だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

学校の授業は、何故つまらないのか。 (後編)

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今回の投稿は、前回の続きとなっています。
まだ読まれていない方は、先ずそちらから読まれるよう、お願い致します。
kimniy8.hatenablog.com

また前回も書きましたが、今回の投稿は、学生時代に勉強が嫌いで『つまらない』と感じていた人間の立場から書いています。
勉強が好きで、自分で教科書を読んでいるだけでドンドン成績が上がっていったような人は共感できませんので、そもそも読まないか、勉強嫌いの人がどのように感じていたかを理解してやろうというスタンスで読んで頂けると助かります。

良く、学校の勉強が『つまらない』『嫌い』と感じている人は、勉強の大切さが気がついていないから、やる気が出せなかっただけという話を聴いたりします。
ですが私は、社会人になってから勉強の大切さを痛感し、『このままじゃ駄目だ!』と思って勉強を始めたにもかかわらず、学校で行っているような勉強は『つまらない』と感じで5分で睡魔に襲われたので、勉強が『つまらない』のには他の原因が有るのではないかと思い、自分の感じたことを整理してみました。
結果、大きく分けて3つの原因にたどり着きました。

それがこれ
・暗記に重点が置かれすぎている
・教科書は事実の箇条書きで、単体で理解するのは難しい。
・授業の大半は、教科書の補足説明を教師が黙々と黒板に書き、生徒はそれをノートに書き写すだけで終了する。

(私が社会に出てから勉強しようと思った科目は『歴史』なので、基本的に歴史の勉強について思ったことを書いていきます。)

まず、一番最初の暗記です。
暗記は、勉強においては基本中の基本なので、暗記が必要ないといっているわけでは有りません。
特に理系や英語などは、基礎的な部分の暗記は必須で、暗記しなければ始まらないという事も理解しています。

重要性自体は理解しているのですが、暗記そのものに偏りすぎている気がしてなりません。
歴史などは、年号の暗記をしておくと便利なことかもしれませんが、本当に重要なのは、当時を取り巻く環境がどういう状態で、その中でどのような決断を迫られ、実行したのかが重要なのではないでしょうか。
『歴史は繰り返す』なんて言いますが、人が考える事はそこまで大差がない為、環境が似ていれば、似たような決断を下してしまう場合が多い。
過去に下した決断がが正しい判断なら良いですが、間違っている場合は『同じ間違いを繰り返さない』為にも、歴史を学ぶ必要があります。

しかし、私が学生時代に受けた授業を振り返ると、◯◯年にこの人物がこんな出来事を起こしました。
『ここ重要だから(テストに出るから)暗記しておいて』という授業が大半でした。
そこには物語性もなく、ただただ出来事を丸暗記するだけの作業を押し付けられていたという感じしか受けなかった印象があります。

次に、教科書は事実の箇条書きで、単体で理解するのは難しい。
これは、先ほど書いた暗記の話にもつながるのですが、教科書は基本的に、暗記すべき事柄を箇条書きで書いてあります。
この書き方は、大きな流れを理解して把握している人間が読む場合は、短時間で大きな流れをおさらいできるので、非常に便利な書き方だと思います。
しかし、何の知識もない人間が読む場合、これほど退屈なものは有りません。

ロザンという漫才コンビの宇治原さんは、『教科書には大切なことしか書かれていないのだから、丸暗記すれば良い』と仰っていますが、それが出来るのなら苦労はしないんです。
大抵の人間は、箇条書されたマニュアルのようなものを何冊も暗記するなんて事に労力を使いたくないんです。
というか、『これに書かれている事は重要なので、インストールしておいてね』って、ロボットか?って感じですよね。

ただ教科書自体は、教師の解説が入ることを前提に書かれているので、『教科書を読んだだけで理解が出来ない』という批判は、酷かもしれません。
教師が解説を挟むことで理解できるように作れ!という命令が下っている可能性もありますしね。
それに、日本史にしても世界史にしても、あれだけ長い時間に起こった事で重要な出来事の大半を網羅し、且つ、数百ページで終わらせようと思うと、箇条書きになってしまうのもしかたのないことなのかなと。
冊数を増やして対応するという考えも有りますが、そうすると教科書代が結構な値段になってしまう事も考えられますしね。

こういう事も考慮すると、重要になってくるのが、解説をする教師の役割です。
重要な事が箇条書きで書かれている本を、より理解して覚えやすくする為に解説を加える。
授業が面白くなるつまらないと感じるかは、この解説の良し悪しで決まると言っても過言では有りません。

では学生時代、どのような授業が行われていたのか。
私が覚えている範囲では、教師が黒板に文字を書く。
     ↓
生徒は、黒板に書かれた内容をひたすら書き写す。
     ↓
生徒が書い写し終わると、教師は書いた内容を読んで、若干の注釈を加えるという感じ。
これが何サイクルか繰り返されると、授業が終了するという感じでした。
教師が生徒に背を向けて黒板に文字を書いている時間が結構長く、授業の半分ぐらいは、文字を書いているだけで時間が過ぎていた記憶があります。

教師側には1年間で進めなければならないペース配分などの都合がある事は理解できるのですが、そのペースを守ろうとする余り、『教える』というよりは黒板に書く作業になっていた印象が強いんですよね。
そして、ひと通り書いた後に『ここがテストに出るかもしれない』と暗記を促されて、その部分を覚えるだけ。
これなら、黒板に書く内容を紙に書いてコピーして配ってくれた方が、教師も生徒も書く作業から開放されて、効率が良いようにも思えてしまう。

教科書を読み、黒板を書き写し、指定されたところを丸暗記。
これでは、つまらないと感じて当然のように思います。
この様な授業を受けた人の大半は、学校卒業と同時に授業内容を忘れるでしょう。
全てを網羅する為に重要箇所を箇条書きにして丸暗記を強いた結果、暗記が必要なくなると全てを忘れる。

この様な勉強は、教養を身につけるという点では無意味でしょう。
多くの人の記憶に残らないわけですから。

こんな勉強を数年間かけて行うのであれば、みなもと太郎先生の描く『風雲児たち』(関ヶ原~幕末にかけての歴史漫画)を47巻読破した方が、興味を持って読むことが出来て大まかな流れが理解できる分、はるかに役に立つでしょう。
全体的な大まかな日本の歴史を学ぶのなら、石ノ森章太郎先生の『マンガ 日本の歴史』を読めば良い。
マンガで説明されている程度では、大雑把すぎるという批判も有るかもしれないが、そもそも学校の授業では何も頭に残らないのだから、大雑把にでも残る方が後の人生を考えると良いでしょう。

この差はどうして生まれるのかというと、興味を惹けるかどうかの差だと思います。
漫画の方は、子供の興味を惹く事を中心に考えられて創られていますが、学校の授業や教科書が意識していることは、1年間で進めるべきスケジュールであって、受講する側の興味や理解は2の次になっているからだと思います。

個人的には、どうせ卒業した後は忘れるのであれば、取り扱う範囲を狭く浅くして、余った時間で子どもたちの興味を惹く努力をしたほうが良いのではないかと思います。
興味さえ持てば、人には好奇心が有るんだから、学生の何割かは自発的に本を読むなりして知識を広げるのですから。