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プラトン著【ソクラテスの弁明】私的解釈 その1 『一番賢いソクラテス』

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このエントリーは、私自身がPodcast配信のために哲学を勉強する過程で読んだ本を、現代風に分かりやすく要約し、私自身の解釈を加えたものです。
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目次

訴えられたソクラテス

物語は、ソクラテスが訴えられ、告発した側が、彼はどの様な罪を犯したのかを演説し終わった直後から始まる。
ソクラテスは、告発者の演説に対して反論を始める。

彼らは私のことを雄弁家(弁論家?)と語り、他の市民に近づかないように注意を促したが、そもそもそれが間違っている。
私は雄弁家ではないし、そもそも告発者は、何一つ真実を述べていない。

しかし、私が主張を行えば、それは明らかになるが、私が放つ言葉は、告発者が行ったような演出を一切行わなわず、本心を垂れ流すだけなので、聞き苦しいかもしれない。
だが、私は自分が放つ言葉が正論だと信じている。
最初に注意として言っておくけれども、私は言葉の扱いが丁寧な方ではないので、聞き苦しい点もあるかもしれない。
しかし、言葉の綺麗さや聞き心地の良さなどは度外視して、その内容だけに焦点を当てて聞いて欲しい。 それが、裁判官の本文で、その見極めができることこそが、裁判官のアレテーなのだから。

ソクラテスのを訴えた人達

ソクラテスは、自らが訴えられた理由と弁明を行う。
先ず、私を訴えたアニュトスと、その支持者たちは、嘘しか話していない。
またアニュトスは、まだ幼く知識もない少年や青年に近づいて、私が如何にも悪い人物かというのを吹き込んで、洗脳している。

アニュトス曰く、ソクラテスという人物は、自然学をはじめとした哲学を学び、悪いことを正しいことのように偽装する方法を編み出し、その技術を使って嘘を真実のようにして広めている。
ソクラテスのように科学に没頭するものは、神々を信仰することもしない。 その様な敬虔な態度を持たないことは、嘘を真実と偽って平気で広める。』と主張する。
この噂は幅広く広まり、少年や青年の耳にも入り、彼らはその噂を疑うこと無く信じてしまう。

更に驚くことは、今回の訴えは、私を交えない形で秘密裏に話し合われた後にいきなり訴えられた。

私に罪があると主張する人達は、2種類いる。
1つは、一人の喜劇作家を除いては、よく知らない人達ばかりで、彼らは私を馬鹿にして笑いものにしている。(ソクラテスを愚か者扱いする喜劇が作られて、人気だった。)
彼らをここに1人ずつ呼びつけて反論したいところだが、そんな事は出来ないし、彼らは私を馬鹿者扱いして楽しんでいるだけなので、この場に出廷もしないだろう。

そしてもう1つの告発者たちは、私を古くから知る者達で、彼らが、この裁判を開いた。
その彼らの主張に対しては、弁明しなければならない。
それと同時に、アテナイ人諸君(裁判官に対して媚びへつらっていない。)が私に持つ疑念も、短時間のうちに(水時計)晴らさなければならない。(ソクラテスの悪名は、アテナイ中に轟いていた?)

そうする事が、私自身にとっても、ここにいる人達みんなの為にとっても、良いことであるのならば。
私は不正を犯さず、法律に則った形で弁明を行う。

人を馬鹿にして楽しむ人達

ソクラテスは先ず、多くの人達が自分を賢者と呼び、一方で犯罪者だとして罪をでっち上げて非難している理由を説明する。
私を避難するもの達がでっち上げた罪とは『ソクラテスは不正を行ない、神々を信仰せずに科学に没頭し、真実を曲げて嘘を真実のように演出して広めている。』というもの。
喜劇作家のアリストファネスは、私が屁理屈を捏ねて、空を飛べるだとか奇想天外な事を出来ると、面白おかしく喜劇を使って馬鹿にする。

この言いがかりに対して、この場にいる人達みんなを証人として、今一度確認したい。
私はこれまでの人生で、様々なところで演説をしたり会話をしてきたりしていたが、そんな奇想天外なことが出来ると嘘をついたことが有っただろうか。
その発言をその耳で聞いたというものが、1人でもいるのだろうか?

これらの事は事実無根である、私は一度たりともそんな事は言っていない。
また告発者は、私が無知な青年に近寄っていって、報酬と引き替えに嘘を教えているというが…
私は今まで関わってきた人に、会話をしただけで報酬を受け取ったことなどは1度もない。

人に物事を教えて報酬を受け取るというのは、別に悪いことではない。 プロタゴラスゴルギアスといった人物たちは、弟子をとって教えを授けることで、多額の報酬を得ている。
金額に見合ったものを与えることが出来るのであれば、それは正当なことだし。悪いなんて事は何もない。
しかし私自身は、言葉で伝えるだけで人を善い存在に変える様な知識は持ち合わせていないので、そもそも、他人に物を教えるという行為が出来ない。

