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プラトン著【メノン】の私的解釈 その2 『概念の説明の仕方』

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このエントリーは、私自身がPodcast配信のために哲学を勉強する過程で読んだ本を、現代風に分かりやすく要約し、私自身の解釈を加えたものです。
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kimniy8.hatenablog.com

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目次

『徳』とは人を支配する能力

前回までの討論で、徳とは、『正義』『節制』を持つ人間が備えることが出来るものだということがわかった。
では、それを備えた人間に宿る徳とは何なんだろうか。

この質問に対してポロスは、『徳とは、人を支配する能力のことだ』と答える。
メノンはゴルギアスの弟子というだけあって、ゴルギアスと同じ主張で迎え討つ。

先程の同意では、徳とは『正義』と『節制』を備えた人間であれば、老若男女を問わず、どの様な人間であっても宿せる可能性が有るものだということだったが…
では、徳を備えた人間であれば、どの様な人間であっても『人を支配する能力』を宿すことが出来るのだろうか。

例えば、徳を宿した子供がいたとして、その子供は親やその他の大人を支配して、思い通りに動かすことが出来るのだろうか。
正義を節制を持つ奴隷がいたとして、その奴隷は、自分を買った主人を支配して思い通りに動かすことが出来るのだろうか。
同じ様に、徳を宿した兵士がいたとして、将軍を支配して意ののままに動かせるのだろうか、一国の王は、徳を宿した家臣に操られるのだろうか。

支配はどの様な方法で行っても良いのか

ソクラテスは、疑問はいろいろと出てくるが、仮に、徳が人を支配する能力のことだとして、その支配は正しく支配する場合に限り、不正に支配する場合は徳とは言わないという但し書きをつけるべきではないかと指摘する。
というのも、人を支配するには様々な方法が存在する。 例えば、人を武器や力で脅したり、大切な子供などを奪って人質にしたり、権力で圧力をかけたり、金で買収したり。
人は様々な方法で支配し、支配されるものだけれども、支配が可能だから、それらの全ての行動に徳が宿っているとするには無理がある。

というのも、メノンとの同意内容では、徳を宿すものは『正義』と『節制』を宿すものだからという前提条件がついていたから。
人質を取るとか、不正な手段で手に入れた金で買収するという方法でも人を支配することは出来るが、これらの行動には『正義』も『節制』も宿っていないことが多い。
また、権力を持つものがしたものもの支配すること全てを『徳がある』としてしまうと、権力者は自動的に徳を宿していることになってしまう。

その為、純粋な『徳』を定義するためには、不正行為に手を染めず、『正しく支配する場合に限てであり、不正に支配する場合には徳は宿らない。』という但書が必要になるということ。
メノンはこの提案に同意し、『正義が徳の性質の一つであるとするなら、その他にも性質があるような気がする。』とし『勇気』『節度』『知恵』『堂々たる度量』も徳の性質の一つであると付け加える。

しかし、これに対してソクラテスは不満を漏らす。
『私は、徳という説明を一言でして欲しいといっているのに、正義だけでなく、勇気や節度や知恵などの数多くのものが新たに出てきてしまった。』と
そして再び、全てに当てはまる、ただ一つの徳を教えて欲しいと質問する。

『徳』とは何なのか(再)

このメノンへの質問は、正直、かなりキツい物がある。
というのも、例えば、徳というのを『優れていること』や『卓越していること』と一言で説明したとしても、おそらくは、『何を持って優れているというのか。 卓越しているとはどの様な状態なのか。』といった質問が飛んでくる。
複雑な概念を説明しようと思う場合、様々な要素に分解して説明する必要があるが、一つ一つの要素に分解した結果をみて『一つのものの説明を聞いただけなのに、何故、こんなに部品が出てくるの?』と言われても困ってしまう。

ただソクラテスの場合は、それぞれの要素は部品であって、それぞれの部品がどの様な働きをしているということを論理的に説明すれば、それに対しては聞く耳を持ってくれる。
しかしここで問題なのが、卓越しているとか優れているという状態は、様々な部品に分解は出来るけれども、どの部品がどの様に組み合わさっているのかは説明が出来ない。
例えば、生まれ持った運動神経や手足の長さなどの特性によって、運動面で活躍できる人間であったとしても、ただそれだけで優れているとはされない。

逆に、運動能力が低くて体格にも恵まれていないけれども、人々から尊敬を集めている人はいる。
単純に優れている要素の全てを持つ事が卓越することなのか、それとも、何かが欠けていたとしても『それさえあれば大丈夫』という核になる部分があるのかどうかも分からない。

メノンは、ソクラテスの追求に対して答えに困り、『自分は、徳というものを分かった気になっていただけで、実際には知らないのではないか?』と思うようになる。
そこでソクラテスは、『徳について一緒に考えよう。』と提案してくる。
今現在のソクラテスの評価は、政治家や賢者と呼ばれる人に対しては厳しく追求し、若者に対しては柔らかい態度で接するというものだが、そのあたりの事はこのやり取りを見ても分かる。
プロタゴラス』や『ゴルギアス』では、ソクラテスは追及の手を緩めなかったが、メノンに対しては優しく接している。 一説によると、メノンがソクラテスのタイプである美少年であったからという話もあるが…

