読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

日本に馴染まない資本主義 1

社会 考え方

最近、『日本的な考えは、資本主義と相性が悪いんじゃないか。』と思うことが結構有ります。
今回は、なぜそう思うのかについて、掘り下げて考えていきます。

日本が世界に誇る考え方って、どのようなものが有るのかなと考えてみると
・もったいない精神
・おもてなし
この2つが思い当たります。

『もったいない精神』は物を大切にしようという考え方で、大量消費社会に対するアンチテーゼ。
地球に有る資源が有限である以上、考え無くてはならない素晴らしい考えです。
『おもてなし』も、私達消費者からすると、低コストでハイレベルな待遇が受けられる為、客としては有り難い考え方でしょう。

しかしこの2つの考え方は、『資本主義』とは根本的に相容れなかったりします。
(誤解のない様に最初に書いておきますが、今回の投稿はこの2つの考えを否定するものではなく、資本主義とは合わないという話です)

一つ一つ、順番に観ていきましょう。

『もったいない精神』は、一つのものを大切にし、使えるものは長く使おうという精神です。
一つのものを買い換えずに長く使う為、消費者の財布にも優しいですし、丹精込めたものを大切に使ってもらえる為、生産者にとっても良いことのように思えます。
生産者にとっても消費者にとっても良い。一見すると素晴らしいものの様に思えますが、本当にそうなのでしょうか。

先日、関西地区で放送されている『ちちんぷいぷい』で、トランプ大統領が登場するせいか、アメリカの生活事情についての特集が行われていました。
そこで、モミの木を生産している農家の方が、木を出荷する為に10年の時間をかけて丹精込めて育てているというVTRが流れました。
この話を受けてパネラーの女性の方が、こんなことを仰っていました。

『私は前にニューヨークに住んでいたことが有りますが、クリスマス時期になると皆、モミの木を購入するんです。
そして、クリスマスが終わると同時に、全ての人が廃棄するんです。
私も現地に住んでいた時には、この行為は当然だと思って真似してましたが、木の生産にこんなに手間ひまかけてたんですね!
当時の自分が恥ずかしい…』
一度聴いただけなので、一言一句間違わずに引用という訳にはいきませんが、このような発言を目を潤ませて行われました。

この考え方は、『もったいない精神』に照らし合わせれば当然の事でしょうし、これを読まれている方の中にも、受け入れられる方が多いのではないでしょうか。
しかし、冷静になってこのケースを考えてみましょう。
このVTRを観て、生産している人の労力を知った結果、物を大切に使おうとモミの木を捨てずに置いておいておき、次のクリスマスシーズンまで水をやって大切に育てて再利用したとします。
結果、この行動によって翌年移行はモミの木を買わなくても良くなりますし、ゴミとして廃棄されるはずのものが捨てられないので、ゴミも減る。
生産者も、自分が育てたモミの木が大切に使われることで、心が温まる。

まさに、win winの関係で、素晴らしい!

しかし実際に起こることは、モミの木の生産者の売上が1本減るという現象です。
もし仮に、全てのモミの木の購入者が廃棄せずに、よく年以降は自分たちで育てるという決断をした場合、モミの木生産者は廃業に追い込まれます。
そうなんです。モミの木の生産者にとっては、翌年も同じ売上を維持するためには、モミの木はクリスマスシーズンが過ぎたら捨てて貰わなければ困るんです。
更にいえば、クリスマス後に大量廃棄されるモミの木を収集するゴミ処理も必要がなくなる為、ゴミ処理業者がクリスマスシーズンだけ臨時バイトを雇ってた場合は、この職もなくなります。

ちなみにですが、私自身が本業が製造業で捨てられることが前提となる製品を生産しているため、業者の気持は良くわかります。
私の場合は小さな工場での製造業で、売上が直接収入と関わってきます。そんな立場の私から言わせてもらえれば、使い終わったものは捨てて貰わないと困ります。

この様な観点から観ると、『もったいない精神』は資本主義と非常に相性が悪いんです。
発展形としては、別のケースも考えられます。
どの大会だったかは忘れましたが、世界的なスポーツ大会が開催された際、日本の観覧席は日本人が自分で出したゴミを持ち帰り、他の国の観覧席はゴミが散乱していたというとこが有りました。
このニュースを受け、多くの人達が『さすが!日本人!』と、胸を張ったと思います。
その一方で、空港などで製品の外装を破ってその辺りに捨てる中国人に対して見下し『民度が知れるw』なんて事を発言したりします。

しかし、資本主義経済の観点から見てみるとどうでしょうか。
スタジアムというのは、汚れることが前提で清掃員を雇っています。
もし、スタジアムに訪れる客全員が、極力、施設を汚さず『立つ鳥跡を濁さず』の精神で掃除して帰ったとしたらどうでしょう。
清掃員は仕事がなくなり、全てではないにしろ、結構な割合の人間が解雇されることになります。
逆に、空港を汚す中国人の行動は、清掃員の数を増やすことに繋がり、仕事を創造しているともいえます。
資本主義的ににいえば、どちらが良いかといえば後者ということになります。

自分で出来る範囲の事は自分でやるというのが日本の美徳なんでしょうが、結果として起こっている現象を見ると、人の職を奪う事につながっていたりします。

【続く】
kimniy8.hatenablog.com

広告を非表示にする