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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第100回【メノン】賢者と占い師 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

一時的な賢者

戦場に置いて、『戦う』『逃げる』『撤退する』などの行為は、目標を達成する為の手段にしか過ぎません。
これらの手段は、目的が良いものかどうかで、その手段そのものの善悪も変化します。
つまり、全く同じ行動であったとしても、良い目的のために行われる手段であれば、その手段は良いものとして肯定されるし、悪い目的の為の手段であれば、否定されるべきという事です。

この目標の善悪を判断するのが、『善悪を見極める為の技術』であり、それを知る『知識』です。ただ、これまでの考察によって、『知識』によって正しい選択を行える者というのは、いないだろうという事が分かりました。
これは、今現在はその様な人物がいないのか、それとも、これから先も『知識』によってアレテーを宿す人は現れないのかは分かりませんが、少なくとも今までの歴史の中では現れていないので、いないものとします。
しかし、『善悪を見極める技術』を持っていなかったとしても、『神がかりの状態』における『考え』でも、同じ様に正しい判断をすることが可能です。

という事は、今までの歴史の中でアレテーを宿しているかもしれないとされている人は、『知識』によってアレテーを宿したのではなく、正しい『考え』が宿ったことで一時的に優れた人になったと考えられます。
つまり、今まで偉人とされてきた人は、偶然にも目の前に『ダイダロスの彫像』が現れたことによって、正しい目標が設定できて、その目標を達成するのに最適な手段を選ぶことが出来たというわけです。
そして、一時的にはアレテーを宿して『優れて卓越した人』と認識されたけれども、その期間は長く続かず、多くの者が『ダイダロスの彫像』をつなぎとめておく努力をしなかった為に、凡人に戻ってしまったという事なのでしょう。

知識を持たない賢者

この理屈で考えると、アレテーが教えられない理由も分かります。
ソクラテスは、『神がかりの状態』に入るタイミングを『ダイダロスの彫像』に例えましたが、勝手気ままに自由に動き回る『ダイダロスの彫像』が、いつ、どの様な場面で自分の前に現れるのかを説明できる者はいません。
また、『ダイダロスの彫像』が現れて、『神がかりの状態』になってアレテーを宿した人間になり、常に正しい答えを閃く状態になったとしても、その閃きを意図的に起こす方法を、『神がかりの状態』にある人間は説明できません。

例えば、この時代では神々の声を聞くとされている巫女が、神殿などにいましたが、巫女達は『神がかりの状態』になって神の声を地上の人々に送り届けることが仕事ですが、その言葉がどの様に思考されて出されたかは分かりません。
巫女は、神の言葉を伝言ゲームのように『聞いて話している』だけの存在なので、巫女が口にする託宣の意味を、巫女自体は理解していません。

これと同じ様に、『神がかりの状態』にある指導者が閃きによって下す決断は、その閃きのプロセスを他人に伝えることは出来ません。
もし、正しい結論の導き方を論理的に説明できるのであれば、それは『閃き』ではなく『知識』になってしまいます。
正しい結論を出すのに必要なものは、『善悪を正しく見極める技術』ですが、これを論理的に言葉によって説明できるのであれば、その知識こそがアレテーとなります。

その『善悪を正しく見極める技術』が、人に説明できる形式で本当に存在するなら、その様な人類にとって有益な情報は、もっと世間に広まっていても良いでしょうし、金をとって教えるという職業が現れても不思議ではありません。
しかし、実際には、そのような『アレテーの教師』は存在しないので、『神がかりの状態』にあるものは、自分が何故、そのような決断を下したのかを論理的に説明する事は出来ない事が分かります。
『神がかりの状態』になったものは、自分が何故、良いアイデアを閃いたのかを説明することは出来ませんが、アレテーを宿している状態である為に、自分の出した答えが正しい事は確信を持っているということです。

賢者と占い師

偉人とされている優秀な指導者は、その任期中に数多くの決断をしなければならなかったと思います。 結果として『偉人』や『賢者』と呼ばれているのは、彼らの選んだ選択肢が正しかったからです。
間違った選択肢を選ばなかったからこそ、一時的であれ、国は良い方向へと進んでいく事が出来たわけですが、では彼らは、正しい決断を選ぶ為の『知識』を持っていたのかというと、そんな物は持っていません。
もし彼らが、『良い方向へと進む方法』を知識として持っているのであれば、彼らの息子はその知識を教えてもらっているはずなので、『正しい道』を選べる力を持っていることになります。

しかし実際には、そんな事はなく、彼らの息子も、そして彼ら自身も、そんな知識は持っていません。
偉人とされている指導者は、何らかのタイミングで『神がかりの状態』となり、何処からともなくやって来た『閃き』によって正しい行動を確信し、実行しているに過ぎません。
この行動は、何処からともなく告げられる神の言葉を聞き、それをそのまま伝える巫女や、何処からともなくやってくる対象の運命のヴィジョンをみて助言を行う占い師たちと同じです。

アレテーは宿るもの?

巫女も、占い師も、そして優れた指導者も、自分たちの主張する答えがどのようにして導き出されたのかは、何一つ理解してはいません。
最善へと向かう道を選択する知識を持ち合わせていないのに、それでも、何処からともなくやって来たアイデアによって正解を選び続けることが出来るというのは、神からのお告げを聞いているのとなんら、違いはありません。
古代ギリシャ時代では、優れた人間や人知を超えた存在のことを神と呼んでいましたし、卓越した人間以上の能力を持つ人を『神のような人』と呼んだりもしました。

また、自分自身が優れた能力を持っているというのを宣伝するためにも、自分は『神の子』だと主張するものも沢山存在しましたが…
彼らは正に、自分自身の知識や能力ではなく、それ抜きで、神的な運命のようなものによる『閃き』によって、卓越した状態を体現しているとも言えます。

以上の事をまとめると、『アレテーを宿す』とは、運動の才能のように生まれつき備わっているものではなく、かといって、学習によって後から学ぶものでもありません。
『アレテーを宿す』状態とは、何らかの偶然や運命によって、神的なものがその身に宿っている状態で、それを宿している状態の時に下す決断は、全てが正しい『神がかりの状態』だと推理することが出来ます。

そしてソクラテスは、メノンが今回の対話で納得した内容を、アニュトスに伝えて説得してみてはどうだろうかと勧めます。
今回、二人の対話によって明らかになったことは、アニュトスが漠然と『アレテーとはこんなモノ』と思い込んでいる答えよりも、良い優れた答えだと思われます。
その良い考えをアニュトスに伝えて彼を説得することが出来れば、それがアテナイを良くする1歩になるのではないかとして、対話を終えます。

これで、メノンの対話篇は終わりますが、次回から2回ほどで、メノン全体を振り返るまとめ回をしていきます。