だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

プラトン著【メノン】の私的解釈 その3 『徳の正体とは』

広告

このエントリーは、私自身がPodcast配信のために哲学を勉強する過程で読んだ本を、現代風に分かりやすく要約し、私自身の解釈を加えたものです。
Podcastはこちら

前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com
f:id:kimniy8:20190225212629j:plain

目次

徳とは 欲しいものを手に入れる力

ソクラテスが、『形』や『色』についての納得の行く説明を行ったので、次はメノンが、それを参考にして『徳とは何か』の答えを考えることになる。
メノンは、自分の言葉ではなく吟遊詩人の歌を引用し『美しく立派なものを欲しいと思い、それを手に入れる力だ』と答える。

この返答は、対話篇の『ゴルギアス』に出てくる政治家のカリクレスの象徴と似ている部分がある。
カリクレスの主張は、人が抱く欲望こそが生きている原動力になり、その欲望を満たすために頑張り、それが達成したときには幸福になれるという主張だった。 
アテレーを宿すというのが幸福に繋がる道とするなら…
『美しくて立派なもの』という、手に入れづらいものを欲しいと思い、その為に頑張って実際に手に入れることができる力を手にするというのは、幸福に繋がる道ということなのだろう。

美しく立派なものとは

では、このポロスの返答は正しいのだろうか。
まず、ポロスの返答には2つの事柄が含まれているので、『美しくて立派なものを欲する』という部分と『それを手に入れる力』という部分に分解する。
そして、まず前者について考えていく。『美しくて立派なものを欲する』という事についてだが、これは特別な事なのだろうか。逆に、『醜くて悪いものを欲する』と考える人間がいるのだろうか。

例えば、多くの人が物を買う場合には、新しくてキレイなものを欲しいと思うだろう。 しかし世の中には逆に、古くて汚いものを欲しいと思う人も少なからずいる。
ではこの場合、新しくてキレイなものを欲しいと思うのは『善』で、古くて汚いものを欲しいと思うのは『悪』なんだろうか。
これは必ずしもそうとはいえず、家を買う際には皆が新築を買うわけではなく、中古市場でも家は売れているし、家具でも、新品なものに比べてビンテージものの方が高いこともある。

これは物だけにとどまらない。 例えば人間であったとしても同じで、関わり合いになる事で被害にあったり、自分自身が汚染されて悪くなってしまうような人がいる。
その様な人物と敢えて仲良くしたいと近寄っていく人達が存在するけれども、悪に近寄っていく人達は、その対象を本当に悪だと思って近寄っていくのだろうか。

例えば、汚職を行っている政治家や警察官というものがいる。 彼らは国というシステムで権力を振るえる立場にいるけれども、汚職をしているという点に置いて悪である。
この悪人に近寄り、自分自身も不正によって金銭を手に入れる事は悪だし、大半の人間は、その行為が悪だということは分かっている。
しかし、その悪い行為を敢えて行って蓄財したり、欲望を満たすために散財する人間は後を絶たない。

汚職に手を染めて、人から搾取し、自分たちだけが濡れ手に粟の金銭を儲けることは悪なのに、その悪に自ら近づいていく人達は、何故、醜く悪いものに近寄って、自分たちも同じ様に醜く悪い存在になろうとするのか。
それは、権力を振りかざして弱者から搾取し、その行動によって得た金で贅沢な暮らしをする事が『善い』と思っているからで、彼らは、世間一般で把握と思われているが『自分たちにとっては善い』と思う行為を行っている。

これは、犯罪を犯すような人間も同じで、オレオレ詐欺を行って老人から大金を奪い取ろうとする若者は、裕福な老人が金を貯め込むよりも、若い自分たちがその金を消費するほうが善いと思いこんでいる。
また、イジメや権力者の暴走も同じで、何らかの力を持つ人間は、力を持たない人間を不当な手段で支配し、思い通りに扱うことが『良い事』だと思いこんでいる。

全ての人は『良いモノ』を欲しがっている

つまり、不正行為や犯罪に手を染めるものは、それらの行為が世間一般では悪いことだと言われている事は認識しているが、その行為が自分にとって悪いものだとは思っていない。
むしろ、自分が欲しいと思っている物や環境を手に入れる為の手段だと考えている。 そして、この様な浅はかな人は、自分が欲しいと思うものを手に入れることが幸福だと思いこんでいるので、幸福を定位れるための手段である不正などを善いものだと勘違いしている。
この様な人間が、もっと真剣に考えた上で、『自分が欲しているものを手に入れたとしても幸福は訪れない。』と認識し、不正や犯罪行為に手を染めることが自分自身にとって悪いことだという事を本当の意味で認識できれば、人は不正や犯罪行為は行わない。

この様に人の価値は様々なので、皆が同じものを『美しいく立派』と感じるわけではない。 その為、世間一般からみれば『醜くて悪いもの』と思われているものであったとしても、その中に美しさや立派さを見出すものはいる。
また、不正行為や犯罪行為など、関わる事で周りや自分自身が悪くなってしまうようなものを、自分にとっては『善い行為』だと勘違いして欲するものもいる。
これを踏まえて考えると、ほぼ全ての人間が自分にとって『美しく立派なもの』を『欲しい』と思っている為、『美しくて立派なものを欲する』という行為は普通の事であって、世の中の人全員が思っている事といえる。

