【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第152回【パイドン】人は神の所有物 後編
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- 哲学者にとっての死
- 真理を得るために肉体は不必要
- 真理を得るために必要なもの
- 肉体は真理を得る際に邪魔をする
- 参考文献
注意
この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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kimniy8.hatenablog.com哲学者にとっての死
ソクラテスの主張によれば、哲学者の本文というものは、『死ぬこと』そして『死んだ状態にあること』について考えることだけだと主張します。
つまり、常に死という現象に目を向け、それを検証し、実践し続けることこそが、本当の哲学者がやるべきことだと言うことです。
この主張を聞いた弟子のケベスは思わず笑い出し、『多くの人がそう思っていることでしょう』と言い出します。
何故ケベスが笑い出したのかというと、単にソクラテスの言葉の意味を誤解していたからです。
というのも、過去に紹介した対話編を思い出してもらうと分かるのですが、ソクラテスは欲望に従って生きるという人生を否定しています。
例えば『ゴルギアス』という対話編に登場するカリクレスという人物は、人の人生とは欲望を満たし続けることだと主張します。彼は、欲望を満たしたことで得られる満足感こそが幸福感だという考えなので、人生において欲望を満たすことを最優先します
逆に、何も欲さないゆえに何も行動を起こさないような人生には意味はなく、『そのような人生は生きているとはいえない』といったことを力説します。
しかしソクラテスは、皮膚病の例を出して反論します。 例えば漆を触るなどして皮膚が痒くなった場合、その部分をかけば快楽が得られます。
逆に皮膚に異常がなければ、皮膚を掻くという行為もしませんから、何の快楽も得られません。では人は、皮膚がかぶれた方が幸せんなんでしょうか。皮膚に何の異常もないがゆえに何も行動を起こさない人生は、何の楽しみもない状態なんでしょうか?
このような感じで、ソクラテスは肉体的快楽や金銭的欲望、地位や見た目といったことに夢中になり、そのために奔走するような行為を否定しています。
このソクラテスの態度を一般人が見たとすれば、ソクラテスの主張する人生には何の楽しみもないわけですから、生きながらに死んでいる状態、つまり、死んだ状態を実践している様に見えます。
彼の弟子のケベスは、ソクラテスがその事を自覚した上で自虐的に『哲学者は死んだような人生を送っている』と発言したと思い込み、思わず笑ってしまったというわけです。
真理を得るために肉体は不必要
これに対しソクラテスは、『世間一般の哲学者の評価は正しいだろう。 だが、彼らは本当の意味で言葉の意味を理解はしていないだろうけれども』として、この言葉の意味について話し始めます。
まずソクラテスは、真理に到達するために一番邪魔な存在は『肉体』だと主張します。
先ほど紹介したゴルギアスでのカリクレスとの対話を思い出してほしいのですが、ソクラテスが否定した快楽は全て、肉体がもたらすものです。
人がなぜ金を求めるのかといえば、その金を使って美味しいものを食べるといった感じで、金を消費することで肉体的快楽を得たいからです。
衣服を着飾って見た目を良くするというのは直接肉体に関連することですし、それによって得ようとするものも、最終的には肉体的快楽です。
地位もそれを手に入れて最終的に何がしたいのかといえば、カネを手に入れたり権力を行使したりといった感じになるため、金や地位や見た目の良さと言うのは全て、肉体的快楽を得るための手段となります。
つまり、カリクレスを始めとした一般の人達が抱く欲望の大本にあるのは肉体です。 この肉体が発する欲を満たそうとする行動が、先程あげたようなカネを稼いだり権力を手に入れたり衣服を着飾るといった行為となります。
しかし、この肉体というのは不滅のものではなく、いずれ寿命を終えて無くなるものです。 その無くなるものに起因する欲望を満たすという行為には、意味がないということです。
肉体が大元になっている欲望に意味がないとするのなら、その欲望を発し続けている肉体そのものにも大した意味はないと考えられます。
何故なら、人々にとって一番必要な事柄である真理、他の言い方をすれば『幸福になれる方法』ですが、それは肉体の機能を使ったところで見つけることは出来ないからです。
真理を得るために必要なもの
例えば、ソクラテスがずっと欲し続けている『卓越性とはなにか』という答えですが、この答えは肉体を通して知ることは出来ません。
人間の肉体には、目や耳や鼻や口といった様々なセンサーが付いていますし、これらを通して人は外の世界を認識して感じることが出来ます。
では、これらのセンサーを使って真理を見たり聞いたり匂いを嗅いだり味わったり出来るのかといえば、そんな事は出来ません。
ソクラテスが追い求めている卓越性・アレテーは、様々な要素に分解できるとされています。 例えば美しさや勇気と言った者がこれにあたりますが、ではそれらを見ることが出来るのかといえば、それも出来ません。
美しさは目で見ることが出来るじゃないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そういった方はまず、過去に取り扱った『饗宴』という対話篇の回を聞いてみてください。
ここで語られれている美しさとは、単に見た目が綺麗だとかそういった事ではありません。 誰もが無条件でひれ伏してしまうようなパワーのことです。
仮に、絶世の美女がいたとして、その人の性格が最悪であった場合、多くの人は最初は見た目の美しさに惹かれるかもしれませんが、彼女の性格を知ることで離れていくでしょう。
先程も言いましたが、ここで語られている『美しさ』とは、誰もが無条件でひれ伏してしまう力のことなので、優先順位として人柄や性格に負けてしまう様な『見た目の綺麗さ』は美しさとは呼びません。
では、ここで上げられている『美しさ』というものはどうすれば理解できるのかといえば、方法は理性的に考えるだけとなります。
そして、この理性的に考えるという作業を最も妨害してくるものが、肉体となります。
肉体は真理を得る際に邪魔をする
何故肉体が邪魔をしてくるのかというのを先程の美しさの例で説明すると、人は欲望に弱い生き物なので、仮に理性的に美しさについて考えようと実践したとしても、その最中に自分の好みのものが目の前を通るとそれを美しいと思ってしまうからです。
その人が歌を歌っていれば、美しい歌声だと思ってしまいますし、その人から漂ってくる香りは良い香りだと錯覚するでしょう。
しかし、先程も言いましたがそんなものは美しさではありません。 美しさではありませんが、肉体に備わっているセンサーから入ってくる情報によって、意識はかき乱されてしまいます。
このようなことになってしまうため、哲学者は肉体からはできるだけ距離を取らなくてはいけませんし、その究極の形が、肉体を捨てるということになります。
ソクラテスが哲学者の知り合いに『できるだけ早く私の後を追いなさい』といったのはこういった理由なのですが、弟子のケベスはまだ納得がいっていないようなので、このあと、ソクラテスは彼とさらに討論をしていくことになるのですが…
その話はまた次回にしていきます。