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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast原稿】第73回【ゴルギアス】目的は全てに優先される 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
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目次

哀れなのは被害者か加害者か

ポロスはソクラテスに対し、『あんたは、正当な理由もなしに理不尽にも他人の命や財産を奪うような人間は、哀れんでやるべきだというが… 本当に哀れんでやるべきなのは、被害者の方なんじゃァないか?』と詰め寄ります。
このポロスの主張も、一般的な感覚としては非常によくわかります。 被害者に何の落ち度もない、通り魔殺人事件に巻き込まれた場合、一番可愛そうで哀れなのは犯人ではなく、被害者であるはずです。
今現在でも、悲惨な事件が起こった際に人権派の弁護士などが、『事件を起こした加害者の方も、ある意味では被害者なんです。』といった感じの主張をする事がありますが、そのような意見はネット民たちによって非難されて、時には炎上しますよね。

この様に、一般的な感覚でいえば、不正を行う加害者側よりも、不正を行われる被害者の方こそが哀れで可愛そうな存在だと考える人が、多いと思います。
権力者のワガママによって、罪をでっち上げられて裁きを受けたり、難癖をつけられて全財産を没収されるような出来事は、加害者である権力者よりも、被害者のほうが可愛そうだと考えるポロスの主張は、理解しやすいですよね。
しかしソクラテスは、不正を働く権力者の方が可愛そうな存在で、哀れみをかけてやるべきだと主張しますし、不正を行うぐらいなら、不正を受けるほうがマシだとも主張します。

これは、自分が高い地位に登りつめて、権力を手に入れて、自分の欲望に従って権力を振り回して不正を行うぐらいなら、暴君が行う不正によって殺されたほうがマシだと言っているのと同じです。
人の上に立って、秩序を無視して自由に振る舞うよりも、他人の不正によって殺されたほうがマシだという理屈ですが、ポロスはますます理解することが出来ません。
命を失うというのは、生きている人間にとって最大の損失ですし、それが他人のワガママで言いがかりによって奪われるという行為は、到底受け入れることが出来ないからです。

では何故、ソクラテスは一般的な感覚では理解できないような、このような理屈を主張するのでしょうか。
それは、ソクラテスが考える最大の不幸な状態は、不正を犯すことだからです。 ソクラテスは、人生の目標は幸福に設定すべきだと考えています。 その目標の真逆に位置するのが、不幸です。
目指すべきゴールは幸福であるはずなのに、力を行使した結果が不幸になってしまうのであれば、それは哀れなことだし、そのような力を持つ独裁者になる事が哀れであるなら、独裁者にはなるべきではないというのが、ソクラテスの考えです。

犯罪者は憧れの対象になるか

しかしこれでも、ポロスは納得ができません。 だって、独裁者になれば皆が自分に跪きますし、命令を聞いてくれます。 誰もがそのような地位に収まりたいと思うのに、それが哀れなっことだと言うのが理解できません。
そこでソクラテスは、ポロスに対してこんな例え話をします。

まず、武器などを一切持たずに、多くの人が集会所に集まっている場合を想像してみてください。 集会は、政治的な集会でも町内会でも何でも良いですが、とにかく、武装をせずに人が一箇所に集まる状況を想定します。
そこに唯一、一人だけ武器を隠し持った人間が、その集会に参加したとします。
武器を隠し持った人間は、集会所で話されている内容をしばらく聞いた後、議論の結果が自分の思い通りにならなかった事に腹を立てて、議長の首筋に武器を当てて、その場にいる全員を脅したとします。

この武器を持つ人間は、この集会の中で唯一、武力という力を持つ人間で、その場を支配して自分の思い通りの要求を出すことが出来ます。歯向かう人間が出てきたら、みせしめの為に命を奪うことも躊躇しません。
このような状況は、権力者が武力を背景にして、力を持たない人間に対して不正を行って、無理な要求を突きつけている状況と同じですが、ポロスは、このような人間に憧れるのでしょうか。

別の例でいえば、誰も武装していない銀行に、武器を持って押し入って金を奪う銀行強盗を思い出してもらっても良いでしょう。
銀行強盗達は、人の命を簡単に奪える強力な武器で一般市民を威嚇して、その脅威をチラつかせる事で不正を行って、他人の金を自分のものにしようとします。
ポロスの話では、権力者は自分のワガママによって、他人の資産を奪って自分のものに出来る力があり、誰もが憧れると言っていましたが、では、銀行強盗に憧れるのでしょうか。

