だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

仮想通貨の仕組みを簡単に説明してみた

今回の話は、今話題の仮想通貨の話です。
具体的には、その仕組の話。

ですが、最初に書いておきますが、私自身がまだ完全に理解できているわけではありません。
理解不足の点や間違っている部分があるとは思いますが、私自身が現在理解しているところをメモっている備忘録的なものを、他の人にも読める形にしている程度の物と捉えて読んでいただけると幸いです。

さて、本題ですが、仮想通貨は去年の年末ぐらいに1BTC(ビットコイン)が2万ドル付近まで上昇したという事で、ワイドショーなどでも取り上げられて、金融業界に興味がない人にまで広がった印象です。
私はというと、一応、金融系のニュースはチェックしている為、何年か前には知っていました。
具体的に何年前かは忘れましたが、ビットコインがまだまだゴミみたいな値段だった時に購入していた人が、その存在を完全に忘れ、そのデータが入ったHDDをゴミとして捨てた後で相場をチェックすると、日本円で7億円になっていて…
みたいなニュースが流れ出した少し前に知っていた記憶があります。

この記事を書いている最中に、先程のニュースの検索をかけた所、5年前のニュースということがわかりましたので、それぐらい前から存在走っていたということでしょうか。
www.afpbb.com

で、この頃からキーワードとして登場しだしたのが、フィンテックブロックチェーン
フィンテックは、financial(金融)とTechnology(技術)を二身合体させたもので、金融技術という造語です。
技術というのはIT技術の事で、従来の現金の受け渡しで成立する取引を、技術的に他のものに置き換えて行おうという理解で良いと思います
交通系決済サービスのパスモで、普通の買い物ができるとかそういった感じでしょう。

問題なのが、ブロックチェーン
wikiなどで説明が書いてあったりするが、どれを読んでも分かりにくい。
ビットコインのシステムがナゾナゾを出して、それを解いた最初の人がビットコインを貰えるからシステムが維持できるって、意味不明。
本当に説明しようという気があるのか、疑問を持つレベルの文章…
まぁ、理解するだけの頭が私に無いだけなんですが、ともかく、私には理解が難しいものだったのですが、その説明に出てくるワードから推測するに、一昔前に一部で流行ったwinnyの考え方と基本的には同じなんじゃないかと思うようになりました。

という事で、winnyの考え方をベースに、ブロックチェーンの理解をしていこうと思います。

winnyというサービスは、簡単に言うと、ファイル共有ソフトです。
winnyの前に、これまた一部で大流行していたソフトで、win mxというソフトがあったわけですが、mxよりも一つ進んだという意味を込めて、アフファベットを一つづつ先にズラして、nyにし、win nyとして登場したのがwinnyです。

このwinnyの仕組みですが、従来のものとは発想そのものが違うということで、世界レベルで評価されていたシステムだったりします。
従来の…というか、今でもそうなんですが、ファイルを大人数に公開する場合は、何処かのサーバーにファイルをアップロードし、そのファイルを欲しい人が、サーバーからダウンロードするというのが常識です。
例えば動画の場合、googleのサーバーに動画を上げて、youtubeとして公開する。
Netflixが動画をアップロードして、サービス加入者がダウンロードをして動画を楽しむ。

音楽でもブログでも何でもそうなんですが、全てのファイル、コンテンツは、どこかのサーバーにアップロードされ、それをダウンロードする事で楽しむことが出来ます。
この仕組は、何処かに中央が存在し、そこにユーザーがアクセスするという方式で、パソコン通信の頃から変わっていない昔ながらの方法です。
今流行のクラウドも、サービス提供側がサーバーを用意して、そこにアップロードして必要な時にダウンロードするだけなので、考え方としては同じ。

しかし、winnyのシステムの場合は、そのサーバーが必要無いんです。

何故必要ないのでしょうか。使用方法を振り返りながら、考えていきましょう。
このソフトの使い方としては、winnyのソフトをダウンロードした人は、winnyのソフト用に、ストレージ(記憶容量、HDDなど)をいくらか提供します。提供する方法は、フォルダーを指定するだけです。
それとは別に、自分が欲しいコンテンツをダウンロードする用にフォルダーを作って、ダウンロードフォルダーとして指定。

後は、検索窓に欲しいファイル名などを入れれば検索ワードに引っかかったファイルが出てくるので、欲しいソフトをダウンロードするだけです。
この時に、ソフト側はダウンロード指定したファイルを、ダウンロード用フォルダーにダウンロードするわけですが、ダウンロードするのはそれだけではありません。
先程、winny側にいくらかストレージを提供すると書きましたが、そのフォルダーにも何だか良く分からないファイルがダウンロードされます。

ではこの、何だか良く分からないファイルが入っている、winny側に提供しているストレージは何なのかというと、これが、サーバーが必要ない秘密だったりするんです。
簡単に言うと、winny側に提供しているストレージが、サーバーの役割を果たしているんです。
つまり、何処かに中央サーバーがあって、皆がそこにアクセスしてダウンロードするのではなく、winnyを利用している人が提供しているストレージが、そのままサーバーの代わりになっているという事。

ここで、『誰か知らない人が、自分のパソコンから勝手にダウンロードしてるの? 怖い。』と思われる方も多いとは思います。
また、『ダウンロードはしたいけど、アップロードはしたくないから、winnyにストレージを提供したくない。』と思われる人も多いでしょう。
しかし、ここがwinnyの凄いところで、システムに貢献しない人、つまりは、ストレージを提供しない人には、ダウンロード枠が絞られます。つまり、欲しいファイルがなかなかダウンロードできないという事。
その一方で、ストレージを提供して他の人にアップロードしている人には、ダウンロード枠が開放され、一度で複数のファイルをダウンロードすることが出来てしまうという仕様。
つまり、マイコンの領域を提供している人には、それなりのリターンを支払うという方式という事です。

これにより、winny側はサーバーを用意するなんて金がかかる事を一切せずに、個人が持つパソコンの容量を繋げることで、巨大なクラウドシステムを作り上げたというわけです。

仮想通貨の考え方も、基本的にはこれと同じです。
金融システムや決済手段において重要なのが、取引履歴の照合と保管です。
その為に、金融機関は巨額のお金をかけてシステムを構築していますし、照合の為に、銀行マンは窓口を15時に閉めて、そこから作業をしなければなりません。

このシステムを、金融機関が一から構築するのでは無く、他人が持っているパソコンを繋げる事で、手軽に構築してしまおうというのが、仮想通貨のシステムなんでしょう。
しかし、ここで疑問が発生します。 誰が、パソコンの能力を提供するのかという事です。

ファイル交換ソフトの場合は、ダウンロードしたいコンテンツがあるというのが、winnyシステムにストレージを提供する動機になります。
しかし仮想通貨の場合は、単なる決済の為、そもそも頻繁に行うものではありませんし、その為に、電気代を払ってパソコンをつけっぱなしにして、パソコンの処理能力を提供するなんて人は、稀でしょう。

そこで有効になってくるのが、冒頭でも書いたナゾナゾシステムです。
仮想通貨では、仮想通貨のシステムが出す暗号を最初に解いた人間に、報酬として仮想通貨が支払われます。
仮想通貨に一定の価値がって、電気代を差し引いても黒字になるのであれば、その仮想通貨欲しさに、自前のパソコンをシステムにつなげて、暗号を解こうとする人達が現れます。この行為が、マイニングと呼ばれる行動でしょう。
他人のパソコンの処理能力やストレージを利用して、取引履歴や照合をやってしまおうというのが、仮想通貨の根本的なシステムなんでしょう。

ただ、この理屈が分かってしまうと、不安が残ります。
というのも、現在発行されている仮想通貨というのは、通貨発行量というのが既に決定されています。
つまり、マイニングによって支払われる仮想通貨の絶対量が決まっているという事。

これを枯渇させないようにする為には、暗号を解いた際の報酬を徐々に切り下げていく必要がありますし、切り下げないのであれば、どこかのタイミングでマイニングが意味を成さないことになります。
通貨発行量に限界が来た場合は、決済の際に取引手数料が徴収し、その手数料を報酬として与えるという話もありますが、取引手数料が発生するのであれば、仮想通貨で決済する意味が無くなリます。
だって、仮想通貨が評価されてるのって、何処に送金したとしても手数料がかからないってことですからね。

また、システムにパソコンの処理能力を貸している側が、支払っている電気代よりもマイニングで手に入れる事ができる報酬よりも低い状態になった時点で、パソコンを提供する人は居なくなります。
システムに対して自前のパソコンを提供する人がいなくなってしまえば、通貨としてもっとも重要な決済が行えないことになる為、仮想通貨システムは崩壊してしまうことになります。

こういうシステムであるため、マイニング業者に電気料金以上の報酬を渡す為、決済手数料の絶対額は決定してしまう。
あとは、取引を行う人の総数で絶対額を割る事で取引手数料が決定するんでしょうが、この形態だと、決済する人数が減れば経る程、一回あたりの手数料は値上がりすることになります。
こうなってくると、坂道を転げ落ちるように決済回数は減少していく事になり、結局、最終的には崩壊しそう。。

ただ、今回のビットコインって、社会実験のようなものだと思うので、仮に崩壊したとしても、これ

システムの悪化によって衰退する日本

ここ最近、特に去年(2017年)は、世間一般でいうところの一流企業の不正問題が頻繁に取り上げられましたね。
特に資源が有るわけでもなく、今までにないような全く新しいアイデアも出せていない日本にとって、『真面目に仕事をして、高品質なものを提供する』という唯一の取り柄までなくなって、今後の日本はどうなっていくんでしょうかね。

という事で今回は、何故、こんなことになってしまったのかというのかについて、考えていきます。
私が考える理由はものすごく簡単で、単純にシステムが悪いからという結論になります。

少し前に紹介した本に、『国家はなぜ衰退するのか』という本が有ります。
kimniy8.hatenablog.com

この本で書かれていたことは、文明の発達や国家の衰退・破綻というのは、そこに関わる人達が有能だったり無能だったりする事で起こるのではなく、単純に、システムの問題だということが書かれています。
例えば、アフリカは文明レベルの高い国から観ると、相対的に劣って見えます。
では、アフリカの文明が遅れている理由は、単純に彼らが無能で劣っているからなのでしょうか。

この本では、この素朴な疑問に対して、偏見などを持たずに真正面から向き合って考えています。
その結果として分かってきたことは、文明が発達する速度が早いか遅いかは、種族の有能無能ではなく、単純にシステムの問題だということが分かります。

例えば、アフリカの一部の地域では、農作物を育てる際に、道具を殆ど使わずに作業を行う為、非常に生産効率が悪い。
鋤といった単純な道具を使う丈でも生産効率は上昇するのに、何故、彼らは農具を使わずに、頑なに生産効率の低い方法を取り続けるのでしょうか。
ここで、『農機具の存在を知らない馬鹿だから、存在も知らないし使い方もわからないから、使わないだけだろう』と決めつけてしまう人が多いかもしれませんが、実際に調べてみると、事実はそうではありません。

答えは、国のシステムが悪いから。

彼らが暮らす国では、農民は作った農作物から、自分達が生きていく上で最低限の食料だけのこそ、その他全ては国に取られてしまうというシステムが採用されていました。
この方式では、農民は設備投資をして農作物を効率よく育てる動機付けが全くありません。
何故なら、どんなに工夫し、資産を投げ打って設備投資をしたところで、生産増加分は全て国に徴収されてしまうからです。

自分の取り分が全く増えないのに、僅かな食料を削って、それを金に変えて投資に回そうなんて人は、一周回って馬鹿ということです。
それなら、適当に仕事をして、自分の食べる最低限の量を確保して楽をしようとするのが人間でしょう。
普通の人間は、インセンティブが無いのに頑張らない。
この国は国民が頑張らないシステムを採用しているから、投資も進まないし生産性も向上しないし、常に食料がないため、労力を他の研究開発にまで回せないので、文明の発達スピードも遅れているという事。

世界を見渡せば、アフリカ出身で高い社会的地位を得ている人も見られることからも分かる通り、環境やシステムさえ変われば、才能を発揮する人は結構います。
逆にいうと、才能があったとしてもシステムが悪ければ、その才能は発揮できないということです。

ではこの理屈を、今の日本に当てはめてみましょう。
今の日本は労働力不足が叫ばれ、ニュースでも連日『働き手がいない! 人手不足倒産!』なんて事が叫ばれ続けています。
しかし一方で、私達の生活を振り返ってみて、どうでしょう。

会社で社員を確保し続けるために、職場環境が改善が改善された!なんて喜んでいる人を、少なくとも私の周りでは見たことがありません。
私の周りの人たちは、口々に『不景気だ…』と嘆き、労働時間が増える一方で手取り給料が減ったおかげで、消費を抑えているという話をします。

その一方で、株式市場はどうでしょう。
企業はバブル景気という狂った経済状態の売上を抜くような最高益を出し、外国から招待した経営者は、数十億単位で給料を取っていく。

この事から分かることって、正社員をパートや契約社員などの短期労働者に入れ替え、現場で働く人たちの待遇を冷遇し、浮いた金を企業が利益として掻っ攫い、上がった利益を根拠にして、経営陣が収入を増やしているという構図ですよね。
これって、先程書いた、アフリカの農家と同じ状況とはいえないでしょうか。

どれだけ身を粉にして働いたところで、その利益は企業の利益と経営陣の報酬として徴収されてしまう。
こんなシステムであれば、真面目に働くだけ損ですよね。
普通に考える能力があれば、適当にやって適当に帰るのが、人としての普通の行動でしょうし、
仮にお金がほしいのであれば、日中は適当にサボって、就業時間が終わってから、残業をして残業代稼ぎを行うというのが人情というもの。

しかし、適当にやって帰るとか、残業代を稼ぐなんて事が出来るのも、サラリーマンの中でも上流に近い選ばれた人達だけ。
それすら出来ない川下の人達、つまり、一日で終わらない量の仕事を無理やり押し付けられて、残業代も出ないなんて環境で働いている人達は、押し付けられる難題をクリアーする為に、不正で何とかするなんて事もせざるを得ない状況に追い込まれる。

いくら頑張って会社の業績を上げたところで、その利益が還元されずに、更に労働環境が悪化するような環境では、仕事に対する責任も持とうとしないし、そもそも真面目にやるなんてことが馬鹿らしくなる。
一生懸命働いて額面で12~3万円、手取りで10万割るなんて環境なら、その組織に尽くしたとしても未来に期待なんて出来ない。
それなら、バイトなどで食いつないだり、生活保護を受けるほうが、まだ人間として最低限の暮らしが出来る。

最近の就活生が、就職する際に知っておきたい事の1位が労働時間で、その後、休日や残業の有無、社会保障などが続き、給料に興味がある学生が10%以下なんて数字がありますが、これは単純に、若者がお金に対して執着してないから、給料に興味が無いわけではないですよね。
会社が普通の給料を出すことに対して期待してないから、それなら、休日や社会保障がしっかりしているか、つまり、自分の時間が確保できるかどうかが最優先となるんでしょう。

今の若者や現場で働いている人達は、会社側が自分達に対して何もしてくれないことを知っていて、会社に対して何の期待もしていない。
サラリーマンは、自らを社畜と呼び、経営者は奴隷として扱う。
こんな労使関係で、優れた製品やサービスが作れるわけがないんですよね。

その一方で、中国企業が日本に会社を作って、初任給で40万を出して日本人を募集する。
日本は、単独で見ても落ち目ですが、相対的に観ると更に、置いていかれることになるんでしょうね。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第22回 LSD (1) MKウルトラ

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
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前回の放送では、ヒッピー・ムーブメントが起こるキッカケとなった、環境について簡単に説明していきました。
当然のことですけれども、前回と前々回で話した事がキッカケの全てではなく、もっと色んな要因が複雑に絡み合って起こった事だとは思いますので、興味のある方は是非、ご自身で調べてみてください。

前回と前々回の内容を簡単に振り返ると、国全体に、世界の前提や今までの常識を疑ってしまうような空気感が漂い始めた事が、全ての原因です。
では、なぜその様な空気感が漂い始めたのかというと、今までのキリスト教の教えと現実とのギャップですね。

現実の世界では、科学が発達して、ドンドンと色んなことが解明されていくわけですけれども、それはキリスト教の教義とは違ったものである事が多いわけです。
文明が発達するまでは、キリスト教の教義に反することを主張する科学者が現れた場合は、その方達を殺していけば問題はなかったわけですが、文明が発達して、肉体労働ではなく知的労働が重要視されていくと、国は教育に力を入れていくことになり、教育を受けた国民は、論理的な考え方を身につけるようになっていきます。

論理的な考え方を身につけるということは、科学者と教会の発言を比べて、どちらが正しいかを判断する能力を身につけるということで、今までは教会のゴリ押しの主張で何となく納得していた人達も、納得しなくなっていきます。
また、神を信じて清く美しく生きていったとしても、世の中って然程、報われない一方で、戒律などを無視したり、自分の都合で解釈を勝手に変えるような人達が得をする社会ってものにも、疑問が出てきます。
その結果、キリスト教が主張する世界観は本当に正しいのかといった感じの疑問が湧いてくるのは、当然といえば当然の感情なんでしょう。

そんな空気感が漂う中、進化論のような、聖書の根本を否定するような説が唱えられると、今までの前提が壊れてしまうわけで、その環境で培われてきた自分という存在も揺らいでしまうわけです。
このタイミングで、イギリスが侵略したインドから、西洋哲学とは全く考え方が違う、東洋哲学の考え方が輸入されてきます。

