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プラトン著【メノン】の私的解釈 その4 『探求のパラドクス と 想起説』

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このエントリーは、私自身がPodcast配信のために哲学を勉強する過程で読んだ本を、現代風に分かりやすく要約し、私自身の解釈を加えたものです。
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kimniy8.hatenablog.com

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目次

徳の正体を見失うメノン

メノンは当初、『自分は徳というものがどういうものかを知っているけれども、ソクラテスの主張する徳の定義を聞いてみたい。』といった感じで、ソクラテスの元へやってきた。
ソクラテスが『徳がどのようなものかは知らない。』と答えると、馬鹿にするような態度まで取っていたが…
実際に対話を行ってみると、『徳とは、徳を構成しているものを宿しているもの。』というよくわからない説明をする始末。

メノンが徳というものを知らないのであれば、その事を最初に伝えて、ソクラテスと一緒に考えようと協力を申し出れば良いのに、メノンは『自分は徳を知っている。』として協力を断った。
であるのなら、自分が確信を持っている『徳』の定義について語るべきなのではないか。

しかしメノンは答えられない。 何故なら、自分が知っていると思いこんでいた『徳』の正体を見失ってしまったから。
メノンはソクラテスの事をシビレエイに例え、近づくもの全てを痺れさせて動けなくさせてしまうような人物だという。
この喩えは、自分が知っていると思いこんでいたものが、ソクラテスと接触することで実は幻想だったことに気付かされてしまい、思考停止に追い込まれてしまった事を表している。

しかしソクラテスはこの喩えを否定する。 何故なら、シビレエイは接触した相手を毒でもって行動不能にするけれども、自分自身が毒に侵されて行動不能になることはない。
だが私は、自分自身が持つ思想によって、自分も思考停止にさせられて、本質を見抜けない状態に追い込まれて苦しめられている。
シビレエイが自分自身の毒に苦しめられているのであれば、その例え話は正しいが、そうでないのなら間違っている。

探求のパラドクス

ソクラテスは、自分自身が徳を知る為に必死になって努力しているが、自分が無知であるが故に、その答えがわからないで苦しんでいることを訴えるが…
それを聴いたメノンは、『知らないものを、どうやって知るというのか。』とツッコミを入れる。
これは、探求のパラドクスというもので、答えがわからない者同士で必死に考えたとしても、答えが出ることはないというパラドクス。

例えば、3人の人間がいて真ん中にトランプの山が有る状態を想像してみる。 3人の内の1人が、トランプの山からカードを1枚だけ引いてカードを確認し、そのカードをもう一度山に戻してかき混ぜた上で、席を離れたとする。
この例には、種も仕掛けもないので、この状態では、トランプを引いた人間にしか、引いたトランプが何かということは分からない。
この状態で、トランプを引いた人間が席を立ってどこかにいってしまったとしたら、残された2人で必死になって『引かれたトランプは何か。』を話し合ったところで、答えは絶対に出ない。

何故なら、部屋に残された2人は双方ともに、答えを知らないから。 唯一答えを知っている人間は部屋を出ていっているので、引いたトランプが何かを知るためには、答えをしる人間に聞かなければならない。
その人間が部屋から出ていった以上、残された2人には何も出来ない。 部屋に残る2人が答えを知るためには、部屋を出ていった1人が戻ってくるまで待ち、教えてもらう必要がある。
またこの時、教えてもらう2人は、教えてもらう答えが正しいと信じ込む事しか出来ない。 相手が嘘をついているかもしれないと疑ってしまえば、答えは永遠に手に入らない。

これは、『徳とは何か』という問いについても当てはまり、メノンはソクラテスとの対話を通して徳とは何かという答えを見失ってしまった。
では、ソクラテスの方はどうかというと、ソクラテスは自分自身で、『私は無知であるが故に、徳の正体を知らない。』と断言している。
徳の正体を知らない2人がいくら討論を重ねたところで、答えが出るはずもないし、ソクラテス自身が答えを知らないということは、正しい答えを教えてもらったとしても、それが正しいかどうかを判断する能力もソクラテスにはない事になってしまう。
つまり、知識を得て何かを知るということは、新たに得た知識が正しいと信じ込む必要があるわけだが、ソクラテスのような懐疑主義者は新たな情報を疑ってかかり、信じるということを行わないので、知るということも出来ないという事。

