だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第94回【メノン】アレテー=良い=徳目 - 知識? 前編

広告

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
▼▼Apple Podcast▼▼

podcasts.apple.com

▼▼Spotify▼▼
open.spotify.com

noteにて、番組のサポートを受け付けています。応援してくださる方は、よろしくお願いします。
note.com

▼▼youtubeチャンネル登録はこちら▼▼
だぶるばいせっぷす - YouTubewww.youtube.com

前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

今回も前回と同じ様に、プラトンが書いたメノンの読み解きを行っていきます。
著作権の関係から、本を朗読するわけではなく、私が読んで重要だと思った部分を取り上げて考察する形式になっていますので、興味のある方は、ご自身で本を読まれることをお勧めします。

知識はどこからやって来るのか

前回の放送は、『アレテーを知らないもの同士でいくら話し合ったところで、アレテーを理解することは出来ないのではないか?』と探求のパラドクスを掲げて反発したメノンに対して、ソクラテスが想起説を訴えるという話でした。
想起説は、全ての人間は真理を既に得ているが、それを忘れてしまっているという説で、順序立てて勉強して知識を高めていけば、忘れていた知識を芋づる式に思い出すという説です。
にわかには信じられない想起説ですが、ソクラテスは、教育を受けていないメノンの従者を使って、これを証明しようとしました。

結果として、足し算引き算と行った簡単な算数程度しか知らない従者は、正方形の1辺の長さをどの様に変えれば、正方形という形を保った状態で面積を2倍にすることが出来るのかという難問に、新たに知識を教えてもらうこと無く答えることに成功しました。
この従者が教育を受けていないことは、小さな頃から一緒に生活してきたメノン自身が、一番良く知っています。
では、従者としての仕事をこなすために必要な最低限の教育しか受けていない従者の彼は、一体、どこで、この知識を身に着けたのでしょうか。

何故、知らないことが正しいと言えるのか

ソクラテスは、生まれてから教育を受けていないにも関わらず、自分自身の内側から出てくるアイデアによって答えがわかったのであれば、生まれる前から知っていた事になってしまう…
では何故、生まれる前にこれらの知識を身につけるのが出来たのかというと、人の魂はこの世に生まれてくる前に、この世の全てが混ざりあったものと溶け合って一つになっていたからだと主張します。
この世の全ての法則と一体となっていた為に、魂のレベルで法則を理解して知っているというわけです。

この想起説は、かなり突拍子もない様な説だと思われる方も多いかもしれませんが、この想起説を否定する場合は、人の知識はどこから来るのか、教えられたことが何故、正しいと分かるのかの説明が付きません。
私達が暮らすこの宇宙は、様々な法則が働いていて、それらの法則が秩序正しく動いているから成り立っていると思われています。
仮に人間が、全くの無知の状態で生まれてくるのであれば、この宇宙の法則に気づくこと無く、知識を蓄えることも、技術も発達させること無く生きていたはずです。

しかし人類は、太陽が一定の間隔で登ったり、月の満ち欠けや星々の動きに法則性が有ると気づき、それを知識として蓄えて応用することで、様々な技術を発展させてきました。
何故、このような事が可能だったのでしょうか。 太陽や月の動きは適当かもしれないのに、何故、法則性を見つけ出すことが出来たのでしょうか。
人間は、太陽や月の動きといった分かりやすいものだけではなく、大きすぎて人間には捉えることが出来ないような地球の大きさや、小さすぎて人には見えないような物質まで考えを巡らせて、法則性を見出しています。

それらのアイデアは、どこから来たのでしょうか。

学問に対する信仰

これらの考えを、想起説以外で説明しようと思うと、人間以外の高位の存在の介入が必要になってきます。
知識や知恵はどこからやって来たのかについては、古代ギリシャで一般的に考えられていた説としては、人は、神々から知識を授かったとされています。
プロメテウスとエピメテウスが人を作る際に、材料の都合上、人間には特別な能力を与えることが出来なかった為、それを哀れに思ったプロメテウスは、ヘパイストスが持つ炎と、女神アテナが持つ知恵を盗み出して、人に与えたと言います。

概念を擬人化した神から知識や知恵を授かったとすることで、人が何故、知識や知恵を持っているのかや、人が蓄えた知識が正しいのかというのを説明しています。
これは、近代になっても多くの人が信じているキリスト教でも同じですよね。 人間は、楽園に生えている知恵の実を、その身に取り込むことによって、知恵を得ます。