輸入された東洋哲学思想は、唯一神が世界を創ったという観点ではなく、自分という存在と、この世の全てである宇宙は同一の存在で、自分自身を深く知ることによって、この世の仕組みを理解することが出来るという
今までになかった発想で、この発送に触れた一部の人は、今までの世界観と、新たに知った東洋哲学の思想を融合し、別の価値観を創り出していきます。
ここで生み出された価値観は様々で、一括りに説明できるものではありませんが、簡単に言うと、世界というものが先ずあり、そこに人間が生まれたという世界観しか無かったものに、自分の精神世界の延長線上に世界があるという考え方が加わったような感じですね。

このようにして生み出された新たな価値観ですが、起源が同じものだからといって、皆が手を取り合って一緒に運動しようというふうにはなりません。
というのも、同じ様な材料を使っても料理の仕方が変われば別の料理になるのと同じ事で、同じ様な環境を材料にしたからといって、環境や材料の捉え方が変われば、主張は全く違ったものとなります。
しかし、別々の思想として生まれたものも、共有する価値観や共通の敵が現れれば、話は変わってきます。
その共通の敵となったのが、ベトナム戦争で、共有する価値観が、今回テーマにするLSDという幻覚剤です。

という事で、今回のテーマは、幻覚剤のLSDです。
一応、誤解の無いように、最初に注意としていっておきますが、このコンテンツはLSDの摂取を推奨するものではありません。
文化に多大な影響を与えた薬物というのは事実ですが、その一方で、摂取することで精神病にかかり、自殺した人達も少なくありません。
そして何より、LSDは現在は禁止薬物となっていますので、手に入れたり摂取することそのものが犯罪です。その点だけは注意して、お聞きください。

さて、このLSDという薬物ですが、1943年に幻覚剤としての効果が発見され、この薬物に対して米軍やCIAが興味をもつことで、研究が開始されます。

先ず、CIAの方ですけれども、その当時、洗脳について非常に興味を持っていて、多くの予算を割いていたんですね。
ここで何故、軍事や諜報機関が、こんなにも必死に薬物の研究を薦めていたかというと、この時代はソ連との冷戦時代だったからなんです。
この当時は、いつ、戦争が起こってもおかしくないという雰囲気でしたし、互いが核爆弾を打ち合って世界が滅亡するのは、後どれぐらいなんだろうという、終末時計なんて発想もあったぐらいですからね。
この雰囲気については、映画のウォッチメンと言うものを観ると、何となく雰囲気は理解できると思います。

横道にそれたので本題に戻ると、洗脳というのは、尋問の際に相手を懐柔させるとか、敵を寝返らせて、こちらに引き込んで情報を聞き出したりスパイ活動を行わせたりするといったことでしょうね。
この洗脳ですけれども、時には国の運命が乗っかってしまうこともある為、なりふり構わない感じで研究は勧められていたんですよ。
オカルトっぽい感じでいうなら、催眠術とか、もっとエゲツない方法でいうと、コカイン中毒にしてから禁断症状が出るまで薬物を与ええない状態にしてから、『薬物が欲しいんなら、情報を喋れ』といった感じといえば、イメージが付きやすいですかね。

そんな時に発見されたのがLSDで、CIAはこの新種の薬物に飛びついて、専門機関などの協力を得て、研究・実験を行うことになるんですね。
最初は、まずシンプルに、LSDを投与してから尋問するという実験を行うんですが、ここで、非常に良い結果が出ることになるんですよ。
どのような結果かというと、LSDを投与されたものは、自分が秘密にして置かなければならない情報をペラペラと話しだしたんですが、薬が切れて正常に戻ると、トリップしていた時の記憶を無くしているといった状態になったんです。

CIAからすれば、これ程 都合の良い薬物はないわけですが、実験を進めていくと問題が出てくるんですよ。
それは、薬物を投与された人間が、必ずしも本当のことを喋っているわけではないという事ですね。つまり、薬物投与後に口が軽くなって話し出すといった人間もそれなりには存在するんですが、その内容が信用出来ないという問題ですね。

このような事が分かってくると、次は、使用方法を変えてみようという発想になるんですね。
どういうことかというと、LSDを摂取した後の発言が信用出来ないのであれば、CIA職員が、何らかの潜入捜査中に敵国に捕まった際に、自身でLSDを飲んでしまおうという発想ですね。
この行動によって、自身の発言の信用力が低下しますし、仮に本当のことを口走ってたとしても、相手にはそれが嘘か本当かわからないので、情報を撹乱させることが出来るという考え方です。

この様な感じで、捜査手段の一つとして利用する事が検討されて、実験などが行われていくわけですけれども、
CIA自身で実験や研究ができない専門的な事に関しても情報を集めたいという思いから、CIAが予算を出して、各研究機関や大学に依頼を出したりもしたようです。

行われた実験は様々なのですが、その様々な研究機関の一つで、精神病院が治療という名目で行った洗脳に関する実験の内容が、結構酷い内容だったようです。
その内容というのは、まず、睡眠療法として患者を数ヶ月間に渡って薬漬けにして、その後、物凄い回数に渡る電気ショックを与え、その後にLSDを投与する事で、患者を真っ白の状態にしてしまうんです。
真っ白の状態というのは白紙の状態というのでしょうか、リセットボタンを押すような感じで、初期化するといえば良いんでしょうかね。




その状態にした上で、再度、薬物を投与し続けて、医師がテープレコーダーに吹き込んだメッセージを、何度も繰り返し聞かせ続けます。
その回数は、酷い場合だと25万回にも達して、大抵の人は、精神が崩壊してしまうんじゃないかというレベルの、実験というよりも拷問と言った方が良いような内容だったようです。

その他には、CIAは実験用のLSDをヨーロッパの製薬会社から購入していたそうなんですが、機密情報扱いの実験の材料を海外から仕入れるという状態が面白くなかったらしく、アメリカ国内での生産を目指していたそうなんです。
そして、CIAはアメリカ資本の製薬会社と提携して研究を進めることで、仕入れたLSDの化学式を解読して生産方法を見つけて、独自で生産するといったことにも、お金を使っていたようですね。
これによってアメリカは、膨大な料のLSDの生産能力を手にする事になったりもします。

また、これはまた後ほど話す内容でも有るんですが、LSDには、この様な強力なトリップ効果が有る為、軍が敵の地域を占領する為に、水源にLSDを投げ入れるといった作戦の話が出たりもするんです。
この様な発想なんですが、自分が出来る事というのは敵も出来る可能性があるわけで、ソ連がLSDの存在を知っているかもしれないし、軍事利用するかもしれないという発想にもなります。最初にも言いましたが、この当時は冷戦時代でしたからね。
その為、仮に、アメリカ国内の浄水施設にLSDが投与された場合のシミュレーションも行うわけですけれども、その結果、水道水に含まれる塩素がLSDを中和させる為に、効果がないことが分かるんですね。
これで一件落着かと思いきや、『塩素で中和されないLSDを敵が作るかもしれない!』という可能性は残るわけで、その疑念を晴らすためにも、それが出来るのかどうかという研究開発を行うことになるんです。
その結局、アメリカの手によって、塩素で中和されないLSDが完成してしまうことになるんですね。

この後、アメリカによる実験はエスカレートしていき、『MKウルトラ作戦』というのが行われます。
この作戦は人体実験のようなもので、多くの精神病患者を生み、死者まで出したということで批判を受けていたりします。

実験の内容を簡単に言うと、最初は、CIAのごく一部の職員を対象に、被験者に対して実験内容を説明した上で、薬物を注射し、その変化を記録してデータを取るといった感じで行っていたんですが、その内容はどんどんエスカレートしていって、警告無しで実験を行うようになるんですよ。
例えば、朝、同僚が出勤してきたタイミングで、コーヒーを入れて『おはよー、コーヒー入れたよ、良かったら』といった感じで、笑顔でコーヒーを差し出すんですが、そのコーヒーの中にLSDを仕込んでおくとかですね。
この、不意打ち的に幻覚剤を投与するという方法はかなり危険で、事前に警告があった場合は、投与された側は幻覚に対する覚悟を決めると言った感じで用意ができるわけですが
不意打ちの場合は、現実と夢との境目が、より曖昧になる事で、後遺症が酷くなると言ったケースも観られたようです。

まぁ、ここで止めておけば良かったのでしょうが、CIAによる実験は更にエスカレートし、プロジェクトに関連する職員だけでなく、一般人を対象にした人体実験を行っていく事になります。
具体的には、CIAにゲストとして読んだ人間に、LSDを投与するとか、プロジェクトに関わっていない人間に警告無しで投与して、その経過を見ると言った感じですね。

この実験も結構酷いわけですが、この後にCIAは、研究費を投じて娼婦を雇って、マジック・ミラーを設置して監視できるような状態にした売春宿を建設して、経営しする事になります。
そして、そこに訪れる客にLSDを投与して、どの様に人間が崩れていくのかと言ったかんじの事を観察して、データを取るといった事までやっているようなんですよ。
ここで使われた麻薬はLSDに限らなかったようで、様々な薬物を投与することで、反応を観ていったようです。
ちなみに、この実験ですが、担当していた人間が麻薬捜査官で、昼は麻薬の売人を追いかけて、夜は売春宿経営しながら客に麻薬を投与するといった、真逆の生活を送っていたようですね。

この、麻薬捜査官 兼 売春宿の経営者は、科学者でもなく、専門的な知識を持つわけでもなく、しっかりとした記録のとり方も知らなかったようなので、この実験で得たデータの信憑性はかなり低く、使い物にならない代物だったそうですね。
というのも、観測してデータを取っている本人が、麻薬を服用するというのが日常化していたようで、そんな状態で記録を取ってたとしても、何が本当で何が幻覚かの見分けがつかないということなんでしょう。
まぁ・・・本当に、メチャクチャですよね。

詳しい内容が知りたい方は、『MKウルトラ計画』で検索をかければ詳細が出てきますので、気になる方は自身で調べてみて欲しいんですが、余程スキャンダラスな出来事だったのか、色んな題材になったりしています。
この作戦関連の映画も作られているようですし、最近では、PS4などでもプレイできる『マフィア3』というゲームの中でも、名前が出てきます。
その他には、私はプレイしていないのですが、女神転生シリーズのストレンジ・ジャーニーという作品の中で、この作戦を彷彿とさせる薬品などが出てくるようです。

一方で米軍の場合は、先程も少し話しましたが、主に軍事利用となりますね。
特定地域を占領するためには、爆撃などが必要になるわけですが、その地域が生産拠点などの場合、爆撃で施設を破壊してしまうことは、そのまま損失につながってしまいます。
それなら、人の感覚を狂わせる薬物を噴霧して、その地域に住んでいる住人を一時的に戦闘不能状態にしてしまえば、余計な殺生や破壊をする必要がなく、すんなりと占領が可能です。
また、LSDという薬物に絞っていえば、非常に水に溶けやすい上に少量の摂取で、時には8時間以上という長時間の効果が出る為、井戸や浄水施設などの水源に投げ入れるだけで、その水源の範囲一体に効果をもたらすことが出来ます。

薬物を摂取させた結果として、仮に、その一部の人間が精神病院行きになったとしても、爆撃して周辺住民をまとめて殺すよりかは遥かに人道的ですし、人数的な被害も少数に抑えられます。
その上、敵が所有している施設を無傷で手に入れることが可能となれば、それをこちらが有効活用する事が可能になる為、戦略的にも優位に立つことが出来ます。
こういった観点から、様々な、20種類以上におよぶ薬物が研究対象になったのですが、LSDも、その対象として選ばれることになります。

その後、LSDとは別の粉末状の幻覚剤であるBZの開発に成功し、それを弾頭に込めた砲弾なども作られ、軍事転用の一歩手前まで開発は進んでいたようですね。
ただ、幻覚剤を込めた砲弾が作られたと言っても、公式発表では使われていないとされているようですけれどもね。
とは言っても、この開発にこぎつけるまでに、一部の資料によると2800人におよぶ米軍が人体実験の犠牲者になっているわけで、いくら冷戦を言い訳にしたところで、ダメだとは思いますけれどもね。
一部の兵士には、薬物実験だと知らされない状態で、知らず知らずに実験に参加させられていたようなので、現在でも、その兵士たちによる集団訴訟が行われているようです。

この様な感じで、政府主導で薬物研究が行われてきたわけですが、これらの薬物。 特にLSDが、後にカウンターカルチャーをまとめ上げて、欧米の今までの価値観に対する批判や、政府批判につながっていくところは、結構面白いですよね。
この、面白いというのが適切な言葉かどうかというのは、分かりませんが、私自身が表現方法に乏しい人間なので、その辺りは許してもらえたらなと思います。

という事で、今回はこのあたりにして、次回は、LSDがカウンターカルチャーにどのような影響を与えたのかについて、考えていこうと思います。

【ゲーム紹介】 地球防衛軍 5

前々から、気にはなっていた地球防衛軍というゲーム。
買おうかどうか迷っているのをTweetした所、面白いと背中を押されてしまったので、ついに購入してしまいました。
という事で今回は、地球防衛軍の最新作、5の紹介です。

      

このゲーム。ジャンルとしては、TPSで、地球が宇宙人からの一方的な侵略を受け、その攻撃から町や市民を守る為に、防衛手段として敵を倒していくというゲームです。
私が一番最初に存在を知ったのは、『おじいちゃんの地球防衛軍 Final この星の明日の地球のために』というニコニコにUPされていた動画を観てからです。
動画自体が消されたり再UPされたりしているので、何年前に観たのかは忘れましたが、再UPが2011年なので、少なくとも7年前に存在は知っていたという事ですね。

この動画は、ブログを投稿した今現在でも見ることが出来るので、興味があったら見てみてください。
ceron.jp
動画の設定?としては、孫が祖父のボケ防止の為に、ゲーム機と地球防衛軍をプレゼントした所、感動したお爺ちゃんは毎日のようにプレイをし続け、物凄く上達してしまった。
そのプレイを観た孫が、動画をキャプチャーして音楽をのせて、ニコニコ動画にアップロードしたというものです。

話を戻すと、私は今でこそ、月に1本はゲームを買うような生活をしていますが、当時はゲームから離れていた為、ハードすら持っていない状態。
その為、存在は知っていはいたけれども、購入はしていなかったんですよね。
その一方でゲームの方は人気が出続けた為か、その後も続編は出続けて、ついに去年(2017年)の年末に、最新作の5が出たという事で、再度、興味が湧いてきたというわけです。

ただ、いくら人気シリーズだといっても、今までプレイしてこなかった人間が、いきなり飛び込めるもんじゃないですよね。
そんな感じで悩んでいたのですが、誰かに背中を押してもらうと勢いで買いやすいというのもあって、ついに購入してしまいました。

ゲームパッケージには説明書がついていて、そこに兵科ごとの操作方法が記載されてたので、取り敢えずそれを熟読。
取説によると、このゲームには4つの兵科があり、基本的には操作方法は統一されているのですが、フェンサーという兵科だけが違うという仕様。
そしてフェンサーの解説には、『扱いが難しく、様々なテクニックを習得しなければならないが、熟練すれば恐るべき強さを発揮する』と書いてある。
しかも、紹介は大トリ。

『こんなん、フェンサー一択やろ。』
と思った私は、早速、フェンサーを選んでプレイ開始。という事でここからは、フェンサーを使用してプレイした感想になります。

最初はチュートリアルから始まるのですが、実際に動かしてみると、非常にストレスが溜まる動き…
ストーリー的には倉庫整理の新人として働く初日の新人研修を受けている最中に、宇宙からの侵略を受けるというというストーリーなのですが、倉庫整理の先輩が倉庫を移動しながら操作を教えてくれるんですが、動きが遅すぎる…
こっちは、パワーアーマーの様なものを来てるんですよ?なのに、移動が人間の徒歩より遅いって、何なんだというのが第一印象でした。

しかし、そんな操作も武器を受け取ってからは、少し印象が変わりました。
というのもフェンサーという兵科は、武器を装備することで、武器特有の特殊行動ができる様になるからです。

特殊行動は、例えば盾の場合は通常使用は構えて防御するだけなのですが、特殊行動は、盾から何らかのエネルギーを出して、弾を跳ね返すようになったりします。
しかし一番、恩恵を得られるのが、特定武器を装備した際に可能となる特殊移動です
特殊移動は、ジャンプとダッシュがあり、ダッシュは左レバーを傾けた方向に一瞬だけ、回避行動の様な短距離ダッシュが出来るようになります。
ジャンプは、通常ジャンプよりも遥かに高い高さまでジャンプ出来るようになります。
この使い勝手が良い。特にダッシュの方は、これを覚えると通常移動はほぼ使わなかったりする程です。

こんな感じで、チュートリアルからスムーズにストーリーに入る感じで実戦に移行し、次は、巨大蟻の大群を相手にすることになります。
対巨大蟻の大群戦は、爽快感が凄い。 フェンサーの場合は、武器を何個か貰えるのですが、その内の一つがガトリングガンで、巨大蟻の群れに向かって打ち込むだけで、面白いように駆除できます。
その後も、ストーリーを進めつつ似たようなミッションをこなし、地球防衛軍の初体験はかなり楽しめる感じでスタートしました。

