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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第77回【ゴルギアス】幸福とは満足感のことなのか 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

嘘つきなカリクレス

しかしソクラテスは、このカリクレスの態度が気に入りません。
というのも、第75回を思い出して欲しいのですが、ソクラテスはカリクレスが対話に参加してくれたことに対して大喜びしていました。その理由というのが、カリクレスが持っている知識と率直さと、ソクラテスに対する好意です。
ソクラテスは、自分ひとりでは真理にたどり着けないと考えていますが、知識と好意と率直さを持つ人間との対話を通してなら、真理に到達できるかもしれないと考えていたから、カリクレスが議論に参加してくれたことに対して喜びました。

何故、一人では真理に到達できないのに、二人で議論をすれば真理に近づけるのかというと、自分が持っていない観点を他人は持っているからです。
人間は、どれだけ優秀な人間であったとしても、自分ひとりで到達できるところというのは限られてきます。 自分が持たない観点からの意見を取り入れることで、より信頼度の高い真理が得られる可能性が出てきます。
では、対話相手は誰でも良いのかというと、そうではありません。 目先の議論に勝つことだけを考えているような人間と話したところで、何の意味もありません。

何故意味がないのかというのは、前にも話した手段と目的の話が関係してきます。手段というのは、目的を達成するために行われる行為であって、一番重要なのは目的の達成です。
最終的な目的を、真理に到達できることに設定した場合、もし、その目的が達成されるのであれば、手段でしか無い目先の議論の勝敗などは、どうでも良いことです。
自分が今まで考えてきたことが実は根本的な部分で間違っていて、その結果として、自分の考えが真理から遠のいていたとすれば、その間違いには出来るだけ早く気がつくほうが、自分の為になるでしょう。

対話相手が、自分と同じ様に真理の追求に目標を定めている場合は、こちらの意見が正しいと思った場合は受け入れてくれて、間違っていると思う部分に関しては指摘してくれます。
互いに同じ目標に向かって納得の行くまで討論し合えば、互いに間違っている部分を修正しあう事で、正しい方向へと進めるかもしれません。
お互いの知識が不足しているために、互いが相手の意見を正しい方向へと修正できない場合もあるでしょうけれども、それでも、一人で考え続けているよりかは、遥かに真理に到達できる可能性は高まるでしょう。

討論に勝つ意味

しかし相手が、正しく目標を設定しておらず、真理への到達なんてどうでも良いと考えていて、目先の議論に勝つことだけを目標にして対話に挑んでいる場合は、話が変わってきます。
議論の勝敗にしか目が行っていない相手は、こちらが正しいことを主張したとしても、議論に勝つ為だけにそれを受け入れず、主張を曲解したり、揚げ足を取ったりして議論を妨害してきます。
議論に負けないために話の軸を本質から外したり、全く関係のない話をして煙に巻いたりと、勝つためには何でもしてくる為、この様な人達とは話しても全く意味がありません。

では、真理の追求に役に立つ人と立たない人をどの様に見分ければよいのでしょうか。 ソクラテスに言わせれば、知識と好意と率直さを兼ね備えた者こそが議論するのにふさわしい人間ということになります。
一つ一つ理由を考えていくと、まず、知識がなければ、対話内容が正しいのか間違っているのかの判断が付きません。 特に西洋哲学のように、物事を論理建てて考えていく分野では、何も知らない人が直感に頼った場合、間違うことが多いです。
この、ゴルギアスの対話篇自体が、正にその様な構造になっていますよね。 ソクラテスと対話する人々は、自分自身が気持ちが良いとか心地よいと思う行動は、自分にとって良い事であるはずと決めてかかっています。

