だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第76回【ゴルギアス】負けた奴が悪 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

欲望の力

カリクレスの主張は、一見するとメチャクチャなようにも思えますが、小賢しい理屈を並べて相手を論破しようとする意見ではなく、自分の本心に忠実な言葉であるために、聞く人の心を響かせます。
その為、このカリクレスの主張を理解できる人は多いのではないでしょうか。
人は、幸福になるために生まれてきたといっても過言ではないでしょう。 この世が地獄で、この世界は刑罰を科せられるためだけにあると思ってるような人以外は、皆、幸せになることを目標に生きていると思います。

カリクレスが考える幸せとは、満足感です。 そして、満足感を得るために必要になるのが、欲望です。 お腹が空いている時に美味しいご飯を食べると、お腹が満たされて幸せな気持ちになる。
前から憧れていたオシャレな服を買って、それを着ることで周りの皆から注目を集めることで、満足感を得る。 そして、みんなを支配する権力者を目指して、実際に権力を手に入れる。
物であったり立場であったり、権力などの力を欲しいと思う欲望が先にあって、それを得るために行動を起こして、実際に獲得できた時に満足感を得る。 その満足感の中に幸せがあり、それを追求するのが人の人生だという主張は、納得する人が多いでしょう。

特にいま現在は、資本主義を採用する国が多いですが、資本主義とは欲望を原動力にした経済システムなので、資本主義社会を発展させるために一番必要なのは、技術などではなくて欲望です。
人々の欲望が高まれば高まるほど、人々はより多くのものを欲しいと思うため、多くのものが販売されるようになりますが、販売するためには多くの商品を用意しなければならないので、生産活動が活発になります。
ものを生産する為には、沢山の労働者や生産するための設備が必要ですが、皆が労働者を求めれば、労働市場の需要と供給のバランスによって労働者の給料が引き上げられますし、生産設備の拡張のために土地や建物や機械が販売されれば、更に需要が膨らみます。

みんなの欲望が高まれば高まる程、資本主義経済に参加している人達の給料をはじめとした職場環境は改善していきますし、労働者の給料が高くなれば、労働者達は更に多くのものが買えるようになる為、給料の増加に応じて欲望をスケールアップさせていきます。
人々が欲望を持ち、それを満たすために経済活動を行い、経済活動が活発になることによって労働者の給料が上がり、より多くのものが買えるようになることによって、欲望はスケールアップしていく。
この繰り返しによって、資本主義経済はどんどん膨張していきますし、その経済活動に参加している人達は、より大きな欲望を生み出して叶えていくことで、満足感を得続ける事が出来る。

結果として、経済システムに参加している人達の多くが幸せになるというのが、資本主義の基本的な考え方です。

相対的な幸福

資本主義とは、カリクレスの主張する通りの経済システムなので、このシステムの下で暮らしている人達は、カリクレスの主張をすんなり受け入れることが出来ると思います。
何故なら、仮に、ソクラテスのいう通りに、みんなが足るを知り、欲望を抑えて生きようとした場合、みんなが物を買わないわけですから、経済は冷え込みます。

物が売れないということは、企業は沢山の労働者を雇って生産能力を確保する必要がない上に、利益も出ない状態なので、給料が下げられたりと労働環境は悪化していきます。
まぁ、給料が下がったとしても、人々は欲望は抱かないので、当面の間は生活に困ることはないのでしょうけれども、この状態が行き過ぎてしまった場合は、多くの企業は倒産に追い込まれて、多くの人の収入源が断たれることになります。
こうなると、多くの人が生活保護で生きていくことになりますが、大半の人間が生活保護を受けた場合、財源が無くなってしまうために、国はいずれ崩壊してしまうでしょう。

国が崩壊し、収入が完全に絶たれてしまうと、その日を食いつなぐ事すら困難になりますが、この様な状態が幸せだといえるのでしょうか。
足るを知り、物欲を捨て去った結果、訪れる人生が、その日を食いつなぐことすら困難な人生であるのなら、その様な人生に意味はあるのかと思ってしまうカリクレスの主張は、かなり説得力があります。

では、説得力があるからカリクレスの主張は正しいのかというと、必ずしもそうではありません。 というのも、カリクレスの主張する幸せという価値観は、相対主義的な価値観だからです。
カリクレスは、欲望を満たすことが良い事だとしていますが、そこにタブーを設けてはいません。

仮に、親友の彼女を見て『あの女が欲しい』という欲望が生まれた場合、カリクレスの主張では、親友から彼女を奪って満足感を得ることが良いとされます。
もし、彼女を奪い取れなかった場合は、自分にそれだけの実力がなかったから自分が悪いということになり、奪い取ることに成功した場合は、親友に彼女をつなぎとめておく実力がなかったから悪い。
正義や悪というのは、この世に存在する人の数だけ存在して、その人達の行動の結果によって、善悪が決定するという考え方です。

負けた奴が悪

カリクレスが主張するには、ペルシャの支配者であるクルセクルスがスパルタに攻め込んできた際に、レオニダスは300人の兵士しか用意できずに、負けてしまったのは、レオニダスの力がなかったせいで、彼が悪いという事になります。
ギリシャでオリンピックが開催されていて、その祭り中に争い事が禁止だからといって、神のお告げを聞く神託管が口を出してきたとしても、レオニダスの権力が絶対的なものであれば、神託官は反対しなかったはず。
その反対をねじ伏せることが出来ず、結果として大軍を前に300人という少数で立ち向かわなければならなかったのは、彼に力がなかっただけなので、彼が悪い。

逆に、ペルシャ全土を支配し、大群を率いてギリシャまで遠征してこれたクルセクルスには、それだけの力があったということだから、彼が正義だという考え方です。つまり、負けた方が悪という事です。
では、クルセクルスが絶対的な正義なのかというと、そうではなく、クルセクルス自身も、後にギリシャに敗北しているために、彼は悪とされます。
また個人としても、最終的には側近であるアルタバノスに暗殺される為、側近すら従わせる力がなかったものとして、悪とされます。

欲望を抱き、その欲望を満たすことができれば幸福で、その行動そのものが正義だけれども、欲望を抱いても満たせなかった場合は、不幸になる為に悪となる。
世界はこの様な仕組みになっているから、幸せになりたいのであれば、欲望を満たすための力を持たなければならない。 そしてその為には、権力者に近寄って気に入られるような社交術が必要となるというのが、カリクレスの意見です。

ですがソクラテスは、このカリクレスの主張に納得が出来ず、様々な例え話を駆使して、納得がいかないことをカリクレスに伝えますが…
その話はまた、次回にしていこうと思います。