ただ、これもミッション6まで…
未確認飛行物体というミッションで、インデペンデンス・デイに出てきそうな巨大UFOから無人機のドローンを大量に相手にするクエストがあるのですが、この難易度が激難!
バルカン砲は、弾が打ち出されるまでが異常に長いので、使い物にならない。 近距離装備の槍は、滞空しているドローンには届かない。
これまでのミッションで手に入れた火砲が一番使えるが、一機ずつ撃ち落としている間に囲まれて、一斉放射を食らう…

これまでのミッションが簡単だっただけに、いきなりの難易度上昇でかなり戸惑いながら、『フェンサー テクニック』などで検索し、必死に打開策を見つけ出そうと頑張った所、慣性ジャップなるものを発見。
この慣性ジャップは、武器を装備した際に行える特殊行動であるダッシュとジャンプを、タイミングをズラして行うことで、異常な程の機動力を手に入れる事ができるテクニックです。
具体的には、ダッシュボタンを押して、ダッシュし始めた瞬間に特殊移動でのジャンプを行うことで、超低空飛行で物凄いスピードで長距離を移動できるという技です。

これを覚えて、ドローンの射程外に逃げては長距離射撃を行って、何とかクリアー…
この『未確認飛行物体』というミッション後は、またまた、物凄く簡単なミッションが続き、ミッション13ぐらいまでクリアーしたところで、初体験は終わりました。

プレイした感想は、単純なボタン連打の無双ゲーという感じでもなく、テクニックを磨いたり戦術を考えたりする事でミッションの難易度が変わってくる感じが、バランスも良くて非常に楽しめました。
私が苦戦したミッション6も、対空装備が強めの別の兵科なら楽にクリアーできるようで、ミッション毎に兵科を変えるという選択肢もあるので、良い感じですね。

人気も高いようで、発売から1ヶ月建った時点で中古を探しに行っても、売ってない状態。
このゲームにはオンライン要素も有るので、プレイヤーが多くて人気が高いというのは、それだけで安心要素ですね。

実際プレイしても、かなり楽しめた作品だったので、興味が有る方は是非、購入してみてはいかがでしょうか。

      

【ゲーム紹介】 Skyrim VR をモーションコントローラーで遊んでみた

前に、Skyrim VR の紹介を書きました。
前回の投稿はこちら。
http://kimniy8.hatenablog.com/entry/2017/12/26/202625
ですが、前回はモーションコントローラーを持っていなかった為、DS4でのプレイ感想を中心に書かせていました。
パッドでのプレイも臨場感が合って面白かったのですが、その後、モーションコントローラーを手に入れてプレイしてみた所、全く違った丈員をする事が出来たので、今回はモーションコントローラーを使用してのスカイリムVRの感想を書いていきます。


      

            

この『Skyrim VR』ですが、パッドを利用しての通常操作とは別に、モーションコントローラーを利用する事でもプレイすることが可能です。
モーションコントローラーを利用の際には1本ではなく2本必要になるので、この辺りは注意が必要ですね。

実際にプレイしてみた感想としては、最初はかなり手間取りました…
パッドの場合は、基本的な操作が普通のFPSゲームと同じなので、特に移動に戸惑うことはありません。
しかしモーションコントローラーの場合は、そもそも使うのが初体験ということで、かなり混乱してしまいました。

モーションコントローラーを利用しての基本操作は、左のモーションコントローラーの先についている電球のよな物の向いている方向によって、移動の向きが決まります。
そしてメインのボタンを押すと、その方向に向かっていくという仕様。
左右の方向転換や振り向きは、右側のコントローラーの□と○ボタンで対応。

慣れれば直感的に操作できる様にはなっていると思うのですが、慣れない間は結構、混乱します。
私の場合は、町などの比較てき安心出来るところで練習しましたが、戦闘などとっさの判断が求められる時には、まだまだ混乱してしまう感じ。

その他に方向キーを利用する、メニュー操作などは、目の前に映るメニュー画面に対し、モーションコントローラーをスマホのようにフリック操作する感じで、項目を選択していきます。
この操作も、慣れるまでが結構、面倒くさいというかなんというか…
慣れれば、ソードアート・オンラインのメニューのように没入感を維持しつつ操作できるんでしょうけれども、慣れるまでが大変なイメージでした。

…と、ここまで読むと、文句ばっかり言っているようにも聞こえてしまいますが、では、モーションコントローラーを使わずにパッドで操作したほうが良いのかというと、そんな事は絶対にありません。
このモーションコントローラーでの操作は、戦闘において、その凄さを発揮します。


モーションコントローラーを利用しての戦闘ですが、私…というよりも、結構な人たちがオススメしている事なんですが、片手剣と盾の装備が一番良いと思います。
私は右利きなので、左手に盾を装備して右手に片手武器を装備した状態で戦闘をしたのですが、臨場感が半端ではありません。

まず縦ですが、実際に盾を構えるように手を動かすことで、防御が可能です。
そして片手武器は、振ったり突いたりする事で攻撃が可能。

この状態で、ホワイトランから最初のダンジョンの墓所に言ってみたのですが、戦闘が楽しすぎます!
私はSkyrimはPS3でもプレイしたことがあるのですが、その際は、敵のアクションをイチイチ見るということをしていなかったのですが、VRでプレイをしてみると、敵が攻撃する前には、結構解りやすく振りかぶってくれるんですね。
そのモーションを見た状態で盾を構えると、見事にブロックし、時には敵が反動で大きく仰け反ったりします。

そのタイミングを見計らって、こちらが剣で攻撃をすると言った操作が、直感的に行えます。
片手武器の場合は攻撃判定が短いので、敵との距離を測った上で攻撃しないと空振りしてしまうのも、結構リアル。
3人ぐらいに囲まれると、どこから攻撃が来るのかわからないので、通路まで退却したりと、本当にリアルな戦闘ができます。

先程も書きましたが、私はPS3時代にこのゲームをプレイしていたのですが、その時は、リーチの長い両手武器をただ振り回すだけの戦闘を行っていました。
危険になると薬をがぶ飲みするという感じで闘っていたので、緊張感もなく、戦闘に関してはイマイチ面白みを感じてなかったんですよね。
何故、そんなスタイルで闘っていたのかというと、このゲームは画面で行っていると、没入感が少なかったからなのかもしれません。

しかしVRでモーションコントローラーを使用した場合は、この戦闘が面白い。
敵が剣で攻撃してきたらブロックして反撃。 遠距離から弓で攻撃してきた場合も、冷静に盾で防いで、その盾に刺さった矢を取って、時には弓矢で打ち返す。
弓矢の操作も、左のモーションコントローラーを前に出して弓を構えているようにし、その状態で矢を引き絞るジェスチャーをしてボタンを離すと矢が発射されるので、本当に自分で撃っている感じが凄い!

ただ、本当にリアルで矢を撃ってる感じになるので、命中率が本当に低い・・・
パッドで操作している時は、目標となる印を相手の顔面に合わせれば難なくヘッドショット可能なんですけれども、モーションコントローラーの場合はその印がない為、本当に目測で狙いを付けなければなりません。
それが本当に難しい。

ただ、レベルが上って弓矢系のスキルを取れば、矢の軌道が目で見えるようになるらしいので、地道に弓矢の練習をしていれば、この問題は解消されるんでしょうけれどもね。

また、若干ですけれども、パッド操作よりも酔いにくかった印象も有ります。
これは単純に、モーションコントローラー・MOVEの操作に慣れていなくて、恐る恐る移動をしていたからかもしれませんが、それだけではなく、MOVEを使ったほうがデバイスとの一体感が得られたからかもしれません。
モーションコントローラーでの移動方法は、先程も書きましたが、MOVEを行きたい方向に傾けて、ボタンを押すという方式。
このMOVEと自分のが、イメージ的にリンクさせやすかった為、より没入感が高まって、酔いにくかったのかもしれません。

ともかく、PSVRとスカイリムVRは持ってるけど、モーションコントローラーMOVRは買ってないという方は、MOVEの利用でより楽しめるようになるのではないかと思います。
まぁ、買うなら2本買わないと駄目なので結構な出費にはなりますが、この時期に人柱となってVR機器を購入した方というのは、今までにない経験をしたいから購入したんでしょうし、その体験を何倍にも増やすMOVEは、持っておくべきなんじゃないかなと思ったり。

後、ついでにはなりますが、MOVEを購入したタイミングで、ヘッドフォンも購入した所、さらに没入感が増しました。
まぁこれに関しては、PSVRを購入した時に付属してきたイヤホンでも代用できますが、PSVRとちょくで繋げられるイヤホンジャック式のイヤホンやヘッドホンは、VRを遊ぶ上で必須だと思いましたね。
テレビのスピーカーでやる選択肢は、正直言ってありません。(私はずっと、テレビのスピーカーでやってましたが…)

PSVRには、3D音響技術が使われていて、声を出している対象と自分の頭の向きを計算に入れて、左右の耳で流れる音量を変えるというシステムが組み込まれています。
その為、イヤホンかヘッドホンを装着すると、声のする方向を向くと誰かいるというリアルな状況を作り出せることが出来るんですね。
これがあるのと無いのとでは、没入感が変わってくるので、どうせ面倒くさいVRをやるなら、とことん準備してやった方が、結果的に楽しめそうです。

            

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第21回 ヒッピー革命(2)

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
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前回は、進化論の発表によって、キリスト教圏が主張してきた世界の前提が崩れ、東洋哲学の思想が入りこんだことについて話しました。
誤解の無いように一応言っておきますが、進化論の発表によって、一夜にしてキリスト教圏の世界の常識が変わったというわけではありません。
進化論は大きなショックとして受け入れられたとは思いますが、そもそも、キリスト教の教義に反する理論が一部に受け入れられたということは、、元々、キリスト教の教義に疑問を持つという空気があったからです。
科学者が主張する、数多くの事実にさらされることで、また、自分達の生活を振り返ることで、キリスト教の教義は作り話何じゃないかと疑問を持っていたところに、それを補強するような、確からしい理論が出てきたというのが、本当のところなのでしょう。

これは、今回の出来事だけでなく、戦争でも、人間関係で起こるケンカなどでもそうなのですが、小さな積み重ねによって、少しずつ不満が蓄積していって、それが閾値を超えて臨界点を迎えた時に、
何らかのショックが与えられると、それをキッカケとして事が起こるのと同じ事で、進化論もそのキッカケとなっただけで、今までの不満の蓄積が、これによって爆発しただけだとは思いますけどね。

という事で、前回の続きの進化論の他の解釈などについて、考えていきます。
宗教の教義の解釈が、それを読む人によって変わるのと同じように、進化論も、読む人によってその内容を変えることになります。

進化論は、簡単にいえば、突然変異などで姿形が変わった個体が登場するということが一定確率で起こり、それらの多様な生物が自然環境の下で揉まれることで、環境に適応した生き残ったという説です。
大昔の哺乳類はネズミのようなものしかいなかったのが、徐々に変化をして、犬のような形になったり、ネコのようになったり、猿のようになった。
その猿が更に姿形を変え、人間に変わったという考え方で、これを素直に受け取れば、人間は神が作った特別なものでもないし、肌の色の違いで人の価値観なんて変わらないという事になります。

しかし、変な捉え方をしてしまうと、白人は文明的で進んだ生活を送っているが、黒人たちは原始的な生活を送っているので、白人の方が進化しているとも捉えることが出来てしまいます。
このように考える人は、日本人にも散見されますよね。例えば、東南アジアは日本に比べて遅れているので、彼らは劣っているという考え方です。
ただ、文明的に進んでいる、経済規模が大きいという事が、そのまま、人種として優れているというのは、一方的な物の見方でしかありませんし、どちらが精神的に進んでいるかというのは別の話ですよね。
原始的な生活を送っているのは、新しいものを生み出せないからではなく、新しいものがなくても、それらに頼らなくても生きていける価値観や精神を持っているからかもしれませんからね。

この様な見地に立てば、言葉や知性を持たないと思っていた動物も、それらが必要がない様に進化しているだけとも考えられるので、人間が地球で最高位の存在という事にはならなくなりますよね。
逆の味方を刷れば、人間は、言葉によってコミュニケーションを取らなければ意思疎通が出来ないし、文明化することで環境を変えなければ生きていけない、貧弱な生物とも考えられます。

進化論についての、その他の解釈としては、オカルト的な受け取り方というものも出てきます。
先程も言いましたが、進化論は、生物が一定確率で突然変異してしまうことで、徐々に形状を変えていき、その中で、自然環境に適応できたものだけが、生き残って今に至るという考え方です。
その流れの中で人間が生まれ、文明を持ったという考え方なのですが、では仮に、トカゲの頭脳が進化して、文明を持つという可能性がなかったのか?と言った疑問が出てきますよね。
これは別に、トカゲに限定するものではなく、元となる生物はどんな物でもよいのですが、猿の進化系以外が文明を持つ可能性というのもあったわけですよ。

この様な解釈によって、地球の古代、もしくは遠い星に、猿以外の種類の生物が進化して文明を作ったと言った考えが出てくるようになります。
かなりオカルトチックな考えだと思われるかもしれませんが、正にそのとおりで、この様な考えは、その後更に、今までのキリスト教の価値観の魅力ある部分と、東洋哲学の思想を組み込むことによって、神智学と呼ばれるものになります。
この神智学については、範囲も広く、提唱者や研究者の知識の偏りなどもあったりする為、特定の何かを指して神智学といえないんですが、1800年後半に発達した神智学の考えをベースとして、現代オカルトが生まれたという意見もあります。
具体的な例でいうと、トカゲが進化した宇宙人であるレプタリアンといった存在や、宇宙人がいるなら宇宙船があるだろうという発想からUFOという発想が生まれたりなどですね。
また、東洋哲学や西洋哲学、それに、科学や、それと相反するような発想のキリスト教の世界観や東洋の宗教の発想を取り込んで発達する事によって、新興宗教のベースにもなっていたりします。

この様な話を聞くと、バカバカしく思われる方も多くいらっしゃるとは思うのですが、単純に馬鹿に出来なかったりもするんです。
というのも、この神智学の流れからニューエイジという発想が生まれます。
このニューエイジによって生み出された文化は、現代の私達の生活に入り込んでいたりもするんですね。

例を挙げると、インドのヨーガ。その他には、アロマテラピーといったものです。
この2つに共通している点は、インド発祥で欧米で流行しているというところですね。
ヨーガは、柔軟体操をしながら瞑想する事ですし、アロマテラピーは、香りと人間の感情をリンクさせる考え方ですよね。
香りによって精神を落ち着かせ、深い瞑想に入る。 では何故、瞑想を行うのかというと、高次元にある対象とチャンネルを合わせることで交信するチャネリングを行うためのようです。

これは、日本のアニメにも似たような言葉が出てきますよね。そう。ガンダムの、ニュータイプですね。
私は作者のインタビューを聞いたわけでも、制作秘話が書かれた本を読んだわけでもないので、ここから着想を得ているかどうかは分かりませんが、ニューエイジ思想とニュータイプというのは、結構共通点があるんですよ。
というのも、ガンダムニュータイプとは、人類が地球という住み慣れた星から遠く離れた宇宙に身をおくことで、つまりは、全く新しい環境に身をおくことで、人類が進化するという発想ですよね。
地球とは全く違った環境で、今までとは桁違い遠く離れた人々の事を思いながら過ごすことで、人類の革新が起こって、言葉を通さずに誤解なく分かり合えることができるようになる。それがニュータイプですよね。

では、ニューエイジの発想はというと、今まで前提としたキリスト教的価値観から離れて、全く違った価値観に身をおいて瞑想することで、高次元の霊的存在・神・宇宙人・死者といった常識を超えた存在と交信できるという発想です。
どことなく、似てますよね。

神智学やニューエイジについては、私自身が本を1冊呼んだ程度なので、まだまだ深く理解していないので、触れるのはこれぐらいにしようと思いますが、この様な感じで、進化論と英訳された東洋哲学思想の登場によって今までの常識というものが崩れ、
その一方で、全く新しい考え方というのが雨後の竹の子のように生まれていったんです。

この様な空気感が漂う中でで起こったのが、ベトナム戦争です。ベトナム戦争は、ベトナムを舞台とした資本主義と共産主義による大国同士の代理戦争で、市民の立場からしてみれば、正義なんてありません。
というのも、アメリカ本土が攻撃を受けたわけではないですし、アメリカが挑発されたわけでもない。単純に、資本主義陣営と共産主義陣営の争いなんですが、その戦争に250万人の軍人を送り出して、
そのうち約30万人の人的損失を出すことになってしまいます。

その30万人うち、死者は6万人程度なのですが、他の国の内戦に出向いていって、大切な人を失ってしまった家族達は、堪ったものではないですよね。
また、亡くなった人達だけではなく、この戦争によって怪我をした人間は20万人以上いるわけで、政府に対する不満も徐々に高まっていきます。
その上、ベトナム戦争時というのは、テレビカメラなども発達していた時期のようなので、戦場が度々映し出されます。

一昔前の場合は、これは、日本の戦時中でもそうなのですが、ラジオや新聞と言った、音声や文字のみの媒体でニュースを聞かされる場合は、ニュースを発信する人が放送したいように放送しても、問題はありません。
問題がないという言い方は、かなり誤解を招いてしまいそうですが、これは長期目線で見て問題がないとか、国民目線で問題がないということではなく、情報発信者の都合によって、情報を受け取る側の印象をコントロールしやすいということです。
ですから、メディアに圧力をかけるなどして、『政府は正義の戦いを行っているんだ』という情報を一方的に流せば、政府を疑っている様な人たちや、自分で情報を集めて真実を知ろうとしている人以外は、その情報を鵜呑みにしてしまいがちです。

