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プラトン著【メノン】の私的解釈 その7 『徳は誰でも知っている?』

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このエントリーは、私自身がPodcast配信のために哲学を勉強する過程で読んだ本を、現代風に分かりやすく要約し、私自身の解釈を加えたものです。
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kimniy8.hatenablog.com
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目次

知らないものを否定できるのか

アニュトスが、あまりにソフィストに対して敵対的なので、ソクラテスは『そこまでソフィストを憎んでいるのは、過去にソフィストに何か悪いことをされたからですか?』と聴く。
しかしアニュトスは、害悪を撒き散らすソフィストなどには近寄らないように気をつけているし、関わり合いになるはずもないという
ソクラテスは不思議に思い、関わったことすら無いのに、ソフィストたちが何故、害悪を振りまいていることが分かるのかと質問するも、アニュトスは『その程度のことは、かかわり合いにならなくても分かることだ』と豪語する。
これを受けてソクラテスは、『自分が関わった事も無い事を知っていると主張するアナタは、預言者か何かですか?』と皮肉を言う。

このやり取りでは、ソクラテスの言い分は尤もなのだが、アニュトスの理屈もわからないではない。
前回に引き続き、炎上芸人のネットサロンで例えるなら、彼らの事を悪くいえるのは、実際に彼らにお金を支払って授業を受けた人間だけで、それを外から見ている人間には絶対にわからないことになってしまう。
しかし実際問題として、そこから漏れ出てくる不満だったり、実際にサロンに入会した人たちの行動を見たりすることで、自分が入会しなくとも手に入る情報はある。

ソクラテスの理屈でいうのなら、反社会組織が本当に悪いかどうかを判断するためには、自分が組織に入って犯罪に手を染める必要があるし、マルチ商法を批判するためには、自分も入会して活動しなければならない。
仮にテロを起こしているカルト集団が有ったとして、彼らを批判するためには、自分もカルト集団に入信して、テロ活動に参加しないといけないことになる。

確かに、実際に入会して活動することで、外から見ていただけでは分からなかったことが分かるかもしれない。
社会のためにならないと思いこんでいたことでも、彼らは彼らなりに理由があるということを知ることが出来るかもしれない。
しかし、実際にそれらの組織に入会しなかったとしても、外から見るだけで分かる事もある。

『徳』は誰でも知っている

ソクラテスは、この部分は掘り下げること無く、アニュトスがそう思いたいのであれば、そう思っておけば良いとして、『では、誰の教えを受ければ徳を学ぶことが出来るのか』と質問する。
この質問に対してアニュトスは、『アテナイ人であれば誰に聴いたとしても、徳について教えてくれる。 人々の意見を素直に聞こうとさえすれば、立派な人間になれる。』と答える。
どうやら、アテナイ人なら全ての人が徳について的確に答えてくれるらしい。

アニュトスに言わせれば、徳なんてものは誰でも知っていることなので、それをわざわざ教えてる教師なんてものは必要ないということなのだろう。
しかし、このアニュトスの答えはいろんな矛盾を孕んでいる。
アテナイ人の全ての人間が徳を知っていて、その身に宿しているとするのなら、アテナイ人のソフィストは、徳を宿しているのだろうか。

徳というのは、それを身に宿すことで他の者よりも優れた存在になれるもの。
単にお金を稼ぐ能力があるとか、力強いといったものではなく、それを宿すことで善悪の分別がつき、自分の欲望を押さえ込み、正しい方向へと真っ直ぐに進んでいける人間の事なので、徳を身に宿す人間は例外なく『善人』である。
その善人のアテナイ人のソフィストは、害悪と分かっているものを周りに振り撒くのだろうか。
もし、ソフィストは除くというのであれば、アテナイ人全員というのが嘘になる。 また、この程度の嘘をつく人は、他の例を上げれば『それは含まない』と平気で言う。

偉人と呼ばれる人は徳の教師になれるのか

ソクラテスは、そこまでのツッコミ入れずに、テミストクレスというアテナイの有名な政治家の名前を上げ、『彼は徳を知っているのだろうか。 そして、他人に教える術を見に付けているのだろうか。』と質問をする。
テミストクレスは執政官で、アテナイをギリシャの中でもトップの海軍国家に仕上げた人物。この人物が本当に優れた人物であったとすれば、徳を宿していたことになる。
では、テミストクレスが他人に徳を教える気があったとすれば、彼は徳の教師になる事が出来たのだろうか。

アニュトスは、テミストクレスなら、徳を他人に伝えるだけの能力が有ったかもしれないと答える。

しかし残念ながら、テミストクレスは徳を他人に教える徳の教師にはなっていない。だが、彼には子供がいる。いつの時代も親は子供を可愛がるものなので、親は子供を優秀な人間にしようと教育を施すはず。
この息子たちの成長を見てみれば、テミストクレスが子供に徳を授けたかどうかが分かるかもしれない。
対話篇の『プロタゴラス』との対話では、徳を受け継ぐには生まれ持った素質も必要だということらしいが、幸いにも息子のクレオファントスには馬術の才能があり、馬術訓練を受けることでその技術に更に磨きをかけた。

