【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第151回【パイドン】苦痛と快楽の関係性 前編
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- パイドンとは
- 死ぬことは良いことなのか悪いことなのか
- ピタゴラス教団
- テセウスの伝説
- アポロンへの返礼
- 参考文献
注意
この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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kimniy8.hatenablog.comパイドンとは
今回からは、プラトンが描いたソクラテスの対話篇『パイドン』を読み解いていきます。
この対話編が書かれた時期は諸説あるのですが、プラトンが書いた対話篇としては中期頃の作品に当たると言われていて、プラトンの主張で有名なイデア論なども登場しだします。
書かれた時期は中期ですが、対話篇の中の時間軸としては、プラトンが最初に書いた作品だと言われている『ソクラテスの弁明』の続きとなります。
『続き』とは具体的にいうと、『ソクラテスの弁明』でソクラテスが裁判にかけられて死刑判決を受けるのですが、判決が出てから実際に刑が執行するまでには結構な時間があり、その間にソクラテスは弟子たちと対話を行います。
この時に行われたとされる対話は『クリトン』というタイトルの対話篇となっており、このコンテンツでも過去に取り上げて説明したと思いますが、今回取り上げるパイドンは、そのクリトンとほぼ同時期のソクラテスの死の直前に行われたという設定です。
ここで設定だといったのは、実際にソクラテスが話した言葉をそのまま書き起こしたというよりも、プラトンの主張が強めに出ていたりするからです。
対話編に登場する人物たちは実在する人達のようで、その人達とプラトンは交流があるため、実際に話を聞いて参考にして書いているとは思われますが、その話に自分なりの解釈や自分が考え出した理論を結構盛り込んでいると思われます。
その為、プラトンが最初期に書かいたとされる『ソクラテスの弁明』とはソクラテスの主張に若干の違いがあったりもしますが、それはソクラテスの主張が矛盾しているというよりも、プラトンの主張が強いと受け止めた方が良いでしょう。
ということで前置きが長くなりましたが、まず、対話篇の全体的な流れや簡単な解説をしていきたいと思います。
この対話編ですが、全体のテーマとして『死』を取り扱っています。 死というものは多くの人から嫌われ、良くないもの、悪いものとされていますが、それは本当なのかというのを切り口とし、そこから人間の本質について切り込んでいきます。
今までの対話篇の流れを見てきた方はおわかりだと思いますが、ソクラテスは死ぬことを悪いことだとは思っておらず、むしろ良いことではないかとすら思っていて、『そうではないか?』と他の者にも問いかけます。
死ぬことは良いことなのか悪いことなのか
何故、このような問いかけをするのかというと、多くの人たちは何の理由もなく、漠然と死ぬことが悪いことだと決めつけているため、当然、自殺することも悪いことだと思い込んでいるからです。
思い込んでいるということは、そこから先の思考は止まってしまっているわけですから、多くの人は死ぬことが良いことなのか悪いことなのかを考えることなく生きてきたことになります。
前回の対話編でも指摘しましたが、その事柄について考えたことがないということは、当然、そのことについての知識も持っていないため、自分の思い込みが正しいものかどうかも、本来なら判断がつかないはずです。
しかし人々は、死ぬことが悪いことだという共通認識を持っていて、多くの人がそう考えるものだからそれは常識だと思い込んでいます。
その思い込みに対して、全く真逆の価値観をぶつけることで、ソクラテスは人々に考える切っ掛けを与えます。
ピタゴラス教団
この際、ソクラテスは死ぬことが良いことだという根拠のようなものを突きつけないと説得することが出来ないわけですが、その根拠としてピタゴラス教団が提唱している輪廻転生の理論を持ち出します。
