【本の紹介】 ウェブ社会のゆくえ
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今回紹介する本は、http://amzn.to/2lf1v0L
この本は、TBSラジオで放送されている『文科系トークラジオ LIFE』という番組でメインパーソナリティを勤めている、チャーリーこと鈴木 謙介さんの著書です。
どんな方かというと、テレビやラジオにも結構出演されいる社会学者の宮台真司さんの弟子のような方?で、この方も社会学者をされています。
知ったキッカケは、ラジオ(Podcast)
私の趣味がラジオ・Podcastを聴くことで、『文科系トークラジオ LIFE』も人気でランキング上位だった為、このラジオをPodcastで聴いていました。
(今はTBSラジオの前番組がPodcastから撤退した為、別アプリのラジオクラウドでしか聴けない。)
その番組の中で、自身の本という事で頻繁に名前が出ていた為、試しに買ってみたというわけです。
本の内容は、前半と後半で書かれている内容が結構変わります。
前半部分は、ウェブの中でも特に人と人のつながりに関係するSNSやIT技術についての解説や、それにまつわる問題。
その他に、サブタイトルになっている『多孔化』についての解説となっています。
SNSにまつわる問題とはどのような物かというと、SNSを通して個人情報を抜かれるという問題。
ソーシャルメディアは、人と人の繋がりによって成り立つメディアなので、その構造上、人間関係が明らかにされる。
また、何処でどんな食事を食べたなどの情報を写真付きでアップロードするということは、その人物がどんな趣味趣向を持ち、どんな行動を行っているのかが筒抜けになります。
多くのSNS運営は無料で行われていますが、運営側はこの様な情報を元に効果的な広告を載せるなどの手段で利益を出す為、結果としてSNSは無料で使えるのではなく、個人情報を売却した対価として使えている云々。
その他には『携帯依存』『SNS疲れ』といった、利用者視点の問題の解説なども行われています。
多孔化とは、感覚として様々な場所に窓が空いている状態。
現代は、スマートフォンという機器が生まれて、いつでもどこでもウェブに繋がれる状態になっています。
例えば、人と会うという状態を考えてみましょう。一昔前では、人と会う状態では会っている人と同じ空間・時間を共有するしている感覚が強かった。
しかし今では、例え人と有っていたとしても、facebookやTwitterといったSNSにアクセスする事が可能となっています。
この状態では、人と会っている状態でありながらWeb上の人達と繋がる事が可能になる。
言い換えるなら、人と会うというのは限定された空間を共有している為、一種の部屋に入っている状態ともいえます。
多孔化するとは、その部屋に数多くの窓が空いている状態。人と一緒の空間を共有しながら、窓を通して他のものとも繋がれる状態ということらしいです。
しかしこうなって来ると、現実としての空間の意味や役割といったものが薄れてしまう。
身近な例でいえば、現実社会で同じ空間を共有している状態。具体的には、デート中などで二人っきりの空間なのに、しきりに携帯電話を気にする・見るという行為。
携帯電話が無かった時代であれば、2人で同じ空間にいる時には、相手と話すぐらいしか選択肢がない。
しかし現在では、スマホという様々なつながりに瞬時にアクセス出来る機器が身近にある為、そちらの方に気が取られてしまう。
携帯に気を取られる度合いは人それぞれでしょうが、仮に注意を30%取られているとすれば、二人でいる空有間の意味は70%にまで低下してしまう。
これは当然で、昔は合わなければ近況報告すらまともに出来なかったのが、今ではSNSで気軽に出来る。
この為、昔に比べて話さなければならない事が圧倒的に少なくなる。
『この前、こんな事があって~』と話しはじめた所で、『facebookに書いてたよね』といわれて会話が終了してしまう。
またSNSは、多くの人ができるだけ多くの人から『いいね』を貰おうと、一生懸命、頑張って写真を取り、文章を考え、時には事実を盛ってまで注意を惹こうとしている為、そこそこインパクトの有る投稿が並ぶことになる。
しかし実際に会って話す場合は、目の前の人物しか聞く人がいない。
同一空間を共有している目の前の話し手は普通のテンションで話すので、聞き手はその会話に特に魅力を感じない。
