だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

ルールと信用の関係

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最近、ルールと文明についての投稿を立て続けに書きました。
kimniy8.hatenablog.com
kimniy8.hatenablog.com
簡単に内容を説明すると、文明と規制レベルに一定の相関関係があるというものです。
技術が開発されたり、新たな発見があって文明レベルが上がると、それとは全く関係がないと思われる、テーブルマナー等が厳しくなる。
何が原因でこのような事が起こるのは分かりませんし、どちらが切っ掛けになっているのかも分かりませんが、相関関係がある事は観察から分かるんですね。

ここで、何故、ルールが整備されて自由が抑制されると、文明レベルが上がるのかというのを、信用という視点から見て考えます。

先ず、ルールという存在ですが、そもそも、人々が完全な信頼関係を構築していれば、ルールなんてものは必要ありません。
殺人という極端な例で考えてみましょう。
AさんとBさんの間には完全な信頼関係があって、相手が絶対に双方を殺さないという確信が有ったとします。
この場合、この二人の間に『人を殺してはいけない』というルールは必要ない事になります。

しかし、互いに信頼関係がない場合はどうでしょうか。
互いに、『相手は何を考えているかわからないし、何をしでかすか解らない』と疑っている状態です。
この状態では、『人を殺してはいけない』という制限によって、互いが守られることになります。

このルールの存在は、単純に安全性が増すだけでは有りません。
殺人に対するルールが有ることで、殺される可能性を少なく見積もることが出来、人が持つリソースが有効に使えるようになります。
例えば、人を殺しても罪に問われない地域が有ったとします。
この地域に住む場合、【自身が殺されない為】に様々な方策を自身で考える必要があります。
人の時間や考える能力は限られている為、【殺されない為】にかなりの労力を割かれてしまうと、他のことを考える時間を圧迫されてしまいます。

しかし、『人を殺してはいけない』というルールと、違反した際のペナルティが整備され、殺される可能性が減少すると、【殺されない為】に考えなければならない時間を削減できます。
余ったリソースは他の分野に回すことが出来る為、効率化出来ます。
その代わり、『人を自由に殺す自由』は奪われます。

殺人という極端な例だけでは無く、ルールによる効率化は、あらゆるところで行われています。
例えば、小売店にものを買いに行く場合、安心して者を売買するために、あらゆるルールが定められています。
ルールが整備されていない状態だと、箱に入って商品が見れない状態になっている場合、わざわざ開けて、目当ての物が本当に入っているのか確かめなければなりません。

ルールの整備によって、信頼関係がない場合でも、考える事柄を減らすことが可能となります。

人間社会で一番重要なのは、信頼関係を構築することですが、信頼は一朝一夕では作れません。
遠く離れた観たこともない人達と、効率的に、円滑に事を進めるには、ルールは必要不可欠なものともいえます。

ここで、疑問が出てきます。
ルールを整備して、人の行動を極限まで限定してしまえば、生活内で考えなければならない事が大幅に削減できるため、更に文明は進むのかという事。
人の生活行動を限定することで、より安全に、豊かに暮らせるようになるのであれば、完全管理社会は歓迎すべきものということになります。

国民は煩わしさから開放されるため、これを望むはず。
しかし、そうはなってませんよね。
何故、そうならないのか。
それは、ルールが整備されて行動が制限されていくと、ルールを取り締まる側の権力が強くなっていくからです。
そして庶民は、権力側のことを信用していないからでしょう。

例えば、今現在騒がれている安保法案。
アメリカは日本を守るために、日本に基地を置いています。
アメリカと同盟を組んでいる以上、対等の同盟関係でいるのであれば、集団的自衛権は必要でしょう。
安全性を求めるのであれば、全員が賛成してもおかしくない法案ですが、反対が多いというのは、それを使う側の政府が信用されていないからです。

マイナンバー制度にしてもそうでしょう。
全ての情報が一元管理されれば、国民としても利便性が高まります。
しかしこの制度によって、全ての情報は国に集中することになります。
政府に対して絶対的な信頼が有れば、情報の集中は然程問題にならず、国民の大半は反対しない制度でしょう。
ですが、政府に対する信頼がない場合、国民は『集めた情報を何に使われるかわからない。』『情報が漏洩した場合に怖い』という思いから、素直に賛成はしづらい。

権力側は、市民を守るためにはルールを整備しなくてはならないのに、自身の信用低下によってルールが整備できない状態になっているわけです。

まとめると
ルールとは、信頼関係がない状態でも円滑に社会を保つためのもの。
市民は、ルールによって守られるし、効率的に動くことが出来る。
しかし、整備されすぎると、中央の運営側に権力が集中し過ぎる。
運営側と市民との間に信頼関係がない状態だと、ルールの整備そのものが行われづらくなるわけです。

信頼関係がない故にルールが必要なのに、信頼関係がない為に、ルールが整備されない。
鍵を握っているのは信用で、ルールを整備する為には、運営側の政府や警察は市民から信用を勝ち取らなければならない。
ですが信頼の枠が広がり、市民みんなが相互を信頼できる社会になると、ルールそのものが必要なくなる。

この構図って、結構面白いですよね。