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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第124回【饗宴】美しさを欲するエロスは美しいのか 後編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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これまで行われていたゲームについて

ソクラテスはまず、このゲームの前提をもう一度考え直さなければならないと言います。
このゲームというのは、今回の宴会の場で、だれが一番エロスを賛美することが出来るのかという今現在行っているディベート大会のことです。

最初にこのゲームの説明を聞いてソクラテスが最初に思ったことは、『このゲームに置いてやらなければならないことは、エロスについての真実を語った後、できるだけ美しいものを並べて行けば良い』と思っていました。
しかし、先に行われた5人の主張を聞いていると、自分は、このゲームのルールを勘違いしていたのではないかと思い始めたようです。

というのも、実際に行われたそれぞれの主張を聞いてみると、エロスについての真実を語っている人間がいないからです。
先の5人が行ったことは、知識を持たない聞き手に対して、どうやれば上手い具合に言いくるめることが出来るのかという詭弁でした。
語られている内容が真実かウソかは関係がなく、いかにもっともらしく聞こえるのかが重要視されていて、聞き手の関心を引くために如何に話を盛るかが重要になっていました。

例えばアガトンですが、彼は、他の参加者がやろうと思わなかった『エロスそのものの本質』を見極めようとしました。
この点については非常に良く、その姿勢についてはソクラテスも同意でくるのですが、問題は、エロスの本質が正しく見抜けていない点です。
そこでソクラテスは、エロスに関する自分の見解を述べます。

エロスの定義

エロスというのは、その概念が抽象化されすぎていて、性欲であったり欲望であったり慈しみであったりとカバーする範囲が広すぎるので、ソクラテスはまず、エロスの広すぎる定義を限定させるところから始めます。
まず、エロスというのは絶対的なものなのか相対的なものなのかを考えます。理解しやすいように別のものに変えて、例えば、親子や兄弟とうい概念に当てはめて考えていきます。
親や兄弟には、母親や父親、兄や妹といった概念が存在しますが、これらの概念は単体で存在することが出来るのでしょうか。

答えからいうと、単体では存在することは出来ません。 親の定義は『子供を持つもの』であり、親は全て『何者かの親』で有るべき存在と言えます。
兄も同じで、弟という存在なくしては兄は存在しません。逆に、妹や弟が単体で存在することはなく、自分よりも先に生まれた存在がいるものだけが、妹や弟と呼ばれます。一人っ子なのに弟や兄であるということはありえないということです。
つまり、兄は弟という存在がいるから成立する概念で、弟は兄という概念が存在するから成立するため、自分以外のものに依存した相対的な概念といえます。

では、エロスはどうなんでしょうか。
何者かに依存しなければ存在できない概念なのでしょうか。それとも、エロス単体で成立する概念なのでしょうか。

こういったアプローチで、エロスとは何なのかを今一度考え直してみると、エロスとは、人間が心のうちに抱く感情であったり欲望を神格化した存在です。
ということは、エロスは人間に依存した存在ということになります。 なぜなら、この世に人間というものが一人もいなければ、そこに宿る精神の存在もなくなるため、エロスという概念も存在できなくなります。
これを聞かれている方の中には、動物も交尾をする際には恋心を抱いているかもしれないと反論されるかもしれませんが、それは動物の精神に依存しているエロスなので、同じ様に動物という存在がなくなれば、そのエロスもなくなります。

つまりエロスとは、何者かに依存しなければ存在できない概念ということになり、エロスを突き詰めていくと人間の感情に行き当たります。

手に入れたものを欲するのか

次に、人間が持つ欲望などの感情について考えていきましょう。
人間が欲望を抱くときというのは、何かを求めている時です。欲望とは欲して手に入れたいと望むことですから、これは当然のことだと思います。
では人間は、既に物を所有している状態で、所有しているものを更に欲するということはあるでしょうか。

例えば、アナタがAさんを好きになったとしましょう。その思いをAさんに伝えて付き合うことになったとして、その状態で更にAさんを手に入れたいと思うでしょうか。
ここで間違えて欲しくないのは、例えば彼女を欲しいと思って告白して彼女をゲットし、その状態でもう1人彼女が欲しいと思うかどうかという事ではありません。
Aさんと付き合える事ができた状態で、同じ人物であるAさんを手に入れたいと思うのかどうかということです。 これが、手放したくないに変わると、それは別の感情になる為、話が変わってきます。