ですが、テレビという存在が、その状況を一変させてしまいました。
テレビカメラからライブ映像で流される映像は、基本的に取り繕うことが出来ません。 今でこそ、テレビは編集が自由に行えるから信用出来ないという不調になってきていますが、この当時の戦争中継は垂れ流しだったようで、
国民は現地の風景を、ありのまま目にし、その映像を、テレビ局や政府の意見と言ったバイアスを受けること無く、自分自身で解釈する事が可能な環境になります。

最新の装備で戦争に挑むアメリカ人に対して、ベトナム人はそれよりも遥かに劣る装備で、ゲリラ戦で迎え撃つという状態が、現地入りしているテレビマンによって、カメラ映像としてアメリカに流されます。
ゲリラ戦に対抗する為にアメリカが行ったことは、人体にも影響がある枯葉剤を撒くことで、ゲリラが隠れている山を丸裸にしようという、なりふり構わない作戦。
この枯葉剤の影響として日本でも有名になったのが、ベトちゃん・ドクちゃんですね。 

アメリカの人達からすると、自分の国を攻撃してきたわけでもない、敵でも無い人達が、アメリカ人によって殺されていくわけで、それをテレビを通してリアルに伝えられると、自分達が行っているのが正義なのかと疑問を持つ人達も出てきます。
そういう人達は徐々に増加し、反戦運動、政府批判につながリ、そのエネルギーは、今までの前提とは違った文化を推し進める、カウンターカルチャーへとつながっていきます。

ここで、ベトナム戦争がキッカケでという風に言いましたが、この戦争がシンボル的なものというだけで、この出来事単体で、全ての物事が動き出したというわけでは無いと思います。

というのも、冒頭でも言いましたが、今まで前提とした世界観での生活が、物凄く快適で、何の不満も不自由もないのであれば、そこに新たな価値観が加わったとしても、今までの価値観から脱する必要性はありませんよね。
にも関わらず、新たな価値観が支持され始めたというのは、人々が漠然とした疑問や不満を、既に共有していたからです。
例えば、黒人よりも白人の方が優れているという価値観が当たり前のはずだったのに、黒人たちは、音楽ならブルースといった今までにないものを生み出してきましたし、勉強にしても、全員がそうではないにせよ、白人よりも優秀な人は当然出てきます。
では、黒人が道徳的に劣っていて、動物的なのかといえばそうではない。 白人を普通とするなら、黒人も普通の存在で、人としては変わらない。
逆に、白人だからと言って優れていて道徳的だというわけではないですし、白人だから犯罪を侵さないわけでもありません。

こういう事をいうと、犯罪率などを挙げて、黒人が多く住む地域や、黒人その物が犯罪を犯す率のほうが高いと勝ち誇って唱える人もいらっしゃるかもしれませんが、環境を考慮に入れれば、それは誤差の範囲だと思いますね。
これは、そもそも前提が違うという事です。 黒人は、差別されて生きてきましたし、当然、割り当てられる職業も、労力の割に低賃金のものが多かったでしょう。
この様な環境下では、当然、貧困に追いやられる場合も多いわけで、生きる為に盗みを働くといった人も、割合で考えると多いのでしょう。しかし、これと同じような状況に追い込まれれば、人種に関係なく、犯罪率は上がるでしょう。
仮に日本が、社会保障などが全て打ち切られて、貧民層が生きていけないような環境に変化してしまったとしたら、日本でも犯罪率は上がるでしょう。
市民たちは、これらのことを日々の生活の中で感じ取るわけで、これは、常識とされていたものと矛盾した考えになります。

では、経済的に窮地に立たされていたのは、黒人だけなのかというと、そんなこともなかったりします。
アメリカ陣営が推していた資本主義は、金持ちをより金持ちにし、貧民層からは全てを奪っていきます。 では、身分制度があるのかといえばそうではなく、アイデアや運を掴み取ったものは、富裕層にのし上がれるシステムだったりします。
この絶妙なシステムによって、貧困層に甘んじているのは努力が足りないからだと決めつけることが出来ますし、貧民層も、それを受け入れてしまうのが、資本主義の凄いところです。

当時のアメリカというのは、この資本主義を採用し、周りの国にもそれを採用するように促し、どちらを採用するか迷った挙句、内紛が起こる国に対しては、資本主義陣営を応援するために派兵するなんてことまで行っていました。
他国の政治にも干渉する程に推し進めてきた資本主義なんですが、先程も言った通り、これによって全ての人々が救われ、豊かな暮らしを送ることが出来たわけではありません。
先程言ったことに付け加えていうなら、資本主義とは、需要が多い時には上手く循環するシステムですが、需要が落ち着く、もしくは供給過多になることによって、勝ち組と負け組がハッキリするシステムです。
一度負け組に属してしまうと、搾取の対象となってしまう事で、貧困に追いやられる。その一方で、搾取する側は、安い賃金で大量の人を雇うことが出来る為、ドンドンお金を稼ぐことが可能となります。

働いても働いても貧しい生活から抜け出せない一方で、特に働くこと無く、贅沢な暮らしをしている資本家たちがいる。この様な社会では当然、貧民層は社会に対して、漠然とした不満を持つことになります。
では、自分達が属している国家・政府というものは、それを改善するように動いてくれているのかといえば、そうではなく、共産主義的な思想を持つ人間を追い込むような空気感を作っている。
資本主義の社会では、貧困層に陥るのは自己責任とされます。キリスト教の世界観では、自身が苦しい立場に置かれるのは、神の試練という様な解釈もするんでしょう。
そうなると、国も神も救ってくれない状態になる為、本当に自分達が悪いのか、それとも、世界が間違っているのか?と言った疑問を持ってしまうのは、むしろ自然な事なのかもしれません。

そういった空気感の中で、今までの常識をくつがえす様な考えが次々と出てきて、そこで起こったのがベトナム戦争です。
特にアメリカが責められたわけでもない国に、アメリカ政府の勝手な判断で兵士が送られ、死んでいくわけです。
アメリカが当事者の戦争で、米を守る為に闘って死んだというのであれば、その亡くなった軍人の親族も、辛いですが、納得できるのかもしれません。
しかし、他国の内戦に首を突っ込み、その理由が資本主義を守るため。 それで家族が死んだとすれば、納得がいくでしょうか。

この亡くなった方が、資本主義社会で負け組になってしまったから、食べる為のお金を稼ぐ為に仕方なく軍隊に志願したような、経済的徴兵の犠牲者だったとしたら、まずアメリカ国内で経済的に殺され、異国で生命を絶たれることで2度殺されるわけですから、
残された家族としては、到底、納得できませんよね。

こうした事を燃料として、既に種火としては存在していたカウンターカルチャーの火が、より大きくなっていくことになります。
前回と今回で、ヒッピー・ムーブメントが起こったキッカケを簡単に説明してきたわけですが、この運動は、前にも話したんですが、一つの思想の元に誕生したわけでは無く、それぞれの人のそれぞれの思惑によって、様々なカルチャーが誕生し、
一つの大きなムーブメントを起こしていくことになります。
この様々なカルチャーが一つにつながる為に重要になってくる物が、LSDと呼ばれる幻覚剤です。次回からは、このLSDについて、話していきます。

2017年の流行語『忖度(そんたく)』について考えてみた

2017年も、もう数日で終了してしまいますね。
そんな今年の流行語大賞の一つに、【忖度】というものがありました。

普段あまり聞かない言葉なのに、今年は何かにつけて『忖度』という言葉を聴いたような気がします。
この言葉の意味ですが、元々の意味合いとしては『相手の気持を推し量る』というもので、特別に悪い意味が有るわけでも無い用に思えますが、今年に限っては、悪い意味で使われることが多かったとお見ます。

今年は何故、この言葉が悪い意味合いで使われることが多かったのかというと、日本の現総理大臣である安倍さんの知り合いが優遇されることが多かったという多数の報道があり、そこから使われ始めたようですね。
具体的には、安倍さんの奥さんが深く関わっている森友学園という小学校の土地が、タダ同然で国から譲り受けていたり、大学の獣医学部の新設の際に、どこの大学に学部をシンセ吊るすのかと言った際に安倍さんの友達が関連しているところが選ばれたりとか。
これも、立候補者が1団体しか無いのであれば、『立候補が無かったから仕方がない』と納得も出来るんですが、競合する組織があったのに、両方とも安倍さんの知り合いが関係しているところが恩恵を受けたんですよね。

ただ、この件の難しいところは、安倍首相が直接指示を出したのかというと、そんな事は全くしていないという点。
あくまでも、官僚などの政府の関係者たちが、空気を読んで、優遇したというだけで、本人は全く関与していないという構造になっているんですよね。
捉え方によって、どうとでも取れる展開になった為、首相擁護派は『そんなに言うなら、指示した証拠を出せ!』と凄みますし、関与していると疑っている側は『証拠が残らないようにやっているだろう!』と水掛け論になってしまい、進展せずままに疑惑が残る形でフェードアウトしてしまいました。

ただ、この問題のもっとも重要な点は、なぜ官僚たちは、リスクを犯してまで指示もないのに忖度したのかということですよね。
つまりは、首相その物が関与したというよりも、忖度しておいた方が良いという、組織の構造その物に問題が有るということです。
その方が出世が出来るからなのか、何らかの見返りがあるのかは分かりませんが、何らかのリターンがあると思ったから行動をしたわけですよね。
こちらの問題の方が、闇が深そうな気がします。

問題が少し分かりにくいという方の為に、もう少し、別のケースで考えてみましょう。
政治の話なんて、自分達の生活からはかけ離れすぎていて、想像しにくいと思われる方も少なくないと思いますしね。

理解がしやすいように、企業に落とし込んで考えてみましょう。
ある企業の社長さんが、『従業員は絶対に残業なんてするな!定時で帰りなさい!』と発言したとします。

この発言自体は、非常に素晴らしいですよね。
今の御時世、長時間残業等によって過労死が起こるケースなどもありますから、この社長の主張は素晴らしいと評価する方も多いと思います。
しかし、実際の企業運営では、厳しいノルマや、残業なしでは到底こなせないような仕事が割り振られていたとしたらどうでしょうか。
それらを処理する為には、残業を行わなくてはなりません。

しかし、ここで社長の主張が効いてきます。
というのも、社長は『残業はするな!』という支持を出しているわけですから、残業したことを真面目に申告してしまうと、社長の意見に逆らったことになってしまいます。
では、社員はどうするのかというと…
もうお分かりだと思いますが、申告せずに残業を行うサービス残業を行うことになるんです。

これには、様々なパターンが有ります。
例えば、ノルマをチャレンジ目標と言いかえたり、仕事の割り振りも1人の人間に多く割り振るのではなく、部署全体に多めの仕事を割り振っておくなど。
こういう環境を作っておいて、昇進など人事異動の際には、暗黙の了解で、サービス残業が多い人間を優先的に引き上げる。
こうする事で、管理職の人間は全員がサービス残業を自主的に行っていた人間になり、部下たちには、これまた暗黙のルールでサービス残業を強いることになります。
当然、文章を残すなんてことは行いません。 あくまでも、全員が社長の意志に逆らって、自主的にサービス残業をしているという状況を作り出します。

さて、ここで問題なのですが、この社長はクロでしょうか白でしょうか。
社長は、『昇進したいならサービス残業をしろ!』なんて一言もいってません。むしろ、『残業せずに、定時に帰れ!』と言っています。
当然のことですが、サビ残を支持した文章なども残っていません。
社員の人間が、自身の出世の為に忖度した結果であって、社長からすれば、社員が勝手にした事です。

しかし、サービス残業が暗黙のうちにルール化しているというのは、その環境その物に問題は無いのでしょうか。

これは、各種ハラスメント問題も同様です。
大抵の場合のハラスメントは、上下関係という立場の違いが存在し、立場の上の人間が下の人間に対して行います。

いまだに多いセクハラ問題でいうと、上司という力関係が強い立場の人間が、力の弱い平社員の異性に対して、上下関係を利用して行います。
多くの場合は、部下は上司の行う性的嫌がらせに対して文句をいうことが出来ない状態なので、笑ってごまかしたり我慢したりするわけですが、上司の立場からすると、性的なスキンシップをしても笑顔で応えたり黙って受け入れているようにみえるので、ドンドンとエスカレートしていく。

これは、我慢したり笑って誤魔化す、部下のほうが悪いのでしょうか?
そもそも論として、笑ってごまかしたり我慢したりしなければいけない空気感の方が問題があるのではないでしょうか。

この問題に関して、海外企業では、上司が部下の評価を下すという一方的なものではなく、部下も上司の評価をするという事で、流れを止めようとしているようです。
つまり、上司がふんぞり返って、上から目線で部下に無理難題を押し付けて、デキない人間を叱りつけるなんて事を行った場合、その上司は部下から嫌われて支持されなくなる為、降格してしまうということ。

海外企業での中間管理職は、本当の意味での中間の管理職のため、現場の仕事をスムーズにするのが主な仕事だったりします。
だから、現場は人が足りなければ上司に対して『人が足りないから補充して!』と言いますし、中間管理職は現場の要請と会社の現状を考えた上で、最適解を出そうと努力します。
結果として、会社の現状から考えて人員の増加が無理だとしても、その他で働きやすい環境を作ろうと頑張ります。
何故なら、現場で働く部下たちが結果を残さなければ、自分の成果も無いからです。

話がそれましたが、最初の日本の政治についての『忖度』の話に戻ると、何だかんだで日本の場合、企業もそうですが国の組織としても、上下関係が悪い意味でしっかりしているのでしょう。
政府でいうなら、総理大臣をTOPとして権力が上から下に一方方向にしか働かない為、上の人に気に入られようと、部下は自分の判断で『忖度』する。
忖度された側は当然の様に、『私は支持したわけではない。証拠があるなら出せばいい。』と主張し、当然のようにそんな証拠は一切ない。

でもこれは、『残業はするな! 定時で帰れ!』と主張する社長と同じで、そもそも、上司の機嫌を取らなければならないという環境その物がオカシイのであって、改善しなければならない事なんではないでしょうか。

【ゲーム紹介】 skyrim vr (スカイリム VR) 【PSVR】

先日のことですが、重い腰を上げて『skyrim vr』を購入しました。
PSVR所有勢にとっては、購入して当然って感じのソフトなんですが、購入までに時間がかかったのは、個人的にskyrimというゲームにそこまでハマれなかったからです。
個人の好みとしては、どちらかというと同じゲーム会社から出ているFallout4の方が好みだったんですよね。

これは単純に個人の好みの問題なので、ゲームに問題があるとかそういったことではありません。
スカイリムにしてもFalloutにしても、自由度が高くて何をしても良いという感じのゲームなので、ゲームで必要となるのが、自身のキャラクターの作り込みだったりします。
自身が操作するキャラクターを出来るだけ詳細に作り込み、その人物になりきった形でゲームプレイをする事で、ゲームを最大限に楽しむことが出来るんでしょう。

この様な感じのゲームなので、どちらのゲームのほうが感情移入しやすいのかと比べた場合、私の場合は、現代社会の延長線上が舞台となっているFalloutの方が、感情移入がしやすかったんですね。
スカイリムも、PS3時代に購入してプレイしてみたのですが、途中で長期間放置をし、『クリアーしなきゃ!』という義務感の中で、レベルを上げまくって何とかメインストーリーをクリアーした記憶が有ります。

私にとってのスカイリムの思い出はこんな感じなので、vr化が決定した時も、そこまでテンションが上ったわけではなかったんですよね。
ただ、ネットでニュースを集めてみると、絶賛の嵐!

という事で、Amazonでパッケージ版を購入してみました。


      

実際やってみた感想ですが…
当然のことですが、没入感がエグ過ぎますね。

このゲームは、一番最初に帝国兵の馬車で連行されているところから始まるのですが、荷馬車で揺られながら景色などを観てみると、スカイリムの世界に入っている感が凄いです。
また、PS3で初プレイしていた時には分からなかった会話内容も、一度クリアー済みだった為に理解できたことも有り、より世界に没入することが出来ました。

荷馬車を降りた後は、お馴染みの導入部分。
記憶を失っている主人公は、何らかの罪で捕まって処刑される予定だったのですが、丁度自分の首がはねられる直前に、ドラゴンが拠点を襲った事で、そのどさくさに紛れて逃げることになるのですが…
ドラゴンの迫力が凄い。

そして何より、ドラゴンがデカすぎ!!
画面でやっている時とは、迫力が違います!
正直、こんな化物に弓だけで人間が勝てるとは思えないという雰囲気が、ヒシヒシと伝わってきました。

その後は、自由行動が可能に。
自分を処刑しろと命令していた司令官がいなくなり(死んだ?)、自分に同情的だった帝国兵が、脱出の手引をしてくれます。
一緒に拠点の地下を抜ける最中も、主人公に対して謝り倒してくれる帝国兵。そして最後には、『処刑されそうになった人間にいうのも何だが、貴方のような方が帝国兵として参加してくれるとありがたい!』と勧誘され、真摯な態度に、今までの仕打ちを忘れそうになる。

そんな会話をしつつ、問答無用で襲ってくるストームクローク兵を蹴散らしながら、先導してくれた兵士の故郷のリバーウッドに到着。
このチュートリアル部分だけでも、スカイリムの世界観にどっぷり疲れる雰囲気と、ドラゴンのデカさに圧倒され、これだけで購入したかいが有ったと思わせるほどの満足感が有りました。。

・・・と、普通のVRゲームの場合は、これぐらいのプレイでゲーム本編が終了してしまうのが当たり前。
しかし、今回購入した skyrim vr は違います。
先程も書きましたが、これはあくまでもチュートリアル部分であって、ここからゲーム本編が始まります。
スカイリムといえば、ゲームの世界に入り込んで、その中でキャラクターになりきって自由に暮らしていくRPGで、その気になれば数1000時間のプレイも可能と言われている作品ですが、その全編が、このVRで楽しむことが出来ます。
これは、素晴らしい!