メノンが主張する『美しく立派なものを欲しいと思い、それを手に入れる力』の前半部分については、世の中の人間全員がその様に思っていることがわかったので、メノンの主張の核心部分は、『それを手に入れる力』の方にあるといえる。

欲しいモノはどんな手段で手に入れても良いのか

では、目標となる『美しく立派なもの』とは、どのようなものを指すのだろうか。
メノンの主張によると、金銀財宝や、国家における名誉や要職を任される事だという。 つまり、富と権力。
ソクラテスは、『その富や権力は、どの様な手段を使って手に入れても良いのか』と聞くが、メノンはそれを否定して、『手に入れる手段は正義と敬虔が伴っていなければならない。』と答える。

この答えは当然で、『徳を宿す』という前提条件として、正義や節制を宿していなければならないというのを互いに同意している為、これらを欠いた行動は徳とは呼べない事となる。
正義も節制も宿すこと無く、自分の欲望に従って不正な手段や犯罪行為を行い、結果として富や権力を手に入れたとしても、その行為は徳のある行動にはならず、悪徳な行為となる。

これまでをまとめると、メノンの主張は、金銀財宝や権力を手に入れる力を持つ事が徳を宿すことにつながるが、それらを手に入れる行為には、正義や節制・敬虔が伴っていなければならないということになった。

目指すものと徳目は どちらが優先されるべきか

以上を確認した上で、ソクラテスはメノンに対して一つの質問を行う。
『正義や節制や敬虔を優先した結果、お金や権力を諦めなければならなかった場面に直面した時には、どの様に行動すべきなんだろうか。』

例えば、自由気ままに権力を振りかざして、不正を行って欲望を満たしている独裁者がいたとして、その人間に気に入られる事に成功すれば権力が手に入るという状況があったとする。
その権力者が、無実の罪で一人の人間を捕まえてきて、その人間を殺せとアナタに命令したとする。 無実の人間の命を奪えば、自分は権力者に気に入られて出世できるが、その命令を聞き入れることは、正義に反する行為となる。
アナタは、権力を手に入れる為に、横暴な権力者の命令を聞いたほうが良いのだろうか。

この例だと話が大きく重すぎるので、もっと身近な例でいうと、店で買物をしてお金を出した際に、店員が釣り銭を間違えて多めに出したとする。
この状態になった際に、店員が釣り銭を間違っている事を指摘して、多すぎる分のお金は店側に返すのか、それとも店員には黙っておいて、お金をネコババするのか、どちらが良いのだろうか。

この質問に対してメノンは、『正義や節制を優先して、財産や権力を諦める方が、良い行動だと思える。』と答える。
この議論によって、メノンが考える『徳』とは、正義や節制を優先した行動を取ることだということが分かった。

このソクラテスの質問は、少し強引な気がするかもしれないが、誤解のないようにいっておくと、この議論では、富や権力を手に入れる行為そのものを否定しているわけではない。
正義と節制に従って行動し、その結果として富や権力を手に入れることが出来るという場面も当然、存在する。
この様な場面で、富や権力から距離を取りたいからと、正義と節制に従った行動を取らない事を推奨しているわけではない。

他人や世の中の為になる事を行い、その結果として金銭がもらえることもあるだろうし、国や組織が良い方向へ進むために尽力した結果、功績が認められて出世をして、権力を手に入れられるかもしれない。
ソクラテスは、このような事まで否定しているわけではない。 ただ、メノンの掲げる徳の最終目標が権力や金なのに対し、前提条件が正義や節制を宿す事となっており、最終目標と前提条件が相容れない状態になった際には、どちらを優先するのかを知りたかったのだろう。

『徳』とは『徳目』を宿すもの?

話を戻すと、これまでの討論によって、メノンが定義する『徳』とは、『正義や節制や敬虔を宿した振る舞いをすること』になってしまったが、『正義』や『節制』や『敬虔』は徳の1面でしかない。
つまり言い換えるのなら、徳とは『徳の一面を備えているもの。』という事になるが、大本の徳の説明を行っていない為に、解説として成り立たないことになってしまっている。

先程メノンは、ソクラテスに対して『形や色』について説明し、ソクラテスが『形とは色を伴って現れるもの。』と答えた際に、『色の説明が行われていないから、色を理解してない人には、その説明では分からないのでは?』と突っ込んでいたが…
『徳とは、徳の一部を備えたもの』という今回の答えは、それよりも酷い事となっている。
『色』の説明で例えるなら、『色とは、黒色や白色や赤色を含む総称です。』といっているに等しい。

色という概念がわからないものに黒色という概念は理解できない。 何故なら、黒色とは『黒い色』であって、色に形容詞が付いただけの存在。
ベースとなっている『色』がわからない人間に、形容詞を付けたら分かると思うほうがどうかしている。

ソクラテスはメノンに対し、『徳というものを理解していないのに、徳を構成している要素を説明できるものがいるのだろうか。』と疑問をぶつける。
(つづく)
kimniy8.hatenablog.com

参考書籍