この問いかけに対してポロスは、そのような犯罪者たちには憧れないと主張します。では何故、憧れないのでしょうか。
ポロスは今まで散々、権力者に対するあこがれを熱く語っていました。 気に入らない相手を、自分の命令一つで逮捕して拘束し、死刑を言い渡して命を奪う力や、資産家に難癖をつけて財産を奪ってしまえる、そんな権力が欲しいと主張していました。
武器で威嚇して、恐怖によって相手を自分の思い通りに動かす行為も、他人の財産を奪って自分のものにする銀行強盗も、やってる事は権力者と同じですし、手に入れることができるものも権力者と同じです。

手段そのものに善悪はあるのか

不正を働く権力者が行っていることは、銀行強盗などの犯罪に手を染める犯罪者の行動と全く同じなのですが、では何故、権力者には憧れて、犯罪者には憧れないのでしょうか。
権力者のワガママとは違い、犯罪者が行う行為は、行為そのものが悪だからでしょうか。 確かに、犯罪は悪い行為ですが、では、犯罪者が目的を達成するために行った行動そのものは、悪い行動なのでしょうか。

例えば、現実世界では そうそう無いことですが、ドラマや漫画の世界などで起こりそうな事として、人々が多く集まったり、利用する駅などの施設の何処かに爆弾が仕掛けられていることを、一般人である主人公の少年が知ってしまうという展開があります。
警察官でも大人でもない一般人の少年が、駅の真ん中で唐突に『爆弾が仕掛けられてるから逃げろ』と警告したとして、それを聞き入れる人々は少なく、避難が行われない。
このような状況で、被害を最小限にしようと思った少年が、誰かの首筋にガラス片などの何らかの武器などをあてがって騒ぎを起こして、取り敢えず非難をさせるといったストーリーがあります。

この少年が行った手段は、先ほどの犯罪者と全く同じで、武器を持たない人たちに対して自分だけが武器を持つことで脅迫するといった行動です。
では、この少年が行ったことは不正であって、褒められたものではないのでしょうか。 少年は、不正を行わずにみんなに対して呼びかけるだけにとどめておいて、聞き入れない人間は爆発に巻き込まれて死んだほうが良かったのでしょうか。
少年が選んだ手段は、武器を持たない人達に対して武器を使って脅し、恐怖によって自分の思い通りの行動を取らせるという、先ほど例を挙げた犯罪者が取った手段と全く同じ行動です。 

手口が犯罪者と同じだから、この少年の行ったことも不正だし、この少年は憎むべき犯罪者として逮捕されるべきなのでしょうか。
多くの人が、前に例を出した犯罪者たちと、今回例に出した少年は同じではないと思うはずです。では何故、同じ手段を選んでいるのにも関わらず、片方は悪で、もう片方はそうとは言えないのでしょうか。
冷静になって、ゆっくり考えてみるとわかりますが、目的を達成するための手段としての行動そのものは、良いとも悪いとも言えないものです。

目的は全てに優先される

では、一連の行動の善悪を決めるのは何なんでしょうか。 行われた行動は、何を基準にして善悪が決められるのでしょうか。その境界に、ビシッ!と境界線を引くことは可能なのだろうか。
ポロスは、この投げかけに対して答えることは出来ずに、その答えをソクラテスに求めます。
これにたいしてソクラテスは、目的を設定する際の基準で分かれると答えます。 つまり、正義を元にして目的を定めた場合は、その目的のための手段もひっくるめて良い行動となるわけです。

逆に、自分だけの欲望を満たしたいといった悪い考えによって生まれた目的は、それを達成する手段も含めて悪い行動だと言えます。
つまり、権力者が行っていることも犯罪者が行っていることも、その目的が悪によって設定されていれば、それによって起こされる手段は不正であって、悪い行動であるということです。
悪い目的を叶えるための手段は、それを行ったものを不幸に導き、良い目的を叶えるための手段は、それを実行したものを幸福へと導いてくれる。

人は、不正を行わずに、正義を前提とした目標を建てて、それを目指して進んでいくべきで、堂々と不正を行えるからという理由で権力者を目指すのは間違っていると主張します。
しかし、この話もまた、ポロスには納得できません。 何故ならポロスは、不正を行いながら幸福な人生を謳歌している人間を知っているからです。
それは、どのような人なのか。 その話はまた、次回にしていこうと思います。