この弁明を聞かれた方は、では、私は何を生業にして生きているのかと疑問を持たれるだろう。
そして、何もしていないにも関わらず、ここまでの悪評が立っているというのは、やはり、何かしらの原因があるのではないかと思われるだろう。(火のないところに煙は立たない)
という事で、ソクラテスは説明を始める。

一番賢いソクラテス

ソクラテス自身は、人に教えられるような知識は、何も持ち合わせていない。 その様な知識を得るために、彼は日々、必死に様々なことを学ぼうとしていた。
しかしある日、ソクラテスの親友のカイレフォンが、デルフォイの神殿に赴いて、巫女に『一番、知識のあるものは誰か。』を訪ねに行った。
彼は、私の近くにいて苦悩をよく分かっていたので、国で一番の賢者の名前を聞くことができれば、ソクラテスが知りたいと思っている真理を教えてくれると思ったのだろう。

しかし帰ってきた答えは意外にも、『国で一番賢いのはソクラテスだ』という答えだった。
この答えに、当然の事ながらソクラテスは納得が出来ない。 必死になって真理を求めているのに、その尻尾すらつかめずに苦悩しているのに、そんなソクラテスが一番賢いと言われても、納得できるはずがない。
彼は、その予言が間違っていることを証明するために、自分よりも賢いとされる賢者の元へ訪れては、対話を行って、自分よりも賢いことを証明しようとする。

何も知らない賢者たち

賢者たちは、最初のうちはわざわざ訪ねてくれたソクラテスに対して丁寧に答えてくれていたが、議論がアレテーの本質に近づいていくと、その答えを誰も答えてくれない。
ソクラテスは、様々な人の元を訪ねては、アレテーについて質問するも、それを構成していると思われる『正義』や『美しさ』といった概念を正確に説明できるものは、一人としていなかった。
更に驚くべきことは、その賢者たちは、ソクラテスが深く追求するまでは、アレテーやそれを構成するもののことについて、知っていると思いこんでいた点。

しかし、ソクラテスとの対話によって、それが単なる思い込みだった事を思い知らされた彼らは、私を罵り、追い出すといった行動をとった。
賢者と呼ばれる殆どの人が、知らないものを知っていると思いこんで、他人に自分も知らないことを教えていたのである。
一方で、一般人ほど、知らない事柄については素直に知らないと認めており、賢者よりも一般人の方が自分に対する認識がしっかりできていることに驚かされた。

それでも諦められないソクラテスは、過去の詩人達が書いた有名な詩を持ち出して、詩に詳しい人達に、その解釈などを訪ね歩くという行動に出たが、ここでも意外なことが起こった。
というのも、詩の愛好家は、おそらく詩を書いた本人ですら想像もしていないような詳細な情報をスラスラと言い出したのだ。
詩の作者よりも詩について詳しいなんて、これは、何かしらの神からの託宣を受けているとしか思えない。

(例えば、熱心なガンダムファンは、その世界観の説明やキャラクターの心境について、原作者の富野さんすら想像していないような情報をスラスラと言うだろう。)

『美』を知らない芸術家

次にソクラテスは、職人の元を訪れた。 職人は学者ではないので、学問のことを論理的に理解しているとは思えないが、技術に関する事にかけては他の者達よりも優れた知識を持っているだろうと思われたので、話を聞きに行った。
この推測は正しく、彼らは私の知らないような事を教えてくれたが、根本的な事柄にテーマが移ると、彼らもまた、自分自身はその事を知っていると思いこんでいるだけの者たちだった。
例えば、彫刻家たちは、その技術と作品を生み出すセンスにより、自分自身は『美しさ』という概念を理解しているつもりでいるが、実際に話を聞いて吟味してみると、彼らは『美しさ』について何も知らなかった。

様々な賢者や詩人、職人たちの元を訪れて分かったことは、この世で本当に賢者と呼べるのは神という存在だけで、人間が持つ知識なんてものは、ほんの僅か、または、全くの無価値ではないのかという事だけだ。
人間が等しく無知なのであれば、その中で誰かが一番という順位付けは意味を成さない。
神が、『人間の中でソクラテスが一番賢い』と敢えていったのは物の例えで、『人間の知識なんてたかが知れている』という事を知っているソクラテスが、一番マシだと言いたいだけだったのではないだろうか。

私は、それが理解できた後も、賢者に出逢えば質問を投げかけ、神の言葉の真意を確かめる活動を続けた。 そんな活動で金銭が稼げることもなく、私は極貧生活を送っている。
そして多くの賢者と呼ばれるものが、自分は賢者だと思い込んでいるだけの無知なものであることを明らかにしてきた。
その活動により、私は多くの自称『賢者』たちから恨まれる事になったけれども、その討論を傍から観ていたものは、私に対して別の印象を抱いたようだ。

それは、賢者と呼ばれるものを論破した、真の賢者というふうに。
そして自分自身も賢者になりたいと、私の元へ弟子入りを志願してくる青年も出てくるようになった。
(つづく)
kimniy8.hatenablog.com

参考書籍