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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第104回【ソクラテスの弁明】無知の知 前編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

今回も前回と同じ様に、プラトンが書いた『ソクラテスの弁明』の読み解きを行っていきます。
著作権の関係から、本を朗読するわけではなく、私が読んで重要だと思った部分を取り上げて考察する形式になっていますので、興味のある方は、ご自身で本を読まれることをお勧めします。

この作品は、ソクラテスが訴えられて裁判にかけられた様子を書き写した作品となっています。
前回は、当時の裁判がどの様に行われていたのかや、ソクラテスが何故、訴えられることになったのか、その前提となる状況について、簡単に説明していきました。
今回からは、本題に入って行くことにします。

2種類の自分を避難する人達

前回、ソクラテスは、自分が訴えられることになったのは、世間の人達がアニュトスの一方的な主張を聞いたことで、多くの人達が、私が不正行為を働いていると思い込んだからだと言いました。
そして、私のことを悪い人間だと思い込んでいる人は、大きく分けると2種類いて、1つは、ソクラテスのことをよく知らないけれども、『皆が彼を悪人だと思っているから、自分も、そう思う』と漠然と思っている人。

もう1つは、ソクラテスの事をよく知り、個人的にも敵意を持っているアンチの存在だと主張します。
アンチである彼らは、『ソクラテスは不正を行ない、神々を信仰せずに科学に没頭し、事実を曲げて嘘を真実のように演出して広めている。』と言いふらして、悪評を高めようとしています。

ソクラテスは、前者に対しては、彼らを一人ずつ法定に呼んで説得するわけにも行かないので、弁明のしようもないけれども、彼らが私を非難する理由を放置しておくのも良くないので、何故、ここまで事が大きくなったかを、説明する必要があるとし…
後者に対しては、彼らの主張に対して一つ一つ、しっかりと、反論をしなければならないと主張します。

ソクラテスの評価

まず、前者についてですが、ソクラテスは、アニュトスたちの活動によって愚か者だという烙印を押されていました。
その噂はアテナイ中に広まっていて有名だった為か、有名な劇作家であるアリストファネスが、ソクラテスをバカにする喜劇を作って劇場公開までしていました。
しかしその一方で、ソクラテスは賢者だという噂も同じ様に広まっていて、ソクラテスの評価は国内で2分されていました。

現状の日本を見てみてもわかりますが、単純に『あの人物が悪い』という話は、一瞬は盛り上がりますが、その話題が長続きすることはありません。
ワイドショーなどでも、凶悪犯罪者や許せない不正行為をする人間のニュースは数多く取り扱われますが、よほどの大きな事件でもない限り、それが長期間に渡って報じられることはありません。
ですが、そんな中でも、長期間取り扱われる話題があります。 それは、一概にどちらが良いと言い切る事が出来ない問題です。

例えば政治の問題では、右系と左系の思想の人達は、ずっと言い争いをしていますし、それ自体がテレビ番組になったりします。
また、それを観ている視聴者が両陣営に分かれて議論するという事が日常生活の中で起これば、それ自体が社会現象になったりして、論争が巻き起こります。
そういったネタは、コンテンツ制作をする上で恰好のネタになる為、取り上げやすいです。

誇張される悪評

ソクラテスの置かれている立場も同じで、全員がソクラテスは悪人だと決めつけていれば、そもそも大きな問題には発展しません。
人気作家が喜劇作品として取り上げる程に大きな問題となったのは、ソクラテスは愚か者でも悪人でもなく、むしろ賢者だと思う人達がそれなりの割合で存在していたからです。
両者の意見が、それなりに拮抗しているからこそ、相手陣営を侮辱したり挑発するコンテンツが作られるというのは、いつの時代でも同じです。

アリストファネスが作った劇では、ソクラテスは『空を飛べる』だとか『水の上を歩ける』といった感じの事をいっては、屁理屈を捏ねて見当違いのことをするといった行動を起こしています。
そうして、彼を信じる人達をバカにすることで、アリストファネスはアンチの人達から称賛を得ていたのでしょう。

しかしこれに対して、ソクラテスは反論をします。
ソクラテスは今まで、閉鎖された特殊な環境で自分の意見を主張し続けてきたわけではありません、 街角など、皆が討論を見物できるような開かれた場所で、自分の主張をし続けていました。
つまり、誰でも彼が対話している現場を見ることが出来ましたし、その内容を聞くことができました。