ただ、私の場合は、このチュートリアルが終了したところで、一旦ゲームを終了。
ゲームに飽きたとか、そういった事で止めたわけではないんです。
単純に、VRに酔ったんです。。

私の場合は、ロビンソンやドライバーズクラブ、イーグルフライ、アンティルドーンのシューティングといった作品をプレイしたのですが、これらの作品では酔はありませんでした。
酔った作品は、数か月前にフリープレイで配られた『RIGS』ぐらいだったのですが、これでも激しい動きで数試合はプレイ可能だったのですが、skyrimではチュートリアルで酔いました。

一応、書いておきますと、このスカイリムには、酔い対策が実装されています。
例えば、移動時に視野を狭くするとか、回転移動をする際にはスムーズに動かさずにカクカクと一定角度で動かす設定。
もっと強烈なのだと、ワープポイントを作って、そこに瞬間移動するワープ方式まで実装されているので、酔い耐性が無いと自覚している人なら、これらをオン・オフして自分用にカスタマイズすれば良いと思います。

ただ私がプレイした際には、調子に乗って、良い対策で実装されている機能を全てオフにしてしまったんですよね。
だって、移動時も広い視野で景色は観たいですし、振り返りなどの回転もスムーズな方が、没入感がありますから。
ですが私の場合は、その環境でプレイすると30~40分ぐらいが限度と言ったところでしょうか。。
2回目にスカイリムにダイブした時には、ホワイトランという少し大きめの町まで行くだけで精一杯でした。
ただVR酔いに関しては、対策をしたり、単純に慣れによって改善するようなので、それに期待したいと思います。

操作に関してですが、私はMOVEを持っていないので(今日ヨドバシで注文済み)、DS4でのプレイ感想になりますが、特に苦労することもなく操作できた感じでした。
とはいっても没入感が凄すぎて、単純に散歩を下だけで終了したようなもんなので、多勢に無勢の乱戦になった場合はどんな感じになるのかは分かりませんが。
ですが、一度、真後ろから狼に襲われた時があったのですが、その際は、PSVRの3D音響の効果なのか、どの方向から攻撃を受けたのかが一瞬でわかったので、VRの方がプレイしやすいのかもしれませんね。

この為だけにVRを購入するのはどうかと思いますが、既にPSVRを購入済の方は、買わないとむしろ損な商品だと思いました。

            

【映画紹介】 アレクサンドリア #Netflix

今回紹介する映画は、『アレクサンドリア
私事ですが、ここ最近、『アサシンクリード オリジン』というゲームをはじめました。
このゲームは、紀元前49年のエジプトを舞台にしている歴史をテーマにしたゲームなのですが、その影響でエジプト関連の情報を漁ることが多くなってきたんですよ。

その流れの中でNetflixで検索して調べて見つけた作品が、この映画です。

      

舞台となるのは、西暦4世紀頃のエジプトです。
映画の概要を書く前に、この映画よりも前のエジプトの話をしたいと思います。

エジプトは、初めて文明が誕生したメソポタミアからも近く、紀元前4000年頃にはピラミッドを建設できるほどの文明を誇っていたのですが、同じく文明の進んだペルシャに征服されてしまいました。
そのペルシャから領土を奪い取ったのが、ギリシャアレクサンダー大王です。
元々、ペルシャの侵略に不満を持っていたエジプト人は、アレクサンダー大王を解放者として讃え、ファラオにまでしてしまいました。

この様な感じで、最初は歓迎される形で始まったギリシャによるエジプトの支配ですが、ギリシャ人はそもそも奴隷を使役して生活をする習慣が有り、エジプト人の多くは、奴隷として働かされるという生活を送っていました。
そうなると、当然のことですが、奴隷階層から不満が出るようになってきます。まぁ、エジプト人も奴隷を使ってピラミッドを建てたと言われていますけども、奴隷を使役するのは良いけど自分達がなるのは嫌だってことなんでしょうね。
また、同じ奴隷でも、待遇に差があったりもするでしょうし…
ここら辺りの軋轢は、時間の有る方は冒頭でも紹介した『アサシンクリード オリジン』をプレイしてみて欲しいのですが、ギリシャ勢とエジプト勢は、不満を抱えながらも共存することになります。

そんな中で作られたのが、エジプトの首都である『アレクサンドリア
エジプト人に解放者として受け入れられ、その後、ファラオにまで上り詰めたアレクサンダー大王の名がつけられた港町には、アレクサンドリア図書館と呼ばれる、知の宝庫が建設されました。
この図書館は、日本で言うところの国会図書館のようなもので、価値があり、後世に伝えるべき理論などは、様々な手をつくして全て集められた場所でした。

今回紹介する映画は、そのエジプトを治める国がローマへと名を変え、国が定める宗教がギリシャ神話からキリスト教になった時代の話です。

古代ギリシャでは、奴隷の使役によって暇になったギリシャ人によって哲学が発達し、科学理論はかなり進んでいました。
地球が球体である事は既に理解されていて、その円周が4万キロ程ではないかということも解明されていました。
この映画の中の常識では、地球を中心として惑星が公転軌道で回転しているという理論が一般化していましたが、この映画の舞台よりもはるか前の時代に、地球自体も太陽の周りを公転する惑星の一つで、太陽を中心とする太陽系が存在するという説まで登場していたほどです。

しかし歴史を振り返ると、ギリシャ人の哲学者が解明してきた理論などは、その後700年程にわたって、キリスト教の下で封印されることになります。
何故、これ程までに進んだ技術や知識が忘れ去られて、その後のヨーロッパでは、暗黒時代と呼ばれるような文化後退期に突入してしまったのか。

この映画では、その部分の理由が映像を通して詳しく描かれています。
詳しい内容は映画を観て欲しいのですが、私個人の感想としては、消失しても仕方がないなという感じでしょうね。

私はここ最近、個人的にカウンターカルチャーを調べているのですが、キリスト教も、当時の感覚で言えばカウンターカルチャーで、その思想を元に革命を起こしたということなんでしょう。

宗教に限らず、全てのシステムは、それが効率的だと思って構築されます。
しかし、システムにも寿命が有り、長い年月をかけてシステムは腐敗していきます。
支配階級に居るものは、より高待遇を求めますが、技術や経済が一定水準まで到達して成長が止まってしまうと、より高待遇を実現するためには、下のものに対する締め付けを強めるしかありません。
これは、私達の国を含め、多くの国が採用している資本主義も同じです。

資本主義は、全ての人間が持つ欲望を原動力とし、自主的に競争を促進することで成長するシステムです。
資本家は、より多くのリターンを求めて経営者にプレッシャーをかけますが、ある程度、欲望が満たされきって需要不足に陥ってしまうと、社会全体としての成長は止まってしまうため、資本家の要望を叶えるためには従業員や取引先に対する待遇を削るしか方法がなくなってきます。
そうなると、持つもとと持たざるものとの差が決定的となってしまいます。

では、資本主義は駄目なのかというと、実はそうではありません。
二極化がいずれ起こることを想定し、それを見越して再分配システムを構築すれば、二極化したとしても差は縮まります。
資本主義の大きな問題は、二極化による差が、努力ではどうにもならない程に開いてしまうことで、一旦、大きな差が広がってしまえば、システムの最下層の人達は努力を放棄しますし、システム全体としての成長も止まってしまいます。
つまり、資本主義を効率良く回す為には、どんな人間でも、頑張れば上に行ける可能性を残すことにほかなりません。

しかし、欲望を原動力としている資本主義において、資本家の欲望は尽きることはありません。
資本家はより多くを求め、すべてを奪い尽くしたとしても欲望の日が消えることはありません。
搾取される人間は底辺の人間だけでなく中間層や一部の富裕層にまで拡大し、富裕層がシステム全体で占める富の量は増える一方で、その人数は減っていきます。
当然のことですが、その一方で貧困層の人数は加速度的に増えていきます。

そして、貧困層が圧倒的多数になれば、自分達を苦しめているシステムその物を敵視するようになり、反抗するのに十分な力が蓄えられれば、システムその物を攻撃するでしょう。

今回の作品の話の戻ると、その対象が、富裕層が信仰しているギリシャ神話であり、その文化の元で育まれた哲学者による数々の知識・理論だったのでしょう。
どれほど理論が優れていようと、知識が素晴らしいものであろうと、自分達を幸福にしてくれないのであれば、意味はない。
しかし、キリスト教で洗礼を受け、神を進行することによって、その日の飢えを凌げることが出来るのであれば、その方が何倍もマシと言う事になります。

キリスト教は、その当時のカウンターカルチャーであり、新人類を熱狂させるのに足る『何か』を持っていたのでしょう。
これらの事を、教科書のような文面で説明されたとしても、イマイチ理解がしづらいと思いますが、映像で見せつけられることによって、当時の雰囲気も含めて理解がしやすく作られていますね。

前知識が必要な映画なので、そもそも歴史が好きだとか、古代のエジプトやギリシャに興味があるという人以外は楽しみにくい作品かもしれませんが、教養の為にも、是非、観てみてはいかがでしょうか。

【ゲーム紹介】 アサシンクリード オリジン

今回紹介するゲームは、アサシンクリード オリジンです。


    

このゲームは、アサシンクリードシリーズの最新作(2017年)です。
アサクリシリーズといえば、毎年のように新作を出し続けている人気シリーズなのですが、今回の作品は、前作のシンジケートから2年の時を経て満を持して出された新作です。

このシリーズを知らない方の為に、ごく簡単にどのようなゲーム化を紹介すると、先ず前提として、人類が存在する遥か以前に、この地球には知的生命体が存在していて高度な文明を誇っていたという設定が有ります。
人間は、それらの知的生命体が創り出した実験動物のような存在だったのですが、一組のつがいが、その実験室から脱走します。
それが、アダムとイブ。

アダムとイブは脱走の際、知的生命体が創り出した技術の一つである、リンゴ型のオブジェクトを持って脱走。
その後、人類にとっての創造神ともいえる古代の知的生命体は、太陽フレアの電子パルスによる影響で電子機器が破壊され、絶滅することになります。
しかし世界各地には、その神々がつくった太鼓の装置が、遺跡として残っていて、それを起動させる為の鍵として、オーパーツも点在してい。

その太古の技術を求めて、昔の十字軍の一部のテンプル騎士団、現在のアブスターゴ社と、反乱組織であるアサシン教団の対立を描いているのが、このアサシンクリード・シリーズです。

太古の遺跡やオーパーツを見つける手段は、人間の遺伝子の中にあると言われている記憶遺伝子を辿る事。
その為の装置が、アニムス。
アニムスにより、記録に残っていない昔に何があったのかというのを探っていくのが、このゲームのメインとなります。

潜る時代はシリーズごとに変わるのですが、今回、潜ることになるのは、紀元前49年のエジプトです。
追放された女王、クレオパトラが生きている時代のお話です。

ファラオは、とある結社の傀儡となり、その結社が、自分達の利益のために、民を苦しめている。
その様な世界観で、主人公のバエクは、結社によって一人息子を失います。
物語は、その復讐のために、息子殺害に関わった全員に報復をしようと行動を起こすという、分かりやすい復讐劇からはじまります。

実際プレイしてみた感想ですが、グラフィックがエグいです。
一番最初は、シワと呼ばれる特定地域だけで物語が展開されていき、それがチュートリアルの様になっているのですが、その時点で、マップの凄さに驚かされます。
ちょっとした街が有り、水辺が有り、砂漠が有る。
絵に描いたようなエジプトで、山岳地帯にはハイエナやハゲタカなどが存在し、水辺にはワニなどが生息している。

そんな自然あふれる中で、人間が共存している様が見事に描かれています。
しかし、本当にビックリしたのは、そのチュートリアルが終わってタイトルロゴが出て、本編が始まった後です。
場所が、シワからアレクサンドリアと呼ばれる大都市に移るわけですが、改めて自分の位置を確認する為に全体マップを見ると、自分が今までプレイしていたシワという場所が、マップの極々一部だったことに気付かされます。
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正直、広すぎです。

シワのような田舎町から、大都会のアレクサンドリア
昔は栄えていたサイスや、ギザといった巨大ピラミッドが有る地域。
当然のことながら、エジプトに繁栄をもたらした母なるナイルやデルタ地帯も再現されており、このゲームをするだけで、エジプト旅行よりも遥かに色んな体験が出来るんじゃないかと思わせられるほどです。

それぞれの地域の名物や特色なども再現されています。
例えば、アレクサンドリアにあるアレクサンドリア図書館。
現在では既に壊れて無くなっている建物ですが、このゲームでは見事に再現されていて、中に入って見学することも出来ます。

また、アレクサンドリアという地名からも分かる通り、ゲームの舞台となるエジプトは、数百年前にアレクサンダー大王の東方遠征によって、ギリシャの統治下に置かれています。
その為か、ギリシャ人が治める土地にはギリシャ風建築も立ち並んでいる為、異なる2つの文化の建築物も楽しむことも出来たりします。

そして、2つの違った民族が住んでいるということは、当然のことながら、そこに問題が発生します。
メインストーリーやクエストでは、支配者層のギリシャ人と、使われて搾取される側のエジプト人との間で起こる問題が度々でてきます。
こういったクエストを通して、当時の人々が抱えている問題が身近に感じられることも、このゲームの醍醐味ですよね。

ゲームの進行としては、ウィッチャー3のようなクエスト方式で進んでいきます。
クリアーするのに長時間かかるクエストが数個有るというよりも、長くても30分程度で終了するクエストが大量にあるという感じといえばよいでしょうか。
今までのアサクリとは違い、キャラクターにレベルが存在し、レベルアップしないと上位の敵を倒せないシステムになっていて、レベルアップをする為に、経験値を貯めるという方式なのですが、敵を倒すよりも、クエストをクリアーすることで得られる経験値のほうが圧倒的に多いので、細かいクエストを数こなしてレベルを上げ、メインクエストに挑戦する感じになっています。

この方式には賛否両論有るとは思いますが、個人的には、非常に良いですね。
何故なら、ゲームを止めやすいからです。
この手のゲームは、ゲームの止め時が分からずにダラダラ続けてしまうということが結構あるのですが、このシステムの場合、クエストクリアーで一段落する為、そのタイミングで止めやすい。
これが、社会人にとっては非常に良いですね。 僅かなスキマ時間でもプレイしようと思えますし、逆に休日のように時間が有る時は、ゲームを辞めて他のことをするという選択も出来ます。

後は、発売前に少し炎上した有料ガチャ問題について、一応書いておきます。
このゲームでは、武器や防具などのアイテムにレアリティが設定してあり、ノーマル・レア・レジェンドと分かれています。
各アイテムは、敵を倒したりデイリークエストや一部のクエストをクリアーする事によって手に入るのですが、レア度が上がるに連れて出現しにくくなっているようです。(一部、レジェンドの確定報酬あり)

この様な設定なのですが、ゲーム内通貨3000を支払うことで、アイテムをランダムで手に入れる事ができるガチャを行うことが出来るのですが・・・
このガチャ、ゲーム内通貨だけではなく、リアルマネーでも可能ということで、課金ガチャと批判を受けていたのですが、実際にプレイしてみると、そんなには気になりませんでした。
というのも、このゲームは、基本的にはステルスアクションゲームで、出来るだけ見つからずに移動して、ターゲットとなるアイテムを盗んだり、人物を暗殺したりするゲームです。
つまり、敵に見つかって大人数に囲まれている時点で、ステルス失敗ということ。 注意深くゲームをしていると、そもそもレア度の高い武器は必要がない設定になっているので、課金必須というわけでもないんですよね。

全ての武具をコレクションしたいという人にとっては、コンプするのが面倒くさい仕様となっていますが、ゲームを楽しみたいだけであれば、特に問題がないと思われます。
課金ガチャが購入する際のネックになっていた人は、気にしなくて良いと思います。

プレイしてみた全体的な印象としては、まだまだ序盤ですが、既に支払った金額以上の元は取った気分になっているので、個人的には非常におすすめできる商品ですね。
これを観て興味を持たれた方は、購入してみてはいかがでしょうか。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第20回 ヒッピー革命(1)

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
www.youtube.com

前回までの放送では、東洋哲学の考え方について観ていきました。
簡単に振り返ると、第8回では、西洋哲学と東洋哲学の考え方の違いについて。第9回~12回では、梵我一如の考え方などを紹介したインドのウパニシャッド哲学でしたね。
そして第15回~18回では、仏教の開祖となったゴータマ・シッダールタという人物について。で、前回は、東洋哲学の考え方から派生した仏教について考えていったんですけれども

