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【Podcast原稿】第68回【ゴルギアス】人を説得するとは 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
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目次

支配者に専門知識は必要がないのか

しかしソクラテスは、ここで新たな疑問が浮かんでしまいます。 先程もからも言っている通り、弁論家は専門知識を持たずに演出によって相手を説得するわけですが… 専門知識が必要な場面では、どの様に立ち振る舞うのでしょうか。
例えば、弁論術を駆使して国の重要なポジションを獲得したとしましょう。その国の中で、大掛かりな建築物を建てる公共事業の計画が立ち上がったとします。例えば、オリンピックを誘致したから国立競技場を作るなどですね。
この時に必要なのは、口先の技術ではなく、建築の専門知識のはずです。 何の専門知識も持たない、口先の技術や演出法に長けただけの政治家が集まったところで、この計画はうまくいくはずがありません。

物事を計画して実行するのに必要な知識や技術は弁論術ではなく、専門知識。この場合であれば建築に関する知識や技術が必要になります。
この公共事業の計画や実行において、弁論術を修めただけの政治家に、一体何が出来るのでしょうか。

この質問に対してゴルギアスは、待ってましたとばかりに持論を展開します。 
確かに、大型建築物を建てる公共事業の計画や実行において必要なのは、建築に関する専門的な知識や技術を持つ職人だが、では、その職人たちに命令を下すのは誰なんでしょうか。
その計画に対してGOサインが出せる権力者だよね。 

権力者は、医術の心得も建築技術も知識も持たないけれども、その事業を行うという決定を下すことが出来る。
アテナイで建築された港や城壁も、実際に計画、実行出来る知識人や専門家に命令を下したのはテミストクレスであり、テミストクレスが何故その様な決断を下したのかというと、ペリクレスが助言したからじゃないか。
実質的には、ペリクレスの意思によって公共事業が行われているのであって、建築の知識を持つ、現場で働く作業員の意思ではないよね。

この一連のやり取りは、よく小中学生が『ひっかけクイズ』として行っていたりもしますよね。
出題者が、『大阪城を建てたのは誰?』と質問をして、回答者が『豊臣秀吉』と答えると、『正解は大工さん』といった遊びがありましたけれども、そのやり取りに通じるものがありますよね。
建築物は、それを建てられるような技術や知識を持つ職人の手によって建てられるわけですが、その職人に命令と給料などの手当を出す人間が居なければ、建築物が建てられることはありません。

ゴルギアスが、人を支配する能力が有ると言っていたのはこの事で、自分自身に能力が備わっていなかったとしても、能力の有る人間に命令を下すことができれば、その能力は自分のものと変わらないという事です。

専門知識なしで本当の支配は出来るのか

しかしこの説明でも、まだ理解できない部分があります。
例えば、権力者が自分の趣味全開でデザインをした建物を作れと、専門知識を持つ職人に命令を下したとします。
その職人は専門知識を元に、その建物が立つ予定の土地の地盤の強度やデザインそのものを見直した結果、強度計算的に無理があるとして拒否した場合はどうするのでしょうか。

他の例でいえば、建築家同士がお互いのプランを競い合うコンペ形式のプレゼンが行われた場合、建築の専門知識を持たない権力者たちは、何を基準にして複数出されたアイデアの中から、もっとも優れたアイデアを選び出すのでしょうか。
専門知識があれば、その知識に照らし合わせて考えればよいわけですが、全く知識なない口が上手いだけの人が、どの様に優れた建築を選び出すのでしょうか。

重要なのは知識ではなく演出

なかなか納得しないソクラテスに対し、ゴルギアスは自分の経験談を語ることで、弁論術の凄さを理解させようとします。
ゴルギアスはその昔、医療現場で医者に反発する患者を目撃したそうです。 医者は、大怪我を負った患者に対して、傷を直したいのであれば傷口を焼く必要があるし、苦い薬も飲まなければならないと説明しますが、患者は納得しません。
医学の知識がまったくない患者にとっては、ただでさえ痛い思いをしているのに、これ以上に痛い思いも苦しい思いもしたくはないというわけです。

しかし医者としては、適切な処置をしなければ患者を見殺しにしてしまうことになってしまう。 医者が途方に暮れていたところにゴルギアスが登場し、その患者を弁論術によって説得させて、治療を受けさせたそうです。
医者は、医術の専門知識を持っていながら、その知識で患者を説得することが出来ずに居たわけで、この無知な患者の前では無力だったわけですが、何の専門知識も持たないゴルギアスが説得したことによって、患者は助かったわけです。
医者の方は、専門知識を持ちながら患者を救うことが出来ない可能性があった一方で、弁論術を身に着けたゴルギアスは、何の専門知識も持たずに命を助けたことになります。

また この例でいえば、そもそも医者が弁論術を学んでいれば、患者をうまい具合に説得できていた可能性も大きいです。
この様に弁論術というのは、人を支配する権力が欲しい者だけが身につけて役立てることが出来る技術ではなく、相手を説得する必要があるすべての職業の人にとって役立つ技術だと主張します。

強力過ぎる武器になる弁論術

この様に、弁論術は相手を説得する場面に遭遇する可能性のある全ての人に役に立つ技術といえますが、有効過ぎる技術であるが故に、その使い方には慎重にならなければならないとも主張します。
例えば、空手やボクシングなどの格闘技の技術は、自分自身の身を守るために有効な技術といえますが、その技術は同時に、相手を攻撃するための武器にもなります。
人を説得する技術というのは、悪用することで簡単に他人を陥れることが出来るため、悪用しないように気をつけなければならない。

だが、使う者が人間である以上、自分自身の我慢が足りないなどの理由で、その力を自分の欲望を満たす為に使って不正を働くものも出てくるかも知れない。
しかし、その様な状態になったからといって、その弁論術を教えた教師の方を責めてはならないと、ゴルギアスは念を押します。 
弁論術を生徒に授けた教師の方は、生徒一人ひとりが良い人間かという事は分からないので。 仮に、大勢の生徒の中の1人が不正を働いたからといって、それを事前に知ることは出来ないだろう。

不正を行うものは、不正を行った当の本人が悪いのだから、責められるのはその人間であって、教師の方ではないということ。 これは、自分自身の立場に保険でも書けているんでしょうかね。

武器が悪いのか 使用者が悪いのか

この主張は、今でいうと銃問題と似ているのかもしれません。銃は本来、力の弱いものが自分よりも強いものに対して抵抗する為に存在します。
アメリカで銃犯罪が多いにも関わらず、銃の所持が認められたままなのは、国が暴走した際の対抗策を民衆側が確保しておくためですし、銃があることで、力の弱い人間が自分よりも身体が大きく力の強い人間に襲われた場合も、対抗できます。
もし銃がなければ、弱い立場に有るものは強いものに蹂躙され続ける危険性すらでてきます。 しかし銃の存在が抑止力になって、襲われる可能性を下げることもあるでしょう。だから、銃そのものの存在は悪いとはいず、良い面も有ると考えられます。

しかし、その銃を使って、無実の人間を一方的に攻撃する犯罪も存在します。この様な犯罪は、銃がなければ起こらなかった犯罪ともいえます、銃そのものを悪としてしまえば、銃の良い面まで失ってしまうことになってしまいます。
こうして、銃の所持を肯定する人間から生まれた言い訳が、銃を使って犯罪を犯す者が悪いのであって、銃が悪いわけではいという言い訳です。
この銃を、弁論術に言い換えると、同じ様な理論となりますよね。

ただ、ゴルギアスが保険をかける為に言った一言が、新たな疑問を生んでしまうことになってしまいますが、それは次回に話していこうと思います。
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