPCでfacebookを開くと、見慣れない吹き出しが左の方に出ていました。
その吹き出しの出ているところを注意深く見てみると、【アプリ】の項目に観たことがない『ライブ動画』というアプリの名前が追加されていました。
(現状では、PCのブラウザからのみ体験できるようです。)

これをみて少し興味が湧いたので、早速クリックしてみたところ…
予想外に、動画ページではなく、世界地図が映しだされました。

その世界地図をよくよく見てみると、青い点が現れては消えたり、時には大きくなったりと、不思議な動きを指定ました。
そこで、マウスのポインターを地図上の青い点に合わせてみたところ、なんと、動画が流れ出しました。

どうやらこの『ライブ動画』というアプリは、世界中でリアルタイムで取られているライブ動画を自由に見ることができるもののようです。
これが、結構面白い。


世界中の動画が見れるサービスとしては、既にyoubueなどが存在しますが、こちらは、既に録画した映像がメインです。
ライブ放送といった機能もありますが、これもニコニコ動画と同じような感じで、贔屓の配信者の番組を見に行くというスタンスです。
『ライブ』で現在ライブ配信中の番組一覧も見れますが、番組内容を文字タイトルで紹介し、スクリーンショットを貼り付けたようなUIは、番組を見に行っている感が強いんですよね。


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しかし、先日体験したfacebookのライブ動画と、それを地図と組み合わせた『ライブマップ』は、一味違います。
先程も書きましたが、このサービスでは、ライブを録画している地点と動画がリンクされています。

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たったこれだけの事なのですが、動画の楽しみ方が大幅に変わるんです。

例えば、私がこのサービスを時間をかけて楽しんだのは、昨日の夜でした。
私は日本のアカウントなので、極東の日本が映しだされる初期画面で始まるのですが、そこから左に左にとマウスポインターを合わせていき、西へ西へとライブ映像をたどって行くと、夜が明けていくんですよね。
アメリカに到達した時には、かなりの日差しの中で散歩しているライブ映像を観ることが出来ました。

次に音楽。
ライブ配信をされている方の背後で音楽がなっている場合が結構多いのですが、その音楽が、国によって変わるんです。
当然といえば当然なのですが、その音楽を聞いているだけでも、結構、異国感を味わうことが出来ます。

また、ライブ配信ということで、時間帯により、動画が配信される量が地域によって大幅に変わります。
私が夜にアメリカを観た時は、皆が働いている時間のせいか、ライブ配信は少なめだったのですが、昼休みに接続してみると、アメリカの動画数が結構多い。
時間帯によって動画のアップロードが活発になる地域が変わるのも、生活感が感じられて面白いですね。

その他に気がつく点としては、中国やロシアといった国では、極端に動画数が少ないのも興味深いですね。
アメリカのサービスであるfacebookが余り利用されていないのが、動画数を通じて理解できます。


結構面白いこのサービスなのですが、現状での不満点を上げるとすると、動画が頻繁に止まることですね。
技術的な部分については分からないのですが、個人が撮影しているような動画だと、頻繁に止まってしまいます。

もう一つの不満点としては、配信されている動画のジャンルですね。
先程も書きましたが、地図と動画がリンクされているため、一番興味深い動画は、単なる散歩風景やドライブ中の動画などの景色が見たいんです。
更にいえば、その地域で人々がどんな暮らしをしているのかが伝わって来るような動画が好ましい。

ですが、配信されている動画の殆どは、youtubeやニコ生のように、配信者の顔がアップで映されて何かを主張しているような動画が多いんです。
正直な所、タイやインドの現地の言葉で主張されても、全く理解が出来ません。

とはいっても、サービスが始まったのが昨日から。
使っている人も、今はニコ生の様な動画をアップロードしていますが、時間が経つに連れて理解が進み、どんな動画が必要とされているかを考えるように成るでしょう。
この部分は、今後に期待というところでしょうか。

今後に期待といえば、このサービス、今後さらに発展しそうな可能性がありますよね。
というのも、facebook創立者ザッカーバーグ氏は、インタビューで、『これからはVRの時代だ!』といったことを発言されているんですよね。
そして実際に、オキュラスリフトを発売したオキュラス社を買収しました。

最近では、全天球カメラなんてものも発売されましたし、VRゴーグルと組み合わせることで、世界中の国を1クリックで散歩するなんてことも、技術的には可能になるのではないでしょうか。
そういえば昔、『ジャンパー』なんて映画がありましたね。
特殊能力で、いつでもどこでもテレポートできる能力を持つ人間が中心の映画でした。
この映画が発表された頃は夢物語でしたが、もう少しだけ技術が発展するだけで、ネットを介して誰でもジャンパーに成る可能性も出てきますよね。




この先の展開が楽しみです。

【本の紹介】 アシッド・ドリームズ―CIA、LSD、ヒッピー革命

今回紹介する本は、【アシッド・ドリームズ―CIA、LSD、ヒッピー革命




この本を知ったのは、ちょうど一年程前(2015年5月)に、なんば紅鶴で行われた『魔術者から見た科学の今ココ!!』というイベントに参加したことが切っ掛けでした。
そのイベントの詳細や感想については過去に書いているので、興味がある方はお読みください。

dorufurusu.web.fc2.com

このイベントで直接この本を紹介されていたわけではないのですが、ゲスト出演されていたバンギ・アブドゥルさんの話に、かなり興味を持ったんです。
その後、バンギ・アブドゥルさんが行われている東京ポッドキャストという番組を全て聴いた所、現代魔術とカウンターカルチャーの関係について、興味が湧いてきたんですよね。
という事で、Amazonカウンターカルチャー関連の本を検索してヒットしたのが、この本でした。

