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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第134回【アルキビアデス】本当の助言 後編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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フリーライダー

繰り返しになりますが、アルキビアデスは多くのものを持つものなので、当然、彼に助言を与えるような人も沢山います。
その人達は、善意からアルキビアデスに対してアドバイスを与えている場合もあるでしょうが、多くの場合は、彼が権力を握った後を見越して近づいている取り巻きでしょう。
この様な取り巻きは、基本的には担ぎ上げている人に対してお世辞を言ったり、能力を課題に評価して相手に伝えることで、無謀な挑戦をさせようとします。

何故なら、挑戦して駄目だった場合にダメージを受けるのは挑戦した人で、その取り巻きはダメージを受けないからです。
その為取り巻きは、人に高いハードルを飛び越えることに挑戦させて、成功したらその恩恵に与ろうとし、失敗すれば別の人を担ぎ上げます。
この様な態度を取る人たちからのアドバイスは、果たして本当に正しいアドバイスと言えるのでしょうか。

彼らは人に挑戦させ、その挑戦が成功したら恩恵に与ろうとするフリーライダーなので、本気で担ぎ上げている人を心配しているわけでも大事に思っているわけでもないでしょう。

本当の助言

しかしソクラテスは違います。 アルキビアデスのことを本当に大切に思っていますし、彼のことを本当に心配しています。
その為、もし、アルキビアデスが取り巻きたちの言うことを真に受けて無謀な挑戦をしようとしているのであれば、目を覚まさせようと思っています。

そしてその為に必要であれば、彼に助言を与えた人たちを片っ端から論破していくのも吝(やぶさ)かではないと思っています。
何故なら、そうすることで、彼の取り巻きたちが全員役立たずであることを証明することが出来、それと同時に自分の重要性をアルキビアデスにアピールできるからです。
これで導入部は終わり、これからは本編に入っていきます。

街頭演説

アルキビアデスは政治家になるつもりだと言いましたが、そのために必要となるのが国民の説得、つまりは街頭演説です。
今の日本でも同じですが、政治の基本は街頭演説などを通して自分の意見や有能性を国民に伝えるところから始まります。
これを怠って選挙に立候補したところで、当選することはまず無いでしょう。 日本の様に3つのバンである『地盤・看板・鞄』を親から引き継いで二世議員として出馬するのなら、当選する可能性も少しはあるかもしれません。

しかしこの対話編によると、アルキビアデスは政治家になるためにアテナイにやってきて市民権を得ようとしているため、そんな物は持っていません。
その為、1から自分の名前を売っていく必要性があります。
ではアルキビアデスは、何について演説をするのでしょうか。

名前を売るための街頭演説では、自分の持っている能力を言葉で説明しなければならないわけですから、当然、市民や他の政治家達に比べてアルキビアデスが優れている点について述べるべきでしょう。
言葉で政治家として優秀であると説明する時に、その方法として一番手っ取り早いのは、他の人達は知らないけれども自分は知っている知識を突きつけることです。
そうすれば、他の人がわからないことに対して知恵者として助言をすることが出来るわけですから、彼らからは頼りにされることになります。

ではどのような知識を披露すればよいのか、それを考えるの前に、この『知っていること』という事に焦点を当てて考えてみましょう。

知識の身につけ方

知っていることというのは、知識と言い換えても良いでしょう。
これを聞かれているみなさんも、『この分野については詳しい。』といえる知識を持っておられることと思いますが、その知識というのはどのようにして身につけたのでしょうか。
おそらくですが、誰かから教わる。この教わるというのは誰かが書いた本を読んで学ぶというのも含みますが、この様に誰かから教わるか、それとも自分自身で発見したかの2通りの方法で身につけていると思われます。

知識はこの2通りの方法で身につくわけですが、この2通りしか無いとすると、知識というのは自分自身が『学びたい! 探求したい!』と思わなければ身につかないことになります。
逆に言えば、何の興味も関心もない事柄について詳しくなることもなければ、その分野で新たな発見をすることはないということです。
また、既に自分が知っていると思っていることについても、人は関心をなくします。 既にこの分野の勉強は終わらせたと思いこんでいる分野について、改めて興味関心を持って1から勉強することはないでしょう。

これは学問というくくり以外の知識についても同じでしょう。プラモデルになんの興味も関心もなく、当然、買ったこともなければ作ろうと思ったこともない人間が、プラモデルに関して他を圧倒するほどの知識を持てるわけがありません。
ゲームに興味がなく、無料のスマホゲームすらダウンロードしたことがない人間が、ゲームについての知識をみにつけることもないでしょうし、ゲームの攻略法を発見することもないでしょう。
知識というのは、興味や関心をいだいて実際に学んでみたり、四六時中、そのことばかりを考えていた結果、誰も見つけることができなかったものを発見することで身につけるものです。

これは、『既に知っていること』についてもそうで、自分が深く理解できていると思っている事柄について改めて調べることなんてしないでしょう。
皆さんがネットでウィキペディアを使って調べることは、自分の知らない事柄についてであって、自分が深く知っている事柄についてウィキペディアで調べることなんて、ほぼ無いはずです。

ということは、この知識というのは興味や関心をトリガーにして何らかの行動を起こした人間のみが身につけることが出来るものと言い換えることが出来るわけですが、そうすると当然ながら、知識を身につける前というのが存在します。
つまり、今現在保有している知識には、その前段階として何の興味も関心も持っていなかった状態、または、興味や関心は持っていたが、まだ勉強を始める前の状態があるということです。
この状態のことを、知識を身に着けていなかった状態『知らない状態』としましょう。これで、『知っていること』と『知らない状態』というのがわかりました。

アルキビアデスの強み

これを踏まえた上で、アルキビアデスの演説内容について考えていきましょう。
ソクラテスはアルキビアデスと話すことを神から禁止されてはいましたが、アルキビアデスには興味を持っていたので彼の行動はおおよそチェックしています。
彼の記憶によると、アルキビアデスは『読み書き』と『キタラという楽器の演奏』と『レスリング』を学んでいましたが、それ以外には誰かから学ぶという行動はとっていなかったようです。

先程の知識についての話に照らし合わせれば、アルキビアデスが他人から教えてもらったのは『読み書き』と『楽器演奏』と『レスリング』の知識となり、彼が持っている知識もそのような知識となるのですが…
ではアルキビアデスは、『普通の人よりも読み書きが出来る!』と言って自分の優位性を示せばよいのでしょうか。それとも、楽器演奏やレスリングについて助言できると言う点で人より優れていると主張すべきなんでしょうか。
これに対してアルキビアデスは、当然のように『そんなことで優位性を示そうとは思ってない』と主張します。

何故ならアルキビアデスが目指しているのは政治家です。 国会の場で読み書きの仕方や楽器演奏の方法、レスリングのやり方なんて議論はしませんから、そんな事ができると街頭演説で述べても無意味です。
では他にどのような知識を持っていると言って自分の優位性を示せばよいのでしょうか。
そのことについては次回、話していこうと思います。

参考文献