だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第111回【ソクラテスの弁明】命をかけた教訓 前編

広告

目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

▼▼Apple Podcast▼▼

podcasts.apple.com

▼▼Spotify▼▼

open.spotify.com

noteについて

noteにて、番組のサポートを受け付けています。応援してくださる方は、よろしくお願いします。
note.com

▼▼youtubeチャンネル登録はこちら▼▼

youtubeでは、音声コンテンツでは聞けないバックナンバーも聞くことが出来ます。
だぶるばいせっぷす - YouTubewww.youtube.com
youtu.be

前回のリンク

kimniy8.hatenablog.com

前回の振り返り

前回の話を振り返ると、ソクラテスはメレトスの主張をことごとく論破し、自身の行動には一切の非がない事を論理的に説明する一方で、裁判官たちを挑発するような事も言い続けるという試し行為を行いました。
何故、その様な試し行為を行ったのかといえば、アテナイという国の秩序が保たれているのかどうかを確認するためでしょう。
もし、500人の裁判官のうちの半数でも、感情に流されること無く、物事を冷静に見ることが出来るような良識を持ち合わせた人間であれば、ソクラテスがどの様に感情を煽ろうが、彼は無罪になったはずです。

しかしソクラテスは、有罪になってしまいました。 これは、裁判官の半数以上が、善悪の判断よりも感情を優先させたということです。
例え、その者が罪を犯していなかったとしても、『ムカつくから有罪にしよう。』といったレベルで判決を下す者が半数以上を締めたという事です。
こういった判断を下すものが少数ではなく、過半数存在するということは、この国の秩序が保たれていないことを意味します。

次にソクラテスは、有罪判決を受けた後にもう一度、罪状を決める際に裁判官たちを煽ると共に、追い詰めます。
それに腹を立てた裁判官たちは、彼に死刑判決を下すことになるのですが、その後で、ソクラテスは再び、彼らの目を覚まさせる為に語り始めます。

足りなかったもの

諸君、君たちは、僅かな辛抱が足りない為に、良識を持った人達から、賢者を殺したと責め立てられるでしょう。
何故なら、良識を持ち合わせた人達は、何よりも秩序を重視していますが、その秩序が『ムカついたから』といった軽い理由で ないがしろにされる状態を良しとはしないからです。
また、その様な輩を許さない人達は、実際にそうかどうかは置いておいて、私のことを賢者だと持ち上げているのですから。

私は既に高齢で、わざわざ手を下さなくとも、放って置いても勝手に死んだでしょう。
諸君らの中には、私が弁解する時間が足りなかった為に、皆を説得できなかったと言い訳をする人もいるでしょう。 もっと丁寧に、一人ひとりに対して言葉を尽くして説明していれば、結果は変わっていたと。
確かに、私が死刑判決を下された理由としては、なにかが足りなかったんだと思う。 しかしそれは、断じて時間などではなく、厚顔無恥な態度です。

どんな醜態を晒そうとも生き残るという確固たる意志がない為に、なりふり構わず命乞いをすることが出来なかっただけです。
私が単純に長生きだけを人生の目標にしていて、この裁判で死なない為だけに、誇りを捨てて惨めに泣き叫び、頭を地面にこすりつけながら懇願すれば、裁判官の席に座っているものの優越感を刺激できて、私は、無罪票を獲得出来たかもしれない。
例えば、命の取り合いをする戦場であったとしても、武器を捨てて降参し、惨めに命乞いをすれば、相手は見逃してくれるでしょう。

死よりも怖いもの

この様に、誰かから殺されようとしているときに、目先の死から逃れることは、それほど難しいことでは有りません。
ですが、死よりも回避することが困難なことは、不正に手を染めないことです。
自分が信じる者、尊敬する者の命令を無視し、自分の利益の為だけに不正を犯したいという誘惑に勝てる人間は、少なく有りません。

