【Podcast原稿】第73回【ゴルギアス】目的は全てに優先される 前編
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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
目次
今回の内容も、プラトンが書いた対話篇の『ゴルギアス』を、私自身が読み解いた上で、解説する内容となっています。
本を朗読しているわけではなく、重要だと思うテーマの部分に絞って解説していく内容となっているので、対話篇のすべての内容を知りたい方は、本を購入して読まれることをおすすめします。
人を正しい方向へ導くものだけを『力』と呼ぶ
前回は、ソクラテスに弁論術は技術にも達していない迎合でしかなく、低俗なものだと言われたポロスが、弁論術で出世した者は、権力を手に入れて好き勝手しているじゃないかと反論。それに対してソクラテスが、善悪の見極めも出来ない無知なものが、自分の地位を利用して欲望に従って自由に振る舞ったとしても、それは力があるとは言わないと主張します。
人が起こす行動には目的と、それを実現するための手段があるけれども、目的を見失って、進むべき方向がわからないものは、欲望に流されて悪い方向へ進んでしまう。
自分の思いのままに行動できる人間が、目標を見失った状態で悪い方向へ向かってしまえる力は、力とは呼ばない。力とは、良い方向へ向かう時に使う言葉だと反論します。
力にもいろいろありますが、その1つに、継続するための力として、継続力というものがあります。 継続力を持つことは良いとされていますが、これが悪いことに対して使われる場合は、力と呼ぶのでしょうか。
例えば、無知であるが故に、その行為の行き着く先が良いことなのか悪いことなのかを判断する能力がない人間がいたとして、その人物が、アルコールやパチンコにはまり込んでしまったとします。
この人物は、自分の欲望のおもむくままに、昼間っから酒を呑んで、開店と同時にパチンコ屋に入って大金をすり続けているとしましょう。
酒もパチンコも、毎日欠かすことなく行い続ける この人物に対して、『酒を呑み続ける継続力がある。』とか『パチスロに通い続ける力がある。』というのでしょうか。
この人物は、自分を良い方向に導くために、パチンコに大金を投じているわけでも、酒を呑み続けているわけでもありません。欲望に押し流されて悪い方向へ向かっているだけです。
このような力を継続力とは呼ばない様に、ソクラテスは、自分を悪い方向へ導く事柄を実行できる力を力とは呼ばないと力強く否定します。
皆、楽をして自由に振る舞える権力を欲しがる
ソクラテスの主張は筋が通っていて、理論としても分かりやすく、彼の話を聞いていると納得してしまいそうになります。しかしポロスは、納得ができません。 確かに、理論的にいえばソクラテスの意見が正しいのかもしれない。 不正に手を染めることは、自分を幸福に導くのではなく、不幸に身を投じてしまう行為なのかもしれない。
でも、みんな、思い通りに自由に振る舞える身分に憧れるじゃないか!と。 権力欲は皆が持っているものだし、手に入れられるものなら手に入れたいと思っている。
誰だって、人を思い通りに支配したいと思うし、自分の価値観を他人に押し付けて生きて行きたいと思っている。誰だって、楽をして優雅な生活を送りたいと思ってるし、やりたい事だけやって生きて行きたいと思っているんじゃないのか?
