【Podcast #だぶるばいせっぷす 】 第3回 原稿
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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす』で使用した原稿です。
その為、後半部分はまとまってません。
興味が有れば、番組の方もよろしくお願いします。
前回・前々回と、『史上最強の哲学入門』という本の紹介をさせていた
だいていて、前回からは第一ラウンドを簡単に振り返るという内容で配信しましたが、
実際の放送内容は、より流れを理解しやすいように、この本に書かれていないことも付け加えて話していました。
今回の内容も、その傾向がより強くなっているため、前回と今回からのタイトルを『西洋哲学』という名前に変えさせていただきました。
個人での放送 コンテンツのあり方も探り探りの状態で、 これからも変わる
哲学者の紹介順は、先程紹介した本『史上最強の哲学入門』で紹介されている順番通りに紹介する予定だったんですが、その順でいうと、今回はデカルトの予定だったんですが
デカルトが生きた時代とか、それ以降を説明するためには、アリストテレスという人物の存在が避けられない状態になってしまったので、紹介の順番も変えることにしました。
こんな感じで、前回に言っていた内容と、今回からコンテンツで語る内容は、少し違った内容になると思いますので、予めご了承ください。
ということで、今回紹介させていただくのは、アリストテレスです。
この人物は、前回紹介したソクラテス、そしてその弟子であり、イデア論を唱えたプラトンの弟子に当たる人物
紀元前384年に生まれた人物ですね
同時期に生きていた歴史上の人物で有名な人は、アレキサンダー大王 アレクサンドロス
この人物を簡単に説明すると、個人で世界制覇を目指した人物 世界といっても、この当時に正確な世界地図があったわけではないので、その当時に知られていた世界ですけどね
具体的には、ギリシャを出発してトルコに向かい、そこからアフリカ大陸に有るエジプトを攻め落としてファラオになります
その後、東に引き返してイラン、昔のペルシャを攻略しつつ、その奥のインドまで行ったといわれています
王に即位したのが20歳の頃で、その12年後の32歳の時には亡くなっているので、実質12年間で、今のような交通手段もない状態で、広大な大地を征服したということになりますね。
アリストテレスは、このアレクサンドロスの家庭教師としても有名ですね。
前の放送で、哲学というのは、昔は学問全般のことを刺していて、そこから専門分野ごとに派生していったという話をしたと思うんですが
この人物は、哲学を、様々な専門分野に分けたことでも有名で、『万学の祖』とも呼ばれているそうです
分けるきっかけになったのは、前回紹介したプラトンが主張したイデア論への批判からのようですね
イデア論を簡単に振り返ると、私達が住む現実の世界に存在する全てのものや現象は、イデア界に存在するオリジナルの概念の劣化コピーだということです
円は、コンパスを使えば簡単にかけて、この世に再現できるように思えますが、実際に再現された円というのは、例えば鉛筆で円を描いた場合、鉛筆の黒鉛が神についているところとついていないところなどが出来て、
拡大すると正確な円になっていない。また、コンパスへの力の加え方がおかしければ、書き始めと書き終わりの部分は、正確につながっていないかもしれない。
現実の世界に再現された円というのは、円に似た形であって、完全に正確な円ではないですよね
このイデア論という考え方ですが、一見すると屁理屈にも思えますよね
円らしいものでも、他人に円だと伝えることが出来れば問題はないわけで、それが本当に正確かどうかは、そこまで重要じゃないと考える人も多いかもしれませんね
ただ、このイデア論というのは、そんな浅いものではないんですね
前回の放送でもいいましたが、プラトンの師匠のソクラテスは、国民が政治に感心を持たないことによる衆愚政治の犠牲になって、処刑されてしまいました。
それを機に、プラトンは哲人政治論という、一人の王に政治を任せるという一種の独裁政権を主張しだすのですが、
王の資格を持つのを、神を感じられる人間としたんです
神というと、宗教臭い感じに思われる方もいらっしゃるとは思うんですが、そういうニュアンスではないんです
神というのは、全知全能っていう あらゆる意味で究極の存在なんです。
つまり、究極の知識を身に着けて、究極の美を兼ね備えていて、完全な善を理解するものなんです。
その神のイデアを、概念を理解するということは、それが理解できる人間は、究極の知識とは何なのかを理解し、究極の美を判断することが出来て、完全な善を遂行して、民衆を完全な幸福に導くことが出来る存在なんです