その誘惑に負ける様な弱い人間は、裁判官という役割を、他人の命を左右することが出来る程の高い身分だと錯覚しています。
だから、有罪となったものは、出来るだけ軽い刑罰を言い渡してくれるように懇願すべきだし、助かりたい一心で裁判官に媚びへつらってご機嫌取りをすべきだと思い込んでいます。
この裁判官という立場は、難関をくぐり抜けて勝ち取ったわけでも、人よりも優れていることを証明したからなれたわけでもなく、ただ単に、くじ引きで当たっただけで手に入れた地位なのに。

単なる運によって偶然にも、人の運命を左右できる立場を手に入れただけなのに、その立場になったことで、自分自身まで偉くなったと思いこむ。
そんな人間の前に、私のように媚びずに屈しない人間が現れて、堂々と答弁したとすれば、彼らはさぞ、面白くないことでしょう。
その腹いせに、彼らは『秩序を守る法律』ではなく、感情に任せて死刑宣告をするという不正行為を行ってしまいました。

不正行為の報い

私は、彼らによって不正行為を受けて死刑になってしまいましたが、彼らは彼らで、神の定める秩序を無視するという不正行為を行ったのだから、いずれ、その報いを受けなければならない時が来るでしょう。
その報いとは、真の幸福に到達する事が出来ないという事です。
何故なら、真の幸福に到達する為に必要なことは、不正を犯さないことだからです。善悪を見極められるように努力し、自分自身も周りの人も、良い方向へと導くことが必要だからです。

私は、この不正による死刑判決を受け入れましょう。 しかしそれは、そちら側にも当てはまることで、不正を犯した彼らは、それに伴う責任を取らなければなりません。
人は、人生が残り僅かになった際には、未来を予知する能力が高まるらしいので、これから死ぬ私が、不正行為を働いた君たちに一つ、予言を授けておきましょう。

君たちが私を殺そうとするのは、口やかましい老人と討論することによって、自分の無知を暴かれたくなかったからでしょう。
しかし、今回、行われた不正によって、君たちは更に多くの人たちから、今回の件についての弁明を求められるはずです。
何故なら、私を慕ってくれていた青年たちは、君たちの判断が本当に正しかったのかを問いただしに、必ず、君たちの元を訪れるからです。

たった一人の老人が口やかましいからと殺してしまう君たちは、より多くの人達から、その行動の善悪について問われます。
老人よりも遥かに体力で勝る青年たちによる責は、さぞかし、苦しいことでしょう。 その青年たちに、納得の行く論理的な説明が出来ないというのであれば、君たちは大勢の者たちの前で、無知を晒すことになるでしょう。
自分が無知であるという正体を暴かれたくないという思いから、人殺しをするような人間は、その行為によって生活がマシになったり、幸福になるなんて事はありえません。

最も立派で、且つ、簡単なことは、他人の行動を権力によって抑圧する事ではなく、自分自身が良くなるように、良い方向へとすすめるようにと努力することです。
この言葉を最後に、君たちとは別れを告げることにしましょう…

不正行為をした者達へ

ここまでのソクラテスの演説は、彼に死刑判決を下した者たちに向けた演説で、彼は最初に、自分を死刑に追いやった、不正を犯したものを責め立てたのですが、これは、単に恨み節を言ったというわけではありません。
ソクラテスは、自分の死刑が決定したとしても、不正を行った者達に、不正や悪事をしているという自覚を与えることで、良い方向へと導こうとしているのだと思われます。
彼に対して無罪票ではなく、有罪判決を出したものに対して最初に意見を言ったのは、不正行為によって有罪判決を下し、人の人生を自分たちの手で終わらせた彼らは、その場に留まって最後までソクラテスの言い分を聴くなんて事はしないからです。

裁判が終わると同時に、その場の空気に耐えられなくなって、逃げるように退散するはずです。
そういう行動を取る人達に対して主張をする為に、死刑判決が下った直後に、有罪に投票した人達に向かって演説をしたのでしょう。

参考文献