プラトン著【クリトン】私的解釈『秩序正しいという説得力』
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このエントリーは、私自身がPodcast配信のために哲学を勉強する過程で読んだ本を、現代風に分かりやすく要約し、私自身の解釈を加えたものです。
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目次
不正行為が許される場面
まず、最初に前提条件を確認しておくが、不正行為は、絶対に行ってはいけないことなのだろうか。 それとも、止むに止まれぬ理由があれば、不正行為は許されるのだろうか。私達は若い頃から語り合ってきて、その時に出た答えとしては、いかなる場合であったとしても不正行為はしてはならないというものだった。
その結論を覆すということは、今までの対話は全く意味がなかったということになるが、本当にそうなのだろうか?
それとも、やはり、不正はいかなる時であったとしても、悪なのだろうか。
これを聴いたクリトンは、不正行為はいかなる場合であったとしても、行ってはならないという意思をハッキリさせる。
不正行為を不正で返す
ここで、どの様な場合であったとしても、不正行為を行ってはならないという同意が得られたわけだが、この前提にたてば、不正行為を行われた場合に、報復として不正行為をしてはならないということになる。では、不正を害悪に置き換えて考えてみる。 他人から害悪を押し付けられたとして、その報復として、害悪を与え返すというのは正しい行ないだろうか。
クリトンが答える前に、ソクラテスは注意を促す。 何故なら、大抵のものは害悪によっては害悪で返すのは正当だと考えるからだ。
しかし、これから議論する話は、不正行為に対して不正で報復することはもちろん、害悪に対して害悪で対抗することも、相手の害悪に対して防御の為に害悪を行うことも否定する事を前提にして話す。
例えば、相手が理由もなく殴りかかってきたとしたら、報復として殴り返すのは当然だと考えるものは多いし、こちらも殴り返して防御しようと思うものは、更に多いだろう。
この行為すらも、『やってはいけない』という意見に同意できるだろうか。 クリトンは、これにも同意をして対話を続ける意志を示す。
では、不正はいかなる時であったとしても行ってはならず、また、他人から害悪を押し付けられたとしても、報復として害悪を返すということはやってはならないという前提で考えを進めていく。
私は、国家の定める法によって裁かれて、死刑を言い渡されている者だが、その国家の意に背いて、勝手に牢を出ていくというのは、誰かに害悪を与えたりしないのだろうか?
クリトンは、自分には答えが出せないと言い出すので、ソクラテスは例え話を始める。(クリトンの中では答えが出ているが、それをいうと、牢から出せないから言わないだけ?)
国家と法律
もし、国家と法律に人格があり、今まさに、脱獄しようとしている私達に話しかけてきたとしよう。『ソクラテスよ、お前は今、何をしようとしているんだ? お前は、国の法律によって裁かれて刑が執行されようとしているが、それを、個人的な理由だけで覆そうというのか。
そんな事が許された場合、国という枠組みが維持できると思っているのか?』
この質問に対して、私達はどの様に答えればよいのだろうか。
私に下された刑は、正当な手続きを踏んで与えられたものなので、正当なものだと言える。
それを個人で覆そうとする場合には、どの様な言い訳をすれば良いのか。 『私達こそが、国家によって不正行為を行われ、あらぬ罪で拘束されている。』とでもいうのだろうか。
クリトンは、『その通りだ、そう言い返すべきだ。』と同意する。
ダブルスタンダード
では、人格を持った法律が、この様に話しかけてきたとしよう。『ソクラテス、お前は、私が定めた結果が不服だとして、個人的な理由で、私(法律)の決めたことを無視して、国を崩壊させるような決断を下そうとしている。
お前は、私が定めた決まりごとの中で育ってきたわけだが、その決まりごとに不満があったのだろうか。
例えば、お前の親は、私の定めた婚姻の決め事に従って結婚し、法律に守られながらソクラテスという人間を誕生させた。
そして、その子供は、私が定めた育成方法によって、勉強や体育を行ない、一人前の人間に育った。
お前は、これらの私が定めた決め事に不満があったのだろうか?』
これに対して私は、不満がなかったと答えるべきだろう。 法律が定めた秩序によって守られて産まれ、ここまで育ってこれたのは本当なのだから。
では、それを確認した後に更に国家と法律が『では何故、お前は私が下した決断に従わず、国家が定めた法律を無視することで、秩序を破壊しようとするのか。
お前は、自分を生んで育ててくれた両親が、自分の行動を規制しようとしたり、その為に暴力を振るわれたからと言って、同じ行為で仕返しはしないはずだ。
それは何故かといえば、自分を生んで育ててくれた親を敬って、自分自身と同列には考えていないからだ。
国家や法律は、その親や更にその親、お前の先祖代々を産んで育ててきた存在だが、その者が下す決断を、何故、自分勝手な都合で破棄することが出来るのか。
本来であれば、国家や法律は、親以上に敬わなければならない存在で、決して、自分自身と同格だとは思えない存在のはずだ。』
…と言ってきたとしよう。 彼らの主張は正当だろうか?
