だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

ロッキーとポーリーの関係

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先日、ロッキー1とFINALについての感想や考察を書いた所、ぶたおさんや、もてらじ村民のまつぞーさんから、2~5も観るべきと助言をもらったので、観てみました。
という事で今回は、ロッキーシリーズについての感想・考察を行っていきます。



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ロッキーシリーズを観ていて不思議に思うことの一つが、ポーリーの存在です。
ポーリーは、はっきり言って人間のクズです。
欲望の赴くままに行動し、人を巻き込んで迷惑をかけ、それに反省する事も懲りること無く、同じことを繰り返し続ける。

普通の人間であれば、とっくに愛想を尽かされ、誰からも相手にされずに野垂れ死にするでしょう。
しかし実際には、ポーリーは最後までロッキーと一緒に行動し、見放されること無く、時には良い目に遭いながら過ごします。

ロッキーのシナリオや人間描写が素晴らしいのに、何故こんなクズを体現したような人間がいるのか。
そして何故、見放されること無く暮らしていけるのか。
最初は全く理解できませんでしたが、今回、全てがすんなり理解できる様な読み解き方が分かりました。

それは…

ロッキーとポーリーは同一人物だからだったんです

同一人物だと仮定すると、全てがすんなり理解できる。
そして、ロッキーを全く違った観点から楽しむことが出来ます。

余りに言葉足らずだと思うので、もう少し説明を付け加えましょう。

ロッキーとポーリーは、同じ人間の表と裏
ロッキーが理性・建前であるなら、ポーリーは欲望・本音という事です。
よくマンガやアニメ等で、一人の人間の本音と建前を、小さな天使と悪魔を使って口論させる事で、心の葛藤を表現するという方法があります。
その心理描写で表現するなら、ロッキーが天使でポーリーが悪魔。

この2人が討論し、論破した方が主導権を握る。
こう考えると、ポーリーの存在が自然と受け入れられるんですよね。
というか、この様に考えなければ、ポーリーの存在がクズ過ぎますし、逆にロッキーが善人過ぎます。

この様な視点でみると、今までと違った見方が出来ます。

例えば1stで、ポーリーは自分の妹であるエイドリアンに罵声を浴びせ続けます。
『いつも地味な格好をしやがって、たまには外に出ろ』
『愛想よくしろ』
その一方で、ロッキーに対しては
『デートに誘って釣れだしてやれ』
『冗談を言って笑わせてやれ』
と声をかけます。
そして冷たくされ、馬鹿にされると、バットを振り回して暴れ、こう言います
『もっと俺に優しくしろよ。』

普通では全く理解できない行動ですが、これがもし、ロッキーの本音だったとしたら?

ペットショップでいつも声をかけ、優しい言葉をかけているのに愛想よくしてくれない。
食事に誘っても応えてくれないし、冗談をいっても大したリアクションをしてくれない。
そんなエイドリアンに対して、ロッキーが本音で『もっと愛想よくしろよ』『これだけ想ってるんだ、行動で表現してるんだから、もっと俺に優しくしろよ
と思っているんだとしたらどうでしょう。

ロッキーという映画は、ボクシングだけでなくエイドリアンとの恋愛要素も含んでいます。
恋人であれば、お互いの本心をぶつけあって喧嘩をすることもあって当然だと思いますが、エイドリアンとロッキーは喧嘩らしい喧嘩をしません。
意見の違いから反発しあうことはあっても、取り乱したりはしないのです。

その一方で、エイドリアンが本気で喧嘩するのはロッキーではなくポーリー。
ロッキーの本心の象徴がポーリーだとすれば、ポーリーと頻繁に衝突するのも頷けます。

それらの表現を、解りやすく露骨に入れてしまうと、ロッキーが本音では下衆という事になってしまう。
その為、敢えて時系列などを変えることにより、一見するとわからないような感じで、1人の人間の心理描写を2人の役者を使って表現しているのではないでしょうか。


他にも例を挙げてみましょう。
ロッキー2で、ロッキーはファイトマネーを散財してしまい、生活を維持する為に働かなければなりません。
そんな姿を観て、昔の馴染みのマフィアの人間が、もう一度自分のもとで働かないかと持ちかけます。
ロッキーは結婚した手前、世間体を木にして申し出を断り、肉体労働などの過酷な仕事を選ぶわけですが…

その一方でポーリーはどうでしょう。
ロッキーに紹介してもらったマフィアの仕事をして、並以上の暮らしぶりをしているように見えます。
良い服を着て、ロッキーが生活苦の為に車を売りに来た際にも、二つ返事で車を買い取ります。

あのポーリーの姿、世間体を気にせずマフィアの申し出を受け入れていたら…といった、ifの世界のロッキーの姿と考える事は出来ないでしょうか。
プライドを捨ててマフィアの手先になれば、良い服も切れるし車も手放さなくて良かった。


この様な視点で見ていくと、重要な場面では、ロッキーの隣には必ずポーリーがいて、何か決める際には討論をします。
そして討論が終わり勝敗が決まると、ロッキーは勝った方の理論に従って動く。
元々1人の人間の葛藤を2人の役者が演じているわけだから、どんなにポーリーがクズであったとしても、見捨てるという選択肢はありません。

ドラゴンボールの神様の様に、修行で悪の部分だけを無くすことなんて、普通の人間には出来ないんですから。

どんなにクズで未熟で、どうしようもなかったとしても、受け入れて一緒に生きていくことしか出来ないんです。
前回の考察では、ロッキー=スタローン本人という仮説を立てましたが、若干修正する必要があるようです。

ロッキー+ポーリー=スタローン本人

この様な見方をすると、清廉潔白過ぎて感情移入しにくいロッキーと、自由過ぎて理解できないポーリーの事が、若干身近に感じられるのではないでしょうか。
だって、誰にでもロッキーの様な建前は持ってます。
そして、表に出さなかったとしても、ポーリーの様などうしようもない面も持っているのですから。