偉人は自分の子供にすら徳を教えられない

クレオファントスは、物事を教えれば、それを吸収して自分のものに出来る人物なので、徳に関しても、正しい教育を受ければ身につけることが出来る可能性が高い。
しかし、クレオファントスに関しては、後に偉業を達成したとか優れた人物であったという噂を聞かない。 現にネットで調べてみても、父親のテミストクレスの記事はたくさんヒットするが、クレオファントスの記事は見つからない。これには、アニュトスも同意する。
クレオファントスは、徳を宿した優れた父親から徳を教えてもらったはずなのに、それを身につけることは出来なかったということになる。それともテミストクレスは、子供の教育には熱心ではなかったのだろうか。 

では、他のものはどうだろうか。 他にも、ペリクレスやリュシマコスといった偉人はいるが、彼らの子供はどうなんだろうか。親と並ぶほどの徳を身に着けた者が、一人でもいるだろうか。 
ペリクレスは、自分の持てる全ての力を総動員して息子に教育を施した。 この行動を観てみても、彼らが子供の教育に熱心だったことがよく分かる。 彼ら偉人達は、子供たちに徳を授けようとしなかったのではなく、積極的に授けようとしていた。
にも関わらず、その息子は立派な人間には程遠く、親の名前を出してツケで呑み歩く様な人間に育った。

教育を施すという点においては、彼らのような偉人だけでは無く、人脈や資産を持つものなども、同じ様に子供に最高の環境を与えて教育することが出来る。
資産家は、徳を宿した優れた人間にお金を渡すことで、彼らを家庭教師として雇うことが出来るし、幅広い人脈を持つものは、その人脈を使って優秀な人間と知り合うことが出来る。
自分自身が優れていなかったとしても、その代わりとして優れた人間を連れてくれば、子供に最高の教育を受けさせることが出来るはず。 しかし、その様な教育で実際に優秀な人間が生まれたというのを聴いたことがない。

これを聴いたアニュトスは、効果的な反論が思いつかなかったのか『君は、平気で他人の悪口をいうような人間なんだね。 私の話を聞きたいのであれば、今後、その様な行為はやめたほうが良い。』と言い出す。
しかし、アニュトスとの対話の冒頭部分を思い出してもらいたいが、彼は、関わりを持ったことすら無いソフィスト達の悪口を言い続けている。 つまりこれは、『お前が言うか』という状況でもある。
この辺りのやり取りからも、アニュトスはプライドが高く、自分は常に正しくて優れていると思いこんでいる人間という事が分かる。

気分を害したアニュとストの対話を終え、再び、メノンとの対話に戻る。

徳とは知識のようなものでは無いのか

先程のアニュとストの対話では、彼は『アテナイ人なら誰でも徳を教えることが出来る』と豪語していたが、結果としては、アテナイ人の中でもトップレベルの優秀な人物でも徳を教えることは出来なかった。
偉人として扱われている人物だけでなく、資産や財力を持つ人間など、高度な教育を受けさせることが出来る他の立場の人間でも同じで、様々な立場の者が子供に徳を身に着けさせようと奮闘し、失敗している。
本当に徳というものが知識のようなもので、他人に伝えられるようなものであるのなら、それを伝えることを職業とする教師がいそうなものだが、その様な人は居ない。
自称『徳の教師』と名乗っているソフィストたちなら存在するが、アニュトスは、彼らのことを認めては居ない。

アニュトスとの対話をまとめると、この様な結末になったが、これを踏まえた上でメノンに対して『徳を教えられる人物はいるのだろうか。』と尋ねると、対話の結果から考えると、いないと考えるべきだという答えが返ってくる。
このメノンとの対話は、メノンがゴルギアスから『徳とはどのようなものか』というのを教えてもらい、知った気になっていたところから始まるが、先程のメノン自身の答えによって、ゴルギアスでさえも、徳は教えられないことが理解できてしまう。
そして冒頭部分の会話を撤回し、ゴルギアスが教えているのは徳ではなく、弁論術という技術であって、彼は徳の教師ではないと言い直す。

徳が教えられるような類のものではない事が分かったわけだが、では、徳は知識のようなものなのにも関わらず、誰も教えることが出来ないというのであれば、この世には徳を宿した人間はいないのだろうかと、メノンは疑問に思う。
この疑問に対してソクラテスは、徳の捉え方が間違っていたかもしれないということで、もう一度考えてみようと言う。
このソクラテスの態度は、非常に科学的な態度といえる。 わからないことに対して、まず、仮説を立てて推論を行い、その結果としてでてきた答えを人事着ることはせずに、もう一度批判をして、批判に耐えられるかどうかを試している。

徳の議論に戻ると、メノンとソクラテスは、徳とは知識を伴うものという前提に同意した状態で、推論を重ねていた。
この前提が間違っていたとすれば、答えその者も当然のように間違ってしまう。
(つづく)
kimniy8.hatenablog.com

参考書籍