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プラトン著【クリトン】私的解釈『死刑判決後』

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このエントリーは、私自身がPodcast配信のために哲学を勉強する過程で読んだ本を、現代風に分かりやすく要約し、私自身の解釈を加えたものです。
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kimniy8.hatenablog.com

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目次

死刑判決後

ソクラテスの裁判から1ヶ月後。 クリトンは、ソクラテスの元を訪れるが、彼はまだ熟睡しているので、そば見守っていると、彼が目覚める。
見張りの兵士とは顔なじみになっているようなので、訪問はこれが最初ではなく、ソクラテスのクリトンを始めとする弟子たちは通い詰めていたことが分かる。
死刑が迫っているにも関わらず、いつもと変わらず睡眠を取り、落ち着いた様子のソクラテスに驚くクリトンだが、気を取り直して、牢獄から逃げようと言い出す。

脱獄というわけではなく、この当時では、看守などの役人に金を握らせれば買収が可能で、堂々と逃げることが出来たようだ。
投獄されているということは、誰かが訴えて裁判に負けたという事なので、告発者は納得できないかもしれないが、今回のソクラテスの裁判は言いがかりのようなものなので、告発者も買収が可能。
また、それにかかる費用は、刑務所の役人たちの買収費用よりもかなり安くなる可能性が高い。

クリトンは、自分にはアテナイの外にも知り合いが多数いて、彼らはソクラテスの良き理解者なので、その土地で受け入れてくれて何不自由ない暮らしが出来ると主張する。
また、ソクラテスを嫌っているような人達を寄せ付けないようなことも出来る為、良い環境で暮らせるとも主張する。

そしてクリトンは、現状では、役人や告発者の買収によって囚人を助けることが出来る状態になっている為、ソクラテスを死なせるようなことがあれば、私が世間一般の人達から責められることになってしまう。
また、ソクラテスには子供がいる。 親は、子供を生んだら一人前になるまで育てる義務があり、その義務を全うしようと思わないものは、子を産まないという選択をしなければならない。
私や他の弟子たち、そして子供達の事を考えるのであれば、一緒に逃げてくれないかと懇願する。

(一説によると、ソクラテスに対する死刑判決は重すぎると感じる人はかなり多く、刑務所の職員たちもそう思う人が多かった為、いつでも逃げられる様に施錠などがされていなかったという話もある。)

脱走を拒否するソクラテス

その話を聞いたソクラテスは、自分は今まで行動を起こす際には熟考し、最善と思われる決断をしてきたつもりだと話す。
自分の命がかかっている今回のことも例外ではなく、同じ様に、何が最善なのかを考えることにする。

大衆というものは、時に数の暴力で威嚇したりして、個人を追い詰めることがある。
それも、特に根拠がなく、感情に流されて、子供をお化けを使って怖がらせるように、一人の人間を追い詰めることは珍しくない。
今回、ソクラテスに下された死刑判決その者がこれに当たり、民衆はソクラテスが自分の命惜しさに泣き叫ぶ顔が見たいが為に脅してきたが、彼は脅しに屈しなかったので、引っ込みがつかなくなって死刑にしてしまった。

私達は以前に、大衆の話は、大部分が聞かなくても良いようなことで、耳を傾けるべきは1部分に過ぎないという話をして同意したが、その話はまだ有効だろうか。
それとも、以前は有効だったが、私が訴えられて死刑になった後は、その話は信憑性がなくなったのだろうか?とクリトンに尋ねる。
仮に、ソクラテスの死刑によって意見が変わるのであれば、それはダブルスタンダードという事になり、ポジショントークに過ぎない。

ポジショントークが真理であるはずはないので、その話は無効ということになる。
もし、ソクラテスが死刑になろうが関係なく、その話は有効であるとするのなら、その意見には何かしらの意味があることになるので、考えとして使う価値がある。
クリトンは、その意見はまだ有効だとしたので、それを元に考察を始めていくことにする。

無意味な大衆の意見

大衆は、それぞれが個々に考えて好き勝手なことをいうし、特定の環境にハマれば、皆で同じようなことを言い出すものだが、彼らの意見の大半は、聞くに値しないようなものばかりだ。
では、すべての意見を無視すれば良いのかというと、そういうわけではなく、一部は、耳を傾ける価値のある意見が混ざっている。