ここで語られていることは、欲しいと思ったものが手に入って、既に所有している状態になったにもかかわらず、更に欲しいともうのかという話です。
別の例えでいうと、A社の株を2000株欲しいと思い、お金を支払って2000株手に入れたのに、更に2000株手に入れたいのかということです。
ここで、『株券はいくらあっても良いので、手に入るのなら無限に欲しい』なんて反論する方もいらっしゃるでしょうが、その場合は、最初の前提が変わってしまします。

追加で出来るだけ欲しいと思うのは、最初の欲求が、発行されている株は全て欲しいが、手持ちの金では2000株しか手に入らないので、とりあえず2000株だけ購入した状態の場合です。
この前提条件であれば、2000株手に入れた後でも、本来欲しいと思っている発行株式全部という本来の欲望は満たされていないわけですから、追加で欲しいと思うでしょう。
ですがここで言っているのは、2000株だけ欲しく、自分の保有株式はそれ以上でもそれ以下でも駄目だと思っている人が2000株を手に入れた場合、その所有した2000株を更に欲するのかということです。

こうして考えると、人は何かを所有した場合には、更にそれを所有したいという欲求に駆られることはありません。
もし、既に所有したにも関わらず、同じものに対する欲求が収まらない場合、それはこの先の未来も、そのものを所有し続けたいという気持ちであって、先程も言いましたが前提条件が変わってきます。
今現在に限って言えば、既に目当てのものが手に入った状態であれば、欲求は満たされて満足感に支配され、更に所有したいという欲求は消えていることでしょう。

美しさを欲するエロスは美しいのか

では、この考え方を、エロスにも適用してみることにしましょう。
アガトンは自分の主張の最後に、『エロスは美しいものを求めるために、この世界は美しくなろうとする』として締めくくりました。
しかし、エロスは美を神格化したものであるため、『美しさ』そのものであるはずです。 エロスが美しさそのものであるのなら、アガトンの論法に従うのであれば、エロスはこの世で最上級の美を既に得ているはずです。

そこに先程の、『既に所有したものを再び所有したいとは思わない』という理屈を当てはめてみると、エロスは最上級の美を既に得ているため、新たに美しさを求めるなんてことはしないはずです。
しかしアガトンは、エロスは美を好み求めていると主張しています。 それに従って、エロスがいまだに美を求め続けている前提で考えた場合、エロスは最上級の美を得ておらず、醜い存在であることになってしまいます。
このソクラテスの指摘に対してアガトンは、納得してしまいます。

ソクラテスのいうことは、論理的に正しく、納得できる様にも思えます。 しかし実際問題としてはどうなんでしょうか。

本当に欲しているもの

例えば金持ちは、既に大量の金を所有しているにも関わらず、金を更に得ようとします。 一方で貧しいものは、金が欲しいと口では言いつつ、実際に金を手にすると直ぐに使い果たしてしまいます。
ソクラテスの理屈では、所有したものを更に所有したいと思うものはおらず、所有したい欲求に支配されるものは、所有できていない者だけであるはずです。

しかし実際問題として、金を持っているのは金持ちの方で、金をすぐに手放してしまうのは貧しい人です。
この事実は、先程の説と矛盾するのではないかと思ってしまうのですが、実は矛盾しなかったりします。
というのも、両者は口では『お金が欲しい』と同じ言葉を発したとしても、実際に求めているものがそれぞれ違うからです。 

金持ちは、純粋に金が欲しく、金を貯めるためなら質素な生活をすることも受け入れます。 また目標額も定まっていないため、お金コレクターのようにお金を集めまくります。
一方で、金を得ても直ぐに使ってしまう人は、実際に求めているのはお金を使って得られるサービスであって、お金そのものではありません。
その為、金持ちはお金を残し続け、貧乏な人は金が手に入ると直ぐに使ってしまいます。

この様に考えると、現実問題に当てはめても、ソクラテスの言っていることに矛盾は生じません。

この後、ソクラテスは、エロスを極めた女性、ディオティマから教えてもらったことを紹介しながら、他の者の主張に対しても吟味していくのですが、その話はまた次回に話していきます。

参考文献