概念の説明の仕方

その後、『徳とは何か』という問題について考えるのは難しいので、似たような概念を説明してみるという話になる。
似たような概念を説明することが出来れば、その説明の仕方をヒントに『徳とは何か』を説明できるかもしれないからだ。

ということで、『形や色』について考えることになる。
形とは、ある種の形の総称であり、形には三角形や四角形や円形や、それらに当てはまらないような複雑な形などの様々な形が存在する。
形とは何かと問われた際に、三角形を書いて見せて『これが形です。』といい、次に四角形を書いて同じ様に答えたとしても、それは『形』という概念について答えたことにはならない。
三角形も四角形も形の一種であり、形そのものの説明ではないからだ。 世の中にある『形』というものを例に挙げるという方法では、無限に『形』が出てくるので、キリがない。

これと同じ様な概念として、『色』というものがある。
『色』には、青や赤や黄色といった様々な色が存在するが、『色とは何か』と質問された場合に、青も色だし、赤も色だし、黒も白も色だとして例を上げていくのはキリがない。
何故なら、絵の具を自分の思い通りに配合して自由に作ることが出来る為、それらを全て見せて説明することは不可能に近い。これは形も同じで、形は自分で好き勝手に作り出すことが出来る。

色や形を、それに属するものを例としてあげていくという方法で説明するには無理がある。
何故なら、赤を見せて『これが色ですよ。』と説明しても、ソクラテスのような人物は、どこからか青色を探し出してきて『じゃぁ、これは色じゃないんですね?』と聴いてくるから。
それに対して『その青も色の一種ですよ。』と答えると、『私は色という一つの概念の説明を聞いているのに、何故、沢山の説明が出てくるんだ!』と言われてしまう。

その為、色や形といった概念を説明する場合、実際の色や形を見せて説明するというのは説明にならない。
これらを説明する場合は、そういった例を使わずに、『色』や『形』そのものの説明をする必要がある。
この説明を、今まで質問役に回っていたソクラテスが行うことになる。

『形』とは何なのか

ソクラテスが言うには、『形とは、常に色と伴って存在するものの事だ』という。
例えば空気は目に見えないので形を伴ったものとは言えないけれども、目の前にある『物』と呼べるものには全て色が付いているので、その形を見ることが出来る。
透明のコップや水は透明じゃないかと言う人もいるかも知れないが、それらも、目に見えて形が分かるということは、何らかの色が付いているか、光の反射や屈折によって空気とは違う色になっているから区別がつく。

この説明を聞いたメノンは、『その説明では、色の概念を知っているもの以外は理解できないのではないか? 色の説明がまだの状態で色を使った説明は、説明にならないのではないか。』と牽制する。
その反論を聞き入れる形で、ソクラテスは別の言い方で説明を開始する。

『形について』、まず、ソクラテスはメノンに対して、『終わり』『限界』『末端』といった概念のことを知っているかと尋ね、知っていることを確認する。
そして、『立体における形とは、その立体が終わる所。その立体物の限界を表しているのが形だ』と説明をする。つまり、立体物とそれ以外の境界線を形とするということ。
平面の場合も同じで、平面に何らかの形を書いた場合は、何かを書いた部分と書いていない部分との境界線をもって形と呼ぶとする。

この説明は、形が三角であれ四角であれ丸であれ、全ての事柄に例外なく当てはまるので、形という概念に対する『たった一つの説明』といえる。
この答えい納得したのかしていないのか分からないような薄い反応のメノンは、次に、色についての解説をソクラテスに求める。

『色』とは何なのか

先程の簡潔な答えがウケなかった為、ソクラテスはメノンが好きそうな、賢者エンペドクレスが主張した小難しい理論を使って解説を始める。

物が『存在する』場合には、そのものからは何かしらの情報が常に垂れ流されている。それは、『色』であったり『匂い』であったり『音』であったり触った際の『感触』といったもの。
『色』は物体から垂れ流されると言うよりも、その物体に光があたった際に吸収されなかった色だけが反射して観えているわけだけれども、その反射してくる光も、便宜上、垂れ流される情報としておく。
これらの『垂れ流される情報』があるから、人はその物の存在を感知して認識することが出来る。

その垂れ流される情報に対して、その情報を受け取って認識するためのセンサーのようなものが、人間の体には備わっている。
耳は、音に関する情報を集めて認識するし、肌は感触を感じ取って認識するし、鼻は匂いを感じ取る事で香りを認識することが出来る。
『色』というのは、物体から垂れ流されている情報を『目』というセンサーを通して認識するもの全般のことを指していると説明をする。

メノンは、格好いい言葉が羅列された小難しい説明を聞いてテンションが上り、目を輝かせてソクラテスの説明に納得をする。
しかしソクラテスは、学者が行うような小難しい解説よりも、『形は立体の限界』といった、特に難しい勉強をしなくても誰でも理解できる様な簡単な説明の方が優れているという。
だがメノンは、まだ勉強をし始めたばかりの子供なので、『極一部の人しか理解できないような小難しい説明を理解できる俺カッケー!』という状態なので、小難しい解説が気に入ったのだろう。
(つづく)
kimniy8.hatenablog.com

参考書籍