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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

現代には哲学が足りない

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少し前に、ケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』の漫画版を読んだのですが、そこには、『経済学者は哲学者でなければならない』といった事が書かれていました。
この意見に激しく同意したので、今回は、今の世の中に足りない『哲学』について考えていこうと思います。

ちなみに、ケインズの本の要約と感想はこちら。
kimniy8.hatenablog.com
kimniy8.hatenablog.com

今の世の中に哲学は必要ないのだろうか

私自身は、哲学というものは現代に限らず、どの時代であっても重要な物だと考えています。
そんな思いもあって、哲学を1から勉強し直し、その過程をネットラジオという形で配信していたりもするのですが…
goo.gl

世の中には、そう考えていないような方がかなり多いようです。
まとめサイトなどを読んでも『哲学なんて、何の役に立つの?』といったスレが定期的に建ちますし、飲み屋などで哲学的な問い掛けをしてみても、次の瞬間に『で、答えは?』と言われて、議論すら成立しない状態。
中には、『そんな訳のわからないことを考えるよりも、もっと、生産的なことを考えろよ!』と説教する人まで出てくるします。

多くの人が必要ないと思いこんでいる『哲学』ですが、では本当に、必要ないものなのでしょうか。

哲学とは何なのか

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哲学と聞くと、馴染みのない方にとっては、小難しい学問のように思えますが、実際に勉強してみると、実はそんな事はありません。
具体的に、どういった事を考える学問なのかというと、一言で簡単に説明するのであれば、『ゴールを決める学問』といえるのかもしれません。

マラソンの様な競技でもプラモデル制作などの趣味でも、何にでも当てはまることですが、ゴールが明確に定まっていなければ、進むべき方向もペースもわかりません。
その状態で走り出したとしても、当然、目的地に到達する事も出来ません。
それと同じで、人生における目標が決まっていなければ、自分が進むべき方向もわかりませんし、向かうべき方向がわからないということは、今、何をすべきかという事もわかりません。

ここで定める目標は、単純に、『将来は医者になりたい』とか『弁護士になりたい!』『一生、遊んで暮らせる金がほしい!』といった浅はかなものではありません。
もっと、根源的なもので、答えがあるのかどうかも分からないものです。 それを、自分自身の経験や知識を総動員して考えてゆくのが、哲学といっても良いかもしれません。

自分の夢は本当の夢なのか

抽象的な事ばかり書いていても理解し難いと思うので、例を挙げて少し具体的に書いてみます。
例えば、夢はなんですか?と聞かれて、『ポルシェに乗ることが夢だ!』と語る青年がいたとします。
彼の夢は、本当にポルシェに乗ることなのでしょうか。

例えば、彼の目の前に大富豪が現れて、その青年にポルシェをプレゼントしたとします。 その青年は、自分の夢がかなったので、この世で思い残すことはなく、死を迎えることが出来るのでしょうか。
おそらく青年は、ポルシェを手に入れたら、次の願望を口にしだすでしょう。 では、そもそも何故、ポルシェに乗りたいのでしょうか。
ポルシェに乗りたいだけであれば、高級車専門のレンタカーを借りれば済む話ですが、青年は、それでは納得しないでしょう。 『ポルシェに乗りたい』というのは表面的な願望で、本当の願望は、ポルシェを購入して維持できるだけの経済力なのかもしれませんし、その経済力に群がってくる人々かもしれません。

ほんの少し願望を吟味しただけで、青年の本当の夢は、ポルシェに乗ること自体では無い事が解りましたね。では、青年の本当の夢は、ポルシェを維持できる経済力、そして、それに群がる人々という事に仮定しましょう。
青年の願望はポルシェから、『お金持ちになって、異性など多くの人からチヤホヤされたい』という事に置き換えられたわけですが、この願望も深く掘り下げてみましょう。

経済力とはイコールお金ですが、そのお金は、不正な手段で手に入れても良いものなのでしょうか。お金を手に入れる事だけが最終目的なのであれば、その手段は何でも良いことになります。
グレーな仕事や違法な手段を使ってお金を手に入れ、大金持ちになったとして、それが青年の願望なのでしょうか。それとも、お金は、正攻法で手に入れるべきものなのでしょうか。
不正な手段でお金を手に入れるのを良しとする場合、そうしてまでしてお金を手に入れても、寄ってくる人間が目当てにしているのは、青年自身ではなく、青年が持つお金そのもので、青年の背後に有るお金に対してチヤホヤする事でしょう。
何らかの原因で、青年が全財産を失うなんて事になれば、カネ目当てで集まってきた人は、蜘蛛の子を散らすように消えるでしょう。青年が夢にまで観た『手に入れたかったモノ』は、そんな人間関係なのでしょうか。
それとも、青年がどの様な状態であれ、付き合ってくれる人間関係なのでしょうか。