例えば、オリンピックなどの祭典に出場する選手には、大衆から様々な意見が寄せられる。
では選手は、何の勉強もしておらず、オリンピックの時だけ流行に乗って色んな意見を言ってくる『にわかファン』の意見全てに耳を傾けるべきかといえば、そんな事は無い。
ほぼ全ての意見は、無視しても問題はない。

しかし、中にはその分野に精通していて、日々研究しているような人物がいる。
例えば、選手を指導してくれるコーチは、選手そのものよりも知識は豊富だろうし、選手を客観的に見れるという点に置いては、選手よりも選手のことをよく分かっている場合もある。
スポーツそのものを実践するのも、結果のために努力するのも選手本人だが、その選手は、コーチの様な人物の意見には耳を傾けるべきで、その方が良い結果を生み出す。
また、選手の身体を定期的に検査をし、練習量に問題がないかを意見してくれる医者のような者の意見も聴くべきだろう。

これはスポーツに限ったことではなく、それぞれの分野には専門家がいて、日夜、研究を行っている為、この様な人達の意見には耳を傾ける必要がある。
つまり、大部分の大衆の意見は無視すべきだけれども、一部の人間の意見には耳を傾けるべきということになる。

耳を傾けるべき人物

そのようにして、聴くべき人の意見を聞き、努力した結果、試合で良い結果が残せなかった場合。
選手に過大な期待を寄せ、それが裏切られたということで、大半の無知な大衆は、選手を責め立てるだろう。 中には罵声を浴びせたり、威嚇するものも出てくるだろう。
その一方で、自分の練習をずっと身近で見守ってくれていたコーチは、自分の頑張りを評価してくれるかもしれない。

この場合も、耳を傾けるべきは身近で見守ってくれていた専門家の意見だけであり、無知な『にわかファン』による無意味な意見には耳をかさない方が良いことになる。
まとめると、無知な者が放つ自分勝手な意見には耳を傾ける必要はなく、自分を良い方向へと導き、悪い方向へ進もうとしている場合には正してくれるような、知恵のあるものの意見には、耳を傾けるべきということになる。

しかし、この選手が仮に、自分のことを真剣に考えてくれている医者やコーチの意見を軽視し、大衆に受け入れられるために迎合して、彼らの意見だけに耳を傾けたとしたらどうだろうか。
その選手は、破滅するのではないか? これにクリトンは同意する。

生き甲斐

では、この話を別の分野に移して考えてみよう。
その分野とは、『美しさ』であり『正義』『節制』といったアテレーに属する分野についてだ。
この分野についても、その道の専門家と言われる少数の者が主張する意見を尊重し、大部分の、アテレーについて考えたこともない様な無知な者の意見は無視すべきではないのか。

仮に、知恵のある少数の者の意見を無視し、無知な大衆の意見を聞き入れた場合は、先程の運動選手のように、破滅してしまうのではないだろうか。
運動選手が、無知な大衆の意見に流された結果、その体を壊してしまえば、彼は生き甲斐をなくしてしまうだろう。
では、アテレーの分野において破滅してしまったものは、その分野において生き甲斐をなくしてしまうのではないだろうか。

身体に対する生き甲斐と、魂に対する生き甲斐、どちらの方が重要度が高いだろうか。 もちろん、魂だ。

脱獄は良い行為なのか

これを踏まえた上で、クリトンの提案についてもう一度考えてみよう。 提案が正しいのであれば実行しても良いし、正しくないのであれば、ここにとどまるべきだ。
大衆というものは流されやすく、その時時の雰囲気によって、人を殺してしまおうと考えたり、逆に、生き返れば良いのにと妄想するような人達だ。
一方で私達は、民衆のように軽率な者ではない為、行動を起こす際には慎重に考えて、その結論を吟味しなければならない。

では、アテナイ人によって死刑判決を下された私が、彼らの同意なしに牢獄から抜け出る行為は、正しい行為なのか、それとも、不正な行為なのだろうか。
もし答えが正当な行為であるならば、私はクリトンに従って、共にここを出ていこうと思う。
しかし、その行為が不正であるのなら、私はここを出るべきではないだろ。 例え、この場に留まったことによって、拷問や死刑が実行されたとしても、それらのことは、不正行為を行うことよりかは遥かにマシなことだから。

クリトンは、この意見に同意するが、では、どの様に行動すれば良いのかというのが分からないという。
そこでソクラテスは、その事について共に考えようと誘う。
参考書籍