ソクラテスの生活

この前提の上で、ソクラテスは裁判に出席している人たちに問いかけます、『私の行っている対話を聴いた人の中で、一人でも、私が『空を飛べる』なんて事を主張している所を目撃した人がいるのか』と。
ソクラテスは他にも、物事を知らない若い人に近づいて、適当なことを言って授業料を巻き上げているという噂が広がっていました。
これに対しても、今まで、対話を行ったりだとか、誰かにモノを教えることで授業料を取ったことなどは一度もないと断言します。

今現在もそうですが、古代ギリシャの時代でも、人にモノを教えることで授業料をとって、裕福な生活を送っていた人達は存在しました。
これまでに取り扱ってきた、プロタゴラスゴルギアスがそれに当たります。 彼らは、教えを請いに来た弟子たちから授業料を取って生活していました。
物であれ、知識であれ、何かを他人に受け渡すことで賃金をもらうというのは不正行為ではなく、正当な報酬ですが、ソクラテスは、自分には、伝えることで人を良く変えることが出来るような知識は持ち合わせていないので、教える事が出来ないと言います。

では彼は、何を生業として生きてきたのでしょうか。 彼は、哲学に没頭してきたことは事実ですが、研究成果を販売することでお金を得てはいません。
奴隷を使って商売をしていたというわけでもない為、生活費などはどうしていたのでしょうか。  また、対話以外は何もしていないにも関わらず、何故、ここまで悪評が立っているのでしょうか。
火のないところに煙は立たないと言いますが、誰にも損害を負わせていないのであれば、何故、アテナイの少なくない割合の人達が、ソクラテスを悪くいうのでしょうか。

一番の賢者『ソクラテス

疑問は尽きませんが、それに対してソクラテスは、自身の活動の内容が関係しているのではないかと推測します。
そして、その活動を行うきっかけになった出来事を話し始めます。

先程も言いましたが、ソクラテス自身は、人に教えられるような知識は持ち合わせてはいません。 その為、必死になって日々研究し、賢者を見つけては、真理について訪ね歩くという日々を送っていました。
そんな彼を日頃見ていた親友のカイレフォンが、デルフォイの神殿に、神の言葉を聞きに行きました。 デルフォイは、アポロンを祀っている神殿で、そこに仕えている巫女が神と交信し、神々の知恵を授けてくれる場所です。
神を祀る神殿は至るところにありましたが、その中でも『デルフォイの神託』は重要視されていました。 どこよりも信用できる神託が得られる場所と思われていたんでしょう。

カイレフォンは、デルフォイの巫女に『この世で一番知識があるのは誰か?』と聞きます。
ソクラテスの苦悩を身近で観ていた彼は、それを少しでも和らげようと、賢者の名前を聞きに行ったのでしょう。 神託によって賢者が分かれば、その人物に真理を聞きに行けば、苦悩は解消されるはずだからです。
しかし、このお告げが、ソクラテスを更に苦しめることになってしまいます。

何故なら、その巫女は『一番の賢者はソクラテスだ』と答えたからです。

『神の間違い』の証明

ソクラテスは日々、自分の無知を克服するために、真理を研究し続けていますが、その知恵を他人に教えるどころか、どの方向へ研究を進めてよいのかすら見えていない状況です。
もし、神々の代弁者である巫女が、真理に到達した賢者の名前を告げてくれていれば、ソクラテスは苦悩から開放され、その賢者の元へ駆けつけて、教えを請えば良いだけです。
その賢者の理論が理解できなかったとしても、既に師匠がいるわけですから、自分ひとりで思い悩んでいるよりかは遥かにマシな状況と言えます。

そういった事を期待して、カイレフォンはデルフォイの神託を受けに行ったわけですが、得られた答えは、自分自身のことを無知だと思っているソクラテスが一番賢いという、謎掛けにも似た答えでした。
ソクラテスは、この答えに納得がいかず、『このお告げは、間違っているのではないか。』と思うようになり、それを証明するためにも、自分よりも賢いと思う賢者の元を訪れては対話を行うという活動を、より積極的に行いました。
もし、この活動の結果として、自分よりも賢いと思えるものを見つけることができれば、神の主張は間違っていて、自分は今までそう思っていたとおりに『無知』だということが証明できるし、その上、師匠まで手に入れることが出来る。

そうした思いから、ソクラテスは様々な人達に会いに行き、対話を重ねていきました。