今回からの放送では、舞台を近代アメリカに移して、ヒッピーカルチャーについて勉強していこうと思います。
東洋哲学の流れから、いきなりヒッピーカルチャーに話が飛んで、びっくりされる方も中にはいらっしゃるかもしれませんが、実は、ヒッピーカルチャーには東洋哲学的な考え方が関係していたりするんです。
また、ヒッピーカルチャーは現代の私達の生活にも大きな影響を与えているにも関わらず、この辺りのことを余り知らない方も意外と多いと思います。
ですが、知る事で、哲学と日常生活に関連性を見いだせることも有ると思うので『一緒に勉強していただければな。』と思っています。

ヒッピーカルチャーとかヒッピームーブメントと聞くと、ヒッピーという名称しか知らないと言った方も結構多いかもしれませんね。
言葉の意味としては、ならず者とかだらしない者といった感じのイメージをお持ちの方も多いかもしれません。
永井豪さんが書いた漫画にデビルマンというのがあるのですが、この作品では、主人公たちが序盤に悪魔を召喚するのですが悪魔を召喚しようとするのですが、その為の儀式として、サバトが開かれます。
ここで描かれているサバトは、ちゃんとした儀式というよりも、単に酒やドラッグを使用して暴れまわるというものだったのですが、その際に呼ばれた人達が、ヒッピー達だったりしますし、
そこに登場した人達は、特に主張などもなく、ただ単に羽目をはずしていただけなので、そう思われる方も少なくないと思います。

ですが、ただ単純に、だらしがなくて遊びたいだけの人たちの行動に、革命だの、カウンターカルチャーといった名称が付くのでしょうか。
ただ、自堕落な生活を贈りたいだけの人達なんて、いつの時代にも、そこら中に存在しますよね。この日本にだって、存在します。では、彼らは、革命家なのでしょうか。
そんな事はないですよね。では、ヒッピー達は、何故、革命家と呼ばれることになったのでしょうか。

このことを考えるために、先ず、革命について考えてみましょう。
革命とは簡単に言うと、今までの常識をくつがえすことですよね。カードゲームの大富豪というゲームがありますが、このゲームでも、同じカードを4枚集めることによって、革命を起こせます。
これによって、今までは数字の『2』のカードが一番強かったのが、一番弱くなり、『3』の最弱のカードが強いカードに変わります。
これを遊びではなく、現実の世界で考えてみると、王によって支配いされ、貴族が自治権を持っていた状態から、市民によって革命が起こり、国のシステムを大きく変えることを意味します。
この様に、革命とは、今までの流れを変革させようとする行為で、ヒッピー達の行動は、正にそれに当てはまる様なものだったんです。

では、ヒッピーたちは、何を変革させたかったんでしょうか。
それは、今まで自分達を取り囲んで支配していた価値観、その物について、意義を唱えたんです。

具体的にどんな物なのかというと、WAPS。ワスプと呼ばれるもので、これはホワイト・アングロサクソンプロテスタントの略で、簡単に説明すれば、キリスト教を前提とした白人至上主義的な価値観のことです。
これに異論を唱えたのが、当時の若者達だったわけで、その手段も、暴動などの武力というよりは、新たな文化を浸透させるという手段で行ったんです。
今まで支配していた価値観に対し、対抗出来る文化をぶつける。 カウンターカルチャーと呼ばれるもので、意識改革を行っていったんです。

この意識改革なのですが、どの点が、従来の改革とは違うのでしょうか。
ヒッピー革命が起こったのはアメリカなんですが、例えばアメリカに住む黒人が、待遇改善などを求めて起こす反発。デモなどの抗議を起こしたとか、新たな文化を作ったというのであれば、分かりやすいですよね。
今まで迫害されてきた人達が、その待遇に耐えかねて、違った考えを持ち出すというのは、理解しやすいですし、今まで幾度もありました。
しかし、ヒッピーの中心にいたのは黒人たちではなく、白人の若者が多かったんです。白人であるなら、白人至上主義で有ることに、然程、不満もないはずですよね。
それでも起こったというのが、この運動の興味深いところで、従来とは違うものですね。

では、このムーブメントは、何をキッカケにして起こったんでしょうか。このヒッピー革命・ヒッピームーブメント、様々な呼ばれ方がされている運動ですが、具体的に何かをキッカケにして起こったものではありません。
全体を包んでいた空気によって、自然発生的に起こったもので、大きな枠組みとしての主張などはありますが、一つの主張によって皆が動いたというものでもなく、参加した人々は、それぞれの考えを持っていたでしょうし、中には、主張の無い人もいました。
その為、何か1つの出来事をキッカケにして引き起こされたと断定するのは難しいものなんです。
ですが、既にあった空気感や、常識に対する違和感を増幅させて、活動として大きく成長させた出来事は、ベトナム戦争です。

そして、大きくなる前の火種が何処にあったのかというと、これは、いろいろな説があるとは思うんですが、私が思うに、進化論と帝国主義による植民地争奪戦でしょうね。

ではまず、進化論から観ていきましょう。
私は日本に住んでいるわけですが、私と同じように日本に住んでいる人間は、学校で進化論を習ったとしても、特に衝撃は受けませんでした。
確かに、猿から人間に進化するといった説は、驚くべきことなのかもしれませんが、知識として知って驚いたからと言って、自分達の存在を疑うような衝撃を受けるなんてことは、ありませんでした。
これを聞いている皆さんも、そうだと思います。

しかし、この進化論は、キリスト教にとっては、物凄く大きな出来事だったんです。それこそ、革命レベルの出来事と言っても良いのかもしれません。
というのも、キリスト教の世界観では、神は、自分の姿に似せて、土から白人男性のアダムをつくり、そのアダムの言うことを聞くようにと、アダムの肋骨からイヴを作ります。
新世紀エヴァンゲリオンに出てくるキリスト教の設定では、神は、アダムと同じように土からリリスという女性を作ったけれども、アダムの言うことを聞かないので楽園を追放し、アダムの肉体からイヴを作ったなんて言われていますよね。
ちなみにリリスの方はサタンと手を組んで、蛇の使いを楽園に送って、知恵に実をイヴに食べるようにそそのかしたなんて話もありますけれどもね。

余談になりましたが、キリスト教において白人男性は特別なもので、女性はそれに従うものというのは常識だったんです。
また、牛や豚といった家畜は、人間が食べるように神様が作ったもの。この様な感じで、神を模して作られた人間を基準として、世界が作られたというのが、キリスト教の世界観です。

一応、念の為に言っておくと、聖書に、白人が優れているということが書かれていたり、アダムが白人だと明記しているわけではありません。
聖書で主張されていることは基本的には、争いを避けて、皆が道徳的に平和な道を歩んでいく方向に導くようなことが書かれています。
しかし、前回の仏教を取り扱った回でも話しましたが、宗教というのは基本的に、信者が都合の良いように解釈を変えていくものです。
そして、組織が大きくなればなる程、上層部には権力が集中するようになって、その地位を得たものは、既得権益を守るために更に解釈を変えていきます。

解釈を徐々に変えていくことによって、開祖が唱えた大本の主張からはかけ離れたものになってしまいますし、酷い場合には、180度違った解釈になることも有ります。
例えば、イエス・キリストは、信じる者は救われると主張しました。 キリスト教ユダヤ教から派生した宗教で、ユダヤ教の教義では、救われるのはユダヤ人だけでした。
このユダヤ人しか救われないという主張に対し、一種のカウンターを行ったのが『信じていれば、人種は問わず、どんな人間でも救われる』という主張です。

人間の上に、神という高次元の存在を置いて、絶えず監視されているという状態にしておけば、人は隠れて悪事を働きにくくなりますし、犯罪を犯す人間が減る事で、世の中は暮らしやすくなります。
しかし、この解釈も、『信じていないものは救わなくても良い』と曲解すれば、異教徒は殺しても良いことになります。

他にも、モーゼが神から授かったとした十戒には、偶像崇拝を禁止すると書かれていました。
しかし、その考えを踏襲しているはずのカトリックは、十字架や貼り付けにされたキリスト像、その母のマリア像を象徴とし、その偶像に向かって祈りを捧げます。
これは、明らかに偶像崇拝を禁止する項目に抵触しているわけですが、これも、解釈の仕方によって肯定されることになります。

キリスト教に限らず、また、宗教に限らず、企業・国といったものも含めて、組織というのは長い年月が経てば経つ程、腐敗していくものですし、権力者の都合の良いように、解釈を変更することによって考えや行動を変えていきます。

こんな感じで、キリスト教が全盛期の中世では、教会は富と権力を得て、それらの力によって画家を囲い、宗教画を書かせました。
識字率が低い中世では、豪勢な教会や絵画によって、キリスト教の世界観を伝えようとしたのでしょう。
そこで描かれるアダムは白人ですし、ルネッサンス以降、ギリシャ時代の知識が入ってきても、神々は白人として描かれます。
神の使いとして頻繁に登場する天使は、白い翼を持った白人として描かれますし、逆に悪魔はドス黒い表現がされます。
そしていつしか、これは文化になっていき、白と黒は、言葉の上でも意味を含むようになっていきます。ホワイトを含む言葉は良い印象。ブラックが付く言葉は悪い印象と言ったぐあいにですね。

この様な考えが文化として根付いて日常化していくと、黒人を奴隷という商品として使用することにも抵抗がなくなっていきます。
これも誤解の無いように言っておきますが、キリスト教徒の全員がそうだと言っているわけではありません。
黒人奴隷を肯定するような事が聖書に書かれているわけではないので、この行為に対して疑問を持っていた人も、大勢いたんだと思います。
ただ、大部分の人は主張を持たず、周りに流される人達なので、権力を持つものが先導してこの様なイメージを定着させていく事によって、そうだと思い込む人達が増えたのも事実でしょう。

ですが、この考え方が、進化論の登場によって、根本的に変わってしまいます。
人間というのは、神が自分の姿を模して特別に作ったものでもなんでもなく、単に、猿が進化して生まれただけの動物ということが分かります。
女性は、男性の言うことを聞くように、男性の肋骨から作られたわけでもありませんでした。
男も女も、黒人も白人も黄色人種も皆、猿から変化しただけの存在で、人間は特別なものでもなんでもなく、他の動物達と同じものだったということになってしまいました。

こうなって来ると、話が変わってきます。
今まで自分達が、地球上の覇者のように自由気ままにやってきたのは、人間が神の姿に似せて作られた特別な存在で、その周りの環境である世界は、人間が利用する為に作られたものだったからです。
しかし、人間は特別な存在ではなく、山にいる猿と出身が同じ動物に過ぎないとなると、全ての前提が狂ってきてしまいます。
今まで常識とされてきたものが、常識ではなく思い込みだったわけで、人々は生きる指針を見失ってしまいます。

次に大きな影響を与えたのが、帝国主義や、それに伴う植民地争奪戦です。
人は社会を形成する動物で、社会を形成するためには経済活動が必要で、経済活動を活発に行うためには、貿易が必要です。
そんなわけでヨーロッパ列強は、世界各地に侵略戦争を仕掛け、勝った国を植民地として自国の領土としていきました。

その過程でイギリスが手に入れたのが、インドです。イギリスは、イギリス領インド帝国を作り、植民地の一つとしました。
この出来事をキッカケとして、イギリスはインドに眠る東洋哲学の存在を知ることになります。
東洋哲学の思想は、イギリスによって英文化され、ヨーロッパに伝わることになります。

この、イギリス領インド帝国の建国が1858年なのですが、この少し後に、英文化されたインド哲学が出回ることになります。
そして、先程話した進化論は、チャールズ・ダーウィンにより1859年11月に『種の起源』として発表されます。

時代的に考えて、進化論によってキリスト教が前提となる世界観が崩れ、人々がすがる物が無くなった時に、丁度良いタイミングで登場したのが、英訳された東洋哲学の考え方も出来ますよね。
この2つの思想によって、様々な文化が生まれます。

この放送を連続して聞いておられる方はご存知だと思いますが、東洋哲学では、宇宙の根本原理と個人の根本原理は同じものとし、世界全てのものである宇宙を知るためには、自分自身を知らなければならないという梵我一如という考え方が有ります。
キリスト教圏の今までの常識では、世界は神が創ったものですし、人間は、その神が創った特別なものだったわけですが、この考えの前提が狂ってしまったわけですから、世界というものを改めて定義し直さなければなりません。
東洋哲学では、その世界というものは自分の中に存在すると主張しているわけですから、世界を知る為には自分を知る必要が有ります。

ですが東洋哲学では、自分が認識している自分というのは、自分ではないとされています。このあたりの詳しいことは、第9回~18回辺りを聴いてもらいたいのですが、
東洋哲学で言うところの自分。つまりは、アートマンは、自分とはなんだろうと考えた際に、思いつく全てのものを出したとしても、『それは違う』と否定されるもののことです。
逆にいえば、今、目に見えている姿かたちをしている自分や、自分と呼ばれるものに付属している、人種・職業・年収・性別といったものでもなく、魂といった概念的なものでもない存在。
それが、『本当の自分』という事です。 では、『本当の自分』とは何なのか、その存在は、どこに行けば出会えるのでしょうか。

インドでは、本当の自分。 つまり、アートマンの存在を体験として理解した人物で有名な方がいますよね。 それは、ゴータマ・シッダールタ。いわゆるブッダです。
『本当の自分』といったものが、どこにあるのかは分かりませんが、少なくとも、発見した人がインドには存在する。 なら、本当の自分探しの旅の目的地は何処になるのかというと…もうわかりますよね。 インドです。

今まで信じていた世界観が崩壊し、それを埋めるような形でタイミングよく登場した東洋哲学思想。
その影響を強く受けて、本当の自分を探すためにインドに旅立つという文化が生まれることになります。この行為は、従来までの常識をぶち壊す、逸脱する。新たな価値観を作るという行為にも繋がるわけです。
まぁ ただ、偶に日本でも欧米の若者の影響を受けて、インドに自分探しの度に出かけちゃう人なんかもいますが、キリスト教圏の国でもない、神道と仏教がメインの日本に生まれた日本人がインドに出かけたとしても、その影響はかなり少ないと思います。

そして更にいうなら、このコンテンツの第15回~18回でも言いましたが、ブッダの主張の本質は『無我』です。
つまり、アートマンとは無く、本当の自分なんてものは存在しない、また、それと同一である世界なんてものも存在しないという主張なので、どこの国の人間であろうと、どこかに旅に出たからと言って、本当の自分なんてものは発見できません。
何故なら、先程もも言いましたが、本当の自分なんてものは存在しないわけですから。

この様な感じで、進化論は、いままで前提とされていた世界観を壊し、東洋的な思想を受け入れられる環境を作ったわけですが、この進化論は、別の方向への思考も促す事になります。
それについての話は、また、次回にさせていただきます。

日本のお笑いは つまらなくなったのか?

ここ最近、日本のお笑いはつまらないという話をよく聴きます。
私自身は、ここ最近になってサービスが続々と開始し始めた、NetflixAmazonビデオ何かを観るようになった為、ゴールデンタイムにテレビを見ること自体が無くなったので、最近の変化というのは分からなかったりするんですけどね。

ただ、昔のお笑いって、バラエティーを観て無くても色んな所で話を聞いたし、話題に入る為には観てないと駄目という雰囲気すらあったのが、ここ最近は、そんな空気も感じない。
これは単純に、これを書いている私が年を取って、私の周りが観ている番組の質も変わってきただけなんかもしれません。

ですが、昔は、賑やかしの為に何となくTVをつけると、コント番組がやっていたなんて事も多かったイメージなのですが、ここ最近では、そんな偶然すらもない。
地上波ゴールデンにおいては、『お笑いブーム』というのが終わったからなのか、お笑いや芸人が脚光を浴びる機会も少なくなってきている印象。
これは、冒頭でも書いた、日本のお笑いがつまらなくなってきているから、番組も減って、露出も減ってきているのでしょうか。

という事で今回は、日本のお笑いは本当に、つまらなくなってきたのか。について考えていきます。

まず、これらの現象や意見について、当事者の芸人の方達はどう思っているのでしょうか。
私はTVを見る習慣がなくなったと書きましたが、地上波で2つだけ観ているバラエティー番組が有ります。
その一つが、『ゴットタン』

この番組は深夜番組ということもあってか、かなり攻めた番組構成となっているのですが、この番組の企画で、芸人が、今のお笑いについてどう思っているのかについて討論するという企画が有りました。
ゲストとして登場した芸人の方達は、コンビを組んでいるけれども、1人だけ馬鹿売れしてしまい、もう一方が置いて行かれている状態の人達。
分かりやすいように、一人だけ例を挙げると、ハライチの岩井さんとかですね。 澤部さんは、色んな時間帯で観ますが、出演されていてもピンが多いですよね。
こういう感じの方達をゲストに呼んで、討論するという企画があったのですが、その中で飛び出した言葉が、結構、印象的でした。

その言葉とは、『ゴールデンで求められている笑いは、30点の笑い。』
番組を一度観ただけなので、一言一句間違ってないかと言われれば不安が有りますが、ニュアンスとしてはこんな感じの主張をされていて、他の方々も納得されている様子でした。

『求められる笑いが30点』
これはどういうことなのかというと、実際に出演しているお笑い芸人の方も、ゴールデン番組での笑いの質が低いことを自覚しているということ。
そして何故、質が低くなるのかというと、求められる笑いの質がそもそも低いからという事なのでしょう。

