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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第147回【アルキビアデス】まとめ回(1) 後編

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目次

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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政治家に必要な知識


これに対してアルキビアデスは、『戦争や和平、またはそれ以外の国政に関することについての知識だ』と主張します。
アルキビアデスやソクラテスが生きていた時代というのは、頻繁に内戦や戦争が起こっていました。この様な状況では、政治家の行動や態度一つで大勢の市民たちの命が危険にさらされる可能性もあります。
それを踏まえて考えると、外交能力やそれに関する知識というのは、確かに政治家には必要な知識だと思われます。

適切なタイミング


しかし、一言で外交の知識と言っても範囲が広すぎます。そこでソクラテスは範囲を絞るために『その外交というのは、相手を見てタイミングを図り決断を下すことなのか』と彼に問いかけます。
外交というのは腹のさぐりあいなので、心理学を元にした心理戦などを研究すれば、ある程度は優位に立てるかもしれません。
しかし、その知識を勉強すれば誰でも交渉の場で優位に立てるのかといえば、そんなことも無いでしょう。時には何も考えずに大胆に行動した者の方が優位に立てる場合もあります。

そういう事も考えると、ソクラテスの言う通りタイミングの図り方というのが、より重要になってくるのかもしれません。
これは、外交カードのきり方と言い換えても良いかもしれません。 強いカードを持っていたとしても、カードを切るタイミングを間違えてしまえば勝負には勝てません。
適切なタイミングで適切なカードを切ることで初めて、外交という勝負に勝てるとういことです。

ちなみにこの『タイミングを図り、やるべきタイミングで事を行う』というのは、全ての事柄について当てはまります。
例えば格闘技の場合は、防御すべきタイミングで防御をして、攻撃すべきタイミングで攻撃をするだけで相手に勝てますし、ダンスの場合はステップを踏むべきタイミングでステップを踏むだけで上手に踊ることが出来ます。
『やるべきタイミングでやるべき事を行う』というのは、あらゆる物に通じる極意のようなものなので、この様に口で言うのは簡単ですが、実践することが非常に難しいものだったりします。

これを実践するために必要になるのが、学問であればその分野に対する探求になるでしょうし、スポーツの場合であれば反復練習による基本の刷り込みになるのでしょう。
日々の練習や探求によって、必要な知識やスキルをタイミングを図って出していくことが可能になります。 つまり、これを実践するためには、その専門分野で確立された知識や技術の習得が必要不可欠となります。
では、政治家の場合はどの様な知識の習得が必要不可欠となるのでしょうか?

戦争は正義を行使するために行う​


この質問に対してアルキビアデスは答えることが出来ません。答えることが出来ないということは、彼は政治家に必要な知識や分野を知らないということになるので、当然、その分野に対して積極的に勉強するなんてことはしていません。
しかしアルキビアデスは自信満々に『自分には政治家に成れる能力が有る』と思い込んでいたわけですから、本能レベルでは理解しているかもしれません。
その為ソクラテスは、彼に質問を続けることで、彼の認識を確かめようとします。

この2人が暮らす時代では戦争が身近なものだったというのはさきほど言いましたが、では、その戦争はどのようにして起こるのでしょうか。
これに対してアルキビアデスは『戦争は、仕掛ける側が相手側から国益に反するようなことをされたと主張して引き起こすと答えます。
この戦争理由は現在でも変わっていませんから、私達のような現代人でもわかりやすいと思います。

相手が一切悪くないのにも関わらず、自分たちの欲望を満たしたいからという自分勝手な理由で侵略戦争を仕掛けようとしても、実際に戦争に命をかける自国民の兵士達がついてきません。
戦争には、実際に戦地へと赴く自国民の兵士たちが納得するような大義名分が必要となり、それに正義が宿っていなければ人は動きません。
仮に、戦争を仕掛ける側の指導者や政治家が自分自身の利益を考えて戦争を仕掛けるにしても、それをそのまま国民に言うような者はいないでしょう。

その本当の目的は隠し、自分たちが正義側で相手が悪なのだと印象づけるための大義名分を考えて主張するのが政治家です。
そこまでして自国の正当性を主張して初めて、市民たちは自分の命を賭けて戦場へと向かう決意を固めます。
これは当然のことながら、相手の国も同じです。 相手の国も自らの正当性を主張することで、兵士の士気を高めようとするわけですから、戦争というのは結局は正義と正義の戦いとなります。

善悪を見極める知識


つまり、外交の最終手段である戦争というのは、突き詰めればどちらの国の正義の方が勝っているのか、どちらに正当性が有るのかの勝負となります。
これは政治にも当てはまり、良い政治とは『より正義にかなっている行動』を取れるかどうかとなります。では、正義や正当性はどの様な理論をベースにして作られているのでしょうか。
アルキビアデスは、自分には政治家に成れる能力が有ると訴えかけて政治家になろうとしていますが、彼は正義や正当性を導き出すための学問を知っているのでしょうか。

これについてアルキビアデスに質問してみると、彼は答えることが出来ませんでした。
前に紹介した『知識の身につけ方』について振り返ってみると、人は無知を自覚している状態で、その分野について詳しい人に教えてもらうか、自分で探求したものしか知識をみにつけることは出来ないという話でした。
その理屈をそのまま当てはめると、アルキビアデスは善悪の区別の仕方を知らないと自覚した状態で、それが出来る教師に教えてもらうか、自分自身で探求して身につける事でしか知識をみにつける事は出来ません。

どちらにしても、学習とは自分の無知を認めるところから始まるわけですが、人から聞かれるまでわからないということは、問題そのものを自覚していないとうことになりますから、当然、知識は身につけてはいないことになります。
しかしアルキビアデスは、この結論にどうも納得がいきません。 というのも、『正義にかなった行動』が分からないということは、善悪の区別がつかないという事を意味しているからです。
これは自分に当てはめてみるとわかりやすいと思います。他人から『お前は善悪の区別もつけることが出来ないのか?』と言われたとしたら、誰でも反論したくなるでしょう。

実際に私達は何らかの物事を目にした際に、どちらが善でどちらが悪かというのを振り分けたりします。
これは、何らかの理論に則って振り分けているのかというとそうでもなく、直感的に『あれは良いこと』『これは悪いこと』といった感じで振り分けます。
この様に実際に振り分けが出来ているわけですから、その基準となる知識は自分に自覚がなかったとしても、既に収めているのではないかと思うのではないでしょうか。

この様な感情を抱いたからか、アルキビアデスは納得できないようなので、ソクラテスはアルキビアデスと一つ一つ順序立てて、この事を考えていきます。 この続きについては次回に話していきます。


参考文献