この本の内容を簡単に説明すると、LSDという幻覚剤を中心とした、1960~70年の10年間のカウンターカルチャー史です。
LSDという薬物が、世の中にどんな作用を及ぼし、どんな爪痕を残したのかというのを、ティモシー・リアリーという人物を中心に描いています。
一応、誤解のない様に書いておきますが、ドラッグを推奨するような内容では有りません。
客観的に綴られた、10年間の歴史です。

この本の出だしは、LSDの発明から始まります。
先ほど書いた説明では60~70年の10年間の話とか来ましたが、この初期の部分に限って、50~60年代の話となっています。
この世に産み落とされた薬物に、最初に目をつけたのは『CIA』

脳に影響を与える幻覚剤は、自白剤や洗脳に使えるのではないかと研究が始まり、実験を繰り返すことになります。
できるだけ多くの症例を集めるためか、CIAの職員たちはLSDを常備し、誰かれ構わず同意も得ずにコーヒーなどに混ぜ込んで飲ませるという無茶苦茶なやり方で、その中にはLSDによるバッドトリップで自殺者も出たようです。
これらの実験はMKウルトラ計画と名がつけられ、結構な予算をつぎ込んで行われたようです。

MKウルトラ計画 - Wikipedia

その流れで、研究費を出す条件でLSD研究を依頼した人物の中に、ハーバード教授のティモシー・リアリーも含まれていました。
この本に書かれている10年間の歴史の中心的存在で、後に、一種の宗教と言っても良いLSD教の高僧になる人物です。

しかしその後CIAは、研究にも行き詰まり、LSDに自身が期待する効果が得られないことに気づき始めた矢先、実験によって自殺者まで出してしまうことになります。
これを切っ掛けに、CIAは徐々にMKウルトラ計画からは手を引き始めます。
それが、1960年頃。

CIAがこの薬物から手を引く一方で、リアリー教授はLSDの魅力に取り憑かれていくことになります。

LSDは、幻覚剤。
服用の量や、服用時の精神状態によってトリップが変わるようで、リアリー教授はそのデータを取り始めます。
LSDを摂取しては瞑想にふけり、その時の状態や観たヴィジョン等を書き写しては、また瞑想にふける。
薬物を取っ払って考えると、仏教の修行僧の様な生活を送っていたようです。

この様な活動のせいか、リアリー教授はLSDの象徴のように扱われ、ドラッグに身を捧げるものから尊敬の念を集めていくようになります。

ティモシー・リアリー

リアリー教授が自身の身を投じてLSDの研究に打ち込む一方、LSDという幻覚剤は市場に出回り始め、世の中に影響を与え始めます。
ドラッグと一括りにされがちなLSDですが、他の薬物とはトリップの仕方が違うようで、上手く行けば、全能感や宇宙との一体感・幽体離脱(現実にかなり近い幻覚、明晰夢)・意識の拡張 等を経験できるようです。

LSDを摂取した人達は意識を拡張され、その経験を共有した人達がコミューンを形成。
その中で様々な文化や考え方を生み出します。
サイケデリックなアートやミュージック等です。
また、意識の拡張によって得られる境地と、仏教による悟りの境地が似通っているようで、独自の宗教観や従来の考え方からの脱却という考え方が生まれます。

従来の考え方の脱却。
メインカルチャーからカウンターカルチャーへ。
これは、国が取る行動に対する反発という形でも現れます。

1960年代のアメリカといえば、ベトナム戦争が勃発。
LSDの服用者は当然のように政府の考え方に反発し、反戦運動を行います。
その活動は活発化し、ヒッピー文化を生み出します。
『銃ではなく、代わりに花を持とう』と主張し、フラワームーブメントを作り出します。
ここら辺の価値観は、日本のロックミュージックやポップスなどにも、大きな影響を与えていますよね。

その他にも、今の世の中を形成している『資本主義』に反発をして、原始共産制を唱え、生きるための物資を無料で提供する『ディガーズ』など、様々な考え方が乱立し始めます。

こんな書き方をすると、LSDというドラッグは、クリエイティブな行動を起こす素晴らしいものと誤解される方も居らっしゃるかもしれませんね。
確かに、意識の拡張によって様々な価値観が生み出されましたが、その反面で、多くのドラッグ中毒者と犯罪者も生み出しています。
LSD服用者が拠点とした街は荒れ、興味本位で街を見学に来たティーンの少女が薬漬けにされ、売られるといった犯罪行為も頻発したようです。

最初は理想郷を作るために行動した者たちも、それを現実にするための資金を得る為に麻薬取引を行い、いつしか、それが本業の犯罪組織になったなんてケースも多いようです。

この本では、この様に1960~70年というカウンターカルチャー周辺の出来事が400P程にわたって書いてあります。
サブカルチャーカウンターカルチャーと呼ばれる文化がどの様にして生まれたのかを知りたい人にとっては、読んで損はない1冊だと思いますね。
とはいっても、一つの事柄に対して深く掘り下げているわけではなく、複数の団体の歴史を大雑把にまとめた感じなので、時代の流れを大まかにでも知っている人は、読む必要はないのかもしれませんが。