神のイデアを認識する事が出来る時点で、その人間は人格者なので、そんな人間が王になって民衆を先導すれば、全てがうまくいくと考えたわけです
一見すると納得してしまうような理論で、実際にも、この理論は完成に近づいていたようなんですが、哲学が宗教と違うところは、宗教は信仰を重要視するんですが
哲学は真理を追い求めるものなので、確からしい事は疑って、確かなことを見つけようとする学問なんです
で、アリストテレスは、このイデア論に疑いの目を向けることになるんです。
では、どのようにして疑ったのかというと、イデア論の根本的なことについて疑ったんです。
『師匠のプラトンは、オリジナルはイデア界に存在するっていうけど、イデア界って、本当にあるの?』って
そしてアリストテレスは、人間の認識っていうのは、イデア界に有るオリジナルと見比べることで認識しているわけではなくて、世の中を観察した結果なんじゃないの?って主張するんです
どういうことかというと、羊と馬が一頭づついる現場に遭遇した場合は、四本足で歩く動物ということが、観察によって分かり、人間のように二本足の動物ではないことが分かる。
これによって、羊や馬は人間とは違う、四本足のカテゴリーの動物ということになる。
また別の日に、今度は、馬のと羊の群れに遭遇したとする。
すると、一匹づつしか目撃していない時はわからなかったけど、群れで装具した場合は、馬と羊という別々の特徴を備えた種族がいるということがわかる、
つまり、4本足の動物という部分は共通しているけれども、馬のグループは たてがみ を持っているけれども、羊のグループは体全体がモフモフしている。
よく見比べると、体型やプロポーションも全然違う。
つまり、これは同じ4本足のグループだけれども、別の特徴を備えた別の種族だということが分かる。
その様な観察を、人間は先祖代々行っていて、教育によって下の世代に教えていくことで、馬というものを認識できるようになっているって考える
プラトンの説だと、動物を見て、これらの観察によって馬という知識を得た後で、自分が生まれる前に存在していたとされるイデア界の記憶が呼び覚まされて、
頭のなかに馬というイデアが出来る。そして次から、馬を見るたびに、イデア界にアクセスして、馬のイデアと目の前の動物を見比べることで、馬と認識するという主張だったんですけども
これって、二度手間じゃない?って主張するんです。 観察によって馬とわかったんなら、イデア界はイランやん てことですよね。
こういう感じで、観察によって、違いや共通している部分を見つけ出して、分類していこうと考えたんですね。
この考え方は、後に経験論という名前で、一つの方法論として確立していきます。
その後、アリストテレスは、この観察して特徴を取り出すという手法を、あらゆる分野について行いだすんです。
例えば、星空を見て星の動きを観察するとか、動物を観て、特徴ごとにカテゴリー分けをするとか、空に浮かぶ雲の動きを観察して、天気との関連性を調べるなど
こんな感じで、政治学、宇宙論、天体学、自然学(物理学)、気象学、の基礎のようなものが生まれていったんですね
これが、アリストテレスが万物の祖と呼ばれる所以(ゆえん)ですね。
ちなみにアリストテレスは、観察などの経験論的なことだけを行っていたわけではないんです
イデア論は否定しましたけど、イデアの様に、概念でしか説明できないことを全て否定したわけではなく、概念とか超感覚的なものというのは、別のカテゴリーに分けて、学問として確立させている
その他にも、論理学と行った、物事を論理的に説明するための方法なんかも研究していて、三段論法というのを開発するんです。
これは、aはbであり、bはcであるとき、aはcである。と言ったものですね。
色んな所で使われている例文を出すと、ソクラテスは人間である。人間は必ず死ぬ。だから、ソクラテスは必ず死ぬ。って感じですね。
これは今でも、論文を書くときの基本的な書き方になってたりします。
この三段論法は、後に、演繹法という形で、一つの方法論として確立するんです。
で、先程 紹介した、観察などによって物事を理解する経験論と、この演繹法というのは、後に、バトルを繰り広げることになるんですが、それはまた、別の機会に紹介する予定です。
で、こんな感じで、アリストテレスはプラトンのイデア論を否定したことによって、プラトンの主張は根本的に崩れ、哲人政治論という独裁思想も説得力を亡くしてしまうんです
存在しないかも知れない究極のイデアを振りかざして、独裁者に好き勝手されても困りますからね。
ではアリストテレスは、どの様な政治を理想としていたかということなんですが
結果からいうと、どんな政治でもいずれは腐敗するといった、冷めた目線で語っています
この人物、あまりに有名で知的巨人だったため、誰もアリストテレスを否定することが出来ず
間違ったことを言っているにもかかわらず、『あの、アリストテレス先生が間違ったことをいうはずがない!』として、盲信される事により、