だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast原稿】第61回【プロタゴラス】立派な状態を維持する事は難しい 後編

広告

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
goo.gl

noteにて、番組のサポートを受け付けています。応援してくださる方は、よろしくお願いします。
note.mu

前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

スパルタ人の対話術

ソクラテスによると、この事は、スパルタ人と対話する事でよく理解できるようです。
スパルタ人の中でも、特に優れたところのない平凡な人間を連れてきて議論をした場合、通常時のスパルタ人の返答は平凡なものが返ってくるだけですが、議論が重要な部分に差し掛かると、短く鋭い言葉でもって核心をついてくるそうです。
議論を長々と引き伸ばして、今現在、何の議論をしているのかもわからないようにして煙に巻く事もなく、短く、力強く、誰にでも分かるような言葉で核心をついてくる。

この様な返答ができるのは、本当の意味で立派な教育を受けた人間だけで、このスパルタ式の教育を受けた人間の中には、ミレトスのタレスやピッタコスがいる。
そして、そのピッタコスが生み出した言葉の中に『立派な人である事は困難だ』という言葉が有り、シモニデスは、この言葉を引用したのだと主張します。

ただ、この引用も、尊敬を込めての引用ではなく、この言葉を生み出したピッタコスへの挑戦の意味を込めて引用したのではないかと推測します。
詩の解釈とは直接関係のない話が続き、やっと、シモニデスの名前が出てきたわけですが、ソクラテスは、一番最初に主張した『困難』という言葉の解釈を『悪い』というものから通常で使う意味合いでの困難へと戻します。

一方的な話で主導権を握る弁論術

では、今までの長い話は何だったのかというと、プロタゴラスに対して、ソクラテスなりの反撃だったのかもしれません。
『困難だ』という言葉の意味を、特定の地域では『悪い』という意味合いで使うというところから、スパルタの戦略というスケールの大きな話に超展開をし、結局、今何を話しているのかが分からない状態に陥れることで、聞き手は、ただ聴くことしか出来ません。
利き手側としては、一見、テーマに何の関係もなさそうな事だったとしても、後々、関係が出てくるかもしれないわけですから、変に口を挟んで中断も出来ません。

現にソクラテスは、話の導入部分では、シモニデスの詩の解釈について話し始め、そこから徐々に話題を変えていってます。
言葉というのは、人間同士がコミュニケーションをとる為に生み出された道具なのですが、当然のことながら、地域が変われば意味合いも言葉そのものも変わってしまいます。 人によって意味が変わるという点では、相対主義的なものという見方も出来ます。
言葉には絶対的な意味がなく、その地域で意味が通じるなら、同じ単語であっても意味が変わる場合はあります。 ソクラテスはこれを利用して、現在議論している詩の意味そのものを変えてしまいます。

関係がありそうでなさそうな話をされると、聞き手は、ただ聴く事しか出来ないわけですが、その対話を傍から見ている人は、聞き手がまるで説得されたかのような錯覚に陥ってしまったりもします。
また、口を挟む場合、相手の話が超展開して良く分からない状態になってると、何に対して口を挟んでよいのかも分からない状態になります。
ソクラテスが、ソクラテスメソッドを持ちかける前に、私は記憶力が悪いので、長話されると議論の全体像が分からなくなると言って、ルールを持ちかけましたが、ソクラテスは正に、詭弁化が作り出すその様な状態を再現したのでしょう。

つまり、プロタゴラスはソクラテスが使った手法を使ってソクラテスを追い詰めようとしたわけですが、ソクラテスの方は、ソフィスト達が発展させた詭弁を使って、話を煙に巻いてみせたとも読み解けます。
これは一種の、ソフィストたちに対する批判を込めた行動なのかもしれません。

脳あるたかは爪がミサイル

そして、シモニデスの詩の解釈の話は、いつの間にかスパルタの教育方針へと変わります。
一見すると関係のない話のように聞こえますが、話の内容を聞いていくと、プロタゴラスを始めとしたソフィスト達の行動への強烈な批判が含まれています。

その部分を要約すると、『スパルタ人の中で最も凡庸な人間と議論をしたとしても、アテナイ人のソフィスト達よりも優れている。 何故なら彼らは、長い言葉を使って議論を長引かせたり、相手の集中力を削いだり、議論を煙に巻くといった事をしないからです。
誰にでも分かるような言葉を使い、短く鋭い言葉で核心を突くという行為は、本当に賢い者にしか出来ない』
といっているわけで、これは逆説的に、小難しい長い言葉を並べて煙に巻き、自分の優位な状況を作り出そうと小細工するソフィストたちに対しての皮肉を言ったのでしょう。

立派な状態を維持する事は難しい

この後、ソクラテスは、『本当に立派な人間になる事こそ難しい。』という言葉の中の、『こそ』という言葉を取り上げ、重要なものだと言います。
というのも、先ほど名前を出したピッタコスが作った言葉の中には、この『こそ』という言葉は入っていなかったからです。
シモニデスが詩を通して伝えたい事は、『立派な人間になる事が難しい。』と単に主張しているわけではなく、『何の欠点もない完璧超人の様な立派な人間になる事、こそは、難しい。』と主張しているという解釈をします。

この2つの表現の仕方にどの様な違いがあるのかというと、立派な人間になる事、それ自体は、それほど難しくはないという事です。
前に、概念は単独で存在できるものではなく、対になるものと同時に生まれるという話をしたと思いますが、立派という概念は、それ単体では存在することが出来ず、必ず、その反対の概念が存在します。
仮に、立派という概念と対になる概念が悪いという概念であるなら、常に立派ではない人間というのは、常に悪い人間ともいえますが… 常に悪い状態で有り続ける事は可能なのでしょうか。

また、立派になるという表現があるという事は、悪くなるという表現も存在するということです。
元から悪い状態ものが、何らかの原因で悪くなるというのは、既に転んでいる人間が、何かにつまずいて更に転ぶ事が出来ないぐらい、不可能なことです。
転ぶというのは、立っている人間に可能な事で、転んだ人間が再び転ぼうと思うのであれば、一度、立ち上がる必要が出てきます。 同じ様に、悪い人間が悪い状態を維持しながら、悪くなる事は出来ません。

つまり人間は、悪い状態になり続ける事は出来ない為に、悪い状態と良い状態の間を揺れ動くような存在といえます。
善悪の間を揺れ動くということは、人は、例え短い間であれ、良い状態になる事が出来るという事で、単に良い状態に成るという現象自体は、珍しい事でも難しい事でもないという事なんです。

どんな凶悪な犯罪者であっても、生きている間中、誰かに迷惑をかけ続けて悪を体現し続けることは出来ないでしょう。何らかの拍子に、良い事をする事もあるでしょう。
全体として悪い人間でも、良いとされている行動をとっているその瞬間は良い人である為、どんな人間であれ、良い人間に成る瞬間はあるという事です。

ただ、悪い状態をキープし続けるのが無理なように、良い状態を生涯に渡ってキープし続けることは出来ません。
多くの人から善人と言われている人であっても、ある瞬間を切り取れば、悪人にも成るでしょう。
もし仮に、存在し続けている間、ずっと良いという状態をキープできるような存在があるとするなら、それは神と呼ばれるような概念的な存在だろうと主張します。

詩についての議論は、これで終わり、この後ソクラテスは、このテーマは議論に値しないと言うことをプロタゴラスに対して主張しますが、その理由などについては、次回に話していこうと思います。
(つづく)
kimniy8.hatenablog.com