ひとつ問題点を挙げれば、非常に読みにくいことです。
敢えてなのか、難しい表現を多用されているため、1ページに書かれていることを理解するのに結構な時間がかかってしまいます。
また、10年間の歴史を順を追って説明されているわけではなく、各コミューンに焦点を当てて、何度も10年間を行き来する方法で描かれています。
最初に紹介したリアリー教授は、多くのコミューンと関わり合いがあったようで頻繁に登場するのですが、毎回出てくる年数が変わるため、若干の混乱を招いたりします。
年表などが有れば、比較的分かりやすかったのかもしれませんが、文字しかいない構成のため、理解はしにくく、『本当に何かを伝えたいと思って書いているのかな?』と思ってしまうほど。

といっても、本をそんなに読まない私の印象なので、読み慣れている人にとっては問題にならないのかもしれませんけどね。

ただ、それを乗り越えて読む価値はあったと思えた本でした。
カウンターカルチャーに興味がある方は、入門書として読んでみると面白いと思います。

【おすすめPodcast紹介】 さんだ☆へたれいでぃお

私の独断と偏見のPodcast紹介コーナー。
第113回。

過去に書いた投稿
タイトル紹介はこちら
エピソード紹介はこちら

今回は、【さんだ☆へたれいでぃお】

さんだ☆へたれいでぃお

さんだ☆へたれいでぃお

  • さんだ☆へたれいでぃお
  • 地域情報/トラベル
  • ¥0

です。


今回紹介するwebラジオは、【さんだ☆へたれいでぃお】

兵庫県三田市近郊情報なども話されているラジオです。
公式サイトの説明を引用すると『この番組は、三田市在住のへたれ三人組が三田市近郊のさらなる繁栄と栄光を願って、全世界に向けてお送りしています。』との事ですが、【へたれ】的な印象は受けない、少しおしゃれで楽しい雰囲気の放送です。

配信されている方は、楽器屋&音楽教室をされている、トモキンさん。
ダイニングバーを経営されている、ススムさん。
茶店を経営されている、まさと さんの3人が基本のようですが、最近はススムさんが忙しいらしく、代わりにハマーさんが加入しての3人が基本となっています。

この他にもゲストの方が出演される回も多く、大人数の楽しい放送になっています。

更新間隔ですが、基本的には第二・第四火曜日の更新。
それ以外の週は『おまけ放送』の短時間番組が配信されています。
放送時間は、本編が1時間半程度と少し長めの放送。
おまけ放送は5分から20分程度と短めの放送時間となっています。


私がこの放送を知った切っ掛けですが、この番組はポッドキャスト連盟の『もっこもこパレード』に参加されているようで、連盟の番組内で頻繁にCMが流れていたので、存在だけは知っていたんですよね。
ただ、そのCMでは『三田市近郊情報をお伝えする…』といった感じの宣伝で、正直、興味が無いというよりは、三田については何の感情もなかった為、聴くことはなかったんです。

そんな状態だったのですが、ある日、私が聴いている【ひげめがねのPowderParty】の冒頭部分に出演されました。
登場理由としては、自分達の番組のオープニングテーマ曲を新規で作ろうと思っていて、ある程度は出来上がったのだけれど残りの部分を作って欲しいという、依頼。
そこで、出来ている部分だけを歌われたのですが、その歌が非常に上手かったんです!

私は結構、単純な人間なので、『凄い!』と思って興味を持ってしまうと、更に知りたくなってしまう。
ということで、これを機に放送を聴き始めました。

実際聴いてみた感想としては、雰囲気としては、かなり明るい印象を受けました。
メインパーソナリティー?の『まさと』さんの声のトーンや話し方が、明るくて柔らかい印象なので、番組全体がその様な雰囲気になっているのかもしれませんね。

番組の内容ですが、様々な番組で流れているCM通り、三田市近郊情報が中心となっています。
内輪ノリに走り過ぎてリスナーが置いてけぼりになる様な番組ではなく、三田に訪れたことがない人でも楽しめるような内容となっているのが好感が持てますね。

どんな内容かというと、例えば、三田市では定期的に市民演劇が開催され、キャストを公募されているらしいのですが、その劇に参加してみる等。
オーディションを受けてから、稽古をして公園に至る流れを、リアルタイムで伝えてくれています。
その他にも、三田市で行われているイベントに積極的に参加され、その体験をラジオで話すという感じで収録されています。
また、この様な大きなイベントがない時でも、三田市を中心とした日常的な話題で、非常に楽しく盛り上げてくれます。

その為でしょうか、私の中では三田市というのは、非常に楽しい場所というか・・・
何かの物語の中に出てくるような非現実的な空間というイメージがついてしまう程。
三田という地名をラジオぐらいでしか聴かない私ですが、いつか三田市に行って、聖地を巡ってみたいという気持ちになったりしますね。

