だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

Rez infinite をプレイして感じるヒッピーっぽさ (1)

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先日のことですが、Rez infinite というゲームソフトを購入しました。
このゲームは、ジャンルとしては音楽シューティングという部類のゲームで、最初は音楽がほぼ無い状態でスタートするのですが、敵に対して攻撃をしたり、敵を倒したりすると音が鳴り、最終的には壮大な音楽になるという感じのゲームです。
シューティングゲーム音ゲーを合わせたような感じのゲームと言えばよいのでしょうか。

ゲームとしては単純なもので、敵をロックオンして弾を撃つだけ。
ロックオンさえしてしまえば、弾が外れることも無く、自機を自由に動かすことが出来ないため、自機を動かして弾を避けるということも無ありません。
画面の敵をひたすらロックオンしていくスタイルなので、慣れれば誰でもクリアーできる感じの難易度のゲームになっています。

このゲームですが、元々は2001年に発売していたものを、PSVRが発売したタイミングで、新ステージを追加して再販したもので、新ステー以外は特に作り直しもしていない様子。
グラフィック的にもレトロな感じで、ここ最近の実写と見間違うようなグラフィックとは逆の方向性で作られている感じのゲームです。

このRez infiniteですが、とにかく、評価が高い。
発売されてからというもの、色んな所でタイトルは見聴きするのですが、正直、動画を見ているだけでは、何が凄いのかが全く分からない。
グラフィックは凄いとはいえないし、シューティングゲームとしての爽快感があるのかも疑問。
しかし、いくら考えてもわからないので、値段的にも3000円程度と高くなかった為、購入してみました。

その結果…
物凄かったです!
私は少し前から、ヒッピー文化について興味を持っていて、その辺りの事を偶に調べたりするのですが、このゲームは正に、ヒッピーの世界観をイメージとして伝えている感じがして、非常に興味深く、プレイ後はテンションが結構上ってしまいました。

という事で今回は、Rez infiniteをプレイして、何故、ヒッピーっぽいと思ったのかについて、書いていこうと思います。
一応、最初に書いておきますが、私は最近になってヒッピーについて軽く調べた程度なので、私の認識が間違っていたり、単なる知識不足のところも多いと思います。
その事を考慮した上で読んで頂けると幸いです。

ヒッピーという言葉は知っているけれども、具体的にどんなものなのかを知らない人達って、結構多いと思います。これを書いている私も、そんな人間の一人でした。
簡単に説明すると、ヒッピーというのは、1960年頃から始まった、自然と愛と平和とセックスと自由を掲げた運動に参加していた人達です。

では何故、こんな運動が起こったのか。
それは、欧米の文化を作り上げてきた、常識や宗教観といったものへの漠然とした不満が、大きな原因だったのでしょう。

欧米社会というのは、基本的にはキリスト教の考えがベースとなっている社会です。
神は、自分の姿に似せて人間を作ったと信じていたし、その人間の中でも、白人は特別な存在で、他の人種よりも優れていると信じていた。
異教徒は弾圧されて当然だし、有色人種は奴隷にして堂々を押し付けても問題はなかった。
神に似せて作られた人間は、自らが暮らしやすいように、自然を支配し、自分達の思うように作り変えて力を示すことが当然だと思っていました。

この様な考えに対し、当然、世界観に乗っかる形で力を示していた人達もいたわけですが、『おかしい』疑問に思う人達も当然のように出てきます。
また、科学も発達していくことで、宗教の教えとの矛盾もどんどん明確になっていきます。

例えば科学でいうと、キリスト教社会に一番大きな影響を与えたのは、進化論でしょう。
今までの常識では、人間は神が自分の姿に似せて作った特別な存在だったわけですが、進化論の登場により、人間は特別な存在ではなく、ただの猿が進化した結果だという事になってしまいました。
これにより、今まで自分達は特別だと思っていた常識が崩れ、自分達も他の動物達と同じ存在にまで落ちることになってしまいました。

キリスト教の教義では隣人愛を訴えていますが、自分達の生活を見直してみると、つい最近まで黒人を奴隷として使っていたし、有色人種は継続して見下している。
黒人奴隷を開放した理由も、人権と言った観点からではなく、単純に、製造機械の発達によって労働者が余り出した為、リストラする為に開放したに過ぎない。
これらの一見矛盾する行動に対し、教義と整合性と取るために、有色人種は人間ではなく道具だと言い聞かせ、常識レベルにまで刷り込むことで、差別を正当化してきましが、進化論の登場により、有色人種も白人も、元を辿れば同じ猿だということになってしまいました。
こうなって来ると、話が変わってきます。
自分達は特別な存在ではなく、ありふれた存在で、生まれながらにして見下して良い人間なんて存在しないということになってしまいます。

一度、疑問が生まれてしまうと、それをキッカケとして、更なる疑問が生まれてしまいます。

今までは、自分達の生活を豊かにするために、他国に喧嘩を売って攻め込んで、植民地とすることで豊かな社会を築き上げてきたわけですが、攻め込んでいた国に住む異教徒達は、悪魔でも生命のある道具でもなく、同じ、猿から進化した人間だった。
ここで、帝国主義に対する疑問も生まれてきます。
また、イギリスがインドを征服して植民地化したことによって、インド哲学の英訳本がキリスト教圏に流入することになります。
西洋哲学とは全く違った真理へのアプローチは、一部に衝撃を与えることとなります。

また、資本主義による競争社会により、白人の中でも、貧富の差が生まれてくる。
朝から晩まで働き、子供まで労働にかり出しているのに、その日、食べる食料を稼ぐのがやっとの人達がいる一方で、資本を右から左へ動かすだけで、貧困層がまる1日働いてえるお金を、1日で稼ぐ人達がいる。
働いても働いても格差は広がり、富めるものはより豊かになっていく。
ここで、成長し続けなければいけない資本主義、そして、成長の為に大量に製造して大量に消費し続けなければならない社会に対しても疑問生まれてきます。

この疑問・不平不満がが一気に爆発したのが、ベトナム戦争です。
アメリカの国土が攻撃されたわけでもない、共産主義と資本主義の代理戦争の為に、わざわざ外国まで兵器を担いで戦争しにいくという行為に、「正義無きベトナム戦争」と市民が立ち上がり、反戦運動へと発展していきます。

兵器を持つより花束を。
若者たちがペンタゴンを取り囲んだ際、ペンタゴンを守る為に、国は自国の若者たちに銃口を向けるわけですが、それに対して若者たちは、銃口に花をさすという方法で抵抗を行います。
徴兵制度や派兵に反発した若者達は、『自然と愛と平和とセックスと自由』を掲げ、単なる反戦運動ではなく、今までの常識に疑問を投げかける運動へと発展していきます。

【つづく】
kimniy8.hatenablog.com