だぶるばいせっぷす 新館

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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第93回【メノン】想起説の証明 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

知らないものに質問を投げかける

従者は最初に、1辺の長さを倍にすれば良いと答えましたが、この意見に注目してみます。 正方形の1辺を2倍にするということは、ベースとなる正方形を縦方向と横方向に一つずつ、くっつける事と同じです。
ベースとなる正方形に、同じ形の正方形を縦と横に1つずつくっつけると、元の正方形が3つとなり、面積も3倍になるわけですが、これでは正方形にはならないので、正方形にするためにもう一つ正方形を加える必要があります。
結果として、ベースとなる正方形を田んぼの田の字の様に4つ組み合わせることで正方形になり、面積は4倍になります。

しかし、求めたい面積は、ベースとなる正方形2個分の面積なので、4つだと2つ余ることになります。
つまり求めたい面積は、1辺の長さを2倍にすることで生まれる正方形の半分の面積ということです。
では、どのようにすれば、正方形の形を保ったままで面積を半分にすることが出来るのでしょうか。

1辺の長さを2倍に伸ばした正方形は、ベースとなる正方形が、田んぼの田の字の様に4つ組み合わさって出来ている正方形ですが、ベースとなる正方形の面積そのものを、半分にすれば、最終的に出来上がる正方形の面積はどうなるでしょうか。
ベースとなる正方形を、何らかの方法で半分の面積にして、それを4つ組み合わせることで正方形を作ったとしたら、面積はどうなるのか。
この問いかけに対して従者は、目標としている面積の正方形ができそうだと直感で思います。

では、ベースとなる正方形は、どの様に半分に分割すべきなんでしょうか。 田んぼの田の字を作る際に一番最初に行ったように、縦か横の辺に中点をおいて、半分に割ることで長方形を作るのが良いでしょうか。
しかし、縦1cm横2cmの長方形をどの様に組み合わせたとしても、正方形にはなりそうにありません。
では、正方形を丁度半分に割る方法は、他にないのでしょうか。 ここでソクラテスは、正方形に対角線を引いてみせて、この斜めの線によって、正方形を同じ面積で2分したことになるのだろうかと尋ねると、従者は肯定します。

正方形に対角線を1本ひいた事で、直角二等辺三角形が出来たわけですが、これを、4つ組み合わせることによって正方形を作った場合、面積はどの様になるのでしょうか。
ベースとなる1辺を2倍に伸ばして、田んぼの田の字の様に4倍の面積の正方形を作り、ベースとなる正方形にそれぞれ対角線を引く事で面積を2分割していくと、4倍の面積の正方形の中に、菱形の様に見える角度の違う正方形が出来上がります。
この正方形の面積は、4倍の面積の正方形の半分の大きさの正方形になるのではないでしょうか。 この問いかけに対しても、従者は肯定します。

教えられなくとも正解に辿り着ける

まとめると、ベースとなる1辺が2cmで面積が4平方センチメートルの正方形の1辺を2倍に伸ばし、4倍の16平方センチメートルになった正方形の半分の面積の正方形が出来上がったことになります。
最終的に出来上がった正方形は、16平方センチメートルの半分の面積である、8平方センチメートルになります。この面積は、最初の4平方センチメートルの倍の面積になっていないでしょうか?
この質問に対しても、従者は肯定します。 結果として、正方形の形を維持しつつ正方形の面積を2倍にしようと思う場合は、1辺の長さをベースとなる正方形の対角線の長さにすれば良いという答えに辿り着きました。

今回の、この想起説の説明部分は、音声だけで伝えるとういことで、オリジナルから少し変えていますが、それでも分かりにくいという方は、実際に本を読まれる事をお勧めします。
光文社文庫から出ている本では、図を書いて説明されているので、音声だけの説明よりも分かりやすいと思います。

この一連のやり取りを、従者の目線で振り返ってみると…
従者は、最初は正方形の面積を2倍にする方法を知っていると思いこんでいましたが、ソクラテスの追求によって、自分が無知な状態だと思い知らされました。
メノンに言わせれば、ソクラテスが持つシビレエイのような毒によって、思考停止状態に追い込まれてしまったのと同じ状態です。

