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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

UBIソフトが凄い!と思えたこと

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2014年末にPS3を購入してから、UBIソフトのゲームをやる機会が増えたのですが…
相当凄いですね。といっても、アサシンクリードファークライ4しかやってないんですけども。

何が凄いのかというと、今現在、当たり前の様に信じられている世界や常識というものに対して、疑問を投げかけているところです。
表現が抽象的過ぎて少し分かりづらいと思いますので、もう少し具体的に書いていきます。




ファークライ4では、文明国家であるアメリカ在住の主人公が、後進国のキラットに訪れるところから始まります。
キラットでは、アメリカで今まで培ってきた常識が、ことごとく覆させられます。
本来、国民を守る為に存在する軍隊などの政府組織が、毎日の様に国民に対して非道な振る舞いを行います。

この国では、生き抜く為に国と戦う事が当たり前の状態。
本来はいけない行為とされている殺人も、その技術を高めることで英雄視されるような世界です。

では、独裁者が国を統治しているから駄目なのかというと、そんな単純なものではありません。
国民の間では、個人の自由を制限するような宗教が、信仰されています。
例えば、女子は幼い頃から許嫁を決められて、愛する人を選択する自由さえ奪われている状態。
宗教は国民の生活の中に溶け込んでおり、宗教的な習慣を行うことが当然とされています。
客観的に見ると、宗教にのめり込み過ぎているせいで、文明レベルが上昇しないという見方も出来ます。

このゲームには土着の宗教以外にも、キリスト教の神父が登場します。
ロンギヌスという名前の神父ですが、このキャラクターも、かなり変わった人物。
隣人愛を謳っているキリスト教の神父なのに、職業が武器商人。
しかも自身の行為を、聖書の解釈を自分で変えるという行為で正当化しています。

主人公がこの血を訪れたのは、母親が死んだ際に『自身の骨を故郷のラクシュマナの元に撒いてくれ』という遺言を受け取ったから。
単に散骨するだけという何の覚悟もないままに、自身が昨日まで住んでいた世界とは、常識が全く違った世界に放り投げられるというゲーム。

行動は全て自分で決めるという自由。
ドラッグ・音楽・自然への回帰。
カウンター・カルチャーの様々なメッセージが、つめ込まれています。


アサシンクリードも、設定やストーリーは違いますが、同じようなことを伝えようとしている印象を受けました。
私は3までしかプレイしていないのですが、シリーズを通して2つの事を伝えています。
・真実など無い
・行(おこな)ってはいけない事など無い

言葉自体は抽象的で、読み取る人によって、どの様にも読み取る事が可能な文章です。
だからこそ、読み取りようによっては深い言葉になりますよね。

過去も現在も、人間社会というのは常識にとらわれています。
物事を判断する尺度として、『常識的に考えて』という発言は、よく耳にします。
ですが常識って、そもそも何なんでしょうか。
言葉としてはよく使いますし、普通に存在すると思い込んでいるものです。
しかし、常識なんてものは、本当に存在するのでしょうか。

常識なんて、文化が変われば変わりますし、もっと小さな集団の組織内でも変化します。
『普通はこう考えるだろう』と皆が思っている事が【常識】なんでしょうけども、皆が本当に思っているかどうか、意見を擦り合わせるわけでもない。
実際に意見をぶつけ合ってみると、人それぞれが全く違うことを考えていたなんてことは、珍しいことでは有りません。
皆が共有する常識は、『皆はきっと、こう考えているはず』という想像でしかない為、そもそも常識なんてものは存在しないともいえます。

常識は、存在自体していないのに、ものを考える尺度として、人の思考を檻のように抑制している。
そんな状態から、文字通り、常識にとらわれない考え方が出来るのであれば、世の中に行ってはいけない事など無いのかもしれません。


両者のゲームから読み取れる事は、常識からの逸脱。
人は、自分自身を確立する為に、基礎となるようなものを心のなかに築くものだと思います。
その基礎をベースにして、それぞれの人格を形成していくのですが、その基礎自体の存在が、実は無いのかもしれない。
自分のキャラクターだと思い込んでいるものも、存在しない気その上にそびえ建つもので、何かが切っ掛けで倒壊することもあるのでしょう。

一見すると、今までの価値観が全て崩れ去るようで、恐ろしいことのようにも感じます。
しかし、捉えようによっては、基礎・指針・常識なんてものは存在しないのだから、世の中をどのように捉えても良いんですよね。
この考え方は、固定された視点からしか見えなかった世界が、多方面から見れるように成る為、世の中に対して、あらゆる可能性を見つけることが出来ます。

こういうメッセージを、真面目な媒体ではなく、ゲームというサブカルチャーで伝えようとする辺りが、結構凄いのではないかと思いました。