またこのラジオでは、リスナーとの交流を積極的に行っているようです。
例えば、LINEグループ。
このラジオのメンバーは、自身のLINEアカウントを公表していた時期が有り、ライン登録をしてくれた人達でグループを作り、交流を図っているようです。
その他にも、年に数回は呑み会といった交流イベントを開催されているようですね。
ラジオは、他のメディアに比べると身近といわれますが、その中でも、より身近な番組ですね。

三田関連以外でも、音楽に趣味や仕事で音楽に携わっておられるメンバーが多いせいか、音楽の話なども結構な頻度でありますね。


タイトルやCMでは三田を前面に押し出されている為、三田に縁のない人は、私の様に知らず知らずのうちに聴くのを避けていた人も居らっしゃるかもしれません。
しかし、いざ聴いてみると、聴きやすい雰囲気と内容でファンに成ってしまう人も多いのではないでしょうか。
気軽に聞ける感じなので、興味を持った方は、試しに一度だけでも聴いてみては如何でしょうか。
オススメです!

徐々に変化する価値観と経済

この投稿は、前回までの続きです。
読まれる方は、先にそちらからお読みください。

kimniy8.hatenablog.com

kimniy8.hatenablog.com

前回の投稿は、競争社会の行き着く先には争いが待っているという事について書いてきました。
競争社会というのは合理的な面も多いのですが、突き詰め過ぎると、いかにライバルを市場から追い出して一人勝ちするのかという思考に陥りやすいんですよね。
それよりかは、共産主義的な考えに移行した方が良いというのが、私の主張です。

では、そんな競争社会に意義申し立てをして、共産主義革命を起こすべきなのかといえば、そんな事も考えていなかったりします。

同じ様な事を考えている人は他にも沢山いて、既に行動を起こしていたりします。
そんな人達の足を引っ張らないでおこうというのが、私の主張だったりします。

誤解のない様に書いておきますが、国会前でプラカードを持って抗議していたりする人のことを言ってるわけでは有りませんからね。

では、共産主義的な行動を起こしている人・組織は、どんな人かというと、GoogleだったりAmazonだったりします。
例えばGoogleの行動などを見てみましょう。

ここ最近で有名な活動といえば、自動運転車が挙げられますよね。
あの自動運転車ですが、単純に運転しなくて良いから楽で、事故や渋滞が減るのであれば、さらに良いという話をよく聞きます。
しかしGoogleの考えは、その更に先に行っているようです。

車といえば、今までは所有することが当然だったものです。
日本でも田舎などでは、家族1人に対して一台が当たり前なんて言われていたりしますよね。

しかしGoogleは、自動車を一人一人が所有するのは効率が悪いと考えます。
例えば通勤で使う場合、家から職場まで自動車を使うと、その後は退社時間まで会社のガレージに置きっぱなしになります。
これでは非常に効率が悪い。
ですが、車が自動運転だとしたらどうでしょう。

いたる所に車が配置されていて、利用者はスマートフォン等のアプリで呼び出しボタンを押すだけ。
それだけで、一番近くの車が迎えに来てくれて、職場まで送ってくれます。
職場まで送り届けると、園周辺の呼出信号を拾い、また別の人を送っていく。
このシステムはカーシェアリングの強化版のようなもので、個人個人が車を所有する必要が無くなります。

これが実現すると、当然の様に必要とされる車の台数は減少します。
また、一人が一台を所有するわけではないので、個人が負担する金額も大幅に減るでしょう。
クルマの供給は今よりも更に安定的になるので、『人が求めている時に求めている量のサービスを受ける』という、共産主義的な考え方ともいえます。

他の取り組みとしては、人工知能の開発などもありますよね。
先日は、人工知能のディープランニングによって囲碁の達人が負けるというニュースがありました。
人工知能の発達によって、多くの人の仕事が機械に置き換わるなんていわれていますが、逆の言い方をすれば、人がやらなければならない仕事を機械が引き受けてくれるわけで、労働からの開放という考え方も出来ます。
阻止ごとが無くなって収入も減るという人もいますが、今まで高い人件費をかけて開発していた新システムの開発や改良を人工知能が電気代だけでやってくれるのであれば、提供されるされるシステムはかなり安価になります。
無料提供されているデジタルコンテンツが多い現状を見ると、最終的に無料に近いかたちで提供されると言っても過言ではないでしょう。

他に名前を上げたAmazonなんかも、別の方向で共産主義的な動きを指定ますよね。
例えば、Amazonプライムです。
年間で4000円程度とお金はかかりますが、月額325円のお金で、毎月1冊の本と1万本近い動画、そして100万曲の音楽が聴き放題というサービスを行っています。
これらのデジタルコンテンツを、所有すること無く、僅かなお金でいつでも楽しむことができる。
僅かなお金で膨大な商品棚の使用権を得ているようなシステムは、共産的なサービスではないでしょうか。

この様に、個々の企業が提供するサービスで、無意識的なのか意識的なのかは分かりませんが、所有ではなくシェアという共産主義的な考えに変化していっています。
食料などの使用してしまうと無くなってしまうような実物を、皆が望むだけ豊富に取り揃えるというのは、今現在では無理です。
しかし、デジタルコンテンツなど技術的に可能なものから、世の中は変化していっています。

これらのサービスによって引き起こされる事は、お金よりも時間の重要度が増すということです。
サービスを利用する為のお金が少量で良い一方で、豊富なサービスを堪能するためには、大量の時間が必要となってきます。

