だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

日本の生産性は高めるべきなんだろうか

広告

去年(2015年)の事になりますが、日本の労働生産性が前年度比1.6%減少し、先進国最低を歩み続けているというニュースがありました。
この話を受けて、日本生産性本部茂木友三郎会長(キッコーマン名誉会長)は、「勤勉な日本が…残念な結果」というコメントを出したそうです。
www.sankei.com

ちなみにですが、日本がどれぐらい労働生産性が低いのかというと、少し前に起こったギリシャ危機で、多くの日本人が散々馬鹿にし続けていたギリシャよりも悪い状態です。
さらにいえば、GDP比率でみた借金の割合も、日本はギリシャよりも悪い状況。
この件については、負債だけでなく資産の事も考えなければならないので、環境の違うギリシャと比べ、一概にどちらが悪いとはいえませんが、どちらにしても、良いとはいえない状況です。

話が少しずれたので、生産性の話に戻しましょう。
日本は先進国中で最低レベルの生産性ですが、これは当然といえば当然の結果なのだと思います。
日本を成長させたいと思う人にとっては、日本の生産性を上昇させることは重要な課題なのでしょうけども、個人的にはこの様な考え方には疑問があります。
今回は、このことについて考えていきます。


単純に生産性を高めたければ、機械化出来る物は機械に置き換えるべきなんです。
単純に、2000人の人間が手作業で行っていた工程を、機械によって自動化し、メンテナンス要因として5人の人間を雇い、2000人を解雇した場合、2000人で行っていた作業が5人でできることに生る為、一人当たりの生産性は劇的に跳ね上がります。
そもそもやらなくても良い仕事を止めるのは勿論のこと、IT技術の進歩によって不要になった仕事も、生産性の向上の為には止めるべきです。
そして、不必要になった社員は解雇すべきなんです。

海外、特にアメリカ等は、技術の進歩によって不要になった事業部や効率化によって減らせる生産部門など、直ぐに閉鎖されます。
これは、法律によって合法化されています。
もちろん、そこに携わる従業員は解雇(レイオフ)される事になります。
この様な行動を起こせば、当然の事ながら企業はスリム化し、生産性は向上します。

一方で日本はどうでしょうか。
その昔、日本では銀行が乱立していた時代がありました。
しかしバブル崩壊後、銀行はどんどん統合されていき、数社のメガバンク地方銀行という状態になっていきました。
そのメガバンクの一つが『みずほ銀行』です。
みずほ銀行は、第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行が合併した銀行です。
合併したなら当然、事業形態の再構築を行わなければ、意味は有りません。

3社の支店が近所に密集している地域があれば、その内2店舗を閉鎖する必要がありますし、経理などの一つの会社に1部署でよいものは、統合していらない社員をリストラすべきです。
しかし実際にその様な行動が直ぐに取れたかというと、実際には取れていません。
3つの銀行の頭取は、それぞれ自分の権力を守りたい為に、同じ会社内で勢力争いを行っています。
覇権争いでは自分の勢力内の社員数というのも重要な要素となってくる為、皆、自分のグループの社員を解雇しようとは思わない。
それぞれの勢力が自分所属では無く、相手勢力の切り崩しを考える為、思ったようにリストラが進んでいません。

これらの覇権争いもそうですが、その他の大きな理由としては、日本では解雇しにくい環境にあるという問題もあります。

日本国内では、会社主導による大量解雇という話を耳にしません。
株式会社というのは、利益の上昇がもっとも優先される目標です。
この目標を達成する為には、シェアを拡大する事も重要ですが、無駄なものを削減するというのも重要になってきます。
しかし、その削減が、日本では行いづらい。

先ほど例に上げた工場閉鎖などによる整理解雇は、正当な理由。
なので、日本でも出来ることにはなっているようです。
しかし現実問題としては、行いづらい。

例えば経理などは、技術の進歩によって自動化出来る部分が多くなり、様々な機器を導入することによって人員を大幅に削減できる水準まで技術は高まっています。
しかし、『この設備を導入するから、経理部を縮小して7割の人間は解雇します』というと、真面目に仕事をしていた経理部職員から不当解雇で訴えられかねない。


では、膨らんだ社員を整理する場合に企業はどうするのかというと、日本では、希望退職者を募るわけです。
しかし希望退職者を募る形式で解雇する場合、やめて欲しい人ばかりを解雇できるのかといえば、そうでも無さそう。
というのも、優秀な社員で他の会社から引っ張りだこになる様な人は、退職後に就職が簡単に出来る為、退職金が多めに貰える希望退職者制度は渡りに船状態。
多額の退職金を貰って、さっさと別の会社に移籍すれば、結構な一時金が貰える分、得する状態になります。

その一方で、今の会社でもお荷物で、他の会社からは到底、声もかからない様な人にとっては、この話に乗ったところで無職になるだけなので、手を挙げ辛い。
結果、会社側が何らかの圧力をかけない限り、優秀な社員ばかりが出て行って、不必要な人だけが残ることになりかねません。

その圧力も万能では有りませんし、特に会社が傾いたから希望退職者を募るなんて会社は、優秀な社員に見捨てられる可能性が高いでしょう。
そうなると、会社の競争力はますます低火することになるので、生産性は低下しがちになります。


つまり、これらの問題を改善して単純に生産性を上昇させようと思うのであれば、必要なのは会社側が自由に社員を解雇できる環境にすれば良いんです。
しかし、この様な生産性の上昇した社会というのが、必ずしも国民の幸せに繋がるわけではないんですよね。

生産性の低い日本の失業率が低いのは、機械で自動化出来る仕事や、やらなくても良い仕事を行っている人達が一定数、存在するからとも考えられます。
日本よりも生産性が高い欧米などをみても、若者の失業率は日本の数とは比べ物にならず、欧州等ではドイツから離れれば離れるほど失業率は増加し、若者の失業率が50%程に高まっています。
会社を効率化しているから生産性が高いと考えると、生産性の高さが失業率の高さに結びついているとも考えられますよね。

この状態が、果たして幸せなのかということです。
日本に限らず、今の資本主義の下では、働くことが義務化されています。
この状況下で生産性の向上だけを求めると、結果として競争に勝てない人が大量に生まれる状態になってしまうんですよね。

この、『働かなければならない』というのが常識の状態では、最初にも書きましたが、生産性を高めることを目指すのに、疑問を持ってしまいます。