だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

表現の不自由展について思うこと

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先日のことですが、世間で『表現の不自由展』というのが話題になりました。
この事について、色々と思ったことが有るので、今回はの事について書いていきます。

目次

注意として

私は現地に足を運んで、実際にすべての展示を見たというわけではなく、展示作品としては、慰安婦像と天皇陛下の肖像と思われる写真を燃やしている映像作品しか知りません。
今回は主に、天皇陛下と思われる写真を燃やしている作品を中心に書いていきます。

私は、写真を燃やしているという作品について否定的な意見を持ってはいますが、別に天皇制や天皇陛下に特別な感情を持っているわけでもありません。

また、この作品展自体にはネガティブな印象を持ってはいますが、国が権力を発動させて中止させるべきだとも思ってはいませんし、税金が入ってる入ってないも問題とは思ってません。
当然のことですが、テロ予告をして圧力をかける事も駄目だと思っているので、予めご了承ください。

写真を燃やす行為は芸術なのか

今回の作品が生まれた経緯としては、もともとは天皇陛下の写真のコラージュ作品が美術展に出されたけれども、批判が殺到したので、美術館が作品を売却した上で、その作品を収めた図録を焼却処分したのが発端らしいです。
その出来事を知った別の作家が、『天皇陛下の写真をコレージュするのは不敬だけれども、それを燃やすのはOKなんだ。』という事で、写真を燃やして、その灰を踏みまくるという映像を撮ってアートとして公開したらしいです。
評価する側の人達からは、パラドクスだの何だの言われていますが…

正直、天皇陛下を侮辱したくて仕方のない人が生み出した屁理屈にしか聞こえません。

美術館側は大勢の観客を呼んで、皆の前で図録を燃やした上で、灰を踏みつけるというパフォーマンスをしたのでしょうか?
様々な抗議を受けた結果として、自分たちで展示を中止にして、売る事もできない図録を処分しただけです。 それを販売したとすれば、更に抗議が来ることは容易に想像できますからね。
美術館の倉庫も容量があるでしょうし、処分する場合は紙なら焼却処分するでしょう。

その行動の揚げ足を取る形で、『燃やしてOKなら、それを作品にしますね!』って事で、じっくりとバーナーで焼き、灰を踏みつけまくるという動画を『作品』と言い張る行動には、稚拙さと不快感しか感じません。
別に私は、天皇陛下や天皇制に特別な感情を抱いているから不快に思っているわけではありません。 人物の写真や肖像を燃やして灰を踏みつけるという行為を見せびらかす事に不快さを感じます。

アイコンを燃やすというメッセージ

今回の展示に肯定的な意見を言う人の中には、昭和天皇はアイコン化しているから大丈夫という意見も見られました。
この意見は正直、分からなくもありません。 戦争に突入して負けた時代の天皇ですし、様々な感情を持たれる人なので、アイコン化していて、キャラクターそのものにメッセージが有るというのは、理解が出来ます。

しかし、同じ様に考えるのであれば、アイコン化しているものなんて沢山あります。
キリスト教のイエス・キリストは、その教によって多くの人を救済したかもしれませんが、一方で、その教えを強引に広める為に数多くの戦争が行われました。
また、キリスト教の正しさを主張する為に、古代ギリシャ時代に生み出された技術や知識は燃やされ、科学者は迫害され、教えに反するものは魔女とされて火炙りにされたりもしています。

イエス・キリストの肖像は、これらの2面性のアイコンとして捉える事が出来ると思いますが…
じゃぁ、キリストの絵画やキリスト像を燃やして、その灰を踏みつける映像を撮って公開することは、アートとして認められるべきで、批判は許されないのでしょうか。

イスラム教も同じで、世界で10億を超える信者を抱えているので、宗教によって正しい道を歩むものも沢山いらっしゃるでしょうが、ごく一部の人は過激なテロを行っていたりもします。
世界各地では、彼らのテロによって親族を失った人も沢山おられます。
イスラム教は、偶像崇拝禁止がより徹底されているので、預言者の肖像を書いてはいけないとされていますが、アイコン化された宗教指導者の顔を敢えて描いて、それを燃やして灰にして踏みつけるという表現は、守られるべきなのでしょうか。

これらの行動は、芸術というよりも、相手を挑発している行為にしかならないのではないと思います。
自分と意見が正反対の人達と、議論をして分かり合おうとする為に必要な手段が、『挑発』なのでしょうか。

政治的な意図は無いというが…

今回の企画展は、政治的な意図はないとは言われていますが、激しく批判している人達の中には『ネトウヨ』と呼ばれている人達も多く、賛成している人達は、反体制の人達が多いように感じます。
まぁ、表現規制を行うのは体制側ですし、それに対立する構図で企画展を行おうと思うと、そういう作品ばかりになるのも分かりますが…

仮の話として、今回燃やされたのが天皇陛下の肖像ではなく、展示されていた慰安婦像だったとしたら、どうでしょう。
イベントの後半に灯油をかけられて燃やされて、その灰を足で踏むというパフォーマンスが、作品として主催者側が行ったとしたら。。
今回、『表現規制は守られるべきだ!』と言っていた人達は、主張を変えずに同じ様に主催者を養護するのでしょうか。

アイコン化されていて、その存在にメッセージが込められているという意味では、慰安婦像もアイコン化されたものだと思います。
それに灯油をぶっかけて燃やすというのは、様々な反応が起こるでしょうし、議論の対象にもなるでしょう。 当然のことながら、韓国からは抗議が来るでしょうし、中止しろとも言ってくるでしょう。
しかし、これも、『表現の自由』として守られるべきで、批判が来たとしても圧力に屈せずに撤収せず、最後までやり遂げるべきなのでしょうか。

もし、燃やされる対象によって意見が変わるという人がいたとすれば、今回の件を自分の都合の良いように捉えているようにしか思えません。
自分が敵対しているものは燃やされるべきで、自分が支持しているものは燃やされるべきでは無いというのはポジショントークにしか聞こえません。

私個人の意見としては、人が思いを込めているものに火を放って足蹴にする行為は展示だと思えず、ただの挑発やヘイトだと思うので、芸術ではないと思いますけどね。

この人の肖像画は焼いて良いけど、この人は駄目という線引はどこでするのか、誰がするのか。
それが全くわからない状態では、この様な行為は挑発やヘイトにしか思えず、否定的な感情しか湧いてきません。