だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

資本主義と身分制度

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資本主義というのは、産業革命以降に起こった新しい思想の様に思われているが、実際の構造的には、昔の身分制度と変わりがない。
中世の世界では、武力を持つ人が土地の領主となり、その土地に住む人々から搾取する事で贅沢な暮らしをしていました。
この中世の時代と今現在の資本主義は、よく見るとかなり似ている部分があります。

中世の身分制度では、主に土地を持つ人間が同時に権力も持っていました。
土地を多く持つということは、それだけ大量の食料や設備・人口を持つことに繋がるわけで、他の領主や他国と争うためには、絶対に必要だったものなんでしょう。
そしてその広大な土地を守る為には、武力も必要。
土地と武力を制するものが、同時に権力も握れたのが中世でした。

では今はどうなっているかというと、今は資本を持つ資本家が権力も握っている状態。
資本家は、資本によって組織を大きくし、投資によって他社を買収して支配下に置く。
そこで働く一般職員は、管理職の人達に搾取されるという構図。

両者に共通している点は、上層部がふんぞり返り、民衆が上層部を支えるという構図。


中世をモチーフにした物語では、王子同士が争い、その王子を中心にして派閥争いが起こり…
なんて物語は王道になっていますが、資本主義でも、創業者家族の闘いなどは頻繁に起こっています。
つい先日話題になったロッテの家族争いなんて、中世の王位争いそのままですよね。

つまり現代社会でも、貴族の様な立場の人間は存在するということ。
そしてその人達は、相変わらず一般庶民から搾取し続けているという事。

このように表現すると、『今の方が能力によっては上にいけるので、良い』と仰る方も多いと思います。
しかし個人的には、今のほうが問題が分かりにくい分、悪質な気がします。

昔の様に、身分制度がしっかりしている場合を考えてみましょう。
一般市民で、恵まれていない生活を送っている人達は、貴族が搾取する様なシステムが悪いと認識しやすい。
その結果として、システムを変えるための革命などが起こったわけです。
しかし、今現在はどうなのかというと、問題が非常に見えにくくなってしまっている。

例えば、ブラック企業に勤め、自由時間がほぼない状態で毎日暮らしている人達が存在します。
この様な人たちは、現代社会でいうところの奴隷の様な生活を送っているともいえます。
しかし、傍からこの人達を観た場合、どのようにみえるでしょうか。
資本主義の今の世の中では、『職業選択の自由が有る今、あの職種に付いている人達は、好きでやっている』と思われてしまう。
性風俗で働く人たちも同様で、わざわざあの様な仕事を選ぶのは、そうしたいからと思われる。
そして、『昔努力をしなかったんだから、自業自得だ』と思われる。

しかし、果たしてそうなか。
競争社会では、組織はピラミッド型で固定されます。
ということは、どれだけ努力しようが、上に行ける人数の割合は既に決定されているということになります。
全員が同じように努力したとしても、大部分はピラミッドの底辺層に行かなければ組織を維持できないシステムになっている。
競争社会を維持し続ける為には、本人の意思とは関係なく、大部分の人間をピラミッドの底辺層に押し込めなければならない。
そうしないと、システムそのものが崩壊してしまう。

こうして生まれるのが、経済的奴隷

昔であれば、身分制度のせいで恵まれていないと思われていた人達は、全く同じような境遇なのに、自業自得だと思われてしまう。
今の状況の方が逃げ場がない分、辛い時代とはいえないだろうか。

これに対する反論として、『上に行けるのが血筋では無く純粋な能力なのだから、今のほうが公平だ』という意見もあるだろう。
しかし、果たしたこれは本当なのだろうか。

最近話題になった大塚家具のお家騒動。
大塚家具は株式を上場している会社で、従業員数も1000人を超えている。
その中で、一番有能だった人間が、偶々創業者の血筋の人間だったのだろうか。
血筋は全く関係なく、純粋に後継者が選ばれたのだろうか。
これが、上場していない100%創業者が株を握っている会社なら、自分の財産を子供に継がせたいという気持ちも分かる。
しかし、上場企業で他人から資金提供を受けているのに、世襲制をとっている。

もっと分かりやすいのが、韓国。
10大財閥が存在し、財閥だけで経済の大部分が回っていると言われている、日本よりも資本主義が進んだ社会。
こんな大企業でも、公然と世襲が行われている。
韓国といえばナッツ騒動で有名だが、彼女は、その会社の中でTOPレベルで有能だったから、血筋に関係なく幹部になれたのだろうか。
それとも、単に血筋が良かったから幹部になれたのだろうか。

思うに実際の社会では、数限り有る上層部の席の大半は、世襲によって既に決定されている。
そして残りの僅かな席が、申し訳ない程度に空けられているにすぎないのでしょう。
こう考えると、能力によって上に登れる可能性があるという話も、単なるガス抜きにしか思えない。
宝くじと同じで、胴元が売上の半分を取る事で、統計的には賭け金が半分になるのに、賞金が高過ぎるから目が曇ってしまう状態と同じように思えるのですが、どうでしょうか。