これに対してクリトンは、肯定する。
同意を確認した後、ソクラテスは更に、国家と法律の言い分を代弁する。
国家に対する不満
『我が国で生まれ育ち、教育を受けて一人前の大人になったものは、我々という存在が正当かどうかを吟味する機会が与えられる。そして、もし、我々に不満があるのであれば、より良い法律を提案し、みんなを説得することで、法改正をする事が出来、自分が納得できる環境に作り変えられたはずだ。
自分のアイデアに、法改正が出来るほどの力や正当性がなかった場合も、この国から出ていくという選択肢は残されている。
アテナイという国家は、国民をこの地に縛り付けているわけではないので、見聞を広めたり、または、楽しみの為に、自由に国を離れて外を見て回る機会はあったはずだ。
その旅先で、自分の生き方により合う国家や法律があるのであれば、財産をまとめてその地に移住するという選択肢もあるし、その決断は、誰に求めることは出来ない。
にも関わらず、ソクラテスという人間は、移住どころか、旅行すらも行わずに、アテナイに籠もって出なかった。
それは、このアテナイという国や法律が自分に合っていて、住心地が良かったからではないのか。
しかもお前は、この国で子供まで作っている。 何故そうしたのか、それは、この国で子供を育てることが望ましいと思ったからではないのか。
そのようにして、この国に住み続けるという行為そのものが、国家や法律を承認すると宣言しているに等しい。
不正を犯すことで失うもの
また、最後に行われた裁判で、お前は自分で刑罰を提案する際に、国外追放を提案しなかった。もしあの時、国外追放を提案していたら、それを聞き入れられた可能性があったにも関わらず、それを選択せずに、死刑になるような演説をした。
にも関わらず、自分勝手な理由で法律を無視し、秩序を乱して、ここを出て行こうというのか?
そのようにして出ていく場合は、おそらく、秩序ある国はどこも受け入れてはくれないのではないだろうか。
何故なら、秩序を重視する国というのは、国家や法律を重んじる国であるわけだから、自分の国の法律を破った逃亡者を受け入れるなんてことはしないだろう。
逃亡先の住人は、逃げてきたお前を敵視し、厳しく追求するだろうし、その追求は正当なものだろう(実際に秩序を破壊して逃げてきているので)
そんな逃亡先で、どの様な人生を過ごそうというのか。 アテナイでしていたのと同じ様に、善であるとか秩序について話すのだろうか?
そんな事を秩序を破壊した逃亡者が話したとして、一体、誰が耳を傾けるのだろうか。
逃亡者を喜んで受け入れてくれるような国は、同じ様に秩序を重要視しない様な人達で作られた国だけだろう。
秩序正しいという説得力
国や法律が形骸化し、秩序が崩壊した国に住む人間達なら、牢からどうやって抜け出しただとか、バレ無いように返送して船に乗り込んだなんて話を面白おかしく聴いてくれるかもしれない。だが、そんな話がしてくて、国外に逃亡しようとしているのか?
もし逃亡をせずに、このまま法律に従って処刑されたとすれば、アテナイに住むものの中には、『ソクラテスは不正によって殺された』と同情するものも出るだろう。
しかし、秩序を崩壊せんとして逃亡者となれば、そういうわけにも行かないだろう。
国家と法律である我々は、お前の命がある限り恨み続けるだろうし、寿命を全うしてあの世に行った際には、ハデスによってその罪を裁かれるだろう。
秩序を乱すという大罪を犯したものに、安息は訪れない。
そうなりたくなければ、クリトンを説得し、秩序を守る道を選ぶが良い。』
きっと、国家と法律は、この様に主張するだろう。
『これに反論できるだろうか?』というソクラテスの言葉に、クリトンは納得してしまう。
参考書籍