無知で有ることを暴かれるのは悪いことなのか

ではこの従者は、その状態に追い込まれたことによって、困り果てたのでしょうか、それとも、このクイズの答えを知りたいと、意欲をむき出しにして探求しようと思ったのでしょうか。
メノンの目には、従者は自分の意見が否定されたことで不幸になったり、目標を見失ったようには見えず、真実を知りたいと意欲的になっているように見えていたのですが…
この状態は悪いことなのでしょうか。

メノンは、対話の際にソクラテスが様々な追求をすることで、対話相手が自分が理解していると思い込んでいることを理解していない事を知ってしまい、思考停止に追いやられてしまうことを、シビレエイの毒だと例えていました。
ソクラテスと関わり合いにならなければ、自分は全てを理解していると思い込めていて、それで何の不自由もない状態だったのにも関わらず、ソクラテスと関わったせいで、答えを見失って思考停止になってしまう。
その状態を、シビレエイの毒で苦しんでいるという悪い状態で例えたわけですが、従者の様子を観ると、自分が無知だと認めたことによって、探究心をくすぐられて意欲的になっています。

真実を知りたいと探究心に燃えている状態は、果たして、メノンの言う通り悪い状態なのでしょうか。 それとも、良い状態なのでしょうか。
自分の考えを誰にも指摘されなければ、人は間違った答えを真実と思い込んで暮らしていくことになりますが、それが指摘されたことによって無知だと自覚し、探究心が呼び起こされたのであれば、それは良いことなのではないでしょうか。

教えられていない事でも答えを出せる

また、今回の実験では、何の教育も受けていないメノンの従者は、ソクラテスの質問を受けて自身で考えるというだけで、正方形の形を保ったまま面積だけ2倍にする法則を見つけ出しました。
くり返し言いますが、ソクラテスは従者に対して、何も教えてはいません。 ただ、質問をしただけです。 質問をしただけなで、従者はソクラテスの主張に疑問があれば、いつでも否定することが出来ました。
にも関わらず、従者はソクラテスの質問を呼び水にして、自分自身で考えを巡らせたことによって、正しい答えに辿り着くことが出来ました。

そしてこれも繰り返しになりますが、メノンの従者は、教養を高めるという意味での教育は受けてはいませんし、それは、生まれてからずっと一緒にいるメノン自身が証明しています。
では、正方形の面積を2倍にする法則という知識を、従者はどこで手に入れたのでしょうか。
メノンの証言通りに、生まれてから今現在まで、その知識を入手する方法が一切なかったとするのであれば、生まれる前から知っていたとしか考えられないのではないかと、ソクラテスは主張します。

思い出すには順番が大事

この想起説ですが、忘れていた記憶を思い出す閃きというのは、いつでも誰にでも起こる現象ではなく、閃きが起こる条件というのが指定されています。
その条件とは、知識を思い出す順番です。 例えば、ものを足し合わせるという概念を覚えたものは、その反対の概念である『引き算』や、同じ数字を複数回足し合わせるという『かけ算』の概念を思い出せます。
『引き算』や『かけ算』を思い出せれば、同じ数字を何回引けるのかという『割り算』を思い出すことが出来ますし、これらをベースにして発展させれば、一次方程式などを閃いたりします。

全ての人間は、この世のあらゆる知識を既に持っているとはいっても、生まれたての人間に相対性理論が理解できないように、今現在の知識からあまりに飛躍した物事を理解したり閃いたりする事は出来ません。
閃くためには知識を順番に思い出して自分のものにしていく事が重要で、持っている知識が多くなれば多くなる程、より複雑なものを思い出せるようになります。
今回の例の場合でも、メノンの従者は、全く教育は受けていないとはいっても、足し算や2倍にする、半分にするといった概念は理解できていたので、答えを思い出すことが出来たというわけです。

少し強引なような気もしますが、メノンが疑問に思った『探求のパラドクス』にに対して『想起説』で反論することが出来たので、次は、アレテーを知らない者同士で対話することで、アレテーを探求していく事になるのですが…
その話はまた、次回にしていきます。