この様な空気では、話し手もテンションが上がらないし、聞き手も退屈。SNSを見てる方が、まだ、面白いとなってしまう。
話し手側は、相手に聞き手という役割を押し付けているわけだが、聞き手はSNSに夢中になって役割を放棄する為、怒りが生まれる。
現実で会っている人物のどちらかに、SNSの投稿では伝わらない様な話し方や話題が有れば現実空間の意味も保てるのでしょうが、大半の人はSNS以上の話題も話術もない為、こんな事になってしまう。
これと同様に、空間やシチュエーションの意味や役割というのは、新たな機器や時代によって変化して変わっていく。
例えば観光旅行なども同じで、ネットで大量に情報が得られる現在では、観光はより消費職が強くなる。
旅行前に事前に行きたい場所をピックアップし、旅行ではそのスケジュールをひたすらこなし、移動時間で更なる情報を得る為に、スマホにかじりつく。
旅ではなく、体験を消費しに行く事に置き換わり、『旅』が持つ意味はどんどん薄れていく。
これだけでなく、昔から続く儀式なども、時代を重ねる毎に役割や意味合いは薄れていき、その儀式の存在も薄れていく。
では、意味や役割の象徴でもある昔からある文化などは、どんどん時代から切り離されていき、存在意義を失ってしまうのか。
この解決策が、後半に書かれています。
詳しい説明は本に書かれいますので、詳しくは本を読んでいただきたいのですが、簡単にいえば、意味の上書きです。
様々な行動が生まれたのには、それなりの理由と役割が有ります。
それが時代が進むに連れて意味合いが薄れるのであれば、その意味を現代に合うように上書きすれば良い。
これまた、言うは簡単だが実行するには色々難しそうな解決手段。
著者である鈴木さんの意見は色々と書かれていますので、興味を持たれた方はそちらを読んでいただきたいのですが、私が勝手に解釈したものを先程のデートの際の携帯チェックの例に当てはめてみると、モンハン等が解決策になるのかもしれません。
二人っきりのデートなのに会話が弾まずに携帯から目が離せないのは、そもそも二人でいる事に刺激がないから起こる事。
じゃぁ、二人で居る意味をそこに付け加えれば良い。
モンハンというのはモンスターハンターの略で、巨大なモンスターを狩るゲームなのですが、ゲームの難易度が高くて一人で倒すには限界が有ります。
そこでこのゲームには、皆で集まって最大4人で協力プレイを行うことが可能です。
このゲームをプレイするという名目で集まれば、少なくとも、片方が携帯に夢中でもう片方が取り残されるなんて事は無くなるでしょう。
『携帯は見なくても、互いにゲーム画面ばかり見るんだから同じでしょ。』と思われるかもしれませんが、全く違います。
というのも、携帯の場合は多孔化により生まれた窓の先を見ているので、一緒にいながら意識は別のところに飛んで行くため、片方が取り残されるという現象が起こります。
しかしモンスターハンターのような協力ゲームの場合は、片方が窓の先に行くのではなく、常に共同作業を行っている状態なので、同じ目標を達成するために声を掛け合います。
困難な敵に何度立ち向かっても勝てない場合、ゲームを一旦側において、どうやったら勝てるかなどの会話も生まれるでしょう。
何度も書くようですが、片方が携帯を見るなど他の窓に逃げるのは、現実にいる空間がつまらないと考えているから。
共通の話題もないし、互いが知りたいと思うこともないから起こる現象です。しかし共通の目標を設定することで、現実空間に意味が出てきます。
コミュニケーションを取らなければならない理由が生まれます。
今の社会では、単に集まって近況報告をするのに実際似合わなければならない意味なんてありません。その空間を意味有るものに変えるためには、2人の共有空間に意味を付与するしか無いということなんでしょう。
私の読解力がなさすぎて、理解できていない所や間違った解釈をしている部分もも多々あるとは思いますが、全体として書かれていることは、web社会の登場によって社会が多孔化した事。
多孔化する事により、それぞれの空間の持つ意味や役割が変化、もしくは薄れてしまった。それを解決するためには、それぞれの空間の持つ意味を時代に会ったもので上書きして今日こにすべきって感じのことが書かれてます。
本の方では、この様な狭いブログスペースではなく多くのページ数を割いて解説されているので、興味をもたれている方は一度目を通してみてはどうでしょうか。