だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

最近のマイナンバーの報道について思うこと

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正月明けになって、またワイドショーがマイナンバーについて騒ぎ出しましたね。
その切っ掛けとなったのが、ポイントカードの一元化の提案ですね。

マイナンバーカードに付いているICチップ部分に空き容量が有る為、その空いている部分にポイントカードのアカウント名等を記憶させることで、複数枚にわかれていたポイントカードを1枚で済むようにしてしまおうという考えです。
この発表を受けてワイドショーは、『こんな手を使ってでも普及させたいのか!』と、大変ご立腹な様子。
そして、『落としたら大変なマイナンバーカードを持ち歩かせるとは何事だ!』
『こんな制度を導入したら、誰でもマイナンバーを盗み見ることが出来るじゃないか!』
『落とすなどのリスクを考えると、とても持ち歩けるものではないのにもかかわらず、一体何を考えているんだ!』

と、よく分からない理由をつけて大反対キャンペーンをやっているように思えます。

しかし、頭の悪い私からすると、ワイドショーが何故ここまでマイナンバーの危険性を訴えているのかが理解できません。
マイナンバーに記載されている情報って、住所と名前・生年月日ぐらいで、これらの情報って運転免許証や保険証にも記載されている内容なんですよね。
住所と名前に限っていえば、昔配布されていた電話帳を残していれば、誰でも簡単に知ることが可能です。

ネット上には、昔の電話帳を検索できるサイトなどもあるので、それがバレたところでどんな被害に合うのかが、全く理解できないんですよね。
現にマスコミは、マイナンバーカードを落とした時の危険性を非常に煽っていますが、具体的にどんな被害に合うのかを一切、言いません。
それもそのはずで、住所と名前と生年月日がバレるだけで、今後の人生を生きるのが辛くなるような致命的な事件に巻き込まれるのであれば、大方の国民は既に巻き込まれているんですよね。

また、マイナンバーカードにはあらゆる情報が詰め込まれていて、カードさえ入手できれば、あらゆる個人情報を入手できると思い込んでいる人も多いようです。
『落とすと大変なことになる!!』と連呼するマスコミ情報を鵜呑みにすれば、そう思うのも当然ですよね。
しかし実際には、情報管理にマイナンバーを使うだけ。
実際の情報そのものは、国を始めとしたマイナンバーを利用する機関が独自に所有していて、その情報を呼び出す際にマイナンバーを使うだけ。

これは運転免許証と同じで、運転免許証の中に過去の違反や事故の情報が全て入力されているわけではなく、様々な情報は警察が独自に持っていて、免許書に書かれた数字を元に呼び出しているのと同じ構造なのでしょう。
つまり、今までは住所や名前で呼び出していたものを数字に置き換えただけなので、情報の漏洩リスクという観点から見れば、今までと然程、変わらない。
マイナンバーを導入したからといって、情報が飛躍的に漏れやすくなるわけでは有りません。


というか、そもそもマイナンバーが提案される前に、国民やマスコミは何を言っていたのか。

『日本には、学校から卒業して学生手帳がなくなると、身分を証明するものが無くなる。
身分書がない状態では、レンタルビデオ店の会員にすら成ることが出来ない。
その為、身分証明書を得る為に乗りもしない車の教習所に通って、運転免許証を手に入れなければならない。

その点、海外は、IDという身分証があるので、運転免許証が無くても身分が証明できて良い。』

こんな意見を長年にわたって言い続けていて、いざマイナンバー制度が出来ると、『管理社会に反対!』なんて言い出す。
確かに、行き過ぎた管理社会は、息苦しいかもしれない。
管理社会下では、情報を集める側の立場が強くなりがちなので、それなりの信頼がないと任せられないという気持ちも分かります。

そして、今の政府に絶対の信頼があるのかといえば、私は自身を持って頷くことは出来ません。
ですが、だからといって政府の行うことに全て反対という態度では、何も進展もしないように思えます。


他には、『私たちには名前があるのに、番号で管理されるのは許せない!』とった、よく分からない反論も耳にします。
別にマイナンバーが始まって番号が配布されたからといって、これから先、番号で呼ばれるわけでは有りません。
また、人間性を剥奪する目的で番号が付けられるわけでも有りません。
社会システムを管理する上で、番号で判別した方がミスが少ないから付けられるだけなんですよね。

考えてもみてください。
今までは、住所と氏名で人を判断していたわけですが、これらの情報は時と共に変化する可能性があります。
住所は、引っ越しをすれば当然のように変わりますし、氏名も、苗字が結婚によって変わる可能性があります。
また住所と名前の場合は、たまたま近所に同姓同名が住んでいた場合に、非常に間違いが起こりやすいです。

その一方で、一つの数字を生まれてから死ぬまで保有する場合は、非常に間違いが起こりにくいです。
システムに人が関わる以上、ミスが完全になるなるかといえば疑問ですが、少なくとも住所と氏名で管理しているよりかは、減るでしょう。

ミスが減ったり管理がしやすくなるということは、それはそのまま、管理コストの縮小に繋がります。
国のシステム管理のコストが縮小するということは、無駄な税金が減るということなので、国民的には歓迎すべきことだと思うんですよね。

また、よく考えれば、人を番号で呼ぶという行為自体は既に民間会社で行われています。
例えば銀行に行った時に、窓口受付で順番待ち状態になっていたとしましょう。
銀行は待っている人の氏名を聞いて、順番が来たら氏名を呼ぶでしょうか。

少なくとも私が用事で訪れる銀行では、番号札を取って順番を待ち、番号を呼ばれたら窓口に行くというスタイルをとっています。
この時に、『私には名前があるのに、番号で呼ぶとは何事か!』と怒るでしょうか。
何故、民間サービスでは普通に受け入れて、公的機関になると猛烈に反発するのでしょうか。

さらにいえば、現状でも国民健康保険証や国民年金などは、番号管理されています。
これらを、それぞれ別々に番号を割り当てるよりも、一元管理した方が効率的というだけの話です。
まら、これらの番号は他人に知らせない方が良いに越したことは有りませんが、バレたからといって、即、犯罪の被害にあうなんてことは有りませんよね。


政府が導入するものだから、盲目的に信じて受け入れようというのは異常だと思います。
しかし、政府の導入するものだから基本的に反対というのも、同じぐらい異常だと思うのは、私だけでしょうか。