青年が『不正は駄目だ!正攻法で!』と答えたとして、では何故、不正は駄目なのでしょうか。 捕まって刑務所に入れられるからでしょうか? 仮にそうだとして、絶対に捕まらない方法が有るとすれば、青年は不正を許すのでしょうか。
捕まる、捕まらないが問題ではなく、不正そのものが駄目だとする場合、最終目的には『正攻法で成し遂げられなければならない』という条件がつくわけですが、何故、その条件を付けなければならないのでしょうか。

青年が『正攻法で手にしなければ、他人からの尊敬を手に入れることは出来ない。 私が欲しい人間関係は、私が無一文になったとしても、私の元を去らない様なものだ。』と答えたとしましょう。
では、その人間関係を構築するのに、多額の金は必要なのでしょうか?人から尊敬される手段は、正攻法で多額の金を稼ぐことだけなのでしょうか?
そもそも、何故、人から尊敬されたいのでしょうか? 人から尊敬されることで、『幸福』が得られるからでしょうか?

そもそも『幸福』とは、何なのでしょうか?

この様に、世界に対して興味を持ち始めた子供のように、『何故? 何故?』という疑問を問い続ける事で、自分が本当に求めているものを発見することが可能です。

今の世の中に『徳』はあるのか

この様な考え方は、古代ギリシャのソクラテスが生み出したと言われています。
人は、自分の体の外側の世界に興味を持ちがちですが、そんな中でソクラテスは、自分自身の内面に焦点を当て、徳とは何なのかについて、生涯をかけて考え抜きました。
結果としては、万人に伝えられるような形で言語化された答えは出ず、その後を継いで考えている哲学者も答えには辿り着いていないので、『徳』といったものがどのようなものなのかは判りませんが…

多くの人が分かるように表現するのであれば、『正義』『節制』『善』『勇気』といった、それぞれ別の価値観が持つ、共通する概念の事です。
先程あげた4つの言葉は、それぞれは別々のものを指し占める言葉ですが、共通する概念を含んでいそうですよね。 そういったものが、『徳』と呼ばれるものに近いものだと思われます。

この、『徳』がなぜ必要なのかというと、どんなに優秀なシステムを作ったとしても、そのシステムを利用する人間に『徳』がなければ、そのシステムは上手く機能しないからです。

企業は、利益率を最高レベルに上げる為に、派遣社員を雇って必要な時期だけ雇います。 派遣業者は、そういう企業に人材を派遣してピンはねする事で、多額の利益を上げます。
大企業から発注を受ける中小零細企業は、脅しに近い値下げ要求によって利益を挙げられず、ブラック企業になっていく。 何故、こんな事になるのかというと、投資家が、目先の利益を求めて四半期決算ごとに、つまり、3ヶ月毎に高い収益を求めるからです。
これらのサイクルに関わっている人達に、はたして『徳』は有るのでしょうか?

企業の究極的な目標とは何でしょう? 直近3ヶ月間の高い利益なのでしょうか。 それとも、持続的に利益を稼ぎ出すことなのでしょうか?

経済というのは『循環』です。
大企業が生産供給した商品は、誰が買うのかといえば、さんざん搾取してきた労働者たちです。
しかし、その労働者に満足な対価が支払われていなければ、当然、労働者は消費活動を行うことが出来ません。 消費が行われないということは、当然、企業が生産した物やサービスも売れません。
物が売れない中で、企業が利益を得ようと思えば、仕入れや人件費を削減する以外ありません。 ですが、それらの金を削減してしまうと、消費は更に落ち込んで、企業の売上は更に落ちます。

企業が本来の目的である持続可能な売上増を求めるのであれば、生産に関わる人達には、それ相応の対価を支払わなければなりません。 
市場に潤沢な資金を投入し続けなければ、経済活動は縮小していき、結局は、自分の首を絞める事に繋がります。

『情けは人の為ならず』なんて諺がありますが、自分の利益を追求するのであれば、自分に関わる人達みんなの利益を考える事が、一番の近道です。
労働者や下請けから、恫喝まがいで搾取しても、その企業のファンは増えずに、恨まれるだけです。皆から恨まれている企業が、未来永劫、存在し続けることが出来るのでしょうか。

この様なサイクルは、主に資本主義の国で起こりがちですが、そもそも国が資本主義を採用しているのは、何故なのでしょうか?
資本主義を採用することが、国民の『幸福』に直結すると思ったからではないのでしょうか? では、その資本主義の国に住む私達は、幸福なのでしょうか?

国家運営にしても企業経営にしても、その根幹の部分から『徳』が失われれば、最終的には破綻します。そして現在、そうなりつつ有ります。
こんな時代だからこそ、もう一度、哲学を勉強すべきなのではないでしょうか。