ピタゴラス教団というのは、ピタゴラスの定理でも有名な数学者が元になった団体で、最終的には数字を神様とした宗教団体にまでなります。この教団は、とある魔術の禁書目録という作品で敵としても登場したことで有名です。
何故、ここでピタゴラス教団が出てくるのかといえば、この対話編の著者であるプラトンがピタゴラス教団の信者と意見交換をして、その教義の内容に興味を持ったからだとされています。
先程、『ソクラテスの意見というよりかはプラトンの主張が強めに出ている』と言いましたが、このピタゴラス教団の主張する世界観なども、その一つです。
この対話編では、この輪廻転生が正しいという前提のもとで、死後の世界であったり、それと対になるこの世ではどの様に生きるべきなのかを考えていくことになります。
テセウスの伝説
ということで、前置きが長くなりましたが、対話篇の内容の方に入っていきましょう。
先程も言いましたが、ソクラテスは裁判にかけられて死刑判決を受けるのですが、そこから刑が執行されるまでには結構な時間がありました。
その理由は対話篇『クリトン』には詳しく書かれていませんでしたが、このパイドンには少し詳しく書かれていました。それによると、とある儀式が関係していたようです。
アテナイでは、神聖な儀式が定期的に行われていたようです。この儀式は、テセウスに関する儀式です。
テセウスというのは前にも話したことがあると思いますが、クレタ島のラビリンスに幽閉されているミノタウロスを討伐した人物です。
ミノタウロスが誕生した経緯としては神々と人間との恋愛も含めたゴタゴタがあって生まれたのですが、そのミノタウロスは王族の子供ということもあって殺せません。
その為、発明家であり建築家でもあり、ロウの羽で息子イカロスと空を飛んだことでも有名なダイダロスに迷宮を作らせて、そこに幽閉します。
そして、大人しくその迷宮ラビリンスに縛り付けておくように、ミノタウロスに対して定期的に人間の生贄を捧げます。その生贄ですが、クレタ島側はは自国民ではなくアテナイから調達します。
アテナイから調達した理由としては、当時アテナイに対して支配的な権力をクレタ島側がもっていたというのが主な理由でしょう。 自国民からは生贄を出したくないですしね。
しかしこれはアテナイ側からしてみると、たまったものではありません。
そこで立ち上がったのがテセウスで、彼は生贄にまぎれてクレタ島に入り込み、ミノタウロスを討伐しようとします。
アポロンへの返礼
アテナイの人達はこの勇気ある行動を応援しようと、アポロンに祈ります。その際に、『もし、この作戦が成功したのなら、毎年デロス島で行われている祭りの為に使者をお送ります』と約束します。
この約束のおかげかどうかはわかりませんが、テセウスはミノタウロス討伐を達成し、無事にアテナイに帰還します。
ここで余談ですが、テセウスの父親はアテナイの王様なのですが、彼は大変子供思いで、クレタ島に出発するテセウスを大変心配し、『もし作戦に成功して生きて戻ってこれたら、その印として船の帆を白にして戻ってきてくれ』と言います。
テセウスが出発する際には船の帆は黒色だったので、それを白に変えることで、テセウスが生きているかどうかを一刻も早く知りたいと思い、この提案をしたのでしょう。
しかしテセウスの方はというと、偉業を成し遂げた達成感からか、その事をすっかり忘れてしまって船の帆を黒色のままで帰還します。
それを見た彼の父親のアイゲウスは、息子が死んでしまったと嘆いて海に身を投げてしまい、彼が身を投げた海はアイゲウスの海 アイゲウス海と呼ばれるようになります。
そのアイゲウス海が、長い年月をかけて アイゲウス海 アーゲウス海 アーゲ海 変わっていき、今ではエーゲ海と呼ばれるようになったそうです。
話を戻すと、テセウスは見事にミノタウロスを討伐し、アテナイはその後はクレタ島から生贄を要求されることはなくなったため、アテナイはアポロンとの約束を果たさなければならないことになります。
つまり、毎年デロス島で行われている祭りに使者を送らなければならないということです。 使者は当然舟で送るわけですが、その神事の間は国内では人を殺さないという決まりがあるようです。
ソクラテスの死刑判決はちょうどこの時期に重なっていたようなので、その舟が神事を終えて帰還するまでの間は、死刑の執行を先延ばしにされていたというわけです。