誤解を恐れずに、もっと過激な言い回しをすれば、お笑い芸人が本気で作り上げた笑いは、ゴールデン番組を観ている層には理解が出来ないということ。
では何故、ゴールデン番組を観ている層には理解が出来ないのでしょうか。

冒頭でも書きましたが、今現在は、NHKよりも安い値段で、動画見放題サービスが提供されていますし、youtubeなどは無料で見ることが可能です。
この環境下では、映像番組が大好きで積極的に何らかの動画を見ようと能動的に動く人達は、そもそもテレビなんて観ません。
自分の観たい動画を検索し、ピンポイントでその動画だけを観ます。

今の動画サービスは、映画やドラマと言ったものだけではなく、バラエティー番組まで用意されている為、バラエティー番組が好きなのであれば、検索して見に行けば事足ります。
動画サービスに限らず、現在はゲームでもマンガでも、月数百円の定額制や無料で楽しむコンテンツが沢山あります。やりたいことが有るのであれば、僅かな手間で自分の好きな事に時間を使える状態に有ります。
この様な環境にある現代で、ゴールデンにテレビを見ている人というのは、そもそも情報に対して受け身の人だと考えられます。

この、自分で積極的に情報を取りに行かない、情報に対して受け身な人達は、何か好きなものを持っている人と比べて基本的な知識が低い傾向があると思われます。
そういった人達にも理解できて、そこそこ楽しい時間を過ごしてもらおうと思うと手法は限られてきます。
具体的には、短いフレーズのギャグであったり、大きな声を出す、大袈裟なリアクションを取る、顔芸といった物になります。

つまり、現在のテレビのお笑いがつまらない現象というのは、視聴者層に合わせて誰にでも分かるレベルの笑いを追求していった結果、行き着いたものということになります。
日本のお笑い芸人の質が落ちたから、今がそうなっているというわけでは無いんでしょう。
何故なら、バラエティー番組に出演している人間が、『30点の笑いを提供している』と公言してるわけですから。

こういった視点からバラエティーやコメディーといったジャンルを観てみると、面白いと言われるお笑いは、テレビの外側に有ることが分かります。
例えば、Amazonビデオが制作している『有田と週刊プロレスと』という番組が有ります。


これは、くりーむしちゅーの有田さんが、1冊の週刊プロレスをその場で渡され、それを元に30分程度アドリブで話すというだけの番組なのですが、かなり面白い。
週プロの表紙になっている写真を解説するために、プロレスの歴史などを解説したり、その中でどんな確執があるのかと言ったことをアドリブで話すわけですが、単純に話術が凄いです。
ちなみにこの放送ですが、いつでも第1回から遡って視聴できるということで、プロレスの知識がない人間が、イキナリ最新話を観たとしても、理解できないかもしれません。
ですが、視聴者がある程度の前提としての知識があるからこそ楽しめるバラエティーの方が、笑いのレベルとしては高くなりますし、満足度も高くなります。
そういった意味でも、面白いコンテンツだと思います。

その他には、サンキュータツオさんという方が個人で作られている、『熱量と文字数』というのも面白い。
これは、アニメ等のオタク文化を前提としたコンテンツなので、知識としてその分野のことをある程度知っておかないと、そもそもコンテンツ内で登場する言葉の意味がわからないという事が多々有りますが、そのハードルを超えれば、かなり楽しめる興味深いコンテンツだったりします。

このコンテンツでは、単純に、このアニメのこのキャラクターが好きといった、いわゆるオタク的な話もされるわけですが、その一方で、作品に登場する小道具にどういった意味があるのかといった演出や、考察といったものが、かなりハイレベルで行われたりします。
だからといって堅苦しくなるわけでもなく、バラエティーとして笑い飛ばせるようになっている番組となっています。

そして、スポンサー側の姿勢も変わりつつ有ります。
今話題のswitchですが、その楽しい方を伝えるために、Nintendoが独自で動画を制作していたりします。
例えばこれ。


この番組は、switchでマインクラフトというゲームを、お笑い芸人の『よゐこ』さんがプレイするというだけの番組です。
当然、switchやマインクラフトというゲームを知らない人間は、検索して辿り着くことすら出来ないですし、偶然見つけたとしても、楽しむことは出来ないでしょう。
しかし、それらの存在を知っている人にとっては、非常に楽しめる番組となっています。
Nintendoも、そういう基本的なことを知っているライトゲーマーに焦点を当てている為、辿り着けないような人は見なくて良いというスタンスなんでしょう。

この他にも、youtubeなどでは若手の芸人の方達が、かなり斬新で挑戦的なネタなどを動画として撮って、アップロードされていたりもします。
また、youtubeでもアップロードできないような、ギリギリのラインを攻めたものなのは、劇場などで披露するといった感じで、住み分けがされていたりもします。

つまり、お笑いという分野は、単純に演者がテレビ側に選ばれて出演の機会を得るというものから、観る側が、多数のハードルを超えて向かっていかなければ、本物には出会えないものになってきているのでしょう。
TVで放送されるものというのは、どんな人間が観ても理解できて、その上でクレームが来ないものという条件をクリアーしたものだけが放映される。
その為、提供しているお笑い芸人ですら、『30点の笑い』と言われるものしか採用されない。

芸人たちが、自分達の考える最高峰の笑いというものを観たければ、出来るだけ閉鎖された空間。
つまり、ネットであれば検索をかけて深いところに潜ったり、リアルであれば、平日に開かれるライブに出かけるといった行動を起こさなければ、出会えないものなんでしょうね。

結論としては、テレビのお笑いがつまらないという事なんでしょうね。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第19回 仏教回まとめ

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
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前回までの4回の放送で、仏教の開祖となったブッダの考え方を、簡単に解説していきました。
今回は折角なので、仏教について簡単に勉強していこうと思います。

本題に入る前に、前回までのおさらいを簡単にしていきましょう。
ブッダが悟ったとされる真理は、基本前提として、梵我一如の考え方が有ります。
梵我一如は、この世の全てを構成するもの、つまりは宇宙の根本原理と、個人の根本原理が同じものだという考え方ですね。
この世の全てを構成する物と個人が同一のものであるのなら、全てのものを解き明かすよりも、個人の内面を再認識する事が、真理を得るための近道ということになります。

その結果として、ウパニシャッド哲学では、個人の根本原理であるアートマンとは、『非ず、非ず』としかいえないものだという事が分かります。
『非ず、非ず』とは、あらゆる対象と比較したとしても、『そうじゃない、そうじゃない』としか言えないものということです。
自分というものは、ただ現象を観測するだけのものでしか無く、観測するものを観測することは出来ないからです。

では、観測も出来ず、全てのものと比較して『違う』という、アートマンとはどんなものなのかというと、ブッダの解釈では、そんなものは無い。
つまり、アートマンとは無い存在である『無』という事で、アートマンが無いということは、それと同一の存在である『この世の全て』である宇宙も、本質的には無いということになります。
では、実際に感じている自分や、目の前に映る世界というのは何なのかというと、それは、本来ないはずのものに名前を付ける事で、有ると思いこんでいるだけの存在ということです。

例えば、植物の特定の状態だけを取り出して、タネと名付けたり、双葉と名付ける。 成長した植物の一部分だけを取り出して、茎と名付けたり果実と名付ける。
しかし、それらの名前は植物の一連の流れの一部分、それぞれの部位の一部分だけを取り出して名前を付けているだけで、実際にその状態のものが存在するわけではないということです。
これと同じように、人の心も縁起・因果といった、一連の中に存在しているわけですが、その中から特定の感情だけを取り出して、苦痛と名付けてしまうと、その感情を意識してしまう事で苦痛を感じてしまいます。

しかし、実際には縁起、つまり、事が起こる前には何らかの縁があって事が起こり、事が起こったことが縁になって、また事が起こる。
物理現象と同じく、人の心もこの法則に則って移ろいゆくものでしか無く、嫌な感情・不快な感情を感じるという事が起こる際には、その縁となるキッカケが存在するわけですけれども、そのキッカケを遡っていくと
何らかの事に執着していることが縁になっている。 なら、原因となる執着を無くす事で、心なんてものも意識なんてものも無いことが理解できますし、この理解によってこの苦痛の世界から開放される事になります。
また、自分の心や意識なんてものが存在しないのであれば、この宇宙の仕組も存在しないことになり、それまでの世界の前提となっていた輪廻転生といった物もなくなり、再びこの世に生を受けることもなくなる。
つまり、輪廻転生の輪から解脱することが出来るので、カルマに縛られることもないという考え方でした。

要約すると、自分と宇宙とは同じ原理で存在し、その根本部分を探っていくと両方とも無いと言うことがわかったという事です。
両方とも存在しないのであれば、そもそも何かにとらわれるということもないですし、執着することもなくなるということです。

この宇宙も自分も無いというのが理解し難い場合は、夢の世界を想像すると分かりやすいかもしれません。
夢というのは、将来の夢とかそういったものではなく、夜、寝る時に見る夢のことですね。

夢の世界というのは、その世界の中に入り込んでいる状態の時には、そこが夢の中であることに気が付きません。
現実世界と比べて、例えどんなに不思議な事が起こったとしても、夢を見ている自分自身はそれを現実として受け入れますし、その世界を前提として行動します。
自分が高校時代にタイムスリップしていても不思議とは思いませんし、話したこともない人や会ったこともない人とも、友達という設定であれば友達のように接します。
夢を観ている瞬間というのは、それが現実ですし、その世界も確かに存在していますし、その世界を構築するための前提となる法則も、確かに存在はしているのですが、夢から覚めて目覚めた瞬間に、そんな世界は無かった事を理解します。

では、今、私達が過ごしている世界は、本当に現実の世界なのでしょうか。
もし、この現実と思い込んでいる世界が夢なのであれば、何かのタイミングで目覚めた時に、この世界は存在しないという事を知ることになりますよね。
ブッダというのは、日本語に訳すと『目覚めた者』という意味があります。 
この話がバカバカしいと思われる方も多いかもしれませんが、この世界が夢の世界である可能性は、科学的に完全に否定できるものでは無かったりします。 こういう可能性を考えていく事も、哲学の範疇だったりするんですけれどもね。

この考え方を追求すると、ブッダのように悟りたいと思うことによって、悟りに対する執着が生まれますし、その執着によって修行を行うという行動を起こすことで、より執着は強くなります。
修行を行って悟りを得られなければ、自己嫌悪に陥ることにもなります。この様な感じで、ブッダの後を追いかけるように行動を起こす事で、苦しみを感じてしまうことに有ります。
つまり、ブッダの考えを正しく理解すれば、宗教というものは そもそも生まれないということになります。

この為か、ブッダは自分から宗教を起こそうともしませんでしたし、死後の世界や、魔術的な儀式も否定していましたし、寺院などを建設することにも否定的だったようです。
まぁこれは、なんとなく分かる気がしますよね。
そもそも、ブッダが登場する前までは、バラモン教が国を支配していましたし、そのバラモン教が大きな組織を作り、それを維持する為に、カースト制という身分制度を作り
その身分制度を維持するために、カルマやら輪廻転生という理屈を持ち出してきたわけです。

組織は当然のようにピラミッド型になっていて、一部の支配者層が裕福な暮らしをする一方で、大部分の貧民層が苦しんでいるという状態があった。
その世界観に対するカウンターという形で、『そんなもんは無い!』として梵我一如や万物流転などの考え方をミックスした形で、世界に対する新たな解釈を打ち出したわけで…
これを元にして宗教組織を作ってしまうと、自分達が支配階層に取って代わるだけで、構造としては同じものが残り続けてしまいますよね。
にも関わらず仏教という宗教が生まれてしまったのは、ブッダを取り囲む弟子たちが、それを組織化していった事が元になっているようです。

そんな、ブッダを開祖とした仏教という宗教なのですが、その後、大きく分けて2つに分裂することになります。
一つは、大乗仏教。そしてもう一つは、小乗仏教とか上座部仏教と呼ばれるものです。

この2つを簡単に説明すると、大乗仏教は民衆を救うことを目的とした宗教で、上座部仏教は、自身が悟りを開く為に行う宗教です。
この説明だけを聴いてしまうと、なんとなく、大乗仏教の方が民衆に優しい感じがしますし、信じたくなる気がします。
その一方で、上座部仏教の方は、どちらかと言うと自分がブッダと並ぼうと頑張っているだけのような気がしないでもないですよね。

ですが、これまでの放送を聞いていただいた方には分かると思うのですが、ブッダの意見をより忠実に聴いているのは、上座部仏教の方だったりします。
何故かというと、そもそものブッダの主張は、この世界や自分というものが無いという事を、自分自身の体験によって知る事を最重要視していて、その境地にたどり着く事を最終目標としていたからです。
なので、頑張って修行をして、徳を高めて、民衆を救おうと頑張ったり、民衆に信仰心を求めて、寄付金を得るなんて事は、ブッダの主張とは180度方向転換していると言っても良いことなんですよ。

というのも、何かを信じるというのは、信仰の対象に執着することですし、信じることによって救われようとする行為は、信仰対象が存在すると信じていなければ成り立ちませんよね。
しかし、先程から何度も言っている通り、そんなものは無いんですよ。 何故なら、そもそも、信仰対象が存在している世界というものが、そもそも無い存在なんですから。
では何故、こんな事を言い出す必要があったのかというと、ブッダの主張は、大部分の人に理解されることがない程に、難しいものだったからでしょう。

誤解しないで欲しいのは、別にお坊さんをDisってるというわけでは無いということです。
人間というのは、基本的には一人で行きていくことが出来ない動物なので、社会を形成します。そして社会はピラミッド構造の組織へと変化していきます。
仏教というものが始まった時代というのは、この三角形の構造の大部分を占める大衆は、ちゃんとした教育を受けていませんし、論理的に話したとしても、到底、話は通じません。
本のような形で、図形などを入れながら書いたとしても、そもそも字が読めませんし、知識階層と比べて知識のレベルが違いすぎるので、会話も成り立たない状態だったでしょう。

この様な人たちに、梵我一如や無我といったものを説明したとしても、到底、理解することも受け入れることも出来ません。
ですが、本当に苦しんでいる人達は、このピラミッド構造の下層に属する大衆で、この人達こそが、苦しみから開放されたいと願っているわけです。
この様な人たちに対して、『苦しみなんていうのは錯覚で、そんな物は無いんだよ。』と説明したところで、理解されることはありません。
『腹が減っているという感覚が錯覚で、本来はなかったとしても、現に今、お腹が空いているんだよ! なんとかしてくれ!』って反論されて終わりですよね。

では、この様な人たちを救おうと思った場合は、どうすれば良いのかというと、神秘的なものにすがるしか無いですよね。
例えば、お経を唱えなさい。この文字には、聖なる力が宿っているので、このお経を唱えたり、書き写したりする事で救われますよ。というしかないんですよ。
じゃぁこれは、苦し紛れに出したでっち上げなのかというと、実はそうでもないんです。

というのも、全てのものは存在しない、錯覚だというのがブッダの主張なのですが、それを簡単に実現させることが出来るのが、読経や写経だったりするんです。
人間というのは基本的に、やるべき事が有って忙しい時というのは、何も考えずに没頭して行う一方で、暇な時や考える余裕がある時は、いろんな事を考えてしまいます。
例えば、絵を描くとかゲームするといった、趣味に没頭しているときというのは、時間が経つのも忘れますし、お腹が減っているという感覚も忘れたりして、ご飯を食べないなんてこともあったりします。

これを応用すると、お経を読むとか写経をするといった感じで、ある程度の時間、没頭できるものというのを提案して、それに打ち込めるような環境を作り出すということは、少なくとも、それに夢中になっている間は、苦しみから開放されていることになります。
皆さんの生活を思い起こしてもらえば、心当たりの有る方もいらっしゃるとは思いますが、暇な時間が有るから、余計な事、些細な事が目についてしまうんです。
『忙しく体を動かしているときでも、腹の立つことは有るよ。』と反論される方もいらっしゃると思いますが、それは、体が忙しいだけで、実際にはルーティーンワークになっていて、頭は暇で考えることがない状態というだけです。
なら、頭のなかでお経をヘビーローテーションさせるなどして、考えるので忙しくしてしまえば良いわけです。そうする事で、頭の中はお経でイッパイにはなりますが、そこに雑念が入り込む余地は無くなるので、雑念で満たされるよりはマシという考え方ですね。

大乗仏教が生まれたその他の理由としては、実際にブッダという存在によって、救われた人が大勢いたということでしょう。
ブッダは、何かしらの悩みを持つ人達の相談に積極的にのっていたようですし、それによって実際に悩みや苦しみから開放された人間も多くいたようなので、その人達の間では、救世主と崇められていたんでしょう。
そんなブッダが寿命を迎えて亡くなると、信者によってドンドン神格化されていき、『ブッダは、より多くの人を救いたいと思っているはず!』と思うようになり、より多くの人を引き入れられるような仕組みを作っていったんでしょう。

ちなみに、日本に伝わっている仏教は大乗仏教で、そこから色んなアレンジがされて、様々な宗派に分かれていたりします。
そして、多くの人に実践してもらえるように、敷居もドンドン下がっていくことになります。お経は、短いとされている般若心経でも200文字以上ありますが、それも変わっていき、短いものだと『南無阿弥陀仏』という6文字まで短縮されます。
修行を行わなくても、貧しいものに施しをする事で徳を積めるようになります。 この施しは、日本の場合は貧しいものというのが、お坊さんに置き換わって、お布施を渡すと良いという免罪符的な感じになっていくんですけどね。
その最たるものが戒名システムで、死んだ親族があの世で高い地位なれるようにと、高いお布施を渡す。つまり、あの世の地位を金で買うような方向に変わっていっているので、ブッダの主張とは、かなりかけ離れたものになっていっているようにも思えますね。

