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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第99回【メノン】ダイダロスの彫像 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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目次

ダイダロスの彫像

神話の話が、結構、長くなってしまいましたが、ダイダロスは、無理難題をふっかけられても、アイデアを実体化させる才能と技術を身に着けた職人という事が分かってもらえたでしょうか。
このダイダロスが彫像を作った場合はどうなるのかというと、当然のように、ものすごく精巧な出来栄えの彫像が出来上がり、美術的な価値も相当に高い、素晴らしい逸品が出来上がります。
しかし、ダイダロスのもつ技術は凄すぎるので、彼の作った彫像は他の職人が作った彫像の様に、にそのまま飾っておくことが出来ません。

何故なら、彼の彫像は命を吹き込まれたように、意思を持って自由に動き回り、あっという間に逃げてしまうからです。
生きている動物を、何も囲いをせず美術品として放置しておいたら、いずれは逃げられてしまいますよね。
彼の作る彫像も同じで、そのまま放置しておけば自分の足で歩いて逃げ去ってしまうので、その価値のある彫像を自分のものにしておきたいと思うのであれば、何らかのもので縛り付けて置かなければならないということです。

この、『ダイダロスの彫像』というという例を使って、ソクラテスは何を説明したいのかというと、ダイダロスの作る彫像のように素晴らしいく価値のあるものは、どんな人間の前にも現れる可能性が有ると言いたいのです。
ダイダロスの作る彫像は、自分の足で自由に移動することが出来るため、ダイダロスに高い金を出して依頼できる資産家だけが手に入れられるものではなく、運が良ければ、向こうの方から歩いてきて、自分の前に現れる可能性もあります。
ただ、その価値のある彫像は、気まぐれによって直ぐにどこかに行ってしまうので、それを自分のものだけにしようと思うと、自分の前に現れたタイミングで、捉えて縛り付けて置かなければならないという事です。

この『ダイダロスの彫像』という話そのものは例え話なので、実際に歩き回る彫像があるわけではありません。
ですが、このダイダロスの彫像と同じぐらいに価値のある、『アイデア』や『考え』や『卓越した状態』といったものは、運が良ければ、誰にでも宿る可能性があり、この状態を『神がかり』の状態と呼びますが…
この『神がかり状態』は、何もしなければ何処かに逃げてしまうので、それを留めておくような努力をしなければならないと言っているわけです。

神がかりの状態

まだ少し分かりにくいと思うので、現実の実際にありそうなことを例にして説明すると…
仕事でもゲームでもスポーツでも、反復練習が必要な分野というものがありますよね。 例えば、ゴルフなどは、打ちっぱなしなどに行って反復練習をする事が重要になってきます。
ゴルフの打ちっぱなしというのは、地面に置かれたボールをクラブで打って、思っている方向に真っ直ぐ飛ばすという単純なものですが、この単純な事がなかなか上手く行きません。

ゴルフの練習場のようなフラットな場所で真っ直ぐに打てないと、当然のように、コースに出て真っ直ぐに思った方向に打てるわけはないので、基本的なことを練習場で反復練習するというのが重要になってきます。
この練習を、例えば1~2時間 集中して行う場合、極短期間ではありますが、理想的な撃ち方を連続して体現できる瞬間というのが現れます。
これは、ゴルフの練習に限らず、野球のバッティング練習でも、反復練習が必要な仕事でも何でもそうなんですが、コツや『やり方』が完全に分かったような気がして、理解できたような瞬間というのが訪れます。

この状態のことを、『開眼する』とか、『ゾーンに入る』とか、様々な言葉で表現されると思いますが、ソクラテスはこの状態を、『神がかりの状態』と表現し、ダイダロスの彫像が目の前に現れた時と言っているわけです。
言葉そのものは何でも良いのですが、この状態に入った時というのは、『何故、自分は上手く出来ているのか』といった理屈は分からないですし、当然、論理的な説明も出来ないのですが、とにかく上手く出来ているという状態になっています。
その状態を生涯に渡ってキープすることが出来れば、仕事であれ、遊びであれ、その分野ではトップに居続けることが出来ると思われます。 何故なら、理想的なフォームを常に体現し続けることが出来るからです。