自分自身が心地よいと思うことであっても、自分の為にならない事は山ほどあるのに、その部分に目を向けようとはせずに、出世して高い地位につくことができれば、無条件で幸せになれると思いこんでいます。
しかし、彼らが思い描いている幸福な状態というのは、思い込みによる妄想でしかありません。彼らは、幸福がどのようなものかについて深く考えたことがないので、欲しいものを手に入れた満足感と幸福を混同しています。
その為、お金や権力などの全てのものが手に入れることができる支配者の立場を欲して、それを手に入れることができれば、最高の満足感が得られて、最高に幸福な状態になれると思い込んでいます。

本当に、満足感と幸福感が同じものであれば良いですが、仮に、満足感と幸福が全く違ったものである場合、彼らは目的のものを手に入れたとしても、幸福になれることはありません。
もし彼らが、普段から理論立てて幸福とは何かを考えているのであれば、他人から指摘されたり、自分自身で理論の矛盾に気がつくなどの理由で、自分の主張が間違っていることが分かるかもしれません。
しかし、何の根拠もない直感を元に考えた場合は、そもそもしっかりとした理論がないので、その考えに矛盾をはらんでいる事に気が付きません。

その為、自分が思い描いていた幸せが本当に幸せな状態なのかを確かめるためには、自分が最も欲しいと思っていたものを、実際に手に入れてみて実感してみないと分かりません。
しかし、国でトップレベルの権力者になるという夢は、かなりの努力をしたとしても、皆が実現することは不可能です。
多くの人が、自分が欲しいと思いこんでいるものを手に入れることが出来ないということは、自分が思い描く幸福が本当の幸福かどうかを確かめない状態で、ただ闇雲に主張してるだけになってしまいます。

この様な人と話すことに意味はないでしょうから、対話相手は、ただ闇雲に自分の妄想を叫んでいるだけの人ではなく、しっかりと論理建てて考える人でなければならないという事になります。
そして、論理建てて物事を考えるために必要なのが、多くの知識です。 特に、ソクラテスが取り扱うような、幸福であるとか知識や勇気は、多くのものに当て嵌めて考えられるものなので、幅広い知識が必要となります。

論戦と対話

次に好意ですが、対話を通して真理を追求するというのは、一種の共同作業なので、相手のことを大切に好ましく思う感情がなければならないでしょう。
相手がこちらを嫌っている状態であれば、協力関係が得られないので、共に目的地にたどり着けるかどうかが怪しくなってきます。
相手を嫌いというところまで行かなくても、好きだという気持ちがなく、相手との距離感が空いた状態では、相手が間違った道を進もうとしていた際に止めることは難しいでしょう。

最後に率直さですが、知識があって、対話相手のことを大切に思っていたとしても、相手の感情を傷つけないようにと忖度して嘘を付いてしまうと、対話が台無しになってしまいます。
相手が自信満々に披露した主張であっても、同意できなければ同意できないというべきですし、逆に相手に、こちらの主張に矛盾がある事を突きつけられた場合は、『理論的に破綻してようとも、自分はその様に感じてしまう』と本心を伝えるべきです。
何故なら、自分がそう強く思い込んでいるのには、何らかの理由があるはずだからで、自分一人では理由がわからなくても、それを相手に話すことで、答えやヒントを見つけられるかもしれないからです。

その為、対話に置いては自分の心に嘘をつかずに率直に意見を言わなければならないのですが… カリクレスは、過去の自分の発言と整合性を取るという理由で、自分の気持に嘘をついて答えてしまった為、率直さが失われてしまいました。
先ほどからも言っている通り、その様な人間と議論を重ねたところで、真理に到達することは出来ません。 また、ソクラテスは、対話相手が窮地に立たされる度に他の人間が乱入してきて、卑怯者呼ばわりされてきました。
このまま議論を進めたとしても、また、別の人が乱入してきて、『カリクレスは不本意なことを言わされた。 そう仕向けたアナタは卑怯者だ。』と言われるでしょう。

このままでは、難癖をつけられる上に、真理にも到達できなくなってしまうため、ソクラテスはカリクレスに率直さを取り戻してもらおうと、別の質問をすることにします。
それについては、次回に話していこうと思います。