想起説

このメノンが指摘した『探求のパラドクス』に対して、ソクラテスは『想起説』を主張します。
想起説とは、人間は全くの無知な状態で生まれるわけではなく、既に全ての物事を知った状態で生まれてくるが、この様に誕生すると同時に『その記憶』を無くしてしまっている。
その為、人間にとって新たに『物事を知る』行為は、新たな知識を外部から取り入れているわけではなく、自分の中にある記憶が呼び覚まされているだけだという説。

人間の魂は不滅のもので、人間が死を迎えて肉体が消滅したとしても、魂までもが消滅することはない。自然の根本的な原理によって魂は循環し、再び肉体に宿ることで生まれ変わる。
しかし、肉体が死ぬと同時に、魂が新たな肉体に宿るわけではなく、魂は一度、自然の原理の中に溶け込んでから再合成される。
例えば水は、雨としてふった雨粒は大地に落ち、様々な経路をたどって最終的には海へと流れ着いて、太陽光に照らされて蒸発して再び雲になって上空に上がり、天となって降り注ぐ。
雨粒が人間の一生として、海が全てが溶け合うカオスで有るのなら、そのカオスから再合成された魂が肉体に受肉するという事。

この様に魂は、この世の全てが混ざりあった原理に触れてから肉体に宿ることになる。
この世の全てが混ざりあった原理。つまり魂は真理と一体になってから、再び人間の魂として再合成される為、人には魂のレベルで真理を理解していることになる。
しかし、人は受肉してこの世に誕生する際には、その記憶を忘れた状態で生まれてきてしまう。 ただ、一度、真理を得ている状態で生まれているため、正しい理論に振れた際には、失われた記憶が呼び起こされる。

全ての答えは、自分自身の魂の中に既に存在しているので、知るという行為は忘れた記憶を思い出しているに過ぎない。

『想起説』の実験

しかしメノンは、この想起説を理解することが出来ない。
それもそのはずで、一度死んで、魂の状態になってから再び戻ってきた人間はこの世にはおらず、魂が真理と一体となってから再び再合成する現場を目撃した人間も居ない。
この状態で『人間は全ての答えを既に知っている。』と言われたところで、『はい。そうですか。』と鵜呑みにする事は出来ない。

そこでソクラテスは、自身が主張する想起説を実践してみることにする。
ソクラテスは、メノンに付き従っている従者を指名し、メノンに質問することで、その従者がまともな教育を受けていない、身の回りの世話をしている奴隷だということを確かめる。
この従者を使って、想起説を実践する。

正方形の面積を倍にするには?

まずソクラテスは、正方形を描きます。 一辺の長さは、計算しやすく2センチとしておく。
1辺が2センチで4平方cmの面積の正方形になるわけだが、それぞれの辺の真ん中に位置する中点を線で結んで、『田』の様な形にする。
これで、1平方cmの正方形が4つ積み重なって4平方cmとなっている事が目で見て分かりやすくなった。

この正方形を、縦に半分に割って2平方cmの大きさにする。 つまり、縦1cm 横2cmの横長の長方形にする。
この2平方cmの長方形の面積を2倍にする為には、辺の長さをどのようにすれば良いのだろうか。
この質問を、メノンの従者に尋ねてみると、従者は、縦の辺を2倍にすると、倍の面積になると答える。 縦に半分にしたものを倍にして戻すのだから、当然の答えといえる。

続いてソクラテスは、1辺が2cmの4平方cmの正方形の面積を、正方形を保ったまま2倍にする事は可能なのだろうかと質問をする。
従者は、『出来る。』と言い、先ほどと同じ様に『1辺の長さを2倍にすれば良い。』と答える。 ソクラテスは、『先程は長方形を正方形に変えるという質問だったが、今回は正方形を正方形のまま、面積を2倍にするんだよ?』というが、従者は2倍にすれば出来るという。
実際に、1辺の長さを2倍の4cmにした正方形の面積を計算してみれば分かるが、面積は16平方cmとなり、面積は4倍となってしまう。

最初の正方形を『田』という1平方cmの正方形が4つ積み重なる形にしていたために、教育を受けていない従者でも、数を数えれば面積の大きさは分かる。
4平方cmの2倍は8平方cmだが、従者のいうとおりに辺の長さを倍にしたら、目標となる8平方cmの更に倍の16平方cmの大きさになってしまった。
この結果を見た従者は、『1辺を3cmに変える。』と言い出す。 実際に間違った結果を目の当たりにしたので、元の2cmよりも長く4cmよりも短い3cmにしたのだろう。