ここ最近の若者が、週に1度しかやる身がなく、残業が当然だけど給料は良い職場よりも、給料は少ない代わりに、週に2~3日の休日がある職場を選びたいというのも、この価値観の変化が大きいのでしょう。
これらの若者の行動は、競争社会に生きる人には理解が出来ないでしょうが、そもそも所有欲がない人間からすれば、当然の選択だったりします。

私は別に、皆がこの様な新しい価値観に基づいた考えをすべきだと思っているわけでは有りません。
人にはそれぞれの考え方がありますし、所有欲を満たしたい人は、そのように行動すれば良いでしょう。
では何が言いたいかといえば、新しい価値観に基づいて行動している人の足を引っ張るなと言うことです。

マスコミなどを見ると、すぐに『若者の○○離れ』なんて事を話題にしがちで、若者のそんな行動が経済を停滞させているなんて結論に持って行きがちです。
しかし若者は、年寄りが導きたがっている競争社会には未来がないと思っているから、行動してないだけなんでしょう。
その代わりと言ってはなんですが、若者は年寄りが認識すらしていないようなサービスを利用し、独自の文化圏を築いています。

それを、昔の価値観を当てはめて『異常』だと決めつけ、無理やり競争社会を続けるという行為は、なんだかなぁ…と思ってしまうわけです。

競争社会の行き着く先は

この投稿は、前回の投稿の続きとなっています。
まだ読まれていない方は、そちらからお読みください。
kimniy8.hatenablog.com

kimniy8.hatenablog.com

前回の投稿の最期は、本当の意味での共産主義を目指すことが、人の幸福に繋がるのではないかという締めくくりでしたね。
こんなことを主張すると、『共産主義者が!』『アカめ!』なんて罵られるのかもしれませんが…
私は別に、『革命を起こして共産主義国家を実現しよう!』なんていうつもりはないんです。

というか、そもそも、前回の投稿でも書きましたが、本当の意味での共産主義を実現するためには、かなり高度な科学技術が必要となってきます。
それこそ、SF映画に出てくるような、あらゆるものが機械による自動化で生産され、生産物が人が求める量だけ作られるような世界が訪れない限り、無理だと思います。

逆の言い方をすれば、この条件が整えば、可能ということになります。
私が主張する『本当の意味での共産主義』というのは、この状態を目指そうということですね。

何故、目指していく必要があるのかというと、今のような競争社会の行き着く先は、不幸しか待ってないと思うからです。

競争社会は、競い合ってモノ・サービスを作りづつけるわけですから、モノ・サービスが不足している時には、物凄く効率が良い社会です。
しかし、長期のあいだ競争社会が続くと、いずれは生産性の上昇により、供給過多になってしまいます。

今現在の世界の状態を見てみると、全世界がデフレによって苦しめられている印象を受けます。
では、デフレの要因な何なのか。
様々な説はあるでしょうが、大雑把にいうと供給過多だからです。
1億台しか必要ないものを、毎年3億台生産できる設備があったとしても、値崩れしていくだけですよね。

この供給過剰によって引き起こされたデフレによる、経済の停滞。
ここ最近の経済の専門家の話などでは、『デフレなんてのは経済の教科書には乗ってないし、起こりえないこと』なんて言っています。
しかし、実際に起こっているし、過去にも同じような状況になった事はあります。
それが、世界恐慌

世界恐慌の当時は、まだまだ世界経済は固く結びついているわけでは有りませんでしたし、世界的な慢性的なデフレというわけでは有りませんでした。
しかし、先進国であるアメリカで供給過剰になり、農作物主導で物価は下がり続けました。

アメリカの不況はアメリカだけでおさまることはなく、先進国はブロック経済に移行していくことで、植民地を持たない国にも波及していきます。
また、保護政策であるブロック経済も延命措置にしか過ぎない為、経済の先は見えてきます。

そこで起こったのが、世界大戦でしょう。
他国を侵略してしまえば、既に植民地を持っている国は、ブロック経済圏を拡大することが出来ます。
植民地がない国も、弱い国に攻め込んで植民地にすれば、ブロック経済圏を構築することが出来るようになります。

また、戦争経済なんて言葉も有りますが、戦争によって需要も生まれることになります。

例えば、戦争で領土の何割かが破壊された場合、復興需要が生まれます。
敵の領地を破壊しつつ奪った場合も、同様の需要が生まれます。

この戦争経済が、長期的な目線で見て得なのか損なのかは議論が分かれると思いますが、少なくとも、目先の需要は生まれます。
経済を延命させるために、その中でも、自国の経済がより延命する為に、さらには、自分の会社がより利益を上げるために、戦争は引き起こされてきました。

結局のところ、競争社会の行き着く先は、物理的な争いになってしまいます。

『今の兵器は危険で高額なので、世界大戦なんかは簡単には起こらない』と主張する人も多いでしょう。
しかし、戦争のやり方が変わればどうでしょうか。
今、世界中で起こっているテロなどは、新たな形での戦争と言っても良いかもしれません。

デフレになる程の供給過多なのに、二極化により、それを買うことが出来ないほど貧しい人達が、テロを起こす。
そして巻き込まれるのは、いつだって、私達 庶民なんですよね。