このポロスの主張は、私たち一般の感覚に近く、多くの人が理解しやすい感情だと思います。 誰だって、今の自分を変える努力もせずに、認められたいし崇められたいと思っているから、『なろう系』のラノベ原作のアニメが流行ったりするわけです。
ラノベ原作のアニメは、大抵は一般人と呼ばれる、現状でスポットライトを浴びてい無い人達が、現在の知識を持った状態で、中世ファンタジーなどの世界に異世界転生をしてしまうという設定で物語が始まります。
技術の進んでいない中世ファンタジーの世界では、大抵、技術が古いがゆえの問題を数多く抱えているのですが、主人公は現代の知識をフル活用して、世界の難問を解決していく事で、その世界の住民から尊敬されるという話です。
この手の話の共通点は、今の自分にそれ程価値がなかったとしても、世界のほうが変わることで、自分の価値が他人によって見出されることです。
この手の話は量産されすぎて、最近では、主人公が努力して報われる話なども出てきてますけれども、基本は、日常的に身に着けた、誰でも持っているような技術や知識が、世界の方が変わってしまうことで、貴重になるという話です。
こういった話が受け入れられやすい状態というのは、言い換えれば、新たな努力しなくても、世界の価値観が変わる事で認められたいと思う人が多いということです。
『認められたい。』だとか『自分の影響力を拡大したい』だとか『注目を集めたい』というのは、まとめれば、権力が欲しいという事と同じです。
これを実現するためには、少数の人しか持たない世界最高峰レベルの高い技術。 専門知識と言ったものを持っていれば、現代でもその分野では有名になれるでしょうし、崇められるでしょう。
でも、そんな努力はしたくない。出来ることなら、口先の技術だけで登りつめたいし、上の立場になれば、自分の欲望のままに力をふるいたいと思うのは、当然のことじゃないのかと、ポロスは言ってるわけです。
そして、口先の技術だけで権力を手に入れて、その地位によって大勢の人間を自分の思いどりに動かせる力を持つ者に対して、憧れるだろ?とポロスはソクラテスに対して聞きます。
『力』そのものは目的ではない
しかしソクラテスは、これに対して毅然とした態度で『羨ましくない!』と一蹴するんです。そして、人から命や財産を奪いとるのは権力者の当然の権利だと、平然と言ってのける連中に対しては、羨望ではなく、哀れんでやるべきだと主張します。ですがポロスは、力を持つものを憐れむ理由が分かりません。 例えば、権力者のワガママによる行動ではなく、理由がある場合ではどうなんだろうか。
仮に、自分の身内が不当にも何者かによって命が奪われるという理不尽な出来事に巻き込まれたとして、その犯人を捜索して見つけ出し、逮捕して裁くというのは、力を持たなければ出来ることではありません。
一般人でも、警察に言うといった国家の力を頼るという方法で似たようなことは出来ますが、一般人には力がないために、警察に命令して動かすことは出来ずに、お願いして動いてもらうことしか出来ません。
力関係的には警察のほうが上ということになるので、捜査に対する力の入れ具合は、警察によって決められます。 しかし、警察を動かせる権力者であれば、警察に全力を出させることが可能になるでしょう。
地位の高い権力者であれば、自分の受けた理不尽に対して仕返しをする事が出来るし、泣き寝入りしなくても良い、このような力も、羨ましくないのかとソクラテスに尋ねます。
これに対してもソクラテスは、羨ましくはないと答えます。 何故なら、理不尽に対して仕返しをすると言う行為は、目的ではなく手段でしか無いからです。
ソクラテスは、権力者が権力を振るうのに正当な理由がある場合は、憐れむ必要はないけれども、別にその行動を見て羨ましいとは思いません。何故なら、彼らは手段をこうじているだけで、目的を達成したわけではないからです。
つまり、ソクラテスが羨ましいと思うのは、目的を達成したものを見た時だけという事なのでしょう。
受験に合格する為に、頑張って勉強をしている人を見て、同じ受験生が羨ましいと思う事はありません。受験生が羨ましいと思うのは、志望校に合格した人間を見たときです。
ソクラテスが目指しているのは、幸福に向かうことで、幸福に向かうために、その方法を模索しているので、幸福を手に入れたものを見た時には、羨ましいと思うのでしょう。
ポロスは、権力者になること、そのものが幸福だと主張し、それに対してソクラテスは、権力者になることは幸福になるための手段でしか無いと主張しているので、この様に食い違いが発生してします。
でも、ポロスはどうしても納得がいきません。 確かに、物事を細切れにして一つ一つ吟味していくと、ソクラテスの主張は正しくて、それに対して容易に反対できるものではありません。
しかし、細切れにした事実を統合して出来上がった結論には、納得ができません。