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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【映画・ネタバレ感想・考察】 ハンガーゲーム

私が愛聴しているネットラジオ番組『狭くて浅いやつら』で、ハンガーゲームという映画が推されていたので、観てみました。
という事で今回は、映画『ハンガーゲーム』を観て、感じた事や思った事について書いていきます。
既に観ていることを前提でネタバレ全開で書きますので、興味を持っていてまだ観ていない方は、まずは観てからお読みください。
ハンガーゲーム『1』『2』については、Netflixでも公開されています。








この映画ですが、結構いろんなことを考えさせられる、素晴らしい映画でした。

まずは、世界観。
キャピトルという首都があり、その他に地区が1~13まで存在する世界。
一番最後の13地区は、過去に起こった反乱の見せしめとして壊滅している為、人が住む地域は12地区までしかない状態となっています。 
ハンガーゲームは、各地区から男女1名ずつの代表が選ばれて、それぞれが殺しあうゲームとなっています。

この世界観、現実の世界や昔の政治体制と共通点が有り、観る人によって受け取り方が変わるような仕上がりになっているんですよね。
キャピトルを頂点とした各地区という構造。
この地区も全てが平等というよりも、格差が徐々に開いている様子が描かれています。
第1・2地区は、ハンガーゲームに挑戦する為のプロを育成できる程に発展し、恵まれています。
しかしそれ以降の地区については、鉱山で働く地区や木を切って加工する地区など生活に必要な物資を生産する拠点になっていき、経済的な余裕も無くなくなります。
主人公の故郷である12地区は貧困街と呼ばれていて、ただのパンがご馳走と呼ばれるほどに貧しい地区。

この構造は、昔の日本の士農工商身分制度のようでもありますし、石油・木材など、各国が得意分野の製品を輸出しているのに格差がある、現在のグローバル化された近代社会のようにも見えます。

この様な世界で、12地区出身の女の子の行動がきっかけになって貧民地区を中心に暴動が起こり、革命へと移行していくとうストーリー。
これも、百姓一揆のようにも見えるし、アメリカの独立戦争のようにも・・・
別の見方をすれば、今現在、世界各地で起こっているテロも、構造としては同じようなものなのかもしれません。

この、捨てるものがない程に貧しい者たちが、体制を変えるために行動を起こす。
物語としてはかなり、ありがちな展開なのですが、この作品の凄い事は、そこまでの展開が従来のものとは全く違うことです。
ひとことで言うと、物語を支配しているのは空気感。
超人的なヒーローが出現しない、かなり『リアル』な表現となっています。

登場人物の皆が自分自身で考えているように見えて、実はその場の雰囲気に流されているだけなんです。

物語の中心となる主人公の少女は、体制に不満を持ち、革命を狙って動いたわけではありません。
自分の性格とその場の雰囲気で、取れる行動をとっただけ。
しかしその行動に多くの人の心が動き、暴動という微かな火が燃え始めた。
以前から革命を計画していた人達は、その火を消さないようにに薪をくべるという作業はしたけれども、自分から火をおこしたわけではない。
革命のリーダーである首相ですらも、雰囲気に乗っかっただけの人なんですよね。

つまり、全ての行動の原因になっているのは、雰囲気や空気感といった曖昧なもの。
その空気を読む事に長けた者が、民衆の行動を自分達の思う方向に誘導できるように、雰囲気を調整していく。
戦争や革命をテーマにする映画の多くは、最前線で戦う人や指導者に焦点を当てがちですが、この映画の主役はあくまでも、雰囲気なんです。
ここが凄い。

しかし、雰囲気や空気感なんてものは、具体的な形を持っているわけではないので、映像にしにくいですよね。
では、目に見えない雰囲気をどの様にして表現したのかというと、ゲームメーカーという存在。

ゲームメーカーは2人存在し、1作目と2作目以降でゲームメーカーは違います。
そして2人のゲームメーカを使い分けることで、物語がどのように転んでいくかという差を、対比して見せています。
1作目のゲームメーカーは、どちらかというと無能で、雰囲気を操るというよりも雰囲気にのまれるタイプの人物。
キャピトルの観客・大統領・各地区の人々の雰囲気を読むことが出来ず、逆に主人公のカットリスを取り巻く環境が生み出す空気感にのまれてしまいます。
結果として暴動は起こり、大統領からは信用を失い、死を強要されてしまいます。

しかし2作目以降のゲームメーカーは違います。
その場の雰囲気をよく理解し、その空気感を演出によって自分達の有利な方向へと導いていきます。
3作目以降は反乱軍がキャピトルに向けて進行していく為に徐々に戦争状態に突入していくのですが、その際も、一番注力して描かれているのが、演出です。

スノー大統領・コイン首相は、それぞれ、より良く自分のイメージを大衆に伝えるためのイメージ戦略を行っていきます。

主人公のカットリスは、革命軍のシンボルであるマネシカケスとして演出され、同行する映画監督によってカリスマへと変わっていきます。
革命のためにカットリス役に立つ行動は、実質的にはこの演出による戦意高揚だけ。
反乱軍にとってのカットリスは広告塔で、それ以上の価値も力もありません。
自分自身で決断して行動しようとした大統領暗殺計画も、見事に失敗。
しかしそんな失敗も物ともせず、反乱軍は当初の計画通り、大統領を追い詰めて降伏を勝ち取ります。

この映画の登場人物の誰もが、『自分こそがこの物語の主人公』と思っていたのでしょうけども、実際には皆が雰囲気を演出するための役者に過ぎない。
そして、その事を十分理解し、舞台から降り、自ら裏方にまわったゲームメーカーだけが、世界を俯瞰して観ることができていたんです。

この物語の最後は、『ハンガーゲームに勝者はいない。 だがこいつは・・・』といった感じの言葉とともに、絶えず要人の隣に居るゲームメーカーが映しだされて終わります。

雰囲気を読むことが出来る人間が、絶えず勝者の近くにいる。
こういった構図って、現実世界でも結構あることだと思うんですよね。

例えば、今の世の中は政治家が動かしているように見えますが、実際には全面に押し出されて目立っている政治家も、役者にすぎなかったりします。
政治家が自分で考えて主張しているように見えて、実際に物事を決定しているのは場の雰囲気だったりします。
実際の暴動や革命も、誰か一人の呼びかけに呼応するというよりも、不満が貯まりやすい環境といったものが根底にあり、誰かが少し力を加えるだけで爆発してしまいそうな雰囲気になったから起こるものなんでしょう。
その雰囲気を敏感に感じ取り、演出する事ができる人間だけが、少しだけ先の事が分かるというのが、世の中なんだと思います。

そういった意味でこの映画は、場を支配している雰囲気の重要性を上手く描けている点で、素晴らしいなと思いました。

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