この流れを止めるためには、どこかで考え方を変える必要が出てきます。
そして時期的に、その時が近づいてきているような気がします。

今回は抽象的な話になってしまったので、詳しくはまた次回に。

共産主義についての誤解

タイトルが『共産主義についての誤解』となっていますが、これを読んでいる皆さんがというよりも、これを書いている私自身が誤解していました。
誤解が解ける原因となったのは、とある動画を観たからです。
その動画は、こちら。



この動画を観るまでは、私は共産主義社会主義が混同していました。
その為か、私自身の考えも、上手くまとまっていなかったんですよね。

私の他にも、共産主義社会主義を混同している方は、結構、いらっしゃるのではないでしょうか。

動画を面倒くさくて観てないという方の為にも、動画の内容を簡単に説明しましょう。

皿に盛られた餅があるとします。
これを、【資本主義】【社会主義】【共産主義】のそれぞれの場合で、餅の分配方法を考えていきます。

10個の餅を10人で分けるとして、餅をお金で購入するのが、資本主義です。
大金持ちであれば、10個のうち7個独占することも可能かもしれません。
その一方で、お金がなければ持ちを手に入れる事が出来ないのが、資本主義。(この部分は動画での説明はないので、私が勝手に付け加えています。)

では社会主義はどうかというと、10個の餅を10人で分ける場合、大きな権力を持つ人が『一人1個づつだからね!』と決めて、それに従うのが社会主義です。
全員に餅は行き渡りますが、餅の分配方法を決める権力者の権限は、非常に大きくなります。

最期に共産主義はどうなのかというと、完全な平等を目指します。
資本主義と社会主義の場合は、更に盛られていた10個の餅を10人で分配するルールの決め方の違いでした。
社会主義の方が資本主義に比べると平等といえますが、体格差や食欲を考慮すると、一人1個というのは完全な平等では有りません。
そこで共産主義は、10人の人間が食べたいだけの餅を用意するという環境を作ります。
皆が『○個食べたい』と主張し、その合計の数以上の餅が存在すれば、そこには争いも存在しませんし、全員が満たされますよね。

『分け合う』のではなく、皆が『欲しいだけ得る』ので、分配方法を決めるルールもないし、ルールを強制するための権力や機関も必要ありません。
つまり共産主義とは、無政府主義とも言えるわけです。

でも、ここで一つの疑問が湧いてくると思います。

共産主義だけ前提が変わるのって、セコくない?』

確かに、その通りです。
皆が欲しがるものを欲しい数だけ揃えられるのであれば、それに越したことは有りません。
明日食べるものがないと言って、犯罪に走るものも居ませんし、争いも起こらないでしょう。
心の平和が実現できそうです。

おそらく多くの人が、こんな条件を整えることが出来るのであれば、共産主義の方が良いに決まっていると思われるでしょう。

逆の言い方をすれば、過去の世界から今までの間に、『全ての人が欲しいだけ得られる状態』というのを実行できた国は無いので、本当の意味での共産主義を実行できた国は存在しないということです。

共産主義を掲げ、資本主義と共産主義との争いで多くの血が流れましたが、そもそも、その共産圏の経済は、共産主義の条件を満たせていません。
『労働者の解放』を掲げて行動をしておきながら、実際には、搾取側が資本家から国に変わっただけ。
労働者の環境改善にもつながりませんでした。
またその一方で、全員公務員ということで競争力が無くなり、生産性が落ちて、ますます『民が欲しい量の物資』を作ることが出来なくなり、共産主義からはどんどん離れていってしまいました。
その結果、少ない物資を分配する必要が出てきて、結果としては権力者の力が非常に大きくなり、『社会主義』になってしまったということでしょう。

では、社会主義が悪いのでしょうか。
私は飲み屋などで政治の話が出た際に、左翼っぽい主張をする事が多いのですが、その際に多くの人が、『ソビエトも潰れたし、中国も方向転換しただろ!』と言われます。
確かに、分かりやすい例を出すと、そうかもしれませんね。

しかし、この様な反対論を主張して『ドヤ顔』する人の多くは、『イギリスをはじめとするヨーロッパは、社会主義ですよ。』というと、困惑するんですよね。

イギリスなどは『揺り籠から墓場まで』と云われる程に社会保障が充実している一方で、現役世代には高い税金が請求されます。
働いてお金を得ている層から大量の税金をとって、それを、働けない世代に再分配するという方式をとっているので、民主社会主義なんです。
平等という思想が間違っていたから、上手くいかなかったわけではないんです。

では、過去に潰れたり上手く行かなかった国は、何が駄目だったのか。
これは、権力を持つ機関の腐敗や、リーダーの素質がない人間が独裁者になるなど、別の要因で潰れているだけなんですよね。
別に、平等という思想が悪いわけではなく、運用する側に問題があったというだけでしょう。

国の運営者が無能であれば、資本主義でも国は崩壊します。

で、この共産主義の本当の意味を理解した上で私が思うことは、本当の意味での共産主義を実現する事が、人の幸福に繋がるのではないかということです。
この言葉だけを聞くと、かなりヤバそうな感じになってしまってるでしょうが、その誤解を解くための主張をするのは、また次回に。