しかし実際に計算してみると、9平方cmとなってしまう。 目標は8平方cmなので、まだ1cmだけ大きいことになってしまう。
従者は、答えがわからなくなり、思考停止におちいってしまう。 最初は『正方形を2倍の長さにする法則を知っている。』と思い込んでいた従者だが、実際に行動を起こしてみると、『知っている』と思い込んでいた状態は幻想だったという現実を突きつけられた。

この時点で従者は、正方形を2倍にする方法を知らないことを自覚し、実際に知識としても知らない無知な状態となっている。
この無知な従者に対して、ソクラテスは何も教えること無く、質問だけをして、答えに導こうとする。

従者は、最初に『1辺の長さを2倍にすれば良い。』と答えたが、その通りに実行すると、正方形の面積は16平方cmとなった。
この数値は、目標である8平方cmの倍の面積となっているので、目標に近づけるためには、面積を半分にすれば良いことが分かる。
では、どの様に半分にすれば、正方形の形を保ったまま、面積を半分にすることが出来るのだろうか。

最初にソクラテスが行ったように、『田』の様に辺の中点を結んで半分にすればよいのだろうか。 それとも、他の方法があるのだろうか。
例えば、正方形に対角線を引いた場合、対角線によって生まれた2個の三角形の大きさは、違ったものになるのだろうか。 それとも同じ三角形が出来るのだろうか。 三角形が同じ形であるのなら、正方形は対角線によって半分にすることが出来ることになる。
この質問に対して従者は、正方形は対角線によって半分に分けることが出来ると答える。

次にソクラテスは、ベースとなっている正方形の辺の長さを2倍にした正方形を書き、それぞれの辺の中点を結び、『田』の図形を書く。
これによって、正方形が4つ組み合わさって大きな正方形になる図ができたわけだが、4つの正方形の一つを取り出すと、当然、大きさはベースとなる正方形と同じ大きさとなる。
そして、このベースになる正方形の4つに、それぞれ対角線を引くことで、大きな正方形の真ん中に菱形が有るような図を書く。

真ん中にある菱形のそれぞれの1辺の長さは、同じ大きさの正方形の対角線なので、当然、同じ長さとなる。
また、それぞれの内角の大きさも、90度を2分して2倍したものだから90度となる。
この事実を、ソクラテスは従者に教えることなく、質問だけをしていうと、従者は大きな正方形の中にある図形も、正方形であると答える。

では、面積はどうなるのだろうか。 ベースとなる正方形を4つ組み合わせた大きな正方形の面積は16平方cmだが、真ん中にある正方形は、ベースとなる正方形を2分して4つ組み合わせたものなので、当然、面積は16平方cmの半分である8平方cmとなる。
この事実も、ソクラテスは従者には一切告げずに、質問だけをして確かめると、従者は、真ん中にある正方形は外側の大きな正方形の半分の面積で、ベースとなる正方形の面積の2倍ではと答える。

メノンの従者の少年は、最初は正方形の形を保ったまま2倍にする方法を、知った気になっていて、自信満々に1辺を2倍すれば出来ると答えたが、実際に計算してみると、それは間違いであることに気付かされた。
その後少し考えて出した答えである、1辺の長さを1.5倍にする方法も、間違っていることを指摘されると、自分が『正方形の形を保ったまま、面積だけを2倍にする方法を知っている。』と思っていたのは間違いで、自分は無知だったということを気付かされた。

しかしその後、従者は、無知である状態から何も教えてもらっていないにも関わらず、ソクラテスの質問に答えるだけで、『正方形の形を保ったまま、面積だけを2倍にする方法は、ベースとなる正方形の対角線を1辺の長さにすれば良い。』という法則にたどり着いた。
もう一度書くが、ソクラテスは従者に対して質問しかしておらず、何も教えていない。 にも関わらず、教育を受けていない従者は何故、正しい答えにたどり着いたのだろうか。

それは、従者は魂のレベルでは正しい答えを知っていたが、それを忘れていただけだからだ。
しかしソクラテスの質問に答えるうちに、忘れた答えが呼び起こされて、最終的に思い出したに過ぎないということ

これが、『想起説』
(つづく)
kimniy8.hatenablog.com

参考書籍