では、今現在はどうなのかというと、前にも少し話したと思いますが、今現在の科学は、『その知識が正しいかどうかは分からない』という前提で出来上がっています。
たまに、オカルト的な話を聞いた際に、『それは非科学的だ!』と言って完全に否定する人がいますが、科学の前提が先程のようなスタンスである以上、どのようなものも完全否定は出来ないことになります。

オカルト話を一方的に非科学的だと決めつけて否定する人は、科学という宗教を信仰している人であって、科学的な態度を取る人ではありません。
科学を信仰するというのは理解し難いと思いますが、ソクラテスが生きた時代よりも更に昔に遡ると、ピタゴラスという人物が、数学を信仰する宗教団体を作っています。
元々の宗教の教義としては、この世の全ては数学的な調和によって生まれていて、数学によって全てが解き明かせると言った感じのものだったようですが…

そのうち、数字をかたどった神を作り出して信仰するといった行動も取るようになったようです。
これと同じで、非科学的だとして自分の信じられないものを否定するという行為は、科学という神を信じる行為と同じなので、科学的というよりも、オカルト的な考えに近いです。

正解がわからない探求のパラドクス

今現在の科学はどうなっているのかというと、自分が正しいと思う理論があれば、その理論を皆が見えるところに提示し、それを見た人たちが、批判するという作業を行います。
理論に穴があったり、他の人間が実験をした際に再現できないといったことが有ると、その理論は『間違っているんじゃないのか?』と反論を受けることになります。
理論を主張した側は、可能なのであれば、反論してきた相手に対して、論理的に説明をして、相手を納得させる必要があります。

もし、相手を納得させることが出来なければ、その理論は信憑性が低いとされてしまいます。
では、全ての反論をはねのけた理論は絶対的に正しいのかというと、そうではなく、今現在の人々の知識や科学技術では反論することが出来ないけれども、先の未来で反論が可能になるかもしれないので、絶対に正しいとは言えません。
ただ、多くの反論を撥ね退けて生き残った理論は、信憑性が高いとして、多くの人達は、その理論を更に応用する形で発展させていきます。

つまり、今現在、正しいとされている様々な法則は、『今現在は反論できないので、信憑性が高い』とされている理論であって、絶対的に正しい真理ではないということです。
科学の前提がこのようなものなので、科学に絶対に必要なことは、論理的な形で反論を言うことが出来るか出来ないかということになります。
これを、反証可能性といいますが、これがないものは科学とは呼びません。

例えば、『炎』というのは、火の神様が起こしているんだよ。という説は、神様というのが観測できないので、この説に論理的な反論をぶつけることが出来ません。
その為、『燃えるという現象は、火の神様によって起こっている』というのは、科学的ではないとはいえますが、だからといって、絶対的に間違っているとは言えません。
何故なら、今現在の科学の前提では、『探求のパラドクス』を解決できないからです。

『探求のパラドクス』をぶち壊す

科学の研究は、基礎研究の結果などを受けて、それを発展させて新たな理論を見つけ出していく行為ですが、その基礎研究の結果が絶対に正しいということが、人間という枠組みでは分かりません。
『分からないもの』を『わからない者同士』で話し合ったところで、出た答えが正しいかどうかの判断は、『答えを知らない者』には出来ません。
その為、論理的に反論したり実験して確かめることで、信憑性の高い法則を見つけ出せる分野に絞って考えていこうという、一種の割り切った考えが科学的な考え方とも言えるのですが…

ソクラテスのベースとなっている考え方は絶対主義で、この世には絶対に正しいと言える法則や価値観があって、研究を進めればいずれは到達できるという考え方なので、その様な割り切りは出来ないのでしょう。
その為、『探求のパラドクス』をなんとかして解決する必要があり、結果として生み出されたのが『想起説』だと思われます。

この『想起説』によって、アレテーの本質を理解できる可能性が出てきたわけですが、では実際に、どの様に考えていけば答えにたどり着くのでしょうか。
ソクラテスは、わからない部分については仮説を立てて、推測していくことで答えに近づくのではないかと言い、メノンもこれに同意し、二人は仮説を立てて推測していくことにします。