【ゲーム紹介】 ファークライ プライマル

今回紹介させていただく作品は、ファークライシリーズの最新作、ファークライ プライマルです。




ファークライといえば、UBIsoftオープンワールド型のFPSゲーム
広大な土地に広がる大自然と、狂気的な世界観が売りの作品です。
前回まではPS3と同時発売だったのが、今回からはPS4専用となり、次世代機を前提においたグラフィックも見ものです。

私は『4』しかやった事が有りませんが、その魅力に取りつかれてしまい、最新作が出たら絶対にやってみたいと思っていました。


過去のナンバリング作品の舞台は、ヒマラヤ山脈や孤島やアフリカなど、現代世界にありながら自然が豊富な場所が舞台となっていました。
現代が舞台という事もあって、ところどころに現代風の設備や建築が観られたのですが…

今回、スピンオフ作品であるプライマルは、見渡す限り大自然石器時代
人工的な構造物が殆どなく、有ったとしても、木材や獣の革を使った構造物のみ。
敵対する部族はいますが、それよりも脅威となるのが野生の動物たちです。

過去作品でも野生動物は登場してきましたが、体感では、それよりもかなりの高頻度で動物に遭遇します。
今までのナンバリングタイトルの様に、銃といった圧倒的優位に立てる武器もなく、弓矢・棍棒・槍といった原始的な武器のみで戦わなければならない。
食物連鎖のピラミッドでいえば、かなり下の方に位置づけされてりる環境で生き抜かなければならないという、大自然の過酷さが体験できる作品となっています。

正直、ゲームの操作が上手くなかったり、FPSに慣れていなかったりされる方は、序盤に頻繁に出くわす犬・狼といった小型動物に囲まれて噛み殺されるといいた事が続く可能性もありますね。

また、このゲームでは夜の恐怖も上手く表現されています。
動物の多くは昼間でもよく見かけるのですが、昼間はどちらかといえば草食動物が多めなんですね。
それらの草食動物を追いかけて、肉食動物が登場するぐらい。

それが夜になると、雰囲気が一変します。
夜行性の肉食獣が頻繁に登場し、ただでさえ見えにくい毛並みの色している動物が、より見え辛い状況で襲ってきます。。
しかも、オオカミなどは群れで襲ってきます。

また、マップには周辺に生息している動物も記載されているのですが、昼と夜で出現箇所が変わります。
つまり、鹿の様な比較的安全な動物しかいないと安心していると、日が暮れるとオオカミの縄張りになったりするんですね。
序盤の弱い間は、生存するためには避けて通らなければならない夜なんですが、その一方で、輝く星々やホタルといった幻想的な景色も味わえたりします。

危険と美しさが隣り合わせになっている。
そんな『夜』の世界も味わえますね。

ゲームの全体的な雰囲気ですが、シリーズを通して売りにしている『狂気』は、しっかりと継続されています。
例えば、『シャーマン』
石器時代といえば、化学がまだまだ未発達。
あらゆる物事が不思議に感じます。

そんな時代を生き抜くために、そして人々を先導するために、『シャーマン』が存在します。
様々な草などを混ぜ合わせた液体を飲み、瞑想に入った時に見える景色を元に予言を行います。
そして時には主人公にその液体を与え、予言のようなヴィジョンを見せます。

前回の『4』では、ドラッグを摂取して行っていたものが、自然に生えている幻覚剤や敵の肉体の一部を混ぜあわせたもに変化していて、より怪しく、神聖なものにされています。
冷静に考えると、ドラッグでトリップした時に見えた幻覚を元に行動を起こすわけで、かなり狂っているとも思える行動なのですが…

それを神聖なものと思わせる、説得力のある演出。
そして、そんなものに頼らなければならない程に追い詰められた環境が、より狂気を感じさせますね。


ゲームとしてはレシオ『Z』という事で、残虐な表現も結構あります。
私は『Z』のゲームは頻繁にやるので耐性がありますが、無い人には厳しいかも?
特に、装備などを作る関係上、動物を積極的に狩る必要があるので、そういったゲームでも苦手な人は、プレイするのは止めておくほうが良いかもしれません。

ただ、次世代機専用に作りこまれた大自然のグラフィックは、一見の価値はあると思います。
ゲームを通して自然の厳しさも知ることが出来るので、興味がある方は、一度プレイしてみては如何でしょうか。

日本に借金は無いというトンデモ理論 ③

この投稿は、前回までの続きとなっています。
kimniy8.hatenablog.com
kimniy8.hatenablog.com
今回は、『日本の借金の引受先は日銀なので、この部分は借金とはカウントしなくても大丈夫』という暴論について考えていきます。
この主張をする人たちの前提としては、日銀は政府の子会社という考え方が根底にあります。

親会社が子会社から借りているだけなので、大きな枠組みで見ると借金はチャラ。
これを家族に例えると、親がだらしなくて借金漬けだとしても、その借金を子供から借りていれば問題はない。。
家族以外のところから借金しているわけではなく、借金は家族内で完結しているため、最悪、親が子供の借金を踏み倒したとしても、誰に迷惑がかかるわけでもないのでOK。
という事のようです。

普通の読解力が有れば、『ん??』って思いますよね。
そのモヤモヤ感は、正しいです。

まずこの理論の一番の問題点は、日銀は政府の子会社ではないという事です。
日銀は株式市場に上場していて売買できますし、55%は国が保有しています。
過半数の株を国がおさえているので、国の子会社のようにも見えます。

