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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第128回【饗宴】『有限』の克服 前編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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前回のリンク

kimniy8.hatenablog.com

エロスによって生まれる『子』

今回も、プラトンが書いた対話篇『饗宴』の読み解きを行っていきます。
前回は、エロスが最終的に求める幸福とは、『子をなすこと』だというところまで話していきました。この子供というのは、人間同士の間に生まれた子供に限定した話ではありません。
何故、子供の定義をその様に限定しないのかというと、その様に定義してしまうと、エロスは男女間の恋愛に限定されてしまうからです。

もしかすると、科学技術が進んだ先の未来では、同性同士で子供が作れるようになっているかもしれませんが、この議論がされているのは2500年ほど前のことなので、そんなことは考慮されていません。
その為、ここでいう子供とは人間の子供という具体的なものではなく、『異なる2つのものが合わさって生まれる新たなもの』という認識をした方が理解しやすいと思います。
例えば、Aという思想を持つ人と別のBという思想を持つ人とが討論をすることで、双方の思想とは違った別のCという思想が生まれるというのが、これに当てはまると思われます。

『有限』の克服

何故、『子をなすこと』がエロスが求める幸福につながるのかというと、人の命が有限だからです。
ディオティマが語るエロスの特性とは、美や愛に関連するものを欲しいと思い、知性を使ってそれを手に入れることができるけれども、満たした欲望はその瞬間から指の隙間からすり抜けるように逃げていってしまうものでした。。
つまり、エロスを宿す人間は、永遠に満たされることがないわけです。 そして人の欲望は永遠に発生し続けて、人はその欲望を知性を伴った行動で叶え続けることになります。

このサイクルは永遠に続いていくわけですが、一方で人間は永遠に生きることは出来ません。 人間には寿命というものがあり、その生命は限り有るものだからです。
エロスとは人間の精神に依存している概念ですが、エロスという概念が永遠にサイクルを回すことで幸福に到達しようとしているのに対し、人間側に寿命という制約があると、エロスは幸福には到達できないことになってしまいます。
これでは、エロスは幸福に到達しようとする概念なのに、幸福に辿り着くことは絶対にないわけですから、それを宿した人間は、幸福に到達することができなくなります

そこで、永遠という時間を克服するために登場したのが『子をなすこと』という考え方です。
先程、人間の子供に限定しないと言っておいてなんですが、例えとして人間の子供で考えると、人間1人の命には限界がありますが、その人間が子供を作ることで子孫をつなげていくことで、遺伝子情報としての人間は時間を引き伸ばすことが出来ます。
また、子供が生まれ際に、自分が今まで経験したことを子供に教えることで、子供は親の経験をベースにして、その先の新たな欲望を追求することが出来ます。

陸上で例えるなら、リレー競走や駅伝のようなもので、バトンやタスキをつなげていくことで自分だけでは到達できなかった場所にまで到達することが可能になります
このバトンやタスキを永遠につなげていけば、エロスが求める永遠のサイクルに対抗できる様になるため、『子をなすこと』が重要になるということです。

ヘーゲル弁証法

これは人間の思想にもそのまま当てはまり、人間1人が到達できる思想には限界がありますが、それを語り継いだり、様々な人と議論をすることによって新たな概念へと昇華させていくことができれば、その概念は永遠を手に入れることができます。

私自身がまだ勉強不足で、この喩えがあっているかどうかはわかりませんが、この時代からもっと先の哲学者の理論で言えば、ヘーゲル弁証法なども、これと近い考え方なのかもしれません。
ヘーゲル弁証法は、大まかに言えば、ある主張に対して反論をぶつけて、その主張と反論を融合させた感じで1段階上の主張を導き出そうといった感じの考え方です。
先程出した例えをもう一度いうと、Aという意見とBという意見をぶつけて、Cという意見を生み出すことです。 ここで重要なのは、どちらの主張が正しいのかをバトルさせるわけではなく、双方の意見を組み合わせて1段階上に上げるということです。

話を饗宴に戻すと、このように『子をなすこと』によって人や人が生み出すものは不死性を獲得することが出来るようになり、時間を克服することが可能となります。
これにより、エロスが永遠に発し続ける欲求にも応えることが可能となり、幸福にたどり着ける可能性が残ることになります。

継続と変化

また、この『子をなすこと』を色んな角度から観ることで更に掘り下げていけば、他の様々なことに当てはまることに気が付きます。
例えば、物質的なものでいえば子供を生んで子孫をつなげるというのも人の不死性を可能にするものですが、これは人間個人に当てはめても同じです。
爪や髪や皮膚は、新たなものが生えてくることで生まれ変わっているため、人間は常に新しく生まれ変わり続けているとも考えられます。

これは現代では新陳代謝はと呼ばれますが、この新陳代謝は個人だけに当てはまるわけではなく、個人が集まって集団になり、組織化されたものにも起こります。
身近な組織といえば会社がありますが、会社という組織は毎年のように新入社員を採用する一方で、一定数の退職や定年によって去る人が出てくるため、組織として新陳代謝が起こります。
この新陳代謝が起こらない場合は、組織発足時に雇った社員が定年を迎える時に、組織の寿命もツキてしまいます。 組織が不死性を帯びて永続的に存続し続けるためには、新陳代謝が必要となります。

記憶のメカニズム

得たものを失い続けるために、常に追い求め続けるというエロスの性質は、人間の記憶にも当てはまります。
人は、一度目にしたものを完全に記憶することは出来ません。 もし、それが可能であるとするのなら、人間は勉強などで思い悩む必要はありません。
何故なら、最初に1度テキストを見た段階で覚えてしまえば良いだけだからです。

しかし人間は、そのようには出来ていません。 多くの方は、一度見ただけでは物事を忘れてしまいます。
では、特定の記憶を定着させようと思う場合、何をすればよいのかというと、覚える作業を繰り返すことです。
この、一度手に入れたはずのものを失って、再度手に入れるということを繰り返す作業は、エロスの性質と同じです。

人は、失った記憶を復習によって覚え直すという一連の動作を繰り返すことによって、記憶の定着。つまり、脳にある情報の不死性を獲得しようとします。


参考文献