そんな日本の仏教なんですが、面白い考え方が有るので、最後に紹介して、この回を終わろうと思います。
それは、前に簡単に紹介した、悪人正機(あくにんしょうき)という考え方ですね。

南無阿弥陀仏というのは、ブッダ、つまり悟りを開いた人というのは、ゴータマシッダールタ以外にもこの世には何人もいて、『南無阿弥陀仏』と唱えることで、その一人の阿弥陀様が救ってくれるという、
他人の力によって願いを成就する他力本願という考え方です。
この教えに、「“悪人”こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の機根である」という言葉が有ります。
機根(きこん)とは、仏の教えを聞いて修行しえる能力のこと。また仏の教えを理解する度量・器のことで、これを有するのは悪人だという教えです。

簡単に言うと、『善人じゃなくて、悪人こそが救済するに値する』と言っているわけで、善人よりも悪人の方が良いと言っているわけですが、何故、悪人のほうが良いのかというと、悪人の捉え方が違うからなんです。
私たちは、倫理観などに基づいて、他人を観察することによって、善人や悪人と言ったレッテルを貼っていきます。
しかし、悪人正機でいう善悪の基準は、他人が倫理や道徳に基づいて決めるのではなく、自分が決めるんです。

この放送でも、結構前に、アリストテレスの国家観について話した際に、人間は良いと思っている事しか出来ないといった話をしましたね。
ここでいう良いという基準は主観的なもので、例えば快楽殺人者は、殺人を我慢する事によって受けるストレスよりも、他人を殺すことによって得られる快楽のほうが自分にとって善いと考えるから殺人を犯すわけです。
他の例でいうと、スポーツ観戦などに行った際に、自分の出したゴミは持ち帰る、もしくはゴミ箱に捨てるほうが善いと思っている人は捨てるし、そんなことをしたら、ゴミ清掃員の仕事がなくなり、下手をしたら失業者を産むと考える人は、
放置したほうが善いと思って放置する。
多くの人は、数ある選択肢の中から、善いと思ったものを選んで実行しているので、善い行いばかりをしている事になります。そして、善い行いをしている人は当然、善人という事になってしまいます。

その一方で、自身を悪人と思う人間というのは、どのような人間なのでしょうか。
自身を悪人と思うということは、過去に善いと思って起こした行動が間違っていたということを自ら認め、反省した人間ということになります。

こうした観点から観ると、善人というのは、自分の欲望のまま、思いつくままに行動し、その行動に何の疑問も持たない人間ということになり、逆に悪人は、自分の過去の行動を吟味し、間違いがあった場合は受け入れている人間ということになります。
両者を比べた場合、どちらが救済される勝ちがあるかといえば、悪人ですよね。
これは、善悪を主観で観るか客観で観るかによって起こる逆転現象で、哲学的な考え方ですよね。
ただ、普通に読むだけでは確実に解釈が間違われて、誤解されるだけなので、庶民に普及する際には『南無阿弥陀仏』と唱えておけば良いとだけ、教えているそうですけどね。

という事で、長く続けてきた東洋哲学シリーズですが、ここで一旦終了して、次回からは、近代・現代のカウンターカルチャーについて、考えていこうと思います。

新規住宅着工件数が宿泊業に与える影響

先日(2017年11月30日)のことですが、WBSで不動産関連のニュースが流れていました。
http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/wbs/newsl/post_145286/www.tv-tokyo.co.jp

簡単な内容としては、ここ数年間で、住宅の着工件数が増え続ける一方で、空き家率が上昇し続けているというもの。
テレ東の番組ということで、空室率については全国平均などは出ておらず、首都圏中心のデータでしたが、日本中から人を吸い寄せている東京近辺のデータなので、結構甘めの数字かもしれません。
そんな甘い環境での空室率ですが、東京で35%前後、神奈川県などは40%に達する勢い。

着工件数が伸び続けている一方でのこの数字…
今現在、賃貸様物件を建てているオーナーは、10年後といわず、数年後にも地獄を見そうな環境ですね。

何故こんな事になっているのかというと、大きな原因は低金利でしょう。
日本は不景気で、お金に困っている人はたくさん居るのですが、銀行にとっては貸高値が返ってこない可能性のある貧乏人に貸す金はない。
でも、儲かっている人達や企業は投資をしてくれないので、回収できそうなところからは資金需要が全く無い。
結果として、不動産を担保にしたローンが発達し、不動産業者と銀行が結託し、営業を頑張った結果なんでしょう。

その他の要因としては、空き家や空き地対策として安倍政権下で行われた、税制改正でしょう。
活用されていない土地に対する固定資産税が6倍になったことも大きい。
ちょうど団塊世代の人達が寿命を迎え、その子供世代が両親の土地や家を相続したけど、その家には住む予定がない。
しかし、そのまま放置しておくと固定資産税が高いので、どうしようと考えている時に、上で挙げた様な不動産業者の勧誘に載って、建ててしまった。

その他には、消費税の増税というのも、関係があるでしょう。
消費税が5%だったものが8%の上がるタイミングで、建築需要が増加したという話を聴きました。

これらの要因によって、新築着工件数は毎年増えているわけですが、皆さんも御存知の通り、日本の人口は減少傾向です。
今現在、ただでさえ供給過剰状態の住宅ですが、住宅着工件数が伸び続けているわけですから、今後は更に大量の住宅が供給されることになります。
一方で、団塊世代団塊ジュニア世代と呼ばれる人達がドンドンと退場していくことで、空き家は更に供給されることになります。

では、その空き家や供給される住宅は活用されるのかというと…
結構難しいでしょう。というのも、今現在の日本の失業率は改善され、求人倍率も増加していると言っていますが、実際に求人がる得ている分野というのは、介護や保育の現場だったりします。
介護や保育といえば、重労働でで責任重大の割に、薄給で有名ですよね。
求人倍率3倍なのに、給料が14万とかの世界ですから。

そんな人達が、果たして、一人暮らしできるのかという問題が有ります。
14万から家賃を6万とか払うと、残り8万で生活やら貯金やらをしなければならないことになります。
そんな奴隷生活を少しでもマシにする手段は、実家に住んで生活費を安くする事。

こうなると、住宅が供給されたところで、借り手がいないという問題に直面します。
賃貸物件オーナーとしては、建物の建築費という莫大な借金を背負うわけですが、その借り手がいない。
高い空室率だと、借金返済時の利息とと固定資産税や物件の改修費などの費用分がそのまま赤字なわけですから、傷が浅い状態で撤退するためにも、早めに売り抜けたい。
こんな環境だと、こんな馬鹿みたいな営業が出てくるはずですよね。 まぁ、肯定は絶対にしませんけど。

で、今回、取り上げたニュース番組ですけれども、こんな現状を踏まえた上で注意喚起をする為に取り上げたのかというと、そうでもなかったりします。
当然ですよね。WBSは、『頭金無し、土地なしでも不動産オーナーに成れる!』というキャッチコピーで有名な、あの企業がスポンサーだったりしますから。

では、どんな方向でニュースが流されたのでしょうか。
内容としては、『今後、賃貸住宅市場の競争が激化するので、競争に打ち勝つために、他の物件と比べて差がつけられるような物件を建てよう!』という感じで、住宅メーカーの広告のようなニュースが流されていました。

まぁ、スポンサーがついているからというのも有りますが、大きな買い物をする際には、真剣に考えたほうが良いと思いますよ。
とは言っても、間違っても、銀行や不動産会社が主催するセミナーには参加しないほうが良いとは思いますがね。

…と、こんな感じの話は、前にも結構書いたことが有るんですが、今回は、これに加えて新たな展開をしていこうと思います。
この、現状で既に供給過多で、今後、更に供給が増えまくる住宅市場ですが、この悪影響は賃貸住宅の枠組みだけにとどまらず、宿泊業に波及してくると思われます。

先日、楽天トラベルが民泊サービスに参入すると発表したようですが、この、日本に余りまくっている住宅が、民泊サービスに使われる可能性が大きくなってきました。
現段階では、まだ規制が多く有る民泊ですが、今後段階的に規制緩和が行われる事になるでしょう。

そうなってくると、大変になってくるのが宿泊業だと思われます。
少し前に、Twitterのリプライで頂いた意見に、『宿泊業とかいて、宿は苦行と読むんですよ。』なんて意見もいただきましたが、現状でも、宿泊業は厳しいようです。

先日、角打ちに呑みに行ったという記事を上げましたが、一緒に呑みに行っていた方が、この業界に詳しいようで、現状を少し聞くことが出来ました。
kimniy8.hatenablog.com
それによると、業界は既に、ベトナム人に頼らないと回らない状態まで来ているという話を聴きました。
少し前までは、中国人留学生も安く使えるという話だったようですが、中韓の観光客が多い現状では、中国や韓国からの留学生は、日本語に加えて中国語や韓国語が話せる利点が有るということで、かなり賃金が値上がりし、手が出せないようです。
となると、現状で賃金的に魅力が有るのが、ベトナム人ということのようです。。。

ただ、アジア周辺を観てみると、日本だけが成長しておらず、他の国は成長しているという有様。
賃金や物価や待遇を、ベトナムと日本都で比べた際に、ベトナム人にとってベトナムのほうが魅力的という事態になってしまうと、そのベトナム人にまで見放されてしまう可能性が出てきている状態。
そんな中で、民泊の規制緩和によって、宿泊施設が大量供給されたとしたら?

宿泊業の経営者は、更なる地獄に突き落とされそうです。
というのも、建築年数が結構経っているアパートで、空室率が40%で家賃が3万しか取れていない物件の場合、一日あたり1部屋1000円で貸し出したとしても、賃貸物件経営よりも儲かる可能性が出てくるからです。
1部屋1000円の場合、4人で利用すれば一人あたり250円・・・
こんなのと戦わなければならないとなると、宿泊業関係者は、堪ったものではないですよね。

話を聞かせていただいた方の意見でも、今後は、高級ホテルか激安宿泊施設か、どちらかしか生き残れない可能性もあるとの事でした。

でも改めて、一人1000円以下で泊まれる環境を考えると、バックパッカーが訪れる、インドや東南アジア何かと同じって事なんですよね。
観光客の中でも特に多いと言われている中韓の人達から見れば、日本は安く手軽に異文化と触れられる後進国に映っているのかもしれません。

まぁ、消費者として使う分には、選択肢が増えて良いんですが、観光立国を目指す方向に舵を切って、そこに従事する人が報われないってのも、何だかなと思ったり。

【本の紹介】 銃・病原菌・鉄 (上巻)

今回紹介する本は、『銃・病原菌・鉄 (上巻)』です。


      

銃・病原菌・鉄という、一見意味のなさそうな単語を3つつなげただけのタイトルで、タイトルだけだと内容がいまいち伝わってこない感じなのですが、一言で大雑把に説明すると、人類史の本です。

学校の世界史の授業では、文明は4つの川の付近から発生したというところから解説が始まりますが、この本では、何故、川の近くから文明が生まれることになったのかというのを、読み解いていきます。
素人が想像するに、川のように海水ではない水が常に流れているところでは、食料が豊富そうなイメージがありますよね。
動植物には水が必要となってきますが、その水が、川には豊富にある。

獣は水を飲みにやってきますし、川の中には魚もいる。
川の付近には植物も生えていますから、人がそこの集まりやすかったというのは分かります。

ですが、川はそこら中に存在しますよね。
私が現在住んでいる場所にも、歩いて数分のところに川はあるわけですが、何故、文明の発症は、この近所の川ではなかったのか。
四大文明の中でもメソポタミア文明は特に早かったらしいですが、何故、メソポタミアだったのかというのを、掘り下げて考えていきます。

では、文明発達時期の一部分だけに焦点を当てた、古代史の話なのかというと、そうでもありません。
この古代史だけの話だと、銃などの近代にならないと登場しない道具をタイトルに掲げる意味がりませんしね。

この本の本質的な部分は、何故、文明の発達に差があるのかというところに焦点を当てて書かれています。
ネットなどでも、文明の発達速度は、よく、種族の優秀さなどと一緒くたにされて語られたりしますよね。
また、その話から、ドンドンと人種差別的な話になったりする場合などもあったり。

例えば、アフリカは文明が発達していないとか、後進国の人間は、種族として劣っているから…なんて感じに。
まぁ、先進国に住んでいることだけがアイデンティティを保つ唯一の材料なんて人は、こんな話に飛びついて、『先進国に住んでいるから、自分は優秀だ。』なんて単純な結論に持っていたいんでしょうけれども、この本では、それが本当なのか?という事を、根本的な部分から掘り下げていきます。

その掘り下げ方も、単純に歴史的に考えてというよりも、むしろ科学的な考え方によって、答えを導いているところが面白い。
例えば、一番最初に文明が生まれたメソポタミアですが、そこの三日月肥沃地帯では、一番最初に農耕が始まっています。
では何故、農耕を一番最初に始めることが出来るのかというのを、植物の種類や地形等の地理的条件を基に考えていきます。
また同様に、農耕や文化が発達しなかった場所は、メソポタミアの三日月肥沃地帯と比べ、生態系や地理的条件でどのような違いがあるのかを比較しながら原因を探っています。

詳しい解説などは、実際に本を読んでもらいたいのですが、読めば、人種の違いや能力の差によって、つまりは、一部の種族が有能だったり無能だったりする事で、文明の速度に差があるわけではないことがよく分かります。
この主張に関しては、以前、別の本『国家はなぜ衰退するのか』にも書かれていますよね。

      

少し話がずれますが、『国家はなぜ衰退するのか』では、システムの差によって文明の発達速度が変わるという話がされていました。
kimniy8.hatenablog.com

少し内容を書くと、アフリカなどで、農民が効率の良い農機具を使用せずに、効率の悪い手段を使い続けるのは、別に、アフリカ人が最新の農耕器具の存在を知らないとか、理解する能力がないといった事ではなく、単純に、システムの問題。
アフリカ人も、最新の技術を見る機会もあるし、説明されれば理解できる能力も持っている。
しかしアフリカの一部では、自分達が最低限生きていくために必要な量の食料以外は、全て国に徴収されるというシステムになっている。
仮に、自身の出費を最低限にして資本を蓄え、それを基に投資をして生産性を上げたとしても、生産が増えた分は全て徴収される為、農業従事者は生産性を上げる動機がない。

逆にいえば、生産性を上げたいのであれば、投資を促進させるようなシステムにして、生産者にインセンティブを与えればよいわけです。
ですが、頑張っても報われないようなシステムになっていると、頑張る動機が無くなるので、例えどんな種族であったとしても発展をすることはないという事。

この話と若干かぶるところはあるのですが、この『銃・病原菌・鉄』でも、似たようなことが書かれています。
人類は元々は狩猟民族だったのですが、狩猟民族から農耕に切り替わる際に重要になってくるのが、インセンティブです。
一年間も畑の世話をした時に、その苦労が報われ無いのであれば、畑の世話をするよりも動物を狩ったほうが効率が良い事になります。
大型動物の繁殖スピードや、植物の育ちやすさ。人が食べれる種類の植物がどれぐらいの種類、その地域にあるのかといった環境がもっとも重要で、その環境下で、狩猟か農耕のどちらが効率が良いのか判断する。

種族としての生まれ持った頭の良さなんてものは、そこまで問題ではない。
というか、最初の人類が誕生して数百万年。現代人の祖先も10~20年ほど前に誕生。そして、農耕が始まるのが1万年前。
この当時は、今よりも文明が発達していないわけで、当然、自然が人類にとって与える影響も大きく、脅威度は比べられないほどだったことが予測できます。
そんな、自然が恐怖の対象だった時代に非効率な行動をとっている種族がいたら、今現在まで生きている事なんて出来ずに、とっくの昔に死に絶えているでしょう。
つまり、現代まで生き残っている時点で、その部族はその環境下では正解を選び続けているという事になります。

世界で一番最初に農耕を始めた、三日月肥沃地帯に住む人達も、別に頭が特別良かったわけではなく、自然環境がそのようになっていたという事。
仮に生まれる地域が変わっていれば、彼らだって、農耕を始める時期はもっと遅かったんでしょう。
逆に、農耕を始めるのが遅かった種族も、頭が悪かったから農耕に着手するのが遅れたわけではなく、自然環境的に難しかったというだけだったりします。

また、農耕などの技術は、人の交流によって別の地域にも伝えられますが、その伝わる速度が、大陸の形によって変わったりもします。
もう少し説明すると、大陸が縦長なのか横長なのかによって、知識や技術伝播速度が変わってくるということ。

様々な地理的や、気候等の環境によって、農耕が開始される時期がズレるということを、物凄く丁寧に解説してあります。
その他にも、歴史を観ると、文明が高い国が低い国に攻め込むと、文明の低い国の国民に何故か疫病が流行って大量に死んでいくという事が度々起こっていますが、それは何故起こるのかということも、この流れに沿って解説してくれています。
これは上巻ということで、『鉄』や『銃』が絡んでくる話は、まだ出てきませんが、それでも、かなり読み応えのある本でした。

学術書にしては読みやすいので、興味が有る方は読んでみてください。