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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

『神の見えざる手』に対するカウンター ケインズとは

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私は昔、株式投資をやっていた頃に、独学ではありますが、それなりに経済について勉強した時期がありました。
当時は、主に株式に寄せた勉強をしていた為、それぞれの経済学者が書いた本を読むといった事はしていなかったのですが…
先日、まんがで読破シリーズのセールが行われていて、Kindle版が1冊10円で販売されていたので、改めて読んでみたので、その内容紹介と考察を書いていきます。

ケインズとは

本名:ジョン・メイナード・ケインズ
少しでも経済を勉強したり経済系の番組などを見ていれば、一度は、目にしたり聴いたりしたことはある名前だと思います。
この方の主張を積極的に取り入れている人などを、『ケインズ主義』なんていったりもしますよね。

では、この方は、どんな主張をした事で有名になったのか。 その事を、1から10まで分かりやすく説明されているのが、先ほど紹介した本だったりします。
有名なものでは、株式投機を美人投票に例えたりして、分かりやすく説明したり…
『不況の時には、公共事業をすれば良い。事業のネタがないのであれば、穴を掘ってアナを埋めれば良い』といったものがありますよね。

様々な発言で有名になっているのですが、この方を表舞台に引っ張り出したキッカケというのは、古典経済学の否定と、新たな経済学の創設です。

古典経済学とは

古典経済学とは、その範囲も居広いのでしょうが、先程溶解した本で説明されているのは、主に、アダム・スミスが国富論で主張した理論です。
おそらく最も有名な話として世に広まっているのは、『見えざる手』によって経済はバランスを保っているので、その経済に手を加える必要は無いという主張です。
自由放任主義ともいえる主張で、これが本当であれば、なんの為に経済学者が存在しているのかが理解出来ない様な理論ですが、ケインズが登場するまでは、この主張が王道でした。

では、『見えざる手』とは何なのかというのを簡単に説明してみましょう。
経済というのは、基本的には需要と供給で成り立っていて、『需要』と『供給』が合致したところで、『価格』が決まります。
商品の『価格』が安すぎれば、買いが殺到して、商品の供給が間に合わなくなる為、価格が上昇する。 価格が上昇すると、消費者の『買いたい気持ち』が減少していき、需要が減る。
価格の上昇と需要の減少が『丁度良い所』まで下がったところが、商品の適正価格という事。

つまり、商品価格というのは価格がついている時点でバランスが取れているという事になります。
この、バランスというのは全てにおいていえることで、誰かが『こんな商品が欲しい!』と思えば、そこに商機が生まれるわけだから、自ずとその商品を作る企業が生まれる。
逆に、世の中に必要ないと思われているモノやサービスは、取引が成立しない為、市場から無くなる。

経済は自然とバランスを取ろうとするものなのだから、仮に、不景気といったイレギュラーな事が有るとすれば、それは、国が余計な規制をしているせいだから、国は規制緩和を積極的にすべき。
といった感じの理論です。
民間が出来ることは民間に任せて、国は、文化を守るとか、青少年の教育。 直ぐに利益に直結しないような、科学技術の研究といった事に専念すべきだとしました。
これをそのまま実行したのが、日本でいうと小泉政権ですよね。 規制緩和をしまくって、派遣労働者を単純労働にも使える様にしましたが…

その結果、今現在はどうなったでしょうか?

世界恐慌

アダム・スミスが提唱した自由放任主義が、そのまま上手く機能していたのであれば、ケインズは新たな説など作る必要はありませんでした。
しかし実際には、ケインズが生きた時代に世界恐慌に突入してしまいます。 町は失業者で溢れ、失業率は25%まで上昇。 経済は、全くバランスを取ろうと頑張ってくれません。

そこでケインズの妻リディアは、ケインズに、こんな感じで質問します。『何故、町に失業者が溢れているの? 景気は良くなるの?』
ケインズは、そのリディアの問いに対し、『経済学上は、失業者なんか1人も居ないよ。』と答えます。
町に失業者が溢れているはずなのに、経済学上は1人も失業者が居ないとはどういうことなのでしょうか。
当時の失業者の定義では、『働きたくないと思っている人』と『別の職場に移るから、今仕事をやめている人』の2種類しか無いとされていて、そのどちらも『自己責任による失業』である為、失業で困っている人間などは居ないというのが、経済学での常識だったようです。
しかし、実際の町には、『働きたいけれども、職がない』という人達が溢れている…

学問としての経済学と、実際の経済とがあまりに乖離し過ぎていた為、今までの理論を一旦捨てて、新たに理論を構築し直さなければなりませんでした。

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古典経済学とケインズの主張の違い

古典経済学で重要視されていたのは、供給サイドの話でした。 
当時の考え方としては、モノを生産すればする程に、価値有るものが創造されるわけだから、企業はただ、生産性の上昇のみを追い求めていれば良いという考え方でした。

ただ、生産性を向上させて物を大量に生産すると、実際には大量の売れ残りが出てきます。 その売れ残りを捨てると、生み出した価値が無意味なものになる為、企業は値下げによって対応します。
価値の有るものを値下げするわけですから、その値下げに応じて需要が生まれ、企業は商品を売り切ることが出来、わずかならが、利益が出る。その利益を、さらなる生産性の上昇のために再投資し、売れ残れば値下げして…
という事を繰り返していきます。 すると、市場の全体い的な物価が下がっていくので、労働者の実質賃金は上昇することになります。 つまり、モノ全体が安くなっているので、相対的に観て、給料が高くなっているという事。
不況になると、実質賃金が上昇する事になるので、労働者の賃金をその分カットすれば、企業の採算は悪化しない。

それに対してケインズの主張は、需要サイドを中心に考えるという主張です。
企業がどれだけ生産性を上げてモノを生産したとしても、値下げを行ったとしても、人は要らない物まで買おうとは思いません。
家庭に必要な冷蔵庫の数は、1個。広い家だとしても、2個もあれば十分で、いくら値下げされたとしても、それ以上、買おうとは思いません。

また、不況によって実質賃金が上昇し、その上昇分をカットした場合、労働者の実質の手取りは同じだけれども、名目上の賃金は減少していることになり、労働者の不安を煽ることになる。
労働者はそのまま消費者となる為、消費者が経済状態に不安を持つと、財布の紐は固くなり、結果として、消費はより抑制されてしまい、ものが売れなくなる。
後は、デフレスパイラルの循環によって、景気はどんどん悪くなり、失業者が街にあふれてしまうという事です。

アダム・スミスの理論によれば、放っておけば経済はバランスを取るはずなのに、実際の経済では、そうはなっていない。
その机上の理論と実体経済とのミスマッチを埋める形で新たに生み出したのが、ケインズの経済理論だったようです。

結構長くなってきましたので、具体的な話については、また次回にすることにします。
kimniy8.hatenablog.com