しかし悲しいかな、この様な状態というのは、短ければ数秒、長くても数分で何処かに去ってしまい、その後は、再び、理想的なフォームなどが分からない状態に陥ってしまいます。
これをソクラテス風に表現するのであれば、ダイダロスの彫像が何処かに逃げてしまった状態と言えます。
ソクラテスは、卓越した優れた状態を長くキープしておきたいのであれば、ダイダロスの彫像が現れた際には、それを縛り付けてその場にとどめておく努力をしなければならないと主張しています。

神がかりの状態を維持する

では、どのようにすれば、ダイダロスの彫像を、その場につなぎとめておく事が出来るのでしょうか。
反復練習の例で言えば、単に数をこなすのではなく、考えながらやることです。失敗した場合は、どの部分が悪くて失敗しているのかを、1回1回確かめながらやるべきです。
そして、『神がかりの状態』『ゾーン』呼び方は何でも良いのですが、その様な状態になった場合には、普段の状態とは何が違うのか、何故、上手く行っているのかなどを客観的に分析し、普段から同じことを再現できるようにすべきという事です。

反復練習で一番ダメなのは、何も考えずに、ただ回数をこなすことで、それを行ったとしても何も改善されないどころか、間違ったフォームなどが癖として付いてしまって、プラマイゼロどころかマイナスになる可能性もあります。
上手くいかないのは何故なのか、上手く行ったのは何故なのか。 『神がかりの状態』になっている時には、身体をどの様に使っているのか、普段の身体の使い方と比べてどうなのかと行ったことを、論理的に考える必要があります。
そういった努力こそが、ソクラテスのいうところの『ダイダロスの彫像を縛り付けておく』事になります。

今回の例では、分かりやすいように体を使ったスポーツの例で例えましたが、これは運動以外の『考える』『思考する』と言った事でも同じです。
例えば、マインドスポーツと言われているチェスや将棋では、情報が盤面の上に全て出ている為に運の要素がなく、強い人間が勝つ競技となっています。
この様な競技での強さとは、目の前の限られた情報で最適解を探し出す能力の高さになると思いますが、では、生まれ持った才能の差だけで強さが決まるのかといえば、そんな事はないでしょう。

強く有効的な手を打つ為には、論理的な思考で自力で導き出す方法だけではなく、ある瞬間に閃くといった事もあるでしょう。こういった状態の事を、アイデアが降りてくるなんて表現したりもします。
このアイデアが降りてくる状態を『神がかりの状態』とも言い変えることが出来ます。
この様な状態の再現も、似たような状況を何回か打開した経験を重ねることで、その中に共通するモノが無いかを探すといった分析を行うことで、事態を打開しやすくなったりします。

正しく行われた推測は間違わない

ここでも重要なのは、窮地に追い込まれた際に、何故、窮地に追い込まれたのかといった分析を行うとか、その後、『神がかりの状態』によって窮地を脱することが出来た場合は、何が原因で問題を克服できたのかを客観的に考えることです。
全く別の事柄であったとしても、その中に共通点を見つけ出し、法則化することで、似たような状況に陥った際には、『神がかりの状態』にならなくても事態を打開できるようにする。
この姿勢こそが、『ダイダロスの彫像』を縛り付けておく行為となります。

ダイダロスの彫像』が偶然にも目の前に現れて、『神がかりの状態』となって良いアイデアを閃く人は、問題を解決する為に必要な正しい知識を持っているわけではありません。
つまり、普段は問題の解決能力がない無知な者であるわけだけれども、何かの瞬間に『神がかりの状態』になった際には、常に正解が出せる様な状態になるというわけです。
ソクラテスは、メノンの『推測による行動は間違う可能性もある』という意見に対して、それを否定し、『正しく行われた考えは絶対に間違わない』としました。

これに対してメノンは、『それだと、知識と推測に違いがないことになってしまう』と反論したわけですが、この『ダイダロスの彫像』の例に照らし合わせて考えてみると、両者の違いは『時間』という事になります。
知識を持つものは常に正しい決断が下せるのに対し、正しい推測が行えるのは『神がかりの状態』になっている時だけですからね。

ということで対話編も終わりに近づいてきましたが、次回はこれを踏まえた上で、メインテーマのアレテーについて考えていくことにします。