しかし実際には、中央銀行である日銀の株式には議決権がありませんし、株主総会もありません。
日銀とは、完全に独立した機関なんです。

ではなぜ、日銀の独立性が重要視されるのかというと、通貨に対して信用力を与えているのが、日本政府ではなく中央銀行の日銀だからです。
皆さんの手元には、1枚ぐらい、紙幣が有ると思います。
これって、どこからどう見ても、ただの紙ですよね。
その紙で色んなものが交換できるのは、中央銀行が信用力を与えているからです。

世界の舞台で日銀総裁が意外な事を発言した際、為替相場が大きく動くのはこのためです。

では何故、中央銀行は独立していなければならないのでしょうか。
それを考えるためにも、最初の問題に立ち返りましょう。

『日本の借金の引受先が日銀の場合、この部分は借金とはカウントしなくても大丈夫』
もし本当にそうなのであれば、そもそも、財政問題なんてものはこの世に存在しませんよね。
だって、政府が発行した国債は、全て日銀で買い取れば良いだけなんですから。

年金問題や介護問題などなど、日本は様々な問題を抱えています。
しかしそんな必要も有りません。

年金資金がないのであれば、政府が足りない金額の国債を発行して、日銀に買い取ってもらえば良い。
それだけで、年金の破綻などは容易に回避できます。
介護設備がないのであれば、国債を発行して日銀に買い取らせて、そのお金で介護施設を大量に建てれば良い。
そこで働く人が居なければ、年収1000万円ぐらいで募集すればよいのです。
人件費の費用?
そんなものは、国債を刷って全て日銀に押し付ければ、いくらでも出てきます。

だって、日銀が買い取る国債は、借金にはカウントされないんですから。

こうなってくると、もはや税金なんてものも集めなくてよいですよね。
だって、今の日本政府は年間100兆円ぐらいで運営できているので、毎年100兆円の国債を新規で発行して日銀に買い取ってもらうだけで、税金がなくても政府の運営は出来ます。
景気が悪いのであれば、景気が良くなるまで更に100兆円ぐらいの国債を刷って現金化すれば、景気刺激策も出来るでしょう。
株が下がっているのであれば、政府が株を買い支えれば良い。
日本の株の時価総額は500兆ぐらいでしょうか。
それ位ならいっその事、国債を500兆円分刷って、全ての株式を買い取ってしまうのも良いかもしれませんよね。
そうすれば、下がる心配も有りません。

日本の借金の額は凄まじい物になりますが、それも大丈夫。
だって、日銀が買い取ったものはカウントしないんですから!

・・・
この状態って、何かおかしくないですか?
こんなにうまい話が有れば、どこの国だって実行しているはずですよね。

この辺りのことは、歴史の塾の先生が解説されているので、詳しくは動画を観てください。




政府が湯水の様に国債を発行し、それを日銀に押し付ける。
日銀による国債の直接買い入れする事を【財政ファイナンス】というのですが、この状態というのは、政府がお金を刷ってばらまいているのと同じ状況と認識されてしまいます。

そして、過去に紙幣を発行し続けた国々は、ことごとく潰れているんです。

政治家は基本的には自身の保身を考えているので、票をもらって当選し続けるためにも、国民の人気を取ることしか考えません。
こんな政府に通貨の発行権を与えてしまうと、国民に良い顔をする為に湯水のようにお金を刷っては使い続けます。
大量に紙幣が発行され続けると、最終的にはお金の信用力が落ちて、紙切れになります。
国民からすると、今まで苦労して貯めた現金が無価値になるので、暴動が起こって国が潰れるというのが、今までの歴史の流れなんです。

それらの教訓から、国の運営をする政府と、通貨に信用を与える中央銀行、それぞれの機関を分離させたのです。
政府は現金が足りなくなれば、国債を発行し、市場から資金を調達します。
この国債中央銀行が買ったのでは、政府が紙幣を刷っているのと変わらない状態になるので、決して日銀は国債の直接買い入れは行いません。
中央銀行国債を買い取る場合は、一旦、民間の投資家が国債を購入。
その後、その投資家から購入するというシステムになっています。

これは『日本国債が危険な場合は、民間の投資家は買わないであろう。』
『民間の投資家が買っている以上、政府の信用力は高く、その国債を買う分には、中央銀行の信用力は低下しないであろう』という考えているから。

中央銀行に求められるのは、通貨の番人として信用力を保つこと。
政府と歩調を合わせるなんてとんでもなく、国民の為に通貨の信用を守ることが最優先事項なのです。

確かに現状では、日銀が市場に出回っている国債を購入することで、問題なく経済はまわっています。
しかし通貨の信用力が無くなることによるハイパーインフレが起こった際には、取り返しの付かない事になります。
『日本はデフレだから、インフレの心配をする必要はない。』なんて意味不明なことを言う人も居ますが、インフレは一度、加速し始めると、コントロールはききません。

これらの事を考慮して考えると、『日銀は政府の子会社なので、日銀が保有する分の国債はノーカウント』なんて、軽々しく言えるものではないんですね。

以上のことを総合的に考えると、『日本の借金は本当は有りませんでした!』なんてのは、